2014年10月18日土曜日

稲葉のいた日本ハム、谷のいなかったオリックス。

秋の風が吹くと、今年のプロ野球シーズンも終わりだなぁ、と感じさせられます。

残る4チームで熱戦が繰り広げられているCSファイナルステージ、その一方で惜しくも「あと一歩」が届かず、一足先にシーズンを終えたオリックス。

少し時間が空いた今だからこそ、CS1stステージ最終戦を振り返ってみたいと思います。

本当に紙一重の差で日本ハムに敗れたわけですが、敗因はなにか。一素人ファンが勝敗を分けたポイントを、勝手に批評していきます。

1.第一戦で松葉&中山を僅差ビハインドで試せなかったこと
延長10回、イニング跨ぎの平野が打たれ敗戦したわけですが、たとえそこを乗りきったとして、11、12回はどうしたのか?比嘉が2イニング?森脇監督の信頼度からして、一番現実的な判断だと思います。
その一方で、もとより少ない左の中継ぎを、一度も試さなかった(第一戦、中山は1/3投げてますが)ことが、「信頼度の高い選手から逐次投入」せざるを得ず、結果として追い込まれていった要因ではないかと。ファイナルを見据えた場合でも、敗れた一戦目にこれができなかったことは大きいと思います。

2.稲葉がいた日本ハム、谷のいなかったオリックス
ここぞの場面で出せる代打の切り札がいた日ハムと、それがなく、ほぼスタメンのみで戦わざるを得なかったバファローズ。この差が日ハムは6回表1死1,3塁の場面。大引への代打稲葉がコールされ、5回裏1死満塁でこのシリーズ、決して調子が良くない安達に対し、代打谷を出せなかったバファローズとなってしまいました。

3.チームの勝負勘のなさ
シーズンを通して、これがついて回りました。「ここぞ」の場面で打てない打線、打たれてはいけない場面で打たれる投手陣、絶対負けられない試合に負けるチーム…。セ・リーグを制した巨人が、個々の力は十分に発揮できずとも、絶対に負けられない試合はすべて拾っていたのとは対照的でした(その巨人も、CSファイナルは崖っぷちに追い込まれていますが)。

まぁこれらのことを糧に、来年はもっと長い期間オリックス・バファローズの応援をさせていただきたいと思います。

Au revoir et à bientôt !



2014年10月14日火曜日

オリックス・バファローズの2014年が終わった。

2014年のオリックス・バファローズの戦いが終わりました。

シーズン最初に見せた快進撃から、終盤のホークスとの激闘(譲り合い)まで、長く楽しい一年も今日で終わりです。

最後は延長10回、回跨ぎの平野佳が中田にソロホームランを打たれて終戦。今年のオリックスを象徴する、2-1の接戦を落としたゲームでした。

今年は8回観戦に行き、4勝4敗。決して好成績ではありませんでしたが、十分に楽しい試合を見せてもらいました。

シーズンもクライマックスシリーズも、あと一歩、最後の一押しが足りなかった今年のチーム。今から来年のことを話すのは早計でしょう。

とりあえず、オリックス・バファローズに関わっているすべての方々、一年間お疲れ様でした。

Au revoir et a bientot !
CS第一戦。エース金子千尋が先発も、3-6で敗れる


2014年8月22日金曜日

書かれなかった過去を振り返ろう 6/6 ――『彼方なる歌に耳を澄ませよ』

何年ぶりかにマクラウドの作品を読み返す。辺境の国カナダの、更に辺鄙なところに位置する、ケープ・ブレントン島。その地で暮らすスコットランド系移民の末裔たちの日々の暮らしを、脚色なしで(もちろんこれは言いすぎだ)描き出す。21世紀日本からはひどく遠い、土地・時代・文化の物語。

たとえば前回の『ペルソナ4』が現代日本を反映したものだとすれば、これは移民の時代(18世紀?)から1970年代まで続く、一族の物語だ。舞台はカナダ、日本からひどく遠い国の出来事だ。

カナダは、遠い。この計り知れない距離感はどこからきているのだろう?カナダのことをなにも知らないから?といって、日本の一般市民がカナダについて、どれだけのことを知っているだろう?国旗にカエデのマークが用いられていること?アメリカの北に位置すること?他には?大統領が誰かすら、そもそも大統領職があるのかすら、定かでない。もしかすると王様が国を治めていたりするかも?

これだけ遠い国の、本土から離れた島の話だ。当然日本人にとっては近づきがたいものに思える。だが、マクラウドの描くカナダの生活は、近い。場所も時代も大きく異なる物語が、これほどまでに人をひきつけるのはなぜなのか。

簡単に言ってしまえば、物語の持つ普遍性というやつなのだろう。だが、この説明だけでは不十分な気もする。普段全く自覚的でない、他者との共通点を認めたからといって、それで親近感を抱くのか?そもそも差異こそを好む時代に生きているのに、共通点をあげつらって、喜ぶ奴がいるだろうか?

だからたぶん、これは差異を理解するための物語だ。『彼方なる歌に耳を澄ませよ』の冒頭に現れる語り手とその兄はまだ、自分たちとさほど離れたところにあるわけではない。彼はアル中で、酒を飲んでいないと手の震えが止まらない。そんな兄にどんな風に接すればいいのか、歯科医となった語り手にはわからない。

彼らの背景が描かれるにつれて、違いは明らかになっていく。彼らが一人の個人としてよりは、一族の中の一人として生きてきた歴史。そして、その歴史的背景が生んだ悲劇。それらはみな、現代日本では存在しない空想上のバックボーンだ。

おそらく現代に悲劇が生まれ得ないのは、こうした歴史的背景の喪失も関係しているのだろう。もはや現代において、フォークナーは生まれない。確定的に明らかなことだ。持つものと持たざるもの、それぞれの良し悪しが、マクラウドの本を21世紀の日本で読むことの意義だ。

最後に、冒頭に書いた文章、今の私ならカナダを「周縁の」国とするだろう。日本もまた、同様だ。大国の周縁にある国がどのように身を処すか。ひどく政治的な問いで、私には身に余る。ここで手を引くとしよう。

Au revoir et a bientot !


2014年8月16日土曜日

書かれなかった過去を振り返ろう 6/5 ――もう一度、ペルソナ4

ようやくクリア!100hくらい費やしたが、これはなかなか大変なことだぜ(一生懸命フランス語をやったと言える月でも、50~70hくらいがせいぜいなのに)。大概のゲームは、それに費やした時間をはっきり無駄だと思うのに、今回はなかった。たぶん人生初の、ゲームをやって有意義な時間だった。

ベタ褒めしすぎか、いやいや、そんなことはない。それだけの価値のあるゲームだった、少なくとも私にとっては。前回紹介時はだらだらと書いてしまったので、今回はさくっと済ませよう。

1.コミュニケーションをとることで強くなれる
2.時間の一回性
3.攻略本ありの人生はつまらない
4.自分の弱さを受け入れるための物語

1.コミュニケーションをとることで強くなれる
作中に登場する人物には「コミュ」と呼ばれる関係があり、主人公は彼らと一緒に時間をすごすことで、絆を深めることができる。彼らにはそれぞれアルカナ(タロットカードの「隠者」、「戦車」といったもの)が割り振られており、コミュランクが上がったアルカナからは、より強力なペルソナを作り出すことができる。コミュランクを上げることが、強敵を倒すための近道なのだ。それにしても、主人公のコミュ力はすさまじい。

2.時間の一回性
一日に行動できるのは2回、放課後と夜だけに限られている。それぞれでできることできないことがあって、ダンジョンに入るなら他の人と一緒にすごすことはできないし、勉強やアルバイトをあきらめなければならない。なにかを得るにはなにかを捨てなければならないのだ。

3.攻略本ありの人生はつまらない
ネットで攻略サイトを見れば、どうすれば完璧にコミュをマスターできるのか、会話中の正しい選択肢まで教えてくれる。そうすればゲームシステム上は完璧な人生を送ることができる。でも逆に、つまらない人生になってしまう。結末のわかっている推理小説のように。

4.自分の弱さを受け入れるための物語
ペルソナとはもう一人の自分。日常生活で決して覗き込むことのない、自分自身の暗部だ。誰にでもあるそうした弱さやいやらしさを、否定すれば暴走し、受け入れることができれば自分の力となってくれる。ありふれたテーマだとしても、そうした弱さを主人公やその仲間の高校生にだけ認めるのでなく、周りの大人たちもまた、例外なく秘めていて、向き合うことができていないことを明らかにしている、という点が素晴らしい。

子どもの頃には、「大人になったら」という言い訳が使えた。大人になった今、それはもう使えない。時間は弱さや愚かさを解決してくれず、むしろより解きほぐしがたい、絡まり合った難問として心の隅に置かれてある。自分の弱さと向き合わなければ、どんどん自分が自分でなくなっていく。だから人は嫌でもそれに立ち向かう。大人になっても、認知症になっても、死の間際までも。これは、英雄になれない凡人が生涯を通して挑む、最大の戦いだ。

それは困難でありながらも、少し楽しくもある。

Au revoir et a bientot !

2014年8月11日月曜日

書かれなかった過去を振り返ろう 5/27 ――コミュニケーション入門

危険を感じると、人は心を閉ざしてしまう。自分とのコミュニケーションに安全・安心を感じてもらうためには、その人が大事にしてる価値観に共感する必要がある。

コミュニケーション、一言にいっても容易くはない。自分ではない他人と、意見や言葉を通わせることだ、一筋縄ではいかないことは容易に察せられるはずだ。

実際には、人はそれほどコミュニケーションを問題視しない。空気ほどにありふれており、習熟とは縁遠いものと思われているからだ。結果的に、巷にはミスコミュニケーションがあふれかえる。伝えたつもりなのに伝わっていない、自分の言っていることがなぜか理解されない…誰にでもなんかしら思い当たることはあるはずだが、だからと言ってそうそう改善しようと思わないのが、人間だ。「相手が悪い」と自分の非を棚に挙げて、人の悪いところにばかり目が言ってしまう。

コミュニケーションを仕事の中枢に据えていると、そうでない人よりほんの少し、その難しさを感じる機会が増える。認知症の方はおろか、普段何気なく接している一般の職員とも、良好な関係が保てているか、怪しく思える。

そんなふうにコミュニケーションについて改めて学んでいる最中だったから、なおのことペルソナ4に深くのめりこんでしまった。「いろんな人と関係を深めることが、自分の力になる」という哲学に基づいたシステムは、そのまま社会の反映となる。なお、あまりに深くのめりこんでしまうと、社会そのものから離れて、ゲームの世界に閉じこもってしまう模様。

コミュニケーションの要点は、「この人は私の話を聞いてくれる」と相手に思わせることだ。もっと言えば、「私を受け入れてくれる」存在になることだが、口で言うのは簡単でも、実行するのは難しい。そらそうよ。誰もが大海のように広い心の持ち主ではない。

私のような狭量な人間でも、継続してコミュニケーション技術を磨くために、必要なことをメモ代わりに書き残しておこう。

上述のように、相手にとっての「受け入れてくれる」存在になる、一番のポイントは、聞き上手になることだ。そのためには質問力が求められる。どんな質問を、どのようにするかで、その人との関係が決まる。

尋問にならないことが大切だ。言いかえればこれは、「自分の聞きたいこと」ではなく、「相手の喋りたいこと」と質問することだ。そのためには相手のことを良く知らなければならない。表情やしぐさは勿論のこと、普段相手がどのような言葉を使っているか(視覚的か、聴覚的か、触覚的かなど)や、どの言葉に重点を置いて話をしているか、など。

そしてその感覚や感情に自分の気持ちをあわせる(ペーシング)こと。そうすることで、相手は共感されている、と感じられる。キーとなる単語を繰り返すことは、簡単だが効果的な方法だ。

だから何度でも繰り返そう。同じような主題、同じテーマの文章を、違った時期、違ったスタイルで書くことで、自分自身への理解を深めることができるから。人によってはそれを読んで、私のことを理解しようと思ってくれる人もいるかもしれない。そんな儚い思いを抱きつつ、次回再度ペルソナ4いついて書く。

Au revoir et a bientot !

2014年8月10日日曜日

書かれなかった過去を振り返ろう 5/16 ――ほっともっとフィールドに行こう!

※ お客様はファウルボール等がお体に当たらない様常時ご注意ください。お子様連れのお客様は特にご注意下さい。

岸田投手、2014年最後の先発登板も、はかなく散る。
初回を0点に抑えるも、その後テンポよく失点を重ね、5回で3,4失点して降板。打線も昨年と同様の反発力のなさで、なすすべもなく敗れた試合。まるで、4/9の対ロッテ2回戦のようだった。この日も先発は岸田。この日までの私の観戦成績は0勝3敗と、散々なことになっていた。

この日を境に岸田は中継ぎに配置転換、主に僅差ビハインドの試合で好投を見せてくれている。以降今日まで一度も先発として投げていない。

あ、ごめん、よくよく考えたらこれ、5/1 の試合ですわ。5/16はエース金子が先発し、首位を争うソフトバンクに完勝した試合。OSAKA CLASSIC と題して、両チームが近鉄と南海のユニフォームを着て試合をしたんだった。Tシャツを貰ったので良く覚えている。

そんなわけで、「書かれなかった過去を振り返ろう」シリーズ、通称KKKシリーズは3回目にして早くも当初決めた約束事を破ったわけだが、それも記憶の成せるワザと、諦めるのが容易だろう。オレはなんも悪くねぇ!

話を野球に戻そう。
よく、「どうしてオリックスがすきなの?」と聞かれるが、およそ求められる答えに行き着いたことがない。たぶん、「~選手が好きだから」とか、「友達(あるいは父や兄弟)がファンだったから」とかいった答えが求められているのだろう。

残念ながら期待にはこたえられない。いつもそうなのだ。自分にとっては当たり前の考えが、多くの人には異常に映る。それゆえについた嘘が、より自らの立場を危うくする…。人は因果、理由を探す。たとえそれが荒唐無稽なものに見えても、「理由なく」ファンになったとのたまう男に比べると、危険ではない。ある日突然、「よし、オリックスを応援しよう」と思ったなんて、誰に言ってもバカにされる。

だから誰にでも通用する理由を探そう。後付けだとかそうじゃないとか、そんなことは問題じゃない。「どうしてオリックス?」と、半笑いで聞いてくる阪神ファンの目を見てこう答えよう、「オリックスの、寄せ集め集団なところが好きなんです」と。

プロ野球の世界でもてはやされる「生え抜き」という思想に、これほど染まっていない(しかし無縁ではない)チームも珍しい。強くなるために、血の入れ替えを積極的に行う。成績を残せない選手はどんどんと首になる。だが、セ・リーグの金満球団のように、金でかき集めようにもお金も、人気もない。オリックスに来たがる一流選手など、聞いたことがない。

結局、チームにはあぶれ者ばかりが集まる。能力はあるが契約交渉でもめたもの、結果を残しながら生え抜き主義に押し出され、チームを追われたもの、そもそもチャンスが与えられず、戦力外になったもの、はたまた誰かの「おまけ」として、複数トレードでやってきたもの…。そもそも、チームの成立過程からして、近鉄とオリックスとの歪な合併という、誰も得しない経緯がある。

そんなオリックス・バファローズが私は好きだ。どの選手にもなんらかの因縁があり、物語性がある。選手も監督も、果ては球団までも、みんなよそ者。どちらを向いても敵敵敵…。いや、そもそも敵としてすら認められていないかもしれない。

そんなチームが今年は大正義、ソフトバンクホークスと首位争いを繰り広げている。8/9 現在、首位と4ゲーム差の2位につけている。去年は平均10000人くらいだった観客数が、今年は20000人を超えている。実に二倍。関西の阪神人気を苦々しく思っている人が、こんなにもいるんだぜ。

頑張れ、オリックス・バファローズ。男なら、ドカンとぶつかり星となれ。どんな結末になろうと、その散りざま、とくと見届けてやろう。

Au revoir, et à bientôt !

2014年8月9日土曜日

書かれなかった過去を振り返ろう 5/6 ――世界の果ての通学路

すごく良いドキュメンタリー映画。「日本に生まれた幸せ」ってよく言われるが、普段実感することはなかなかない。これはそれを感じさせてくれる貴重な映画だ。


学校に行くために、毎朝ゾウに襲われる危険を冒しながら、アフリカの赤銅色の大地を駆ける二人の兄妹がいる。妹と共に馬に乗って通学する、アルゼンチンの12歳の少年がいる。ボロボロの車イスを押して、泥道や川を越えるインドの三人兄弟や、週末だけ家に戻り、週の始めには22kmもの距離を歩いて通学するモロッコの少女がいる。

日本にはない地形、風景。野生のゾウやキリン、サイが利用する同じ道を通って、兄と妹は学校へ走る。ときに野生動物の襲撃を恐れ、岩肌をよじ登って遠回りをし、あるいは草むらに身を隠す。そんなところにも学校は存在するのだ。まず、そのことに驚く。

週に2回、少女は学校までの道のりを歩く。22km、石ころだらけの山道を、近くに住む二人の友達と一緒に。何時に起きる必要があるのだろう?5時にはもう、両親の住む家を離れ、学びの宿舎に向かっている。

馬なんて、日本ではもう神話的生き物だ。街中で見ることはまずない。それはイベント、祝祭的な動物だ。アルゼンチンの12歳の少年にとって、馬に乗ることは日常だ。小さな妹を連れて、馬に跨り、学校に向かう彼の姿は、日本に住む私には少年神のように見える。

インドでは、まだ日本的にも見慣れた光景がある。3人の兄弟が電柱の並ぶ道(そういえば、最近では電柱もあまり見なくなった気がする)を、車椅子を押して進む。
長男は脚が悪い。でも二人の弟は兄のことを誇りに思う。だって彼は勤勉で、頭がいいからだ。自慢の兄を、二人は毎朝車椅子に乗せていく。舗装されていない道を行くことは困難だ。彼らにとって通学は、毎日冒険だ。

映画だから描かれていない事実もある。同じように苦労して学校に行っているからといって、みながみな彼らのように勤勉で意欲的に学んでいるわけではない。それは映画の外にある事実だ。パンフレットではその事実は隠されていない。

映画に映る彼らはみな、まぶしい。自分の勉強が、未来に繋がっていることを強烈に信じている。それは、今の日本にはない。選択肢の多様さが、活力を奪っている、という面もあるように思う。

学校は嫌いだった。でもこの映画の、喜びを全身から発散する子どもたちの姿を見ると、あらためて、学ぶことは止めないでいようと思う。もう学校に行くことはなくても、図書館へ、書店へ、職場へ、世間へ、学びに出かけよう。馬の代わりの自転車に乗って。

Au revoir et a bientot !

2014年8月8日金曜日

書かれなかった過去を振り返ろう 5/2 ――アンドレアス・グルスキー展

ミニマルミュージックの視覚化された表現。写真界のスティーヴ・ライヒ。

大阪の国立国際美術館で2/1~5/11まで開催。チケットには「これは写真か?世界が認めたフォトグラファー、日本初の個展」の文。

郊外のアパートメント、油の浮いた川面、100均に並んだカラフルな商品...日常的にありふれた風景が、彼の手(いや目か?)にかかれば、一瞬にして不自然な、見慣れぬものに変容する。

資本主義に対する皮肉を読み取ることもできるだろう。でもそんな政治的意図を抜きに見たほうが美しい。同じもの(郊外の窓、100均の商品)が微妙な差異をもって反復されるとき、あるいは微視化/拡大視化されて、普段目に入らないものを無理やり可視化される(油の浮いた川面や、高高度から見下ろした大洋)とき、僕らは日常に潜む美しさを知り、少しだけ謙虚になる。

でも、その美しさは現実ではない。これらの写真の面白みは、どの写真も写真家自身によって、手を加えられていることだ。

そこに展示されているのは、「あるがままの」現実ではない。まして写真家グルスキーが切り取った/見た 現実でもない。彼が創り上げた芸術作品なのだ。

当たり前のことを言ってるだろうか?そうかもしれない。だが案外、人は写真や絵画の中にリアルを見るものだ。客観的な現実は今更求めないにしても、少なくとも主観的な現実ではあってほしい、と願う。この美しさが全部うそだなんて、耐えられないよ。

リアルをベースにした空想。その、リアルと空想の曖昧さが、観る人に錯覚を生み出す。その錯覚に自覚的であろうとすればするほど、境界線を見分けようとして、グルスキーの罠に絡め取られる。もう、逃げられない。グルスキーの描く現実と空想は、ダニエル・カーネマンの提示する記憶する自己と経験する自己の関係に、奇妙なまでによく似ている。

確かなのは作品とそれを飾る壁のあいだの境界だけではないのか?だがそこにも幾ばくかの不安が付きまとう。もしやこの壁すらも、グルスキーによって創られた、作品の一部ではないだろうか?そして今を生きているこの私も、記憶に裏打ちされていない、忘れ去られる現在時ではないだろうか?

Au revoir et a bientot !

2014年8月7日木曜日

書かれなかった過去を振り返ろう

人間は経験する自己よりも記憶する自己に固執する。

誰の受け売りかって?2002年ノーベル経済学賞受賞のダニエル・カーネマン。彼は人間にとっては経験そのものよりも、その記憶のほうが大切だと喝破した。

そのための思考実験として、カーネマンは次のような例を挙げる。

休暇の終わりに、撮影した写真やビデオをすべて破棄するとします。さらに、休暇の記憶をすべて消してしまうような薬を飲むとします。
事前にこれらのことがわかっている場合、あなたの休暇のプランに影響はありますか?
記憶に残るふつうの休暇と比べた場合、記憶が消失される休暇にいくら払いますか?

カーネマンの結論によると、記憶の抹消は経験の価値を大きく損なってしまうようだ。ある人は記憶がなくなってしまうなら、わざわざ出かける必要はないという。気持ちはよくわかる。ところで、経験と体験の違いってなんだろう?

4月末からブログをほとんど更新しておらず、ブログの開設三周年を自分で祝う機会も逃してしまった。その間、いろんな場所に行って、いろんなものを見聞した。その記憶を、手帳に残された僅かな手がかりをもとに、再構成する。そんな企画を今月はやろうと思う。経験した自己を、記憶する自己に変容させるのだ。

以下のようにルールを定めよう。
・ 5月~現在までの手帳に残された記録を元に、時系列で書く。
・ 本や映画の感想は、その本を読み返さず、残っている記憶と記録だけを頼りに書く。
・ 自分の残したメモを引用する――自己引用の悪癖!

次回は、アンドレアス・グルスキー展(5/2)について。

Au revoir et à bientôt !
2014年の手帳。ボールペンはuni のJETSTREAMを愛用。

2014年7月1日火曜日

青春をやり直そう――ペルソナ4の誘惑

ペルソナ、面白かったっすわー。

ゲームって私にとっては時間つぶしに過ぎなくて(そもそもが年に1度やるかやらないかのライトユーザー)、大抵はやったあとに、「うわ、こんなことに時間使ってもうた」と、自己嫌悪に陥るんだけど、これは例外。つまり、傑作。

なにがズドンと来たかっていうと、それはこのゲームで「青春をやり直す」ことができるからだ。それも、毎日何時間も飽きずゲームに向かっていた、冴えなくてそこそこヘビーなゲーマーだった、そんな青春じゃないのよ。

もちろん、人生のリセットボタンを押せるわけじゃない。たぶん君の人生に、セーブポイントなんてなかっただろう?そういうことだ。誰だってわかっている。でも時に人は、「もしあのときああしていたら…」とか「今の自分が高校時代に戻ったら…」とか、しょうもない想いを抱いて、煩悶する。しゃーないやんか、だって人間だもの。

そんな限りなく後悔に近い願望を、実現してくれるのだ。どうしても感情移入してしまう。ゲーム上のかりそめの姿とはいえ、君は信頼できる友人たちやたくさんの恋人候補(最大で6股が可能!)に取り巻かれ、スポーツも勉強も万能だ。加えて勇気は豪傑並みで、その根性はタフガイと賞賛され、オカン級の寛容さを持ち、知識はまさに生き字引、言霊使いと呼ばれるほど言葉巧みに人を惑わす君は、挙句のはてに世界まで救ってしまう。そんな誰もがあこがれるスーパーヒーローになれるのだ。

リアリティに欠ける?別にええやん?だって、ゲームだもの。そこは割り切ってもいいでしょ。ゲームにまでリアルを求めてたら、ちょっと息苦しすぎる。世界の平和を守ろうとしたら、ラスボスを倒す前にまず、貧困をなくさなアカン。

君は都会から片田舎に転向してきた高校2年生だ。これから一年間、その町で暮らすことになる。目の前には霧に包まれた謎と、様々な可能性を秘めた時間がある。その時間をどう使うか、それは君の自由だ。

このゲームの一番面白いところは、攻略を見てしまうと面白さが半減してしまうことだ。効率よくイベントを進めるための方法が、ネット上で探せばすぐに見つかって、会話ではどの選択肢を選べばいいか、何月何日にはなにをすればいいかが一目瞭然だ。結果として、君の人生はスケジュールに縛られ、人と心を通わせる際の機微は失われる。

そしてそれは、前述の「もし今の自分が高校時代に戻ったら…」という願望への答えでもある。答えのわかっている選択肢を選んでいくほど、つまらない人生はない。今のこの、ろくでもない人生で、泥にまみれてジタバタするほうが、きっと100倍も面白い。

Au revoir et a bientot !

追記:ゲームシステム上ですげえよくできてると思ったのが、「他の人と交友を深めることで、強くなる」システム。本を読んだり、勉強したりも大切だけど、友達や知り合った人たちとの絆を深めるほうが、自分のためになる。書いてしまえばありふれた発想だけど、それをこれだけ上手く納得させることは、普通できない。調べてみると、前作ペルソナ3も同様のシステムを採用しているそう。実は高校生の頃に、初代ペルソナをやってたのだけど、当時はそんなシステムはなかった。あれから10年以上、ゲームも進歩するものだなぁ。

追記2:久しぶりに書いているので、文体がわちゃくちゃ。これも個性だ、とかいう風に、いい風に受け取ってもらえれば、幸い。

2014年6月30日月曜日

ペルソナ漬けの一ヶ月

4月末から6月頭まで、約一ヶ月に渡ってPS2のゲーム『ペルソナ4』をやっとりましたよ。

そんなわけなので、5月にブログの更新が出来なかったのは致し方ないとしても、6月も一回もしてないってどうよ?

そもそもが個人的なブログで、閲覧する人の数もしれてるし、たかが1、2ヶ月更新をしなかったところで、誰かの迷惑になるわけでもないし…。中途半端に書き残した記事が、新たな記事を作る邪魔だてをし、どうでもいいやと投げやりな感情が、それに拍車をかける。新しい記事を投稿したのでもないのに、勝手に増える  view 数が、誰かが読んでくれている、という幻想を、これ見よがしに打ち砕く…。

とまぁ、ゴタゴタと書きましたが、今日から再開です。今後も一定期間書いては休止し、を繰り返すことになるでしょうが、どうぞよろしく。

次回は、そのペルソナ4のお話から。

Au revoir et à bientôt !

2014年4月25日金曜日

バリアフリー 2014

ガルシア=マルケス死去のニュースを聞いてから、追悼文を書こうと思いつつ、早一週間。もうちょいしたら書く予定なんで、もうしばらくのお待ちを。

久しぶりに福祉の話題を。

4月の17、18、19と大阪のインテックス大阪ってところで、「バリアフリー 2014」なる展覧会が開催された。職場の同僚に勧められて(ごり押しされて?)、片道1時間半かけて行ってきたのであります。

このいかにも福祉してる名前の通り、様々な福祉用具が展示されていたのだけれど、そんなん関係なしに面白い。展覧会ってやつのお祭りの雰囲気ムンムンで、出店がたくさんあって、出展者は売る気満々で、「福祉」よりも「資本主義」を強く感じる現場。これまでの福祉にはない、「金を稼ぐ」ことを前面に出したこの空間に、好感を持った。

個人的に一番印象的だったのは、ベッドや車椅子の進歩よりも、そうした企業の本気度具合だった。いやー、トヨタやホンダが本気できとるやん。食品業界でもキューピーなんかが参入してきていて、これからの福祉業界にどれくらい金が入ってくるか、まざまざと見せられることとなった。

こんな風に競争が激化すれば、これまで法外な値段設定をして安穏としてきた、福祉用具業界の尻に火がつくだろう。消費者としては、ありがたい限りだ。その一方で、これだけ大企業が進出してくると、中小の企業にはかなり厳しいだろう、と推測も立つ。まぁ、多少事情が異なるとはいえ、介護の現場も他人事ではないだろうが。

団塊の世代が高齢者になって、福祉も新しいフェイズに移行したなと感じる。これまで社会の一隅に押し込められてきたものが、社会の中心に位置する。人口における高齢者の割合を考えたとき、これは当然の動きだろう。この動きがどこまで加速していくか、注目したい。

その一方で懸念もある。同じ福祉に属していても、身体障害者や精神障害者はこの流れの恩恵を受けられるだろうか?これまで以上に社会から置き去りにされないだろうか。高齢者福祉に携わる身でありながら、そんな危機感と不安がぬぐえない。

それにしても…どんだけ「福祉」言うねん!

Au revoir et a bientot !


2014年4月24日木曜日

スペインと昭和の貧しさ

今って平成何年だっけ?24年、それとも25年?え、26年?ha ha ha 、面白い冗談だ。

なんにしろ、これは確かだ。もうしばらく前から新入社員は平成生まれが当たり前で、昭和生まれの新卒なんて、ほとんどいない。そして、これからこれからもそうだ。時間の逆行はありえない。昭和を経験したものはみな、若者でなくなってしまった。昭和生まれの若者なんて、もういない。

昭和が街から消えてどれくらい経つのだろう?昭和50年代後半に生まれた私が、正確に測ることはできない。私の中に残っているのは、昭和の汚さだ。平成はキレイだ。潔癖に近い清潔さに私はしかし、少し居心地悪く感じてしまう。

時代の大きな転換点、というものは実際にあって、日本ではそれが1950年代後半(昭和30年代)に訪れた。家電の三種の神器と呼ばれたテレビ、冷蔵庫、洗濯機の登場は、人々の暮らしを根底から変えた。

どれぐらい変わったかって?応仁の乱(1467-1477)以来、大きく変更されなかった生活様式が変わったのだ、といえばその激変ぶりが理解できるだろう。人々が使用する道具は、幾度も改良が成されたとはいえ、基本的に同じものだった。これはつまり、1950年代の主婦が1500年ごろにタイムスリップしたとして、多少の戸惑いはあるにしても、普通に生活できるということだ。これってすごくね?

平成と昭和の境目が、これほどの大変動であるかは、後世の検証を待つ必要があるが、小変動であったのは確かだ。平成生まれが昭和に戻って生活できるか?平成生まれを貶すのでなく、それだけの変化があった、ということだ。

ミゲル・デリーベスの『ネズミ』を読んだとき、同じような時の断絶を感じた。

舞台は1955-56年のスペイン。カスティーリャ地方の一寒村。石ころだらけで作物もまともに育たないこの土地で、主人公のニーニ少年は、おじさんの「ネズミ捕り」と一緒に洞窟で暮らしている。川のネズミを捕って生計を立てている彼らの生活のみならず、他の村人たちの暮らしもおしなべて貧しい。村には電気もガスもなく、あぜ道を未だロバが闊歩している。そのロバでさえ、特権者の証だ。

死が暮らしのすぐそばにあって、その暗い深淵を覗かせている。人々はそこを覗き込み、自分のほうを見つめ返す深みからの眼を感じながら暮らしている。現実からは目を背ける。他に方法がないからだ。その局面を打開するための、財も、策も、才覚も、なにもない。貧に縛られ、人々はただ、死に頭を食いちぎられるのを待つ。それすらも救いの一種だと捉えかねない諦念とともに。

このような貧しさは、現在の日本では見られない(おそらくはスペインでも)。先進国では貧しさは、別の次元に移行した。全員が平等に叩き落され、よじ登る見込みのない底なし沼のような貧困から、やっかみと嫉妬の渦巻く、ところどころに開いた落とし穴に。落とし穴に巻き込まれる途中幾度も、普通の暮らしをおくる人々の姿が見えて、それがいっそう自分の陥った悲惨に自覚的にさせられる。人は他人をひがみ、自らを卑下する。現代の貧しさは心を蝕む。『ネズミ』はそれ以前の、貧しさの中にも高貴さを保った人が(も)いた、そんな時代の物語だ。

Au revoir et a bientot !

2014年4月19日土曜日

ラテンの鎧を着たケルト

「ケルト」ってなによ?そんな大風呂敷を広げても、答えられるはずもない。ケルト音楽にケルト神話、ケルト文化…これだけ繰り返しても、明確な輪郭は掴めず、むしろケルトがゲシュタルト崩壊してしまう。

そんなら一日本人にとって「ケルト」ってなによ?というのが、今回紹介する『スペイン「ケルト」紀行』。内容は正直、薄い。スペインのガリシア地方をめぐる旅行記を書きたいのか、それともスペインに残るケルト文明についてスポットを当てるのか、曖昧なままいたずらにページが費やされる。

だが、それでいい。そもそもヨーロッパは混血ありきの大陸であり、「純粋な」血統なんてものは、ないに等しい。それがゆえに王族間で血を純に保とうとする働きがあったのだろう。そんな大陸で、ケルトの源に遡ろうとするのは、そもそもが無謀な試みだろう。

純粋なケルトも、神話に過ぎない。ケルト文化に魅せられ、ヨーロッパ各地をめぐってきた筆者は、ガリシア地方に残るケルト文化を、「ラテンの鎧を着たケルト」と、道中に出会った人の言葉を借りて表現する。だが、実際のところどうなのだろう?立派な鎧をまとってはいるが、その実中身はからっぽだった、なんてこともあり得るのではなかろうか。

イタロ・カルヴィーノが書いた『不在の騎士』。戦場で勇猛果敢に戦うこの騎士、中身は空洞だった、という話。反・騎士道小説であり、はたまた騎士の中身が女性だった、という反・反騎士道小説でもあるこの寓話。なんにでも中身があるわけではないのだ。

「ケルト」という言葉についてはどうだろう。一見、非常に独自な文化が残っているように見える。ケルト音楽と聞くと、あのいかにもアイリッシュな音楽を思い出すし(これ以上に表現が見つからない)、ケルト神話に出てくる妖精の類は今も、子どもたちの想像を掻き立てる。

それは、それでいい。だが、それを絶対視し、他文化からの影響を全く認めない、となればもはやその本質を失ってしまうだろう。どの文化も別の文化か大なり小なり影響を受けている。とりわけヨーロッパという極小の大陸にあって、他からの影響を免れることは不可能に近い。それを認めたうえで、ケルト文化を主張し、享受すること。人と人との関係のように、そうすることではじめて実りある関係を築くことができる。

他者からの影響を否定し、自らの独自性ばかり主張していたら、自分が空っぽになってしまう。己という存在が、他人の声や影響だけで成り立っていると認めるのが虚しい?別に、それでいいんじゃない?立派な鎧を自慢するのも、またひとつの生き方だ。

Au revoir et a bientot !

2014年4月12日土曜日

ヴァンセンヌの新しい動物園

もっと野生的に、もっとディズニーランドから遠く離れて。

4月12日、5年間の改修工事を経て、パリ近郊の都市、ヴァンセンヌの動物園が再開する。

約15ヘクタールの土地は大きく5つのゾーンに区分けされている。パタゴニア、スーダン、ヨーロッパ、ギアナ、マダガスカルの5つだ。それがさらに細かく180に分類される。

注目すべきは、その「展示」方法だ。

20世紀の動物園の目的は「コレクション」だった。博物館や美術館と同様に、動物園もまた珍奇なもののコレクションとして、より多くの動物を見る=鑑賞することが優先された。

21世紀の動物園が目指すところはなんだろう?日本では北海道旭川市の旭山動物園が有名だ。行ったことがないので、具体的に語ることはできないが、ニュースなどで見た限りでは、いかに「見せる=魅せる」かに重点を置いているように思える。動物園もエンターテイメントのひとつとして位置付けようという試みだ。

一方、ヴァンセンヌの動物園において、動物たちはより自然な環境に身をおく。そこでは動物が本来生活している環境をできる限り再現している。ゆえに欠点もある。入園者たちは動物を探さなければならず、もしかすると見えないこともあるかもしれない。それでいいのだ、というのがヴァンセンヌ動物園の考え方だ。

園長のThomas Grenon 氏の目的は、動物園をただの娯楽施設でなく、教育の道具とすることにある。来園し、限りなく自然に近い環境で暮らす動物たちを見て、自然保護の必要性を自覚する。そうなれば素晴らしい、と彼は言う。

どちらがいい、悪いの話ではない。ただ、これからの動物園はより差別化されたものが必要だ、ということだ。もちろんそれは、動物園に限ったことではない。植物園や水族館などの公共施設しかり、遊園地やデパートなどの民間施設しかり。そして、ブログのような個人的情報発信サイトも、また。

Au revoir et a bientot !

2014年4月11日金曜日

人間は考える葦だなんて、パスカルに言わせておけばいい――『ブラス・クーバスの死後の回想』

これが19世紀の小説かよぉ!反・物語の意識を強く持ちながらも、ちゃんと小説してる。20世紀の小説が求めたものがここにある。この作品がこれまで日本で紹介されてないって、どうよ。

『ブラス・クーバスの死後の回想』は傑作だ。発表は1881年。作者はブラジルのマシャード・ジ・アシス(1839-1908)。西洋の同時代の著名な作家といえば、ディケンズ(1812-1870)、ドストエフスキー(1821-1881)、レフ・トルストイ(1823-1910)、エミール・ゾラ(1840-1902)、マーク・トウェイン(1835-1910)など錚々たる面々で、まさに文学界のオールスター。マシャード・ジ・アシスはこれらの作家と同列に並べて語られるだけの価値がある。

文学に興味のない人でも聞いたことのある名前ばかり。これを見てもらえばわかるとおり、19世紀は小説の最盛期だった。バルザックが19世紀初頭に確立した小説芸術が、半世紀と経たぬうちに全盛を迎える。19世紀は文学の中心が詩から小説へと、決定的に移り変わった時代だ。

この時代に「物語」の枠組みも作られたといってよい。それと同時に、大衆文学と呼ばれるジャンルも確立した。何度も繰り返され、矮小化されたプロットが、巷に氾濫することになる。流行ればそれを疎ましく思う人もいる。多くの場合それは、自分たちが苦労して作り出した枠組みを流用され、悪用された作家たちだ。彼らはより、新奇で珍しい枠組みを創り出そうと辛苦したあげく、大衆から離れてしまうことになる――これは20世紀文学の話。

そんな風に時代の流れを捉えてみれば、この小説、作家もまた同時代に生きていた作家だといえる。違いはといえば、社会の違いだ。産業革命後のヨーロッパと、奴隷制の影響が未だ色濃く残るブラジル。社会の違いは作家の資質の違い以上のものを、作品にもたらしている。

解説によると、ブラジルの文学百選を募ると、この作品が必ず上位に入るそうだ。世界文学においても、上位は難しいかもしれないが、中位は狙えるだろう。少なくともベスト100には入れてあげたい。

ここまで全く作品の内容に触れていないのでちょっとだけ。最初にも書いたように、この小説は「反・物語」だ。亡くなったブラス・クーバスが自らの人生を振り返るのだが、そこには奇想天外な冒険短も、出世の階段を駆け上がり、転落する人生も、ない。主人公はただ、知人の妻と不倫し、政界に出馬してさしたる功績もなく引退し、結婚しようとして失敗し、先祖から受け継いだ財産を蕩尽というほどもなく、ほどほどに使って、死に至る。面白いことはなにも起こらない。平凡な人間の平均よりも事件性に乏しいとさえ、いえる。だがそんなしょうもない一生を、500p以上にわたって書きつづけ、それで読者を飽きさせない、というのはやはり、才能のなせる業だろう。

作中より、好きな表現を引用してみよう。

…人間は考える葦だなんて、パスカルに言わせておけばいい。違う。人間は考える正誤表、そう、そうなのだ。人生の各局面が一つの版で、それはその前の版を改定する。そして、それもいずれは修正され、ついに最終版ができあがるが、それも編集者が無視にただでくれてやることになる。(p.139)

ここで作者は、人生を一冊の本にたとえている。これはこの小説全体を貫いているテーマであり、ブラス・クーバスは自らの息切れを文体に反映させている。まさしく、「文は人なり」――私も、こんなだらだらした文章を書いて、人格を疑われるようなことは止めにしよう…。

Au revoir et à bientôt !


2014年4月10日木曜日

プロ野球顧客満足度調査 2014

オリックス・バファローズの8連勝をかけた試合を見てきました。結果は3-6 で敗戦。プロ野球は年間144試合。いつかは負けるものだから、そう落ち込むこともないでしょう。まぁ、一言言わせてもらうなら――岸田、投球テンポ悪すぎぃ!

明けて今日、面白いニュースをネットで見つけたので紹介を。

慶大理工学部の鈴木秀男教授が今季開幕に合わせて、「プロ野球のサービスに関する満足度調査」なるものを発表した。なんでもこの調査、2009年から毎年行われているらしい。

当然のようにオリックスは最下位を獲得。総合満足度からチーム成績、チーム・選手、球場、ファンサービス・地域貢献、ユニホーム・ロゴ、応援ロイヤルティー、観戦ロイヤルティーと計7項目あり、いずれの値においても、オリックスは下位を低迷した。もちろん、毎年10~12位を死守し続けている。

「顧客がなにを求めているか」を知るのはどんな業界でも大切なことであり、この調査も有用だと思う。個人的には「経験価値」なる概念が非常に面白く、ためになった。

ただ、この調査に関して言わせてもらうなら、結局のところ「強いチームが高い数値を出す」という、当たり前の結論に行き着いてしまっているように思う。だって、パ・リーグは公式ホームページを全チームで統一してるのに、オリックスの満足度がほかに比べて低いってどうよ?

もちろん、強いだけでは駄目なようだ。巨人はセ・リーグを連覇したが、それでも満足度は5位にとどまった。ここには「毎年日本一になってほしい」「人気すぎてチケットが出に入らない」といった、強くて人気があるが故の不満も散見される。あるいは、この項目でいえば「応援ロイヤルティー、観戦ロイヤルティー」といった項目を高めることで、たとえ順位が低くても、満足しやすい環境づくりができるようだ(広島など)。

やはり満足度を向上させる最大の要因は、勝利だ。かつて落合元監督が語ったように、「勝つことが最大のファンサービス」といえる。

というわけで今のところ好調なオリックスも、今後も勝ち続けることで、ファンの数が増えていくのではないだろうか。もっとも、7連勝中にもかかわらず、昨日の観客数は12653人に過ぎなかったのだけど。

ちなみに、上記の調査でオリックスが1位を獲得した項目は、「チケットの手に入りやすさ」でした。

Au revoir et a bientot !

2014年4月8日火曜日

追悼 ジャック・ル・ゴフ

ジャック・ル・ゴフはみずからが中世を発見した日を覚えている。

1936年、フランスの南東部、地中海に面する軍港の町トゥーロンに住む十二歳の少年は、イギリス中世を舞台にした、ウォルター・スコットの歴史小説『アイヴァンホー』を読むことで、中世と出会ったのだった。

1936年は結集した反ファシズム勢力がフランスで選挙に圧勝し、人民戦線内閣が誕生した年。ル・ゴフも、『アイヴァンホー』の描くノルマン人のユダヤ人に対する仕打ち、とくに美しいヒロイン、レベッカの苦難を読むとただちに、当時のユダヤ人排斥と人種差別に反対する運動に加わろうと決心したようだ。それは母親をひどく心配させたが。

1924年にトゥーロンで生まれたル・ゴフはその後、パリの高等師範学校に進学、ヨーロッパ各地の大学で学ぶ。その後はアナール学派第三世代のリーダーとして、フェルナン・ブローデルの後を継ぐことになる。2014年4月1日、90歳でその人生の幕を閉じた。

アナール学派とはなにか。相変わらずWikipedia に頼らせてもらうと、

旧来の歴史学が、戦争などの政治的事件を中心とする「事件史」や、ナポレオンのような高名な人物を軸とする「大人物史」の歴史叙述に傾きやすかったことを批判し、見過ごされていた民衆の生活文化や、社会全体の「集合記憶」に目を向けるべきことを訴えた。この目的を達成するために専門分野間の交流が推進され、とくに経済学・統計学・人類学・言語学などの知見をさかんに取り入れた。民衆の生活に注目する「社会史」的視点に加えて、そうした学際性の強さもアナール派の特徴とみなされている

機関紙『アナール』の創刊が1929年であることを考えると、ずいぶんと長い歴史を持つ学派ということになる。アナール派で特に有名なのが、フェルナン・ブローデルの『地中海』だろうが、不幸にして私は未読のため、語ることはできない。

「大人物」や「事件」を中心にした歴史記述でなく、「民衆」に視点を当て、「集合記憶」を呼び覚ます手法は、ル・ゴフの著作にも現れている。それはほぼ同じ時代を生きた、ドイツ中世史家の阿部謹也氏にも同様の感覚が見受けられる。

ル・ゴフ氏の著作で読んだことがあるのは、『中世の高利貸』と『子どもたちに語るヨーロッパ史』だけだが、歴史学の門外漢である私にも刺激的な作品だった。一般の人々にも十分訴えかけるだけの内容を持つ著作であり、生き方の再考を迫るものだと思う。

本と出合い、人と出会う。ル・ゴフ氏にとっての『アイヴァンホー』のように人の生き方を変える力が、彼の著作物にもある。ご冥福をお祈り申し上げる。

Je prie pour l'âme de Jacques Le Goff...

参考書籍:子どもたちに語るヨーロッパ史 ちくま学芸文庫

2014年4月5日土曜日

『不死身のバートフス』

怒りに支配されるとき、人は無口になる。

バートフスは、無口だ。それが、彼を人々から遠ざける――そこにはかつての友人や知人、あげく今一緒に住んでいる家族までも含まれる。

沈黙は忘却と踵を接しているのだろうか?ある場合は――シュペルヴィエルの詩のように――そうだ。別の場合には、また違った側面を照らし出す。「覚えているから忘れてほしい」その願望の現われとしての、側面。

バートフスの今を支配するのは、「不死身」と呼ばれた収容所での過去だ。どこに行ってもその称号は彼に付きまとう。後ろに伸びる長い影のように。人はその影を見て、彼を判断し、呼びかける、「不死身のバートフス」と。快感はない。むしろ苦痛だ。

バートフスは怒り、自分の中に閉じこもる。そのための金は、十分にある。トレーダーとしての資質が彼を助けている。非合法的だとしても、見逃されている。

ときにバートフスは、自分の内面を誰かにぶちまけたいと思う。だが、誰が聞いてくれるだろう?家族とのつながりは、はじめからないに等しい。友人たちは彼の元を去った。カフェで出会う戦時中の知人も、すでに今を生きていて、過去の話には取り合わない。なのに彼には、彼の周りでは称号が一人歩きする。バートフスには過去に苦しめられているのが自分だけのように思える。

『Le garçon qui voulait dormir』 と同様、これは過去の自分とその幻想に苦しめられる人間の物語だ。どちらの主人公も、人々が勝手に自分に抱いた幻想を否定するために生きる。

その姿はそのまま、筆者アッペルフェルドにも重ねられる。彼もまた、「ホロコーストの作家」というレッテル貼りから逃れるために、苦闘する。

『Le garçon qui voulait dormir』 の少年が物語の冒頭で目覚めたのに対し、『不死身のバートフス』では、結末部分でバートフスが眠りに落ちる。これまで不眠に悩まされていた彼が、「これからは、胸のなかの心配はすべて忘れて眠るんだ」 と自分に言い聞かせて、豊満な眠りに身をゆだねる。

作者自身がそのどちらを選んだのか。選択の結果は明白だ。彼は目覚めて、書く。たとえそうすることによって、レッテルを剥がすことができなくとも。それが、生きるということだ。

Au revoir et à bientôt !

2014年4月3日木曜日

世界最古の月面地図帳

最近読書日記ばかりだったので、久しぶりに趣向を変えて。

Le Point.fr 中のシリーズ、Les incroyables tresors de l'Histoire / 歴史の信じがたい贈り物 から世界最古の月面地図帳の話を。


作成したのは Johanes Hevelius / ヨハネス・ヘヴェリウス(1611-1687) というポーランド人。同時代に生きたガリレオ・ガリレイや、ヨハネス・ケプラーにはるかに知名度では及ばないが、重要な人物だ。自宅に設置した巨大な空気望遠鏡は彼の代名詞で、名前を冠して「ヘヴェリウスの空気望遠鏡」と呼ばれていたそうだ。空気望遠鏡なるものがどんなのか、私にはわからないが、レンズの直径15センチメートル、鏡筒部分の長さ45メートルというのだから、相当のものだ。

4年の観測期を経て1647年に発表された著作は、『 Selenographia 』と題され、出版された。タイトルは月の女神 Selene / セレネの名前から。1663年、フランス滞在の折に、自らの著作をルイ14世に献呈した。その書物が今もフランスのBNF(Bibliotheque Nationale de France / フランス国立図書館)に現存する。


動画を見る限り、非常に美しい書物だ。もちろんただ美学的見地からでなく、科学的にも非常に価値の高い作品として、今も大切に保管されている。

ヨハネス・ヘヴェリウスの生涯については、ja.Wikipedia よりも.fr. のほうが詳しい。おそらくポーランド語ではより詳細に書かれているのだろう。こんなのも、ものの見方を変えてくれる、小さいけど大切な瞬間だ。

Au revoir et a bientot !

 参照URL:Le plus ancien atlas de la Lune publié en 1647 par le Polonais Hevelius. © Le Point.fr

2014年3月31日月曜日

記憶が僕を… / L'oubli me pousse et me contourne

記憶が僕を… / L'oubli me pousse et me contourne

記憶が僕を押しやり、忘れ去る
その滑らかな両脚で。
忘却もまた沈黙のほうに押しやられ
互い違いに取り囲む
お互いの考えは知り尽くしていて
今この瞬間を犠牲にし
互いの輪郭を取り違え
競い合ってやり直すのは
今この時を解きほぐす試み、
完璧な明晰さに近づけようと。
それらの試みすべてが心を重くし、
歩みを止めさせる。
ほら、ほら、また!また冷たくして!
それが彼らのやり口。
あぁ、遥か彼方に輝く星の
その脚に触れられぬものか。

前半から中盤にかけてがこの詩の主題を成す。もちろんテーマは忘却であり、ときにそれに伴い、ときに相反する沈黙である。忘れたから黙っているのか、あるいは覚えているから喋らないのか。この二つのあいだの差異を、表現しようとしている。

といっても、翻訳が上手くない。全体の意味がきちんと取れておらず、詩にまとまりが感じられない。これは勿論、私の反省点。

「語られないもの」のテーマは、次回 『不死身のバートフス』 でも取り上げる。今回はここまで。

Au revoir et a bientot !

2014年3月30日日曜日

『少年はもっと眠りたい / Le garçon qui voulait dormir』

前回に少しだけ紹介した、アハロン・アッペルフェルドの 『Le garçon qui voulait dormir / 少年はもっと眠りたい』 について、もう少し深く掘り下げてみよう。

文章は平易でわかりやすい。私のフランス語のレベルでも、ほとんど辞書を引かないで読めるのだから、そうとうなものだ。原文のヘブライ語ではどうか知らないが(もっとも筆者は別のところで、「ヘブライ語は非常に簡素な言語です」と語っている)、少なくともフランス語訳されたアッペルフェルドは、難解さと無縁のところにいう。

この小説の設定は奇妙だ。主人公の少年は、戦禍からイタリアに逃げてきた一人だ。同じく避難してきた人たちからは、「眠り児」と呼ばれている。避難の最中にあって、少年はずっと眠り続け、なにがあっても決して目を覚まさなかった。

彼らの中からは「置いていこう」という声もあがった。むしろ、それが大多数の意見だったといえる。少数の者が頑固に反対した。ただ人道的な見地からだけではない。少年は彼らには見えていないものが見えていて、いつか目覚めたときには、それを語ってくれるはずだ、と少数の人々はいう。少年は、彼らを導く預言者なのだ、と。

にもかかわらず、だ。物語は少年が目覚めるところから始まる。その後ストーリーが進むにつれ、幾ばくかの揺り戻しはあるものの、ほとんどの場合少年は目覚めている。目覚めて、肉体の鍛錬やヘブライ語の学習にいそしむ。

少年は目覚めている。周囲は彼のことを「眠り児」として記憶している。そして少年が語り始めるのを期待する。なにを?彼が夢の中で神から得たはずの託宣を告げるのを。

実際に少年が見た夢は、多くの人間が見る夢と同様に、個人的だ。夢を見た本人にしか、その価値は測れない。

夢の中で幾度も、少年は父や母に出会う。戦争で別れ、行方の知れない両親のこと。夢は記憶と混ざり合い、ときに補填し、補強し、またときに混同する。

少年は「眠り児」だった頃を知る人々を避ける。当然だ。彼は彼らが求める預言者では、ない。そうである以上、彼の存在は人々を失望される。それが、怖い。希望を、一人背負うには、少年の肩はまだか細い。

いつか少年は大人になって、自分自身と向き合うだろう。自分の過去、人々の求める役割とのギャップ、失われた母語への追憶などに苦しみながら。書くことが彼の道を切り開く。それは、夢の中から見つけてきた道具だ。彼らの民族の多くはそうして、自らの存在を見つめなおしてきた。シュルツ、カフカ、少年の父、そして少年自身…。

Au revoir et à bientôt !

2014年3月25日火曜日

ユダヤの作家たち

前々回にも少し書いたが、ユダヤ系作家の小説を集中して読んでいる。「ユダヤ系」という括り自体にほとんど意味がなく、差別的なきらいがあるが、実際そのことで民族的に迫害を受け、あげく大量虐殺にまで至った歴史があるのだから、その区分で本を読むことに、必ずしも意味がない、とはいえないだろう。殊にそれが、反省の意味を込めてなされるのであれば。

そもそも「ユダヤ人」とはなにか?の定義をしてみよう。といっても勿論、Wikipedia からの引用だ。それによるとユダヤ人とは、


「ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する人々」という定義は古代・中世にはあてはまるが、近世以降ではキリスト教に改宗したユダヤ人(例えばフェリックス・メンデルスゾーンやグスタフ・マーラー、ベンジャミン・ディズレーリ)も無神論者のユダヤ人(例えばジークムント・フロイト)も「ユダヤ人」と呼ばれることが多い。なお、イスラエル国内においてユダヤ教を信仰していない者は、Israeli(イスラエル人)である。
帰還法では「ユダヤ人の母から産まれた者、もしくはユダヤ教に改宗し他の宗教を一切信じない者」をユダヤ人として定義している。また、ユダヤ人社会内やイスラエル国内においては、「ユダヤ人の母を持つ者」をユダヤ人と呼ぶのに対し、ヨーロッパなどでは、母がユダヤ人でなくともユダヤ人の血統を持った者(たとえば母がヨーロッパ人、父がユダヤ人など)もユダヤ人として扱うことが多い。


ということになる。このブログでもこの定義をそのまま使用させてもらう。

もちろん、そのように規定しておいて私が語りたいのは作家たちのことだ。アイザック・バシェビシュ・シンガーのように、自分の出自にとことんこだわって書く作家がいる一方で、カフカのように普遍性を追い求める作家もいる。もっとも彼の作品に出てくる雰囲気を見ていると、同時代の他のユダヤ系作家のそれと、驚くほどよく似ているのだけれど。ヨーゼフ・ロート(1894-1939)ブルーノ・シュルツ(1892-1942)を参照せよ。

カフカやロート、シュルツといった面々は、ヨーロッパで生きたユダヤ人の世代だ。多くが東欧に生まれ住み、その文化にある程度根ざしながらもユダヤ人である自分を意識していた世代だ。この前の世代にとっての重大事件がドレフェス事件だとすれば、彼らにとっては第一次大戦がそれにあたる。

次の世代、シンガーの世代の数は多くない。その青春・壮年時代が第二次大戦に重なっているからだ。意味するところは明白だろう。悲劇を逃れてアメリカに早々に渡ったあとも、イディッシュ語で書き続けたシンガーの存在感は、決して小さくないはずだ。

その後にはホロコーストを生き延びた人々、少年期に第二次大戦を経験した世代が続く。アハロン・アッぺルフェルド(1932- )やアモス・オズ(1939- )を代表としておこう。彼らにとってカフカの文学が占める大きさは、世界文学に占めるカフカの大きさを超える。アッペルフェルドの小説、『Le garçon qui voulait dormir / 眠りたかった少年』では、その扱いはほとんど聖書と等しい。

イスラエル文学は彼らと共に誕生した。彼らはそれまでの世代(の作家)にはなかった選択を迫られる。母語を捨てる、という決断。ヘブライ語で書くこと、それは両親の世代からの決別を意味する。名前も変え、言葉も変え、彼らは新しい民族となる。ヨーロッパで迫害されていたユダヤ人ではない、イスラエルの地に根ざしたイスラエル国民として。

日本ではあまり紹介されることのないイスラエル文学を、フランス語を通じてではあるが今後紹介していこう。

Au revoir et à bientôt !

2014年3月21日金曜日

賢者タイムに見る映画―― 『ラヴレース』

マスターベーションを終えた後の醒めた気分で、今楽しんだばかりのAVを見直す。見られたもんじゃねえな。あえぎ声はうるさいし、演技は大げさ、そもそもセックスしてるばかりで、新鮮味もクソもないよね。


なんて思いながらも次の機会には、そのとき感じた気分も忘れて、また勃起し、射精する。悲しいけどコレ、男の性。


映画『ラヴレース』はそんな男たちの欲望に一生を狂わされることになった、リンダ・ラヴレースの実話をもとにした作品だ。DVを振るう夫に強要され、アダルトヴィデオに出演する羽目になった彼女は、出演作『ディープ・スロート』によって、瞬く間にスターの階段を上り詰める。ポルノスターではない、ホンモノのスターだ。でも、ホンモノっていったいなんだろう?


映画はその過程とともに、華やかな人生の裏側、夫の暴力や性的虐待、売春の強要、両親との不仲などを描いている。


時は1970年。奇しくも先日紹介したピンチョンの『LAヴァイス』と同じ時代だ。当時を知らない我々には、時代の雰囲気を味わう一種の資料にもなる。まぁもちろん、現代から見つめなおしているから歪なんだけど。


ぶっちゃけ、主演のアマンダ・セイフライドの可愛さがすべてだよね。たぶん観客の何人かは、あられもない姿態を想像して、興奮して、マスターベーションに走るだろう。それが、この映画の正しい鑑賞法だ。彼女だって、スターになって、満更でもなさそうだろう?


そうなのだ、この作品の上手いところは、彼女の喜びをきちんと描いているところだ。後のポルノヴィデオ反対運動家としてのリンダに焦点を当ててしまうと、どうしてもポルノスターとしての彼女は控えめに描く必要がある。忌まわしく、強要された、忘れ去りたい過去として。


実際にはそうではない。少なくともこの映画ではそうだ。始めは戸惑い、躊躇いがちだったラヴレースも、人々の賞賛と賛辞を得て、だんだんとそのきになっていく。彼女も人の子。もて囃されればその気になる。誰もそのことで攻められまい。


その後の運命と行動は、オナニー後の賢者タイムのようなものだ。後悔甚だしいが、いずれ繰り返すことになる。ラヴレースの強さは、そんな弱さに打ち勝った点だ。だがそこにはほとんど触れられない。なぜって、人は弱いものだから。


過去のことを思っちゃだめだよ。なんであんなことをしたんだろうって、怒りに変わってくるから。未来のことも思っちゃだめ。大丈夫かな、あは~ん。不安になってくるでしょ。ならばあ、今ここを生きていけば、みんな、活き活きするぞ! by 松岡修造


Au revoir et à bientôt !

2014年3月19日水曜日

雨に濡れた土の匂い

出川哲郎の持ちネタのひとつに、「切れたナイフ」ってのがあるじゃん?他の芸人たちに散々弄られたあげく、たまりかねたように昔の呼称を持ち出して、「オレはなぁ、昔切れたナイフって言われてたんだよ!」ってやつ。どんな意味やねんと周りから突っ込まれ、本人も満足げに笑っている。あれ、こんなんだっけ?

テレビでこの場面を見るたび、大江健三郎の小説で出てきた「ナイフ / naif」を思い出す。どの小説だったか、忘れてしまったけれど。日本では「ナイーブ」と表現する人間を、「ナイフな」奴と高校生同士、原語の発音に忠実にありながら評するという、作中の挿話のひとつだ。

日本で「ナイーブ」といえば、素朴さや純粋さを表し、やや肯定的に捉えられることが多い。この意味合いは、フランス語では古風であり、現在ではほとんど使われない。naif の今現在の意味は「お人よしの、馬鹿正直な」ってところだ。

そう考えたとき、「切れたナイフ」って呼称は面白いよね。だって「ついに馬鹿が怒ったぞ」といわれてるようなもんじゃん。まさにそのままの状況。赤いものを見て「赤いぞ!」といったにもかかわらず、「意味がわからない」と否定する周囲と、それを受容してニタニタ笑うだけの本人。そこはかとなく哀れみを感じてしまう。

まあそれはさておき、今日の本題。Isaac Bashevis Singer / アイザック・バシェヴィス・シンガー『Gimpel le naif』 をフランス語で読んだ。あとで調べたところ、日本語訳も存在し、タイトルは「バカのギンペル」と訳されていることが多いようだ。発音しずらい名前だが、これでも1978年のノーベル文学賞受賞者だ。

最近ユダヤの作家を集中的に読んでいるのだが(以前に紹介したAmos Oz もその一人)、この人にはある意味裏切られた。なんつーか、ヨーロッパの匂いが強いのだ。それも、中央ヨーロッパの匂い、ドストエフスキー的に言うならスラブの匂いといえばいいか。

それもそのはず、生まれは1904年ポーランド。1935年には兄を追って渡米。その後1943年に米国籍を取得し、1991年マイアミで死去している。シオニズムとは距離を置き、母語であるイディッシュ語を使って、イディッシュ民話に深く関係した物語を書き続けた。1978年のノーベル文学賞受賞は、もちろん、イディッシュ語の作者としては初だった。

イディッシュ語は高地ドイツ語のひとつ、一方言とされ、標準ドイツ語にヘブライ語やスラブ語を交えたものらしい。「イディッシュ」とは「ユダヤ語」の意味であり、それはそのまま使用者の帰属先も示す。

文学的内容は、ヘブライ語で書く後世のユダヤ作家、Amos Oz Aharon Appelfeld よりも、同時代の中央ヨーロッパの作家たちにはるかに近しい。ボフミル・フラバル(1914-1997)やヤロスラフ・ハシェク(1883-1923)などは、民族的背景は異なりながらも、同じような土台がある。それは民衆に根ざしていること、「因果応報」だとか、「信じるものは救われる」とかいった、上から押し付けられた規範に捉われない理不尽さと、性的開放感が作中に充溢する。それは、雨に濡れた土の匂いだ。

もちろん、このあたりの作家と比較する以上、同じように中央ヨーロッパに生を受けたユダヤの作家、フランツ・カフカ(1888-1924)と比較しないわけにはいかないだろう。だがそれは、また別の話。

全然関係ないけど、飲料水「evian」を反対から読むと「naive」。そんなとこから、気取って水を買うような人間のことを「ナイーブな(バカな)やつだなぁ」と嘲るのも、フランス人の一種の楽しみだ、ということにしておこう。

まったくまとまりのない文章だが、今日はここまで。
Au revoir et a bientot !


2014年3月17日月曜日

LA TERRE / 大地

LA TERRE / 大地

たくさんの果物に目移りして
昼も夜も気が散ってしまう
オレンジがひとつほしいなら、
ここにはオレンジの木ばかりだし、
苗木が一本ほしいなら
果樹園だからよりどりみどり。
君はバラを摘みとろうと
手を伸ばした
大地はそれに無関心で
君は不問に付された。
彼女が胸のうちに思うのは
新しいバラのこと、
泥だらけの栄光の中には
幾千の色が隠れていて
そこでは未来の花々が
まだ色づかぬままに眠っている。

前回の『La Planete』 と同様、こちらも同名タイトルの詩がほかにも存在する。『Gravitations 』 とその前作 『Debarcaderes / 船着場』 に収められた2作は、それぞれに趣が異なって面白い。後者は短いので翻訳して、こちらのブログで紹介できるかも知れない。

この詩にも、シュペルヴィエルに忍び寄る老いの影、死の影が感じられる。11行目、「彼女」とあるのは、もちろん大地のことだ。大地 la terre は女性名詞。前回の惑星も女性名詞であるがゆえに、「彼女」と受けるところがあった(翻訳では生かしていないが)。永遠に生と死を繰り返す大地=惑星に対し、一度きりの人生の終着点に差し掛かっている自分の対比。詩人自身が感じたに違いないであろう心境を、残酷なまでに美しく切り取っている。

Au revoir et a bientot !

2014年3月16日日曜日

LA PLANÈTE / 惑星

LA PLANÈTE / 惑星

大地は行ってしまう 僕らの下で
その速度を感じたまえ
僕らを置いてどれほど早く
行ってしまうことだろう。
窓から眺めようとしても、
誰かが鎧戸を下ろしてしまっている。
別の窓を開けようとしても、
すでに日は沈んでしまった。
こっそりと軌道から逸脱して
僕らを巧みに避ける君よ、
動かない振りを決め込んだのが
より大きな過ちだった。
死んだ振りをしていた雌ギツネが
突然、前脚を使って
僕らを穴に突き落とす
すべての非は僕らにある。

Planete / 惑星 と題した詩を、シュペルヴィエルは詩集『Gravitation / 万有引力』に収めている。1925年出版の同作と、1949年出版の『Oublieuse memoire』に収められた上の詩を比べてみてほしい(以前にこのブログで翻訳しているのでよければ参考に 『Planete / 惑星』)。

「惑星の運行」は、若かりし頃の詩人にとって酩酊や興奮のミューズであったが、年を取るにつれ、それは流れ行く時間の宿命から逃れんとする、人とのどうしようもない距離を感じさせる存在となっている。ここで詩人は朽ちゆく自らの肉体と、永遠を感じさせる惑星との懸隔を、否応なしに感じている。

ちなみに、最初のバージョンでは最後の4行は以下のようになっている。

そして僕ら水から出た魚のように
真空の中で喘いでいる
漏れやすい空気が
墓石になると思っているのか。

Au revoir et à bientôt !

2014年3月10日月曜日

死後の2時間30分――『対岸』

10年ほど前からことあるごとに、20世紀最高の短編小説は『南部高速道路だと言い続けてきた。今も私にとってはそうであり続けているし、これからもきっとそうだろう。ここには短編のすべてがあるし、若い頃の感動を年を取ってから超えるのは難しい。

作者はフリオ・コルタサル。2014年の今年、生誕100年、没後30年にあたる。おそらく日本でも、それなりの規模で特集や新訳が現れるだろう。その程度には、有名だ。というか、世界文学においてその名は燦然と輝いている、って前回のアチェベの言い草をそのままパクってるわけだが。

そんな彼の処女短編集『対岸』が、先月翻訳出版された。キューバで行われた講演「短編小説の諸相」も併せて。もちろん買わずには済むまいよ。

収められた13編から1つ紹介しよう。
「電話して、デリア」の主人公、デリアは自分と幼い子どもを捨てた元夫ソニーのことを考えている。洗剤が指の傷に浸み込む痛みにも耐えて、彼のことを。ソニーがデリアのもとを去って2年。その間一度も連絡はなかった。それでもデリアは、彼からの電話を待つ。今日は一度も電話が鳴らなかった。

7時20分、電話が鳴る。ソニーからだ。彼の声には妙な響きがある。刑務所とか、バーとか、どこかそんなところからかけてきている感じ。いろいろ話したいことがあるんだよ、そんなふうに切り出しながら彼がデリアに言いたいことはひとつ、「デリア、僕を赦してくれるかい?」それだけだ。デリアにはその声にはなにかが欠けている(余っている?)ような気がする。

デリアにはソニーが赦せない。赦せるわけがない。葛藤はある。だが己の感情が混沌として、整理のつかないままに、電話は切れてしまった。受話器を手に、呆然とするデリア。時刻は7時30分。

二人の友人、スティーヴがデリアを訪問する。切り出す話はまたしてもソニーのことだ。「捕まったの?」デリアはたずねる。さっき彼から電話があったの。どうも刑務所の中からかけてきているようだったわ。それを聞いたスティーヴは驚いてこういう、「ありえないよ。だってソニーは5時に死んだんだよ」。

コルタサルは併録された講演「短編小説の諸相」で、短編小説は写真のようなものだという(対して長編小説は映画のようだ、と)。「…すなわち、写真は、決まった枠によって限られた断片を切り取るが、その断片が引き起こす爆発によって、その向こうにさらに大きな現実を開示し、カメラの写し出した光景を精神的に超越する動的ヴィジョンとなる」(p.151) と書くように、この短編には写真の枠の外を、読者に思う存分想像させる。

私の考えるのはこんなことだ。亡くなったソニーは5時以降、死と生のあいだにある待合室にいる。そこでしばらく待機したあと、二つある扉のどちらかに連れて行かれる。部屋には公衆電話が置いてあって、受話器を上げるとそのとき一番話したい人、謝りたい人に繋がる。

コルタサルには写真をテーマにした有名な短編がある。「悪魔の涎」と題され、ゴッサマー現象を扱った作品だ。私には非常に縁深い作品だが、それは今ここで関係がない。「南部高速道路」も収録された、この『悪魔の涎・追い求める男』という、日本オリジナル短編集が、やはり最高だぜ。

Au revoir et à bientôt !



2014年3月9日日曜日

アフリカ文学の父と小説の力

相も変わらず光文社古典新訳文庫が熱い。

このブログを読んでくださっている方はご存知だと思うが、最近はこのシリーズの紹介ばかりだ。本の売れないこの時代に、これだけ海外文学を、それも大手出版社が扱わないマイナー文学を、それも文庫で出す勇気と気概。こんなシリーズはほかにはない。年々価格設定が上がって、今や1冊¥1000 以上が当たり前になって、高校生が手を出しにくい値段になっていることはとりあえず、置いておこう。

アチェベ『崩れゆく絆』は、帯文にもあるように、アフリカ文学の傑作とされている。発表されたのは1958年。アフリカの年といわれ、数多くの国家がヨーロッパの植民地支配から脱した1960年に遡ること2年。当然、同作はアフリカ独立期の象徴的な一冊として読まれた。

解説にもあるように、この小説は三部構成から成る(この解説がなかなか優れている)。主人公オコンクウォとその家族を中心に、ウムオフィア村の生活と文化や慣習が詳細に語られる第一部、その最後で偶然起こった事故によって、7年の流刑生活を余儀なくされた彼を描いた第二部、そして第三部では故郷に戻ったオコンクウォが、侵入してきた白人とそれに伴う社会の変化に直面し、対決する。

第一部から二部、三部と移るにつれて、語りは直線的になり、物語は加速する。それとともに空間も広がっていき、最終的には植民地全体を俯瞰する視点となって終わりを迎える。

アチェベがこのような傑作を書き得たのは、また「アフリカ文学の父」と呼ばれ、以降の文学に多大な影響を及ぼしたのは、ひとえに彼自身の持つ二重性によるだろう。

彼の立場を作中人物で表すならば、主人公オコンクウォの息子ンウォイエになる。村の伝統や風俗になじめなかった彼は、白人のもたらしたキリスト教に傾倒し、やがて村からも自分の家族からも離れることになる。アチェベは、そうして最初に西欧化した人々の孫の世代にあたる。

キリスト教文化に染まった社会に生まれ、教育を受ける。そこから、自らの祖先の文化を見つめなおす。これまでのヨーロッパのアフリカ理解がひどく一面的であり、強制的なものであることを暴きだすために。放蕩息子の自分を意識しながら、祖先の地への帰還を果たすことは、おそらくわれわれが想像する以上に難しい。だからこそ、それに成功したこの作品が、世界文学の中でも燦然と輝く傑作となっているのだ。

この作品の発表当時、アフリカ、あるいは世界は時代の転換点にあった。植民地支配からの独立とはいえ、そもそも「国家」なる概念自体がない土地で、それもよそ者が引いた境界線に則って、どうしてまとまったひとつの国ができるだろう。事実その後もアフリカはクーデターや政治の腐敗、混沌と混乱を繰り返す。

そんな時代のさなか、新たな時代を想像 / 創造するに最もふさわしいものとして、アチェベは小説というジャンルを選んだ。21世紀も10年以上が過ぎた現在もまだ、小説はそれだけの力を秘めているだろうか?

Au revoir et à bientôt !


2014年3月8日土曜日

グルーヴィ。 ピンチョンの 『LAヴァイス』

マクガフィンとはなにか。「なんでもないんだ」とヒッチコックは言う。でもそれは、無や否定ではない。むしろ、ストーリーを駆動させるために必要な小道具ですらある。小道具の内容にこだわる必要はない、と彼は言いたいのだ。エンジンをかけるキーの形にこだわる人が少ないように。

個人的な話になるが、「マクガフィン」なるこの単語、私に一人の人物を思い出させる。彼女との束の間の繋がりを思い出させるこの語が巻末解説に現れたことによってなおさら、私とピンチョンの『LAヴァイス』 との結びつきが強調されることになる。

原題は『インヒアレント・ヴァイス』。「固有の瑕疵」とは、そのもの固有の性質として備わっている悪、の意味。海上保険会社はたとえば、疲労亀裂が原因でマストが折れて事故になったりした場合、それは「固有の瑕疵」が原因だとして、支払いの拒否を主張することができる。ピンチョンはこの概念をロサンゼルス、ひいてはアメリカ全土へと広げ、アメリカという国の「インヒアレント・ヴァイス」とはなにか、語り明かす。

物語はロスの建築業界の超大物、ミッキー・ウルフマンが、シャスタと共に謎の失踪を遂げるところから始まる。主人公のヤク漬け私立探偵ドックは、彼女の身を案じ、調査に乗り出す。だって彼女、昔の恋人だから。

おわかりいただけただろうか。こうして読後の余韻に浸りながらこの一文を書いている私が、ドックとシャスタの関係に自分を重ね合わせていることに。もちろん私の知り合いは事件に巻き込まれたわけでも、かつて恋人だったわけでもない(もちろん!)。だが彼女と私とマクガフィンをめぐる冒頭のエピソードがこの記事のマクガフィンの役割を果たし、それがシャスタ(それにウルフマン)の失踪という作中のマクガフィンと呼応する。

ドックがシャスタの行方を追う、このエピソードが小説の前景にあるとすれば、ドックと裏返しの存在である刑事ビッグフットの追いかけている事件が後景にある。アメリカ社会に潜む悪を暴くことを目的としたこの旋律部分こそが、この作品の主の部分だ。

そして強引にこれを、『魚たちは群れを成して森を泳ぐ』から『映画 さよなら、アドルフ』、そしてシュペルヴィエルの翻訳を作中に何度も流れる歌に喩えれば、ピンチョンが暴き出そうとする根源的な悪を、排除の形を成す悪と比較することができる。

つまるところこの一連の流れを読むことが、『LAヴァイス』を読むことの矮小化された反復だということだ。そうすることで私自身、ピンチョンの作品を要約するという愚行に手を染めずに済み、なおかつ読者には作品の雰囲気だけでも味わってもらえる、一石二鳥で今の私ができる最良の手段ということができるのだ。グルーヴィ。

ドックとシャスタが結末近くに再会するように、私とその人物の再会はあるだろうか?おそらく、いやまず間違いなく、ない。それが私の物語だからだ。自分の人生の瞬間を小説に託すことで得られるもの、それは、次の瞬間には忘れられる心の働きを永遠に記録し、読み返すたびに反復される経験だ。これも一種のドラッグといえば、そうだ。

誰にだって連絡を取らなくなった友人、知人はいる。その人について、ある日ふと、どうしてるかなと気にかける。それが物語を動かす原動力=マクガフィンだ。その結果、ドックは巨大な事件に巻き込まれ、私はこの文章を書いた。さて、あなたは?

Au revoir et à bientôt !


2014年3月4日火曜日

球春到来!

観客数4502人、先発の西は3回を4失点といまひとつの内容、打線も4回以降は淡々と凡退を繰り返し、3-5で敗戦。オリックス・バファローズは本拠地開幕戦をなんともいえない試合で破れた。

個人的にもなんともいえない観戦内容だった。バスが遅れ、1回の攻防を見逃すわ、京セラドームの空調があまり効いておらず、観客数も相まって寒々しい雰囲気だわ、せっかくネット裏に座ったのに、後ろの客がアホ丸出し5人組だわ、4回の肝心の得点シーンは席を離れていて見れないわ…。

良かったこと。ドラフト1,2コンビの吉田と東明の投球が見られたこと、T-岡田が変わらず好調を保っているようだったこと、安達の二盗、三盗が見られたこと、相手チームとはいえ、ブランコのホームランが見られたこと。

そんなわけで、今年はオリックス・バファローズの応援に足繁く通います。観戦記をこのブログでやるのは、場違いな感じが甚だしいので、あまりに書きたいことが溜まったら、別のブログを立ち上げるかもしれません(可能性0.1% )。

文芸批評家蓮見重彦に『スポーツ批評宣言 あるいは運動の擁護』という一冊があるが、もしかするとそのノリでこのブログに書くのが、一番面白いかもしれん。

というわけで、今日はここまで。今後もこのブログは、世界のマイナー文学をこよなく愛する管理人がお送りいたします。

Au revoir et a bientot !
先発は西。今日の出来はイマイチ


2014年3月3日月曜日

ソネット ――妻に

ソネット / SONNET
―― Pilar に

永遠を一人で過ごさぬために
君のそばで未来の伴侶のことを考える
いつになれば涙は瞳なしに流れ、僕らは生活を楽しみ、
互いの誠実さの上で、安らうことができるだろう。

冬や夏を切望せずに済むように
巨大な郷愁に押しつぶされないように
今ここで、新たな生を耕そう
僕らの怠け癖のある雄牛を駆り立てよう

どうやって入れ替わるのか、確かめよう
友が、フランスが、太陽が、子どもたちが、果実が
そして頑固な夜がどうやって 素敵な朝に変わるのか

目を使わず見て、指を使わず触って、
言葉も、声も使わずに話して、
身動きもせず、少しだけ場所を移して。

妻である Pilar に贈った詩。ここにはシュペルヴィエルらしい小宇宙と、愛の発露がある。ここにはシュペルヴィエルの小宇宙の中を共に漂う、夫婦の姿がある。

最終段落は「確かめよう」という動詞が隠れている。3段目で「どうやって(様々なものが)入れ替わるのか」と問いかけ、4段目で「こんな風に確かめよう、二人一緒に」と妻に語りかける。

夫婦といえど人間同士、隠し事や失敗もある。ときにお互いを疑い、信じられなくなることもある。それでも二人、共に生きていこう、永遠を一人で過ごさぬために。う~ん、ロマンティックすなぁ。

Au revoir et à bientôt !


2014年3月2日日曜日

映画 『さよなら、アドルフ』

ある瞬間まで彼女は、間違いなく加害者側の人間だった。自分でそうと知らなくとも、その特権を享受していた。

多くの日本人がそうであったように、また多くのドイツ人がそうであったように、あるいはまた別の民族がそうであったように、歴史の転換点において人は、自分たちのこれまで依拠してきた価値観が、暴力的に転覆される経験を味わう。自分たちの属する共同体が成してきた行為のツケを、見に覚えがなくとも(だが本当にそうだろうか?)、債務の履行を迫られる。

主人公ローレの父親はナチス親衛隊の高官。そのことが戦時中には、比べ物にならない豊かさをもたらし、戦後には憎しみを生んだ。「ナチス高官の娘」という、自分で選んだわけでないレッテルを貼られ、自らの意思と無関係な運命に晒される。

『さよなら、アドルフ』は全編を通じて重苦しい空気に覆われている。その空気が、見るものにもまとわりつき、しばらくのあいだ付きまとって離れない。まるで煙草の臭いのように。その空気の正体はなんだろう。人類が体から発散している悪の瘴気だろうか?

ローレと幼い妹弟たちとめぐる、祖母の家までの800kmの道のりには、多くの困難が待ち受ける。道中彼女たちに救いの手を差し伸べてくれるのが、青年トーマス、ユダヤ人だ。

ローレの感情・価値観は何度も揺さぶられる。人々の手のひら返し、ナチスが行っていた虐殺の告発、そしてユダヤ人もまた、自分たちと同じような感情や肉体を持つ、一人の人間に過ぎないこと…。これまでに経験したことよりもずっとたくさんのことをその旅を通じて彼女は学び、迷う。

映画を見終わった後、吐き気に襲われた。胃腸が弱いんだろう?たぶん、そうだ。ストレスを感じるといつも、身体の奥からなにかが込み上げてきて、息苦しくなり、もどしそうになる。

でもこれは、サルトルの『嘔気』の主人公、ロカンタンが感じるそれに、いくらか似ている。実存主義のバイブルとされたこの小説は、第二次大戦後、世界中の若者たちに熱狂的に読まれた(仏語出版は1938年)。人間の生そのものに対する問いかけは常に、我々の存在を危うくさせる。

煙草の臭いはいつかは消える。だが、ローレが「ナチス高官の娘」だったという事実は消えない。そして、トーマスが「ユダヤ人」であるということも。レッテルはいつでもどこでも、本人の意思とは裏腹に付きまとう。そしてそれを貼られた本人は、そのことを決して忘れない。たとえ、周りの人々が忘れてしまったとしても。シールをきれいに剥がすのは難しい。

Au revoir et à bientôt !

2014年2月27日木曜日

魚たちは群れを成して森を泳ぐ――『Soudain dans la forêt profonde』

イスラエルの作家、アモス・オズを知ったのは、大江健三郎の往復書簡、『暴力に逆らって書く』でだと思う。イスラエル人としての立場から、パレスチナ問題を解決すべく真摯に動く、政治的人間としてだった。

文学者としてのアモス・オズはその後すぐ、『ブラックボックス』や『地下室のパンサー』など、日本語で手に入るものをまとめて読んだ。まだ2000年代初頭の話だ。

時が経って、フランスにはじめて行った2009年、本屋で知っている作家(でも日本では手に入らない)を探していて、Amos Oz の名前に出会った。そこで購入した 『Soudain dans la forêt  profonde / とつぜん、森の奥で』 が今回紹介する作品だ。

寓話の体裁をとったこの作品の舞台は、世界の果てにある森の中の小さな村だ。この村ではある日を境に、すべての動物たちが姿を消した。馬も猫も、犬も鳥も、魚たちも。子どもたちは動物を見たことも、鳴き声を聞いたこともない。大人たちはみななにがあったか語ろうとせず、頑なに口を閉ざしていた。

例外が存在する。村の女教師、Emanuela は子どもたちに動物の姿や鳴き声を教える。子どもたちは彼女の熱意を嘲る。彼女に対する村人の反応は冷ややかだ。

一人の少年、Nimi が森に入ったとき、物語は始まる。数日後に戻ってきた彼は人間の言葉が喋れず、いななき声を発することしかできない。そんな彼を村人たちは、畏れ、嘲り、そして非人間的な存在として無視をする。

動物たちはなぜ突如として姿を消したのか。少年はなぜ人間の言葉が話せなくなったのか。そして森にはなにがあるのか。その秘密を明かすためMatti と Maya はある日、森に足を踏み入れる。

森の中で二人はNimi に、そして森の主 Nehi と出会う。そして彼こそが、動物たちを連れ去った張本人だと知る。動機は単純だ。動物たちのことをよく理解し、仲良くなった彼は、動物の言葉を理解した。結果、村人たちからのけ者扱いされた。辱められ、虐げられ、無視されたあげく、自分の境遇に我慢できなくなり、友人たちと村を去った。それ以来村には戻っていない。友人である動物たちも一緒だ。

この作品の背景にはいくつかの伝承や歴史が存在する。中世ヨーロッパで畏怖されてきた「森」の存在。社会の規範を犯したものは共同体からオオカミの皮を被せられ、追放される。彼らは森に入り、オオカミ男となる。

あるいはイスラエルとパレスチナのあいだで続く紛争。ある共同体が敵を指し示すやり方は今も昔も、そして場所が変わっても大きくは変わらない。ユダヤの民がかつてヨーロッパで味わってきた不当な扱いを、今イスラエルの地でアラブ人に対して行うことへの皮肉。

もちろんこれは局地的に通用する寓話ではない。われわれが生きる日常でも常に、同様の力学が働いている。作中で頻繁に登場する、humilier 辱める、 moquer 馬鹿にする、といった単語が読者に行き方を再考させる。

物語の最後、森から戻った Matti と Maya は話す。この物語を村の人たちに話そう。聞いてくれないかもしれない。馬鹿にされるかもしれない。それでも粘り強く語り続けること、過去の過ちを忘れないこと。それが人と動物とが共生するために大切なことなんだ、と。そして人と人とが共に生きるためにも、もちろん。

Au revoir et à bientôt !

2014年2月24日月曜日

その日太陽はいつもより深く沈んで / Le jour en profondeur...

その日太陽はいつもより深く沈んで / Le jour en profondeur bien plus que de coutume

その日太陽はいつもより深く沈んで
一人で夢の中の空ろに入り込んだ
そこでは移ろう紺碧だけが見えて
束の間の空は僕らを探し歩いた
それは僕らが定めた空の境界の、あちら側での出来事で
遠すぎたから、むしろ怖くなったんだ
だから僕ら目を伏せて、裸足のつま先で
惑星の振動を感じていたんだ

いかにもシュペルヴィエルらしい詩、という印象。ciel / 空、planète / 惑星、などは初期の詩集から繰り返し現れているモチーフだ。ここでもシュペルヴィエルは、一人の人間のミクロコスモスと彼を取り巻くマクロコスモスとが重なり合う瞬間を描くいているように思う。それは彼の、昔から追求してきた主要なテーマだ。

Au revoir et à bientôt !


2014年2月23日日曜日

夢に見るんだ / Je rêve que je rêve ...

夢に見るんだ / Je rêve que je rêve et je suis là pourtant

夢に見るんだ 君を あぁ、若さの極みにある女よ
ぼくは夢の中 君の前にいる
でも君は、現実の時の中にいて
誰かが君に言い寄り、ぼくは忘れられる
靄のこちら側で、明かりも場所もないところで
ぼくは見るんだ まじまじと、君の視線がこちらに
ぼくのほうに向かってくる、それは秘密の小舟のように
からっぽで、ぼくの心だけ乗っていて、体は乗せられないんだ。
*
君は人生のように美しい
その君が今隣の部屋にいる
扉の鍵はかかっているけれど
君の動く物音は聞こえるんだ。
廊下を歩く君の行き先が
僕らのとこでないのはわかってるけど
廊下に擦れるその足音が
忘却が消しゴムで消すような
きれいな消しゴムで全部消し去るような
君の足音がよく聞こえるんだ。

前々回の詩より、『EURYDICE』をはさんでこの詩。二行目「ぼくは夢の中 君の前にいる」は別のバージョンでは「ぼくは夢の中 君のそばにいる」 (Devant vous → Près de vous )となっている。こちらのほうが日本語としては収まりがいい気がする。

後半部は特に意訳した部分が大きい。シュペルヴィエルの詩は(彼に限らないだろうが)、韻を踏むことを重要視していることもあって、主語や動詞が抜けていることが多い。その部分を自分なりに補っているため、詩人の意図したところと大きく意味が変わっている可能性もある。

Au revoir et à bientôt !

2014年2月20日木曜日

コーヒーとタバコと共産主義と――映画 『シチリア!シチリア!』

前々回にこのブログでも話したように、自分の生きた時代以外の価値観を認めるのは難しい。その時代に生きていた人々にとっては暗黙の了解とも言うべき「コード」が、別の時代の人にとってはそうではない。「時代の空気」とも呼べるそれは、説明するのがおそらく非常に難しいシロモノだ。

今読んでいるトマス・ピンチョンの『LA ヴァイス』は、70年代初頭、ヒッピー文化未だ盛んなロスを描いた物語だ。今ここでストーリーには触れないが、そうしたコードに恐ろしく意図的な作品である、とだけ言っておこう。

さて、アメリカでヒッピー文化華やかなりし頃、ヨーロッパではそれと対を成すような形で共産主義思想が栄えていた。

当時の知識人といえば、共産主義者であるかそうでないかの二択きりで、「読んだこともない」人間はすなわち、知識階級から外れていることを意味した。まぁ、私の勝手な想像だが。

そんな当時のイタリアを生き生きと描いた映画、『シチリア!シチリア!』を先日DVDで見た。監督はジュゼッペ・トルナトーレ。シチリア島の小さな町、バーリアに生まれたペッピーノの生を、その父と子どもの3代に跨って描く、151分の長編だ。

この映画最大の魅力は、時代の雰囲気を存分に味わえることだ。短く細切れにされた各シーンが、そこで切り取られた時代ごとに、異なる人々の表情や生き方を映し出す。現代を生きるだけでは決して味わうことのできないものを見せてくれる。

この、ひとつひとつのシーンをごく短く切り取り、パッチワークのように継ぎ接ぎする手法が上手くいっているとは思えない。見る人にとってシーンごとのつながりよりも断絶のほうが大きく、なかなか映画にのめり込むことができないのだ。

一方その意図に関しては理解できる。3世代およそ60~70年ほどの期間を描こうと思えば、どうしてもひとつひとつのエピソードを掘り下げるのは難しいし、何より映画監督が、一人の人間の一生を描く、というだけでなく、それに付随した時代、土地の移り変わりをも描写したいと意図しているのだから当然だ。

これはペッピーノの一生を描いた作品というよりは、一人の人間が生きたバーリアという土地と、その上を過ぎていった時代を描いた作品である。土地の記憶を、一人の人間を通して描き出している、と言い換えてもいい。

ところで映画の最後のシーン、冒頭で居眠りしていた少年時代のペッピーノが目覚めると、21世紀のバーリアにいる。ときに記憶は思わぬところで隆起し、他の時代と交じり合う。それがその場面に表されているとしても、そんなのは間違いなく蛇足だ。

Au reovoir et à bientôt !

2014年2月18日火曜日

君を想っている Je vous rêve ...

君を想っている / Je vous rêve de loin, et, de près, c'est pareil...

君を想っている 近くにいても離れていても変わらずに
しっかりものの君はいつだって 返事をしないけれど
ぼくの穏やかな眼差しの下で 君は音楽に変わる
目で見るように、耳で君の存在を聞こう。

君は贈り物の、美しい鼓動のハートを持っているから
目の前にいるように、ぼくの中に居座って
君が、こめかみの中でそっと、脈打つのが聞こえるんだ、
君が、ぼくの中にそっと、滑り込み、消えていくのが。

表題なし。久しぶりに Jules Supervielle の詩集 『Oublieuse mémoire / 忘れがちな記憶』 から。プレイヤード叢書によると、1946年、第二次大戦後シュペルヴィエルがウルグアイからパリに戻ったあとに書いたとされる晩年の作品。

ここで出てくる「vous / 君(本来なら「あなた」が適当か)」は女性名詞。単純に思いを寄せている(いた)女性に対する詩としてもいいが、第二次大戦中、ウルグアイに逃れていたシュペルヴィエルが、フランス( la France )に向けていた郷愁を読み取るのも面白い。

Au revoir et à bientôt !

2014年2月17日月曜日

アニメの台頭とテレビの復権

やべぇ、時代に乗り遅れてるわ。

先日、職場の後輩たち(20代前半~後半)と話をしていて、彼らにとってアニメを見ることが、ごく当たり前の娯楽になっているのを知り、衝撃を受けた。

いや、もちろん私の世代(30代前半)でもアニメを見ている層は一定数いた。だがそれは、あくまで「オタクな」趣味に位置づけられていて、あまり公然と口に出して言えるようなものではなかったように思う。

それが今やどうだ。私が「アニメは見ない」と言っただけで、アンチ・アニメと認定され、宗教裁判にかけられて、現代日本の異端思想家と位置づけられる有様だ。アニメはもはや日本のメインカルチャーとなりつつある。

とはいえその非難の仕方には、これまで日陰者扱いされていたもの特有の、歪んだ感情も表れている。曰く、アニメは「不当に過小評価されている」という思い込み。私はアニメを見ないという選択をしたのではなく、ただ軽蔑しているのだというパラノイア的妄執はどこからくるのか?

現在の状況を概括してみよう。めんどくさいから平成生まれとそれ以前でわけて考えると、平成生まれの世代はそれ以前の世代(といってもここでは私と同世代=30代前半に限っている)と比べ、TVを見ている人が多いようだ。一方で現在の30代の関心は未だ、テレビではなくネットに向けられているように思う。

ごめん、ここまで書いてきたけど正直弱いな。ネット論や若者論などは、およそ自分に似つかわしくない。つーか、そんなもんが書けるほどこのことについて考えたことがないんだから、当たり前だよね。

つーわけで、途中を省いて結論にいっちゃうと、問題はメインカルチャーが他の分野に向ける視線はいつも、冷ややかで、軽蔑的で、排他的だ。アニメもまた、メインカルチャーに躍り出たことで、これまで自分たちに向けられていた眼差しを送り返すことになった。これほど意地の悪い喜びを味わうことは、そうそうできないだろう。

ぐだぐだになってしまったがこれだけは確信を持って言える。海外文学に情熱を向ける私のような人間はいつの時代もはみ出し者として生きざるを得ない。殊にフランス語でイスラエル文学を読もうとするような人間は。だからお願いだから、私をそっとしておいてくれ。

Au revoirt et a bientot !
バルセロナ、もしくはマドリードの地下鉄

2014年2月15日土曜日

言葉を越える――『延安』

「越境文学」なるジャンルが好きだ。

この語の定義を明確にしようとするとじゃあそもそも日本文学ってなによ、って話になってしまうので今は便宜上「自分の母語以外の言葉で語りながらも、母語を忘れないこと」を条件としておこう。

リービ英雄はその代表的な存在だ(もちろん日本国内外に他にもたくさん越境文学者は存在するが、今回は触れない)。アメリカで生まれ、多感な青年期に大江健三郎や安部公房を読んで過ごし、『星条旗の聞こえない部屋』で日本の文壇(古い!)にデビューし、現在も主に日本語で作品を発表し続けている作家だ。

『延安』は彼が北京オリンピックの少し前に現代中国を訪れた話だ。英語を母語とし、日本語で書く作家が、中国語主に話される大陸を旅する。彼は北京語はある程度マスターしているが、それでも延安で聞く言葉はまた別の方言だ。彼は通訳を連れ旅をするが、時に言葉は彼のなかで本来の意味を成さぬままに変容し、あるときはとどまり、またあるときは通り過ぎていく。

彼の本を読むたびに感じるのは、言葉への(無意識の)信頼と、その脆さだ。言葉を使うこと、聞くことにひどく意識的にならざるを得ないのだ。英語、日本語、北京語、延安地方方言とのあいだにそれぞれ存在するズレが、われわれが普段使っている言葉と事物のあいだにあるズレを露わにする。

たとえば「イヌ」と聞いた場合に、様々な処理が脳内で行われているのがわかる。イヌ→居ぬ?、イヌ→犬→イメージ化…。そこに母語への翻訳作業が加わる(→dog)が加わると更に困難となる。そしてもし、翻訳先が見つからなかったら?あるいはそもそも音が意味を形成しないとしたら?

普段なにげなく跳び越えている溝を、リービ英雄は日の光の下に曝け出し、見せつける。ときに人はそこに嵌まり、迷い、困惑する。そのときに気づくのだ、これまで言葉に寄せていた信頼はひどく根拠のないものではなかったか?と。

かくて人は言葉への信頼を失い、あげくは物それ自体への認識をも疑うことになる。世界は千々にくだけて、名付けようもないものに変わってしまう。

実際そうならずに済んでいるのは、ひとつに常識の鈍さがある。それが、ときに揺り動く言葉の大地を事物に繋ぎ止める錨の役目を果たしているのだ。

揺らぐ言葉の大地の上で、今日もぼくらは安穏と過ごす。越境文学者は大地の裂け目から深く海中に潜り、水底に沈んだ錨を揺さぶる。一見無謀で無益な試みにどう応えるか、それはいつもぼくら次第だ。

Au revoir et a bientot !
フランスとスペイン国境の町。名前は知らない

2014年2月10日月曜日

パンデミック!! ――狂気の笑い

笑いはいいものだ。それは日々のストレスを忘れさせ、心を軽くする。だがもし笑いが――それもいわゆる馬鹿笑いが、数週間、数ヶ月と続くとしたら?もはや笑いごとでは済まされないだろう。

1962年1月30日、はじまりはアフリカの小さな村だった。タンザニカ(タンザニアの一地方)のKashasha 村で、3人の少女が笑いの発作に襲われた。少女らは身をよじって笑い、地面を転げ回った。ついには痙攣を起こし、涙を流したが、それでも止まらなかった。

やがてそれは他の子どもたちにも感染した。はじめはまじめに取らなかった教師たちは叱りつけ、止めさせようとしたが無駄だった。6週間後の3月18日、学校の159人の生徒のうち、95人までが発作に取り付かれていた。

不思議なことに、大人たちにその症状は現れなかった。ただし、一部のまったく教育を受けていない者を除いて。ずいぶん示唆的な話ではないか!

地域いったいが大混乱に陥った。政府はパラノイアになって、「ジハード主義者の細菌兵器による攻撃だ」とまで宣言した。感染者の血液が採取され、ヨーロッパまで送られた。

鑑定の結果は――もちろんシロだった。いかなる毒性物質も、いかなるウィルスも、そこからは検出されなかった。

発生から6ヶ月後、事件は思わぬ形で終息した。始まりと同じように、終わりにもまた、いかなる前触れもなかった。昨日まで馬鹿笑いに取り付かれていた子どもたちが、まるで何事もなかったかのように、ぴたりと笑うことを止めたのである。14の学校を閉鎖に追い込んだこの「感染症」はこうして収まった。

この話を読んで私が最初に思い出したのは、高校の頃のエピソードだ。
国語の授業で、生徒が順番に音読をすることになっていた。先生は教育実習で来ていた新米の男性(自分がその当時の彼の年齢をはるかに過ぎているのを思うと愕然とする)で、ただの音読にゲーム性を持たせようと次のような制約を課した。「噛んだり、詰まったりしたら次の人に交代」

結果は想像の通りだ。最初の一人が一行目で詰まって交代すると、その後何人も同じく一行目で詰まってしまい、先に進まなかった。それは一人の生徒が流れを無視して淡々と読み進めるまで続いた。

アフリカの世紀の只中にあったタンザニアと20世紀末の日本で同じ現象が起こる。明日、同じことが起きないと断言できるだろうか。そのとき頼りになるのは、周りに流されない空気の読めない大人だ。

Au revoir et a bientot !

2014年2月8日土曜日

君が死ぬ理由、ぼくの死なない理由

今となっては当時の熱狂を思い出すのは難しい。2008年11月4日、民主党から推薦されたバラク・オバマ上院議員が、共和党のジョン・マケインに勝った瞬間、アメリカで初めての黒人大統領が誕生した。

『Une bonne raison de se tuer』 はそんな熱狂の大統領選当日を生きた、二人の人物に焦点を当てる。一人は Laura 。人生嫌気が差した彼女はその日、特に理由もないのに死ぬことを決意する。もう一人は Samuel 。別れた妻とのあいだにできた一人息子が自殺し、苦悩する男だ。

現代フランスの作家、Philippe Besson はそんな二人の一日を交互に交えて描き出す。文学的手法に凝っているわけではない。二人がそれぞれに生きた一日を淡々と描き出す。

Laura の自殺願望には理由がない。40代後半~50代の彼女の子供は既に成人し、夫とは別れて今は一人で暮らしている。勤め先での仕事は順調だが、これといった変化もない。自分の人生に満足も不満もない、といっては嘘だが、まあそれなりの、人並みな生活を送ってきた。今彼女はそのことにうんざりしている。死ぬ理由は特にないが、これ以上生きている理由もない。

そんなとき、手元にある拳銃の、人間性を離れた卑劣さは魅力的だ。それは容易に生と死のあいだに横たわるためらいを乗り越えてくれる。朝、彼女は夜に死のうと決意する。

Samuel の息子の死には理由がある。そしてそれは、より理解しやすいように思える。彼は自分の好きな子に級友の前ですげなくされた。その恥辱は思春期真っ只中の彼にとって耐え難いものだった。そう彼の級友は主張する。

だがそれは、一人の大人を納得させない。たとえそれが、息子にとっての真実だったとしても、父親である彼は、別の真実を求めざるを得ない。そんなことで死ぬなんて!

物語の最後に二人は出会う。河の向こう岸にむかうフェリーの中で。互いにかすかな共感を覚えるが、話しかけはしない。当然だ、二人はそれまで一度も出会ったことのない、赤の他人同士なのだから。お互いがお互いに、相手の生に干渉するだけの力を持たない。アメリカ初の黒人大統領誕生を祝う爆竹の音の背後で、銃声が鳴る。だがそれは、誰の関心も惹き得ない。ついさっきまで一緒にいた Samuel さえも。

これは生と死の物語だ、もちろん。人の人生を語る以上どんな物語だってそうだ、と人は言うかもしれない。なるほどそうだ。だが、この作品のように、生と死が人の想像するよりはるかに身近で、曖昧なものであると指摘する物語は少ない。彼ら二人の物語が交互に紡がれるように、人の一生にも死の瞬間が幾度となく顔をのぞかせる。Laura は死を選び、Samuel は死ななかった。だが二人にどれだけの違いがあったろう?たまたまだ。たまたま彼女は死に、彼は生きた。

物語の背景に流れる大統領選の熱狂と華やかさが、ひどく虚しく思えてくる。「私になんの関係がある?」そう叫ぶ彼らの声に、誰か答えてくれないか。

Au revoir et a bientot !

2014年2月4日火曜日

ブレンダ・スペンサーの憂うつな月曜日

ブレンダはアメリカのカリフォルニア州、サンディエゴに住むごく普通の16歳。あるいは他の子より少しばかり活発だったかもしれない。週末には父親と一緒にハンティングに出かけるのを何よりも楽しみにしている少女だった。

先のクリスマスには素敵なプレゼントを受け取った。狙撃スコープ付きのカービン銃だ。16歳の少女のクリスマスプレゼントにしてはいささか物騒な代物だが、ブレンダには最高の贈り物だった。サンタさん、ありがとう!よしよし、いい子だ。おまけに500発の弾薬もつけちゃうぞ。なんてやりとりが父と娘のあいだで交わされた。

自分だけの銃を持ったことが誇らしくて、彼女は学友たちに自慢して回った。「私きっと有名になってテレビに出るわ!」もちろん友達は取り合わなかった。だってそうだろう!銃を持っているだけでテレビに出れるなんてバカらしい。そんなの兵隊ごっこをして英雄になったつもりの男の子とおんなじだ。

ひょっとするとブレンダ・スペンサーは他の子らに比べて、少しばかり子供だったのかも知れない。

1979年1月29日。ブレンダは自分の部屋の窓から無関心に外を見ていた。家の前の学校に、足取り重く登校する児童の群れ。もちろん彼女も憂うつだった。月曜日はいつもそうだ。楽しい週末が終わり、今日からまた一週間が始まる。もうすぐ学校に行かなくちゃ。そんな彼女の暗鬱な心を照らす妙案が、ふと浮かんだ。

「あの子たちを獲物にハンティングしたら楽しくない?」

いてもたってもいられずに、彼女は自分の銃を取り出し、肩に担いで構えると、狙いをつけて発射した。パン、パン、パン!

なにがなんだかわからず子供たちは、地面に倒れ、泣き叫び、逃げ惑った。ブレンダは冷静だった。まるで射撃場でするように銃弾を込め、狙いを定めた。なにも見えず、なにも聞こえなかった。ただ獲物の動きだけを目はひたすら沈着に追っていた。

校長 Burton Wragg はヒーローになりたかった。新聞の一面やニュースで取り上げられる自分の姿を想像して、悦に浸った。ヒーローは簡単に死ぬはずがない。彼は隠れ場から身を乗り出し、悪人がどこから撃ってくるか確かめようとした。バンッ!即死だった。

校長が撃たれたのを見て、警備員の Mike Suchar は思った、今校長を助ければきっと感謝状がもらえるだろう。これを足がかりに出世街道に乗ることもできるはずだ。他のやつには譲れない。考えるより先に体は行動していた。急いで校長のもとに駆け寄ると、バンッ!校長の体に折り重なるようにして倒れ、死亡した。銃撃は15分ほど続き、その間ほかに8人の子供たちが怪我をした。あぁ、アンラッキーブルーマンデー!

ブレンダはその後、7時間に渡って家に立てこもり、警官に抗した。最終的に降伏した彼女は、何故こんなことをしたのか、と問い詰める周囲の大人に向かってこう言った、「なんていっていいかわかんない。だって面白いと思ったんだもの。池にアヒルがいるから撃つようなもの。あ、でもあれは動きの鈍い牛を狙ってるみたいだった。めちゃ簡単なの」

後悔の念を見せない彼女に対し、司法は厳格だった。彼女を大人と同じように扱い、終身刑と25年の実刑判決となった。

服役期間中、彼女は4度釈放の嘆願書を出した。最後の嘆願時(2001年)には、「父親に性的虐待を受けていた」と主張し、自由を取り戻そうとした。要求はすべて却下された。

34年間、彼女は檻の向こう側にいる。今も彼女は月曜日が嫌いだ。でも今は、一週間ずっと憂うつなままだ。

Au revoir et a bientot !
Brenda Spencer.

アイルランドの不発弾――『第三の警官』

わかるよ、やりたいことはすげーよくわかる。でもその企み、上手くいってないよね。

1966年のエイプリル・フールに死去したアイルランドの作家、フラン・オブライエンの『第三の警官』。死の翌年に出版されると、「20世紀小説の前衛的手法とアイルランド的奇想が結びついた傑作として絶賛を浴びた」って書いてるけど、正直そんな立派なものじゃない。キャッチコピーなんて大半が誇大広告だろ。

概要を背表紙から拾ってみよう。

あの老人を殺したのはぼくなのです――出版資金ほしさに雇人と共謀して金持の老人を殺害した主人公は、いつしか三人の警官が管轄し、自転車人間の住む奇妙な世界に迷い込んでしまう。20世紀文学の前衛的手法、神話とノンセンス、アイルランド的幻想が渾然となった奇想小説。

いや、ドストエフスキーのパクリやん!なんて突っ込みはさておき、もう少しストーリーに触れると、老人を殺した主人公はその後、共犯者=雇人に嵌められて殺され、死後の世界をさまよう。彼は自分が死んでいることに気づかず、自分の体験が繰り返されていることも知りえない。

「果てしない反復」がこの本の主要なテーマであり、それは作中でも様々に表現される。
精巧な造りの箱の中には全く同じ箱が入っているし(大きさは一回り小さいけれど)、リフトに乗って訪れた来世では、「すべての部分は何度も反復されていて、どの場所も他の場所である」。自転車に乗って警官から逃れた主人公が行き着く先はもちろん、三次元のうち少なくとも一つが欠けている警察署だ。

まあでも、「自転車人間」の発想だけで、この作品は赦されている。死後の世界で重要な役割を担っている警官たちが最初に主人公に尋ねるのは自転車のことだし、その世界では自転車の盗難事件が警官の対応する主な事件だ。なにより自転車を常用するがゆえに、自転車と人間とのあいだで原子交換が行われ、体の40%自転車の自転車人間や、車体の60%が人間の人間自転車が刻々と生まれつつある。まさにチャリンコ乗りたちのエルドラドだ。

無限の迷宮からミノタウロスのイメージを浮かべるが、正確にはこれは現代のケンタウロスたちにあてたオード / 頌歌 だ。出来は決してよくないけれど、同類に寄せられた賛歌を聞いて、悪い気のする人はいない。

現代のケンタウロス、タイヤの描く無限の円環のなかでミノタウロスを飼う。

Au revoir et a bientot !

2014年1月30日木曜日

清清しいまでに下品 映画『アイムソー・エキサイテッド!』

「とびきり下品なネタ満載なので、デートには禁止よ。」
――よしひろまさみちさん(映画ライター)

いやー、それ観る前に言ってほしかったわ。チラシに掲載されてる著名人のコメントを呼んでそう思ったのは、なにも私一人ではないだろう。おかげで見終わった後に気まずい雰囲気満々ですやん。

なんとか名誉挽回しようと映画の名シーンを思い出して会話を盛り上げようとするのだけれど、あら不思議!そんなシーンは思い出す限り1ミリも存在しないじゃありませんか。ってそれ以前にこんな映画にウキウキで彼女を連れて行った男の知性が疑われるよね。

ペドロ・アルモドバル監督の『アイムソー・エキサイテッド!』はそんな映画だ。全編下ネタ満載、ってか下ネタしかない、3人のオカマ添乗員と曲者だらけの乗客たちが織り成す、「ワン・シチュエーション・コメディ」。

「ワン・シチュエーション・コメディ」って単語につられて、傑作『大人のけんか』みたいな作品を想像してしまってはいけない。この映画の出来栄えなんて、語るだけ野暮だろう。考えるんじゃない、感じるんだ。そうすれば君のア○ルがむずむずしてくること請け合いだ(下品で失礼)。

やっぱり歌って踊っているシーンがいい。私は大好きだ。フランソワ・オゾン監督の『8人の女たち』の影響が大きいのかもしれない。3人のオカマの最大の見せ場、特に信心深いぽっちゃりファハスの出番はここだけだ。バナナマンの日村に似た彼の勇姿を、僅か3分程度だが、目に焼き付けたい。
ストーリーには関係ないが、個人的には殺し屋が持っている本が気になった。あれ多分ロベルト・ボラーニョの『2666』だと思うんだけど。この飛行機が向かう先はメキシコ。『2666』の主な舞台である架空の街も、メキシコシティをモデルにしているといわれる。そこで行われる大量殺人事件が物語の骨子にあるのだから、それが彼の職業=殺し屋を暗示しているのも当然だ。

たぶん、癖のある乗客たちのそれぞれには、モデルとなる人物が存在するのだろう。世界的なSM女王、落ち目の俳優、それに未来が見える処女の中年女子(世間に根付いたアラフォー、アラサーなんて中身のない言葉よりも、私はこの語を強く押したい)…。興味のある方は調べてみてはどうだろうか?

ごめん、全然映画の内容に突っ込んでないね。つーか、突っ込むほどの内容があんのか。でも駄作ではない(間違っても傑作ではないけれど)。予告を見て、ウキウキで嫁を誘って行った私の名誉のためにもそう言っておきたい。休みの日になにもすることがなくて、街をぶらぶらしていて、たまたま寄った映画館で、ちょうど上映してたんなら観てみればいいと思う。けっこう笑えるぜ。

ただし、恋人と行ってはいけない。わざわざ危ない橋を渡るのは勇気ではなく、無謀というものだ。一人で行き、下品なネタに笑い、感情を共有している他の観客たちを軽蔑すればいい。他の観客たちも、下ネタで爆笑する君の事を蔑んでいるから。

だがもし、もしも恋人と一緒に行ってしまい、気まずくなるどころか恋人のほうから映画の話題を嬉々として話してくるようであれば、別の心配をするほうがいい。たぶん君の恋人は…バイセクシャルだ!

Au revoir et a bientot !