2013年4月30日火曜日

砂漠のオアシス ※男性専用

泥沼の予感。

フランス軍がマリで展開中の軍事作戦、セルヴァル作戦 / Opération Serval で昨日、一人の兵士が殺害された。今年の1月から始まった同作戦上、これが6人目の死者となった。イスラム系武装組織のマリ北部での蜂起が引き金となったこの戦争から、徐々に戦力を引き上げている最中のことだった。

この戦争に以前紹介したナイジェリアのイスラム武装勢力 ボコ・ハラム / Boko Haram も加わっている。

2002年、Mohammed Yusuf / モハメド・ユスフ によって結成された。創設当時は大学生や中上流階級出身の200人ほどの集まりだったようだ。2004年頃から活動拠点をニジェールとの国境付近に移し、警察を襲撃し、弾薬を奪うなどしていたようだ。

2009年に状況が悪化する。ナイジェリア警察はこの年、ボコ・ハラムの摘発に乗り出し、リーダーのモハメド・ユスフ逮捕に成功する。このときの治安部隊とボコ・ハラムとの戦闘で、700人以上の死者が発生。モハメド・ユスフはその後、収監中に脱走を図り射殺された。
その後は Abubakar Shekau を中心にグループをまとめ、現在もアフリカの各地でテロ行為を行っている。


一方でこんなニュースもある。

空調完備の部屋、競技用プールに映画館、サウナやスパ、トレーニングジムまで完備された豪華ホテル、じゃなく刑務所がサウジアラビアでお披露目された。

目的はもちろん、テロリストたちに英気を養ってもらい、次のテロ行為へと向かわせるため、ではなく、「対話と説得」によってジハード主義者たちを改宗させようという狙いだ。彼らに知的教育と心理的・身体的な安らぎを提供することで、テロ行為から足を洗ってもらおうというのだ。

テロリストたちが優遇される一方で、サウジアラビアの女性たちは、一人で外出することも、車の運転をすることも禁じられている。もちろん、夫以外の男性と会ったりすれば死刑ものだ。

さて、ここで問題です。もしあなたがサウジアラビアに生まれたとして、テロリストになりたいですか?それとも女性になりたいですか?

Au revoir et à bientôt !
2枚とも公開された刑務所内の様子(Crédits photos : AFP)


2013年4月28日日曜日

Kamikaze 精神を継承する原理主義者たち

「神は死んだ」 と19世紀にニーチェはいった。「もし神が存在しないのなら創り出さねばならない」 と18世紀にヴォルテールはいった。現在は21世紀、神の実在は未だ実証されていない。神は本当に存在するのか?いるとして神は必要なのか?

日本では「自爆テロ」と呼ばれる行為は、海外では "kamikaze" と一般に呼ばれている。もちろん語源は日本語の「神風」にある。

第二次大戦中の「神風特攻隊」がその元となっているのは言うまでもないが、さらに遡るならば、そもそもその特別攻撃隊の名称が、元寇を追い払った暴風雨に端を発していることぐらい、日本人なら容易に理解できるだろう。

だからといってその精神性まで理解できるわけではない。太平洋戦争末期に採用されたその決死攻撃が、それだけで戦況を覆すことができる決定打となるはずもないことは、いかに愛国的軍国主義者であろうとも、容易に想像できただろう。

もし事実、二度の元寇の時と同様に、連合軍を壊滅させる働きを期待されて名付けられたとすれば、決死攻撃の結果ではなく、特攻隊員たちを供犠にして、神風が吹くのを、つまるところ奇跡が起こるのを祈っていた、とするのが適当ではないだろうか。

言葉には不思議なところがあって、意味を正しく理解せぬまま輸出・輸入された語が、母語とは異なる環境下で変質を遂げて、むしろその後の本質を表す、といったことがある。

kamikaze もまた、そうした語のひとつなのだろうか。

神風特攻隊の狂気じみた精神ゆえに、世界的に自爆テロを指すものとして認知されるようになったこの言葉は、それを唆す主導者たちの、ねじ曲がった祈りの用語となった。

それは現実的でない変革を訴えて人身御供を捧げ、「神」の威力に期待する、非現実的な原理主義者たちの祈祷の言葉だ。

さて、最初の問いに対して、2009年全米No1 ヒット、94% の観客の共感を得たという映画のタイトルをもじってこう答えよう。

「そんな神なら棄てちゃえば?」
 
Au revoir et à bientôt !
 

2013年4月27日土曜日

映画『L'Écume des jours』 4/24 フランス公開

Boris Vian / ボリス・ヴィアン。死後54年を経た今も、君はスーパースターだ。

4/24、フランスで  Michel Gondry 監督の"L'Écume des jours " が公開された。

初日の入りは47000人と予想より少なかったようだ。期待値が高いだけに、裏切られたときの失望感は大きい。まさに「期待はずれ」の一作。今のところそんな烙印が押されているようだ。

なにしろ、キャスティングがすごい。主役の二人が『スパニッシュ・アパートメント』の Romain Duris / ロマン・デュリスと、日本で一番有名なフランス人女優、Audrey Tautou / オドレイ・トトゥ。更には『最強の二人』の Omar Sy / オマール・シーも登場とあっては、期待しないほうが無理というもの。私だってそりゃ見たいさ。

映画の公開に合わせて書籍の売り上げも好調なようだ。

livre de poche 版(日本の文庫本)の"L'Ecume des jours / うたかたの日々" が今週のベストセラーにランクイン。小出版社 Saints-Peres からは直筆原稿版が発売された。さまざまな神話的生物の落書きで埋め尽くされた、シュルレアリスム的想像力に溢れたこの豪華本は、1000部が瞬く間に売り切れた。

肝心の内容にも触れておこう。

「原題でもっとも悲痛な恋愛小説」と銘打たれたこの本の面白さは、その詩的で幻想的な世界観によるところが大きい。青年コランと少女クロエの恋愛を軸に、カクテルピアノやハツカネズミが舞い踊る。肺の中で睡蓮が生長する病気に冒されたヒロインなんて、この小説でしかお目にかかれない。

余談だが、この作品の日本語訳はどれもひどい代物で、とてもじゃないがまともには読めない。私が購入した当時は、新潮文庫版の『日々の泡』と早川epi 文庫版『うたかたの日々』が存在した。現在所持しているのは後者だが、まあひどい。たとえば、次のような会話――
「それでは、また仕事にかかってもよろしゅうございましょうか、旦那様」(ニコラ)
「いいとも、ニコラどうぞ」
言葉が古いのは目をつぶるにしても、「いいとも、ニコラどうぞ」はないだろう。最初のセリフを喋ってるのがニコラだということを考えれば、滑稽さは倍増する。普通に考えてもここは、「ああ、よろしく」ぐらいが妥当なところだろう。
現在は光文社文庫から野崎歓訳が出ている。中身は確認していないが、野崎さんの翻訳なら間違いないと思うので、読みたい人はこれがオススメ。

まぁともかく、日本公開が未定な以上、とりあえず読んでみるしかないだろう。もちろん私は挫折した(なぜ昔は読みとおせたのか不思議だ)が、それはそれ、これはこれだ。ボリス・ヴィアンの息子、パトリックの証言を最後に引用してお別れだ。

「『うたかたの日々』は初版5000部が印刷されたんだ。1000部はなんとか売れて、友人にもたくさん配った。残りは?全部スクラップさ」

Au revoir et à bientôt !
 
なるほど、この翻訳ならスクラップされるのも頷けるぜ。



2013年4月26日金曜日

映画『天使の分け前』――僕らは落ちこぼれに嫉妬する

映画がはじまってすぐに、見る人が覚えるのは安堵感、もしくは優越感だ。

スコットランドの一地方都市で行われる裁判。そこで人生の落ちこぼれたちが次々に裁かれる。盗みをしたもの、他人を傷つけたもの、迷惑行為…理由はさまざまだ。

スコッチウイスキーの故郷スコットランド。育った環境のせいでケンカ沙汰の絶えない若き父親ロビーは、刑務所送りの代わりに社会奉仕活動を命じられる。そこで出会ったのが指導者でありウイスキー愛好家であるハリーと、3人の仲間たち。ハリーにウイスキーの奥深さを教わったロビーは、これまで眠っていた“テイスティング”の才能に目覚め始める。ある日、オークションに100万ポンドもする樽入りの超高級ウイスキーが出品されることを耳にしたロビーは、人生の大逆転を賭け、仲間たちと一世一代の大勝負に出る!

これはどこか遠い世界の出来事だろうか?ある人々にとっては、そうだ。異国の地であることも相まって、彼らが自分たちの住んでいる世界とは違う位相の住人だとし、自分たちの優位を認め、優越感に浸ることができる人々。

あるいは彼らの中に自分たちの隣人、もしくはあり得たかもしれない自分の姿を見る人たちもいるたった一度の失敗が人を傷つけ、人生をダメにしてしまうこともある、と知っている彼らはそれゆえ、主人公たちに対し、ある種の寛大さを持って見ることができる。そしてもちろん、安堵も。

しかし物語が進むにつれ、その安堵と優越は少しづつ崩される。才能という、共感の余地なき要素が、物語の重要な位置を占め、歯車を回していく。

更生の道を歩み始めた主人公を応援していたはずが、いつの間にか彼の決断と行動に不満を抱き、同意できない気持ちがつのる。

その気持ち、たぶん嫉妬だ。

平凡さに囲まれていると、決して手にすることのできない(ような気がする)センスと、それを活かしてくれる周囲の大人たち。好転する運命の輪に彼の社会から落ちこぼれた、その境遇さえも特権的に思えてくる。

だが思い出してほしい。その才能と理解ある周囲の大人たち、それに今後の人生を棒に振るリスクを負ってまで主人公のロビーが求めたものを。それは、お金と、家族と、仕事がある、安定した普通の生活。一世一代の大勝負の掛け金は未来、そして得られたものは一人当たり25000ポンド(約380万円)の現金。天から降ってきたのなら大金だが、未来を賭けるにはいかにも少ない。そのお金と僥倖と才能をもってしても、育った環境から脱するのに精いっぱいだ、ともいえる。

結局これは、人生の平凡さを賛美する映画だ。監督のケン・ローチは、現在の若者が直面する問題を正面に据えながら、その先に人生の平凡さと愛おしさを透かし見せる。

Vive la banalité ! / 平凡万歳!
 
Au revoir et à bientôt !
 
映画『天使の分け前』公式サイト:http://tenshi-wakemae.jp/

2013年4月23日火曜日

華麗なる転職。ランス・ハーブストロング見参!

その規則正しいペダリングを、今度は音楽の世界で活かそうか。

世界一過酷なスポーツを言われるロードレースの世界において、その肉体の強靭さゆえに「鋼の男」と讃えられた男は今、その不屈の精神をもってかつての輝きを取り戻そうとしている。

ランス、音楽業界に殴り込み。

ツール・ド・フランス前人未到の7連覇を果たした男が、ドーピング告白を経て、新たに挑戦するのは音楽だった。先週末、アメリカのテキサス州オースティンで催されたレゲエ音楽祭で、全盛期のペダリングを彷彿とさせる正確で力強いドラミングを披露した。

注目すべきは参加したグループ名だ。その名も 「Lance Herbstrong / ランス・ハーブストロング」。先日告白したばかりのドーピング行為を、自ら嘲弄するかのようなその名前に、拍手喝采せずにはいられない。


俺は勝つためならなんだってやっちゃうぜ?――いいね、その心意気。大好きだ。

おそらく彼は、大衆がランス・アームストロングに求めているものを痛いほどわかっている。どんな手段を使ってでも勝ちたいという勝利への飽くなき渇望。いかなる逆境に陥ろうとも、何度でもしぶとく這い上がって来る泥臭い執念。スマートさや清廉潔白なんて必要ないんだ。何度も倒れ、その都度起き上がる。いつまでやるの?――勝つまでさ。

自転車に乗ってるときにはあれだけ格好良くみえた帽子も、それをかぶってドラムの前に座っている姿を見ると随分と滑稽にうつる。まるで道化役者の帽子だ。でもそれでいい。かつての自分に唾を吐きつけてでも、今の自分を輝かせる。そうだ、ツール7連覇の記録なんて、彼にとっては踏み台にすぎない。

さあ、これから本番だ。僕らのアームストロングが帰ってきた。スポットライトの準備はできている。

Au revoir et à bientôt !
見よ、ランス・アームストロングの新しい職業を!
 
ランス・ハーブストロング公式サイト ランス・ハーブストロングの音楽が無料でダウンロード可能。Peter Tosh の「Legalize it / 合法化しろ」のアレンジは曲名的にも音楽的にも最高。
 

2013年4月22日月曜日

ヒゲを伸ばせ! 皮膚を守れ!! 彼女を作れ!!!

文化によって男らしさの尺度は異なる。

イスラム教圏ではヒゲをたくわえることが一人前の男の条件であるのに対して、日本ではみっともないもの、だらしないもの、社会不適応者を見分けるための基準である。

ごめん、これ前にも言わなかった?――まあいいさ。今日は久しぶりに健康の話をしよう。

今の日本の行き過ぎた健康志向に距離を置いて冷ややかに眺めている私は、以前にも喫煙を擁護するような文章を書いたが『愛は地球を救う、なんて嘘よりも』)、そのときも今回もニュースの発信源はオーストラリアだ。どうやらこのオーストラリアという国、日本以上に健康志向が強そうだ。もしあなたがオーストラリアに住みたいと考えているのなら、健康マニアになるか、あるいは羊になるかのどちらかをあらかじめ決めておいたほうがいいだろう。それ以外の生物にはどうやら生き抜くことのできない環境のようだ。

さて、ニュースの内容だ。

オーストラリアの科学者がデイリー・メール / Daily Mail に発表したところによると、ヒゲには癌になるリスクを低下させ、なおかつ皮膚の急激な老化を防ぐ効果があるという。

詳しく見ていくと、ヒゲはUVカット率90~95%を誇り、保湿機能に優れており、更には花粉や埃吸入防止にも役立つという。

これだけの機能がついて、お値段はなんと、¥29,800 !さらに今回はなんと、このあごヒゲを買えばもうひとつおまけに口ヒゲがついてくる!もちろんお手入れも簡単。一日一回、さっと石鹸でこすって洗い流すだけ。なんて、まるでテレビショッピングの言い草だが、科学的に立証されていますから、と言われてはああ、そうですかとしか返しようがない。

だがもっとも重要な点は科学では語れない。ここは統計様の出番だ。最新の調査によると、なんと44% の女性が、ヒゲをたくわえた男性に魅力を感じるというのだ!(じゃあ残りの56%はどうなんだ、なんて突っ込むだけ野暮だ)。

やったね、ついにモテない病を癒す特効薬が見つかったわけだ。生まれてこの方彼女ができたことのない君、明日からヒゲを伸ばして健康と彼女を一緒に手にしよう!

会社から怒られそうになったら、こんな風に言っておけばいい。健康マニアとは、言い方を変えれば科学の無謬性を信じる狂信者だ。モテるか否かは統計学的結論だとしても、その他の点に関しては科学的に立証されているのだから。

「すいません、花粉症でして」
 
Au revoir et à bientôt !
マスクをしてれば大丈夫、なんて時代は終わった。今はヒゲだよ!!

2013年4月21日日曜日

事件性しかない

いつもどこかでなにかが起きている。

20日、中国の四川でマグニチュード7.0の地震があった。少なくとも156人が死亡、5000人以上が負傷した。15日にボストン・マラソンの途中で起きた爆弾テロ事件には、チェチェン共和国からの戦争難民の兄弟2人が関わっていたことが明らかになった。

フランスでは20日、カメルーン北部で2カ月に渡って拘束されていた人質7人が、無事解放されフランス本土の地を踏むことができた。

GDFスエズ(電気・ガスの供給で世界2位の売上高を誇るフランス企業)の従業員を含む7人は2月、ナイジェリア国境に近い場所に小旅行に出かけた際に誘拐された。

オランド大統領はカメルーン、ナイジェリア両国の協力に感謝するとともに、サヘル地域において未だ8名のフランス人が拘留されていることに言及することも忘れなかった。

この事件に犯行声明を出したのはナイジェリアのイスラムテロ集団、"Boko Haram / ボコ・ハラム"。「西洋教育は罪」を意味する彼らの要求は、ナイジェリアとカメルーン両国内で拘留されているメンバーとその妻、子供たちの解放だった。

ボコ・ハラムは今年の1月16日、日本人の人質7名も死亡したアルジェリアの天然ガス精製プラントを襲ったアルカイダ系武装勢力と繋がりがあるとされている。

あぁ、やっぱりアフリカは危ないとこなのね。なんて他人事の感想を述べてる場合じゃないだろう。日本では市民もマスコミも健忘症の進行が深刻だが、テロとの戦いは2001年9月11日以降、間断なく続けられている。

決してイスラムとキリストの対立にしてはいけない。みんなが思っているこの一線を安易に踏みにじった前アメリカ大統領の負の遺産が、今も世界の至るところに残され、大きな芽を出そうとしている。

「オバマ大統領、一緒に『悪の枢軸』と戦おう」
 by ウゴ・チャベス

Au revoir et à bientôt !
写真くらいほっこりするものを使おう。
 

2013年4月20日土曜日

ライ・ミュージック

フアン・ゴイティソーロ。なんとも呼びにくいこの名前を最初に知ったのは、小説『戦いの後の風景』の作者として。その中で彼は、パリ移民地区の朝、パリっ子はわが目を疑った。町の看板や標識が見慣れない文字に書き替わっている、そんなポストコロニアルな風景を見事に描き出している。

ポストコロニアルで複視的。もちろんこのスタンスは彼のルポルタージュ作品群にも共通してみられる。私が読んだのは『パレスチナ日記』『嵐の中のアルジェリア』の2作。有名な『サラエヴォ・ノート』の著者でもある彼は、これらの作品中で西欧文明に蹂躙された苦い記憶・歴史を持つ地域に寄り添いながら巡る。

フアン・ゴイティソーロ(1931 - ) Wiki より
西欧文明の中にありながらも長い内戦とフランコ政権下の独裁を経験した国、スペインを出生の地とし、異邦人としてパリに居を定める作者の視点が、西欧文明(その拡大を主導した帝国主義)に批判的なものでありながら、民主主義に何よりの信頼を置く、コスモポリタンの典型であるのも、ごく自然なことだろう。

『嵐の中のアルジェリア』は、1991年に始まったアルジェリア内戦を取材したルポだ。暗黒の10年 / La décennie noire」とも、「テロルの10年 / La décennie du terrorisme」、「残り火の時代 / L'années de braise」とも呼ばれるこの時代、誰が敵で誰が味方かもわからず、亡くなった死者の数すら正確に把握されていない混乱の中で、ライ・ミュージックは人々にとっての希望であり続けた。

起源を1920年代のオラン地方に発するこの音楽は、「自由で教義に囚われない素材の寄せ集め」にとどまらない。先祖代々の生活様式の解体によって生まれ、あるいは壊されたさまざまな現実、移民、故郷喪失、都市の磁力、文化の衝突、そういったものすべてを表現する言葉なのである。

ゴイティソーロはモノローグ的世界をよしとしない。アルジェリアの本質だと筆者の考える文化の混交と、それを成り立たせている雑多な色彩を持つ少数派がすべて抹殺され、浄化された世界よりはむしろ、豊かなスーフィーの精神世界を基盤とした、新たな折衷文化の誕生を望む。文化の多様性を尊び、混交してこそ文化は豊かになるのだという確信が、著者をライ・ミュージックへの傾倒へと向かわせる。

この本の中、意外な箇所で「日本」という単語が出てくる。イスラムと言っても、決して画一的なイスラムがあるわけではない、と述べた後にこう続ける、

一般に「保守派」は、技術・物質・科学の進歩を擁護しながら、だからと言って、西欧的なものに一切汚染されていない宗教・文化アイデンティティーへの回帰を忘れるな、という立場をとる。そしてこの一見すると相反するように見える両者を調和させている例として、しばしば引用されるのが日本である。(p.69)

西欧的なものに一切汚染されていないかどうかは疑問が残るとはいえ、確かに日本は西欧文明の良い点と自国文化の良い点を両立させることにある程度成功した国だといえるかもしれない。

その一方で、日本列島も本来は多民族の住む地域であるにもかかわらず、単一民族国家だと自称している。大多数を占める人々が、少数派の意見を抹殺し、浄化する。民主主義の原則に多数決がある。なるほど確かにそうだ。だがそれは決して、少数意見を抹殺することもよしとするわけではない。
清潔を第一とするこの国で、ポリフォニックな音楽が街頭から聞こえてくることはあるだろうか。

1,2,3 Soleils - Abdel Kader 1998年、パリでのライ・ミュージックコンサート
 
参考書籍:嵐の中のアルジェリア / フアン・ゴイティソーロ みすず書房 1999年初版


2013年4月19日金曜日

印象派の誕生

雨の日のパリ、薄暗い室内にはモネ、ルノワール、シスレー、ドガ、ピサロ、セザンヌ…錚々たる面々の165の絵画が、サイズごとに展示され、訪問者を待っている。

Capucine 大通り35番地にある展示場は、今日も人の気配はない。部屋の隅っこでは髭面の男が、不ぞろいな脚の椅子にふらふらしながら、新聞を手に座っている。

広げられた新聞を肩越しに覗くと、1874年当時、パリのブルジョワや画壇の反応を見ることができる。

" l'ecole des impressionnistes / 印象主義者たち"
 
今や敬意を含んで語られるこの言葉も、風景画家兼ジャーナリストの Louis Leroy が初めて用いた時には軽蔑的な意味合いが強かった。「印象だけで物事を語り、真実を表していない」。これが彼の論旨だった。
 
この論評、というより酷評が一番こたえたのは、髭面の男、ほかならぬクロード・モネその人だったろう。画壇の他の主流派の面々もほとんどが彼らの絵を嘲り、一笑にふしていたが、とりわけこの批評は、自らの作品『印象 日の出』を名指しで批判しているのだからそれも当然だろう。
 
加えて、嘲るように付けられた「印象派」のレッテルが、彼自身の創意ではなく、オーギュスト・ルノワールの弟、エドモンドによって付け加えられたものであるだけになおさらだ。ルノワールの作品が一定以上の評価を得ていただけに…。
 
複雑な思いを抱きながら、モネは窓の外を見る。ショーウィンドーの向こう側では、雨に煙ったパリの街角を、急ぎ足に行き過ぎる人々の姿がある。その一瞬の動き、瞬間の風景を瞼をシャッター代わりに切り取って、頭に残った印象を描きとめようと、急いで鉛筆を紙の上に走らせる…。瞬間の芸術がカメラの発明と時を同じくして生まれたのは、決して偶然ではない。
 
1874年4月15日に開催された第一回印象派展は3500人の人を集めただけに終わった。一世紀後の今日、同様の展覧会がグラン・パレで開催されようものなら、入場者数は100万人をくだらないだろう。だが当時、彼らは未だ著名でなく、地盤も固まっていなかった。公的なサロン展から締め出された彼らにあるのは、自分たちの手法に対する信念と、若さだけだった。
 
その後の彼らの活躍はもはや語るまでもない。絵画を日常の場に持ち込んだその功績は、今も色あせることなく、作品を鑑賞する人々に強烈な印象を残し続けている。
 
Au revoir et a bientot !
更新が遅くなってスイマセンでしたー!!



2013年4月7日日曜日

神格化される父とその暗殺者

分厚い強化ガラスの向こうにいたのは、どこにでもいそうなごく普通の男だった。

他の受刑者と同様に頭を丸め、、囚人服をまとっているが、むしろそれゆえに男の平凡さは際立って見えた。他の面会者たちが向かい合っているのは、いかにも屈強で凶悪そうな男たちばかりで、そのせいか面会者たちの顔つきもいわくありげに見えてくる。

それに較べて目の前にいるこの男、ジェームズ・アール・レイ / James Earl Ray はどこか寂しげで、弱々しく見えた。このときすでにC型肝炎を患っており、翌年の1998年に腎不全で亡くなるにしても、その姿はあまりに凡庸で、精気が感じられなかった。テネシー州刑務所の、この場所だけがまるで銀行のカウンターでもあるかのようで、ひょっとして自分は、数年前に預けていた定期預金の満期に伴い、新たな投資先を相談しにきているのではないか、そんな錯覚に襲われる。

こんな男が父を殺したはずがない、とデクスター・キングは一人ごちた。そんな考えは父の偉大さに対する冒涜にすら感じられた。偉大なる人物には英雄的な死が、あるいは少なくとも悲劇的な死が用意されるべきだ。

だが現実には、死はこの世でもっともありふれた事象だ。

デクスター・キングは疲れた頭で想像しようと努める、銀行マンの容姿をしたこの男が、スーツを着てホテルの一室にいる姿を。小さな部屋には書き物机とその前にある大きな鏡、机の上に置かれている灰皿は空っぽだ。セミダブルサイズのベッドの頭上には、印象派風の風景画が飾られている。ベッドの端にはトム・ウィラード/ Tom Willard の名前で数時間前に部屋を借りた男が、漆黒のスーツに身体をねじ込むようにして座っている。ベッドの足元、男の手が届く位置には、レミントン760が、その銃身を鈍く光らせている。一つしかない窓は外に向けて開かれており、時折カーテンが風にはためく。トム・ウィラードの影がその襞に写り込み、記憶される。窓の外では大観衆の醸し出す熱気が大気中に充満していて、部屋の中まで漏れ出してくる。

6時を告げる教会の鐘の音、そしてそれをかき消すようにして大歓声が爆発する。トム・ウィラードは頭をもたげ外を見ると、鈍重に身体を起こす。

その瞬間、演壇に立っていた男、マーティン・ルーサー・キングが崩れ落ちる。
後に警察が発表したところによると、右頬を突き抜けて顎を砕き、脊髄に達してキング牧師の精神を瞬間的に破壊したその弾丸の行方を、一人の特権的な傍観者として見ることになった男は、地の底から湧きあがるように広がった怒号と悲鳴で我に返り、はじかれるように部屋を飛び出した。その後にムスタングの遠ざかるエンジン音が聞こえるように感じたのは、たぶん後付けだろう。

しばらくして、再び部屋の扉が開く。見知らぬ人物が部屋に滑り込む。その男は、持っていた銃を部屋に放り出されたままのレミントン760と入れ替える。窓の外を除き、それからゆっくりと部屋を出ていった。

1968年4月4日、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者、マーティン・ルーサー・キングが暗殺された。ジェームズ・アール・レイは約2ヶ月後、ロンドンのヒースロー空港で身柄を確保され、その後禁固99年の刑を宣告された。

しかし本当の犯人が彼であったかは未だ疑問が残る。FBIの仕業とも、当時のアメリカ大統領、リンドン・ジョンソンが黒幕だ、というものもある(彼についてはJ・F・ケネディ暗殺の容疑もかけられている)。キング牧師の息子、デクスター・キングは今も、真実を求めてさまよっている。

Au revoir et a bientot !
 


2013年4月3日水曜日

人生、宇宙、すべての答え

ごめんね、『銀河ヒッチハイク・ガイド』は読んでないんだ。

このシリーズにおけるハツカネズミは、すぐれた知性をもった高次元生物がわれわれの三次元に突き出している部分 である。ハツカネズミ達は「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」を知るために、全時代および全世界において2番目に凄いコンピュータ、ディープ・ソートを作った。そのコンピュータが750万年かけて出した答えは「42」だった。

この数字がなにを意味するか、様々な憶測と議論がなされてきた。あるものはカート・ヴォネガット・Jr.の『タイタンの妖女』のパロディだといい、また別のあるものは13進法と関連付けて説明しようとする。あるものは、文字数との関連を指摘し(「人生、宇宙、すべての答え」の原文は "answer to life the universe and everything" 。これをスペースも含めて数えると42字になる)、また別のものは…といった具合に枚挙にいとまがない。

だが、正直言ってバカらしい。

唯一賢明なのは、曰くありげな数字を持ち出して来て、それに魅力的なプロットさえ加えれば、あとは読者が勝手に想像で補ってくれることを知っていた、作者のダグラス・アダムズだけだ。

なるほど、本は二度書かれる、とはよく言ったものだ。一度目は作者によって。二度目は読者によって。

このシリーズの小説第一作が発表されたのは1979年。それに遡ることおよそ20年。宇宙はアメリカとソ連の戦争の場だった。どちらが先に宇宙に行くか、なんて、今にして思えば実にしょうもない争いが当時の二大国家間で行われていたのだ。同時にこの時代は、SF小説というジャンルが隆盛を極めたときでもある。

時代は変わった。かつてSF小説が描いていた近未来の風景が、いまや日常的にそこにある。銀色の光沢があるピッチリスーツは来てないけれど、僕らは立派な未来人だ。

その昔、二つの大国が覇権を競っていた。一方はやがてその国自体が地上から消滅し、もう一方の国が信奉する宗教、資本主義の波に、地球上のあらゆる地点が冒されているように見える。両国が競っていた宇宙開発の分野は、国家が主導するものから金持ちの娯楽に代わり、国民的神話ではなくなった。
――やがて金持ちと貧乏人とが、宇宙と地上に住み分ける日がやって来る。

人類初の宇宙飛行士、ユーリ・ガガーリンが残したとされる言葉、「地球は青かった」彼には青い地球の上に、人類世界を東と西に画然と分かつ、一本の線が見えたのだろうか。あるいは21世紀の宇宙飛行士たちには、富と貧しさとを分かつ、別の線が見えるのだろうか。

Au revoir et a bientot !
フランスへ向かう飛行機の窓から