2015年11月8日日曜日

移転します。

お久しぶりです。

前回、更新宣言をしてから、また半年ほど経過してしまいました。

その間、何をしていたかと言いますと、結構いろんなことがありました。
書きたいこともボツボツと溜まっています。

今回更新する目的は、ブログ移転のお知らせのためです。
次回より、新しいブログでの更新となる予定です。完全に移転が完了した時点で、このブログは閲覧不可の状態にさせていただきます。

新しいブログタイトルは、『Le Vent et L'Herbe / 風と草』。またしても Claude Simon 氏の小説より拝借しています。

・・・と言いつつ、新しいブログでなにをするか。具体的に決まっているわけではありません。が、少なくともこのブログよりは、より読みやすい文体、内容を意識したいと思っています。

新しいブログのアドレスは、http://a-nancy2.blogspot.jp/ です。現時点では場所だけとっている状態ですね。

それでは、みなさん。次に会うときまで。

Au revoir et a bientot !

2015年5月13日水曜日

再開 / 最下位――借金11、首位ファイターズと8.5ゲーム差

お久しぶりでございます。

半年ばかし、更新を怠っておりました。今月より再開したいと思います。

なんですが、まずは記事の書きためをすることにします。なので、定期的に更新できるようになるには、もう少し時間がかかりそうです。ある程度の分量が溜まれば、ボツボツ、とブログにあげていこうと思います。

それでは、また近日中に。

Au revoir et a bientot !


2014年10月18日土曜日

稲葉のいた日本ハム、谷のいなかったオリックス。

秋の風が吹くと、今年のプロ野球シーズンも終わりだなぁ、と感じさせられます。

残る4チームで熱戦が繰り広げられているCSファイナルステージ、その一方で惜しくも「あと一歩」が届かず、一足先にシーズンを終えたオリックス。

少し時間が空いた今だからこそ、CS1stステージ最終戦を振り返ってみたいと思います。

本当に紙一重の差で日本ハムに敗れたわけですが、敗因はなにか。一素人ファンが勝敗を分けたポイントを、勝手に批評していきます。

1.第一戦で松葉&中山を僅差ビハインドで試せなかったこと
延長10回、イニング跨ぎの平野が打たれ敗戦したわけですが、たとえそこを乗りきったとして、11、12回はどうしたのか?比嘉が2イニング?森脇監督の信頼度からして、一番現実的な判断だと思います。
その一方で、もとより少ない左の中継ぎを、一度も試さなかった(第一戦、中山は1/3投げてますが)ことが、「信頼度の高い選手から逐次投入」せざるを得ず、結果として追い込まれていった要因ではないかと。ファイナルを見据えた場合でも、敗れた一戦目にこれができなかったことは大きいと思います。

2.稲葉がいた日本ハム、谷のいなかったオリックス
ここぞの場面で出せる代打の切り札がいた日ハムと、それがなく、ほぼスタメンのみで戦わざるを得なかったバファローズ。この差が日ハムは6回表1死1,3塁の場面。大引への代打稲葉がコールされ、5回裏1死満塁でこのシリーズ、決して調子が良くない安達に対し、代打谷を出せなかったバファローズとなってしまいました。

3.チームの勝負勘のなさ
シーズンを通して、これがついて回りました。「ここぞ」の場面で打てない打線、打たれてはいけない場面で打たれる投手陣、絶対負けられない試合に負けるチーム…。セ・リーグを制した巨人が、個々の力は十分に発揮できずとも、絶対に負けられない試合はすべて拾っていたのとは対照的でした(その巨人も、CSファイナルは崖っぷちに追い込まれていますが)。

まぁこれらのことを糧に、来年はもっと長い期間オリックス・バファローズの応援をさせていただきたいと思います。

Au revoir et à bientôt !



2014年10月14日火曜日

オリックス・バファローズの2014年が終わった。

2014年のオリックス・バファローズの戦いが終わりました。

シーズン最初に見せた快進撃から、終盤のホークスとの激闘(譲り合い)まで、長く楽しい一年も今日で終わりです。

最後は延長10回、回跨ぎの平野佳が中田にソロホームランを打たれて終戦。今年のオリックスを象徴する、2-1の接戦を落としたゲームでした。

今年は8回観戦に行き、4勝4敗。決して好成績ではありませんでしたが、十分に楽しい試合を見せてもらいました。

シーズンもクライマックスシリーズも、あと一歩、最後の一押しが足りなかった今年のチーム。今から来年のことを話すのは早計でしょう。

とりあえず、オリックス・バファローズに関わっているすべての方々、一年間お疲れ様でした。

Au revoir et a bientot !
CS第一戦。エース金子千尋が先発も、3-6で敗れる


2014年8月22日金曜日

書かれなかった過去を振り返ろう 6/6 ――『彼方なる歌に耳を澄ませよ』

何年ぶりかにマクラウドの作品を読み返す。辺境の国カナダの、更に辺鄙なところに位置する、ケープ・ブレントン島。その地で暮らすスコットランド系移民の末裔たちの日々の暮らしを、脚色なしで(もちろんこれは言いすぎだ)描き出す。21世紀日本からはひどく遠い、土地・時代・文化の物語。

たとえば前回の『ペルソナ4』が現代日本を反映したものだとすれば、これは移民の時代(18世紀?)から1970年代まで続く、一族の物語だ。舞台はカナダ、日本からひどく遠い国の出来事だ。

カナダは、遠い。この計り知れない距離感はどこからきているのだろう?カナダのことをなにも知らないから?といって、日本の一般市民がカナダについて、どれだけのことを知っているだろう?国旗にカエデのマークが用いられていること?アメリカの北に位置すること?他には?大統領が誰かすら、そもそも大統領職があるのかすら、定かでない。もしかすると王様が国を治めていたりするかも?

これだけ遠い国の、本土から離れた島の話だ。当然日本人にとっては近づきがたいものに思える。だが、マクラウドの描くカナダの生活は、近い。場所も時代も大きく異なる物語が、これほどまでに人をひきつけるのはなぜなのか。

簡単に言ってしまえば、物語の持つ普遍性というやつなのだろう。だが、この説明だけでは不十分な気もする。普段全く自覚的でない、他者との共通点を認めたからといって、それで親近感を抱くのか?そもそも差異こそを好む時代に生きているのに、共通点をあげつらって、喜ぶ奴がいるだろうか?

だからたぶん、これは差異を理解するための物語だ。『彼方なる歌に耳を澄ませよ』の冒頭に現れる語り手とその兄はまだ、自分たちとさほど離れたところにあるわけではない。彼はアル中で、酒を飲んでいないと手の震えが止まらない。そんな兄にどんな風に接すればいいのか、歯科医となった語り手にはわからない。

彼らの背景が描かれるにつれて、違いは明らかになっていく。彼らが一人の個人としてよりは、一族の中の一人として生きてきた歴史。そして、その歴史的背景が生んだ悲劇。それらはみな、現代日本では存在しない空想上のバックボーンだ。

おそらく現代に悲劇が生まれ得ないのは、こうした歴史的背景の喪失も関係しているのだろう。もはや現代において、フォークナーは生まれない。確定的に明らかなことだ。持つものと持たざるもの、それぞれの良し悪しが、マクラウドの本を21世紀の日本で読むことの意義だ。

最後に、冒頭に書いた文章、今の私ならカナダを「周縁の」国とするだろう。日本もまた、同様だ。大国の周縁にある国がどのように身を処すか。ひどく政治的な問いで、私には身に余る。ここで手を引くとしよう。

Au revoir et a bientot !


2014年8月16日土曜日

書かれなかった過去を振り返ろう 6/5 ――もう一度、ペルソナ4

ようやくクリア!100hくらい費やしたが、これはなかなか大変なことだぜ(一生懸命フランス語をやったと言える月でも、50~70hくらいがせいぜいなのに)。大概のゲームは、それに費やした時間をはっきり無駄だと思うのに、今回はなかった。たぶん人生初の、ゲームをやって有意義な時間だった。

ベタ褒めしすぎか、いやいや、そんなことはない。それだけの価値のあるゲームだった、少なくとも私にとっては。前回紹介時はだらだらと書いてしまったので、今回はさくっと済ませよう。

1.コミュニケーションをとることで強くなれる
2.時間の一回性
3.攻略本ありの人生はつまらない
4.自分の弱さを受け入れるための物語

1.コミュニケーションをとることで強くなれる
作中に登場する人物には「コミュ」と呼ばれる関係があり、主人公は彼らと一緒に時間をすごすことで、絆を深めることができる。彼らにはそれぞれアルカナ(タロットカードの「隠者」、「戦車」といったもの)が割り振られており、コミュランクが上がったアルカナからは、より強力なペルソナを作り出すことができる。コミュランクを上げることが、強敵を倒すための近道なのだ。それにしても、主人公のコミュ力はすさまじい。

2.時間の一回性
一日に行動できるのは2回、放課後と夜だけに限られている。それぞれでできることできないことがあって、ダンジョンに入るなら他の人と一緒にすごすことはできないし、勉強やアルバイトをあきらめなければならない。なにかを得るにはなにかを捨てなければならないのだ。

3.攻略本ありの人生はつまらない
ネットで攻略サイトを見れば、どうすれば完璧にコミュをマスターできるのか、会話中の正しい選択肢まで教えてくれる。そうすればゲームシステム上は完璧な人生を送ることができる。でも逆に、つまらない人生になってしまう。結末のわかっている推理小説のように。

4.自分の弱さを受け入れるための物語
ペルソナとはもう一人の自分。日常生活で決して覗き込むことのない、自分自身の暗部だ。誰にでもあるそうした弱さやいやらしさを、否定すれば暴走し、受け入れることができれば自分の力となってくれる。ありふれたテーマだとしても、そうした弱さを主人公やその仲間の高校生にだけ認めるのでなく、周りの大人たちもまた、例外なく秘めていて、向き合うことができていないことを明らかにしている、という点が素晴らしい。

子どもの頃には、「大人になったら」という言い訳が使えた。大人になった今、それはもう使えない。時間は弱さや愚かさを解決してくれず、むしろより解きほぐしがたい、絡まり合った難問として心の隅に置かれてある。自分の弱さと向き合わなければ、どんどん自分が自分でなくなっていく。だから人は嫌でもそれに立ち向かう。大人になっても、認知症になっても、死の間際までも。これは、英雄になれない凡人が生涯を通して挑む、最大の戦いだ。

それは困難でありながらも、少し楽しくもある。

Au revoir et a bientot !

2014年8月11日月曜日

書かれなかった過去を振り返ろう 5/27 ――コミュニケーション入門

危険を感じると、人は心を閉ざしてしまう。自分とのコミュニケーションに安全・安心を感じてもらうためには、その人が大事にしてる価値観に共感する必要がある。

コミュニケーション、一言にいっても容易くはない。自分ではない他人と、意見や言葉を通わせることだ、一筋縄ではいかないことは容易に察せられるはずだ。

実際には、人はそれほどコミュニケーションを問題視しない。空気ほどにありふれており、習熟とは縁遠いものと思われているからだ。結果的に、巷にはミスコミュニケーションがあふれかえる。伝えたつもりなのに伝わっていない、自分の言っていることがなぜか理解されない…誰にでもなんかしら思い当たることはあるはずだが、だからと言ってそうそう改善しようと思わないのが、人間だ。「相手が悪い」と自分の非を棚に挙げて、人の悪いところにばかり目が言ってしまう。

コミュニケーションを仕事の中枢に据えていると、そうでない人よりほんの少し、その難しさを感じる機会が増える。認知症の方はおろか、普段何気なく接している一般の職員とも、良好な関係が保てているか、怪しく思える。

そんなふうにコミュニケーションについて改めて学んでいる最中だったから、なおのことペルソナ4に深くのめりこんでしまった。「いろんな人と関係を深めることが、自分の力になる」という哲学に基づいたシステムは、そのまま社会の反映となる。なお、あまりに深くのめりこんでしまうと、社会そのものから離れて、ゲームの世界に閉じこもってしまう模様。

コミュニケーションの要点は、「この人は私の話を聞いてくれる」と相手に思わせることだ。もっと言えば、「私を受け入れてくれる」存在になることだが、口で言うのは簡単でも、実行するのは難しい。そらそうよ。誰もが大海のように広い心の持ち主ではない。

私のような狭量な人間でも、継続してコミュニケーション技術を磨くために、必要なことをメモ代わりに書き残しておこう。

上述のように、相手にとっての「受け入れてくれる」存在になる、一番のポイントは、聞き上手になることだ。そのためには質問力が求められる。どんな質問を、どのようにするかで、その人との関係が決まる。

尋問にならないことが大切だ。言いかえればこれは、「自分の聞きたいこと」ではなく、「相手の喋りたいこと」と質問することだ。そのためには相手のことを良く知らなければならない。表情やしぐさは勿論のこと、普段相手がどのような言葉を使っているか(視覚的か、聴覚的か、触覚的かなど)や、どの言葉に重点を置いて話をしているか、など。

そしてその感覚や感情に自分の気持ちをあわせる(ペーシング)こと。そうすることで、相手は共感されている、と感じられる。キーとなる単語を繰り返すことは、簡単だが効果的な方法だ。

だから何度でも繰り返そう。同じような主題、同じテーマの文章を、違った時期、違ったスタイルで書くことで、自分自身への理解を深めることができるから。人によってはそれを読んで、私のことを理解しようと思ってくれる人もいるかもしれない。そんな儚い思いを抱きつつ、次回再度ペルソナ4いついて書く。

Au revoir et a bientot !