2013年12月31日火曜日

語学に王道なし

12/26、準一級の試験結果が届いた。結果は 79 / 120 で合格!今回の合格点は67点。合格率は26 %。ってごめん、ガッツポーズはすでに、ネットで結果を知った四日前に済ましてたよね。さすがに四度目の受験ともなれば、喜びよりも安堵のほうが大きい。それでも4度目にしてようやく、十分な実力を持って一次試験を突破したのは紛れもない事実だ。もっと胸を張ろうぜ。

思えば2008年に二級合格してから丸5年が経っている。2009年には難しすぎると一度飛ばして、2010年からは毎年受験。その都度獲得点数は上がるもあと少しのところで合格を逃していた。去年はようやくやってやったと思ったら、試験用紙を捨てられてるし。ね?今回三度目(4回目)の正直で受かってほっとしている。

で、ここで少し自分の勉強法を振り返ってみようかと。今後二次試験、仏検1級を目指す自分自身にとって、あるいはこれから語学の習得を目指す人にとって、反面教師としてでも役に立てれば幸いだ。

ここ2年半、勉強した時間は大体記録をつけていた。 aTimeLogger ってアプリ優秀だよね、ってこれはステマ。その間にフランス語に費やした時間は、去年一昨年でおよそ1200h、今年が600h の計1800h 。あれ、多くね?――うん、どう考えても去年、一昨年の数字が間違ってるとしか思えないんだが。まあ、ここ3年は大体、1年のうち600h をフランス語の学習に費やしていた、と考えてもらえればよろしい。

これが多いか少ないかは別として、その 1800h の内訳を見ると、もちろん細かいのは残ってないんだけれど、ざっとした感じ、原書を読んでいた時間がおよそ 700h、1000h 弱が問題集を解いたり、italki.com に書き込んでた時間。残り100h がRFI なんかのラジオを聴いてた時間になる。

まあ、ぶっちゃけ時間だけかけて内容が薄いよね、って突っ込まれたら返す言葉がない。準一級の試験は1000h もかけるものじゃない、っていう人も多いだろう。でも、事実として私はこんだけかかった、ってことだ。人と比較してもしゃあないってことを学ばなければ、社会人をやりながら勉強を続けていくことなんてできない。他になにを学ぶにしてもね。

これだけやって私の学んだことは次の3つ

・ 原書100万語読んだからってスラスラ読めるようになるわけではない
・ 勉強の成果は問題集を解くのは比較的早く、書いたり読んだりが上達するのは遅い
・ 時間を決めてやるより内容を決めてやったほうが効率がいい

当たり前過ぎる?まあ、仕方ない。これが私が2年半ちゃんと勉強してみて得た結論だ。ただ、一番最初のものについてはちゃんと言っておきたい。世の中には100万語読めば原書が読める!みたいな本があふれているが、そして辞書は使わなくてもいずれ自然に意味がわかってくるなんて書いているが、あれは嘘だと。

平均的な本一冊(200pくらい)でおよそ5万語、20冊で100万語になるのだが、そんなのこの5年間毎年それ以上読んでるよ、といいたい。だからといって読む能力が飛躍的に上昇することはなかった、と断言する。

はっきり言って、原書を読む行為は外国語運用能力を維持こそすれ向上することにはあまり益していない。とりわけ量に重点を置いて、文法や単語の意味をないがしろにして読む場合には。日本語でもそうなのだから、当たり前の話だろう。私だって、難しい本(日本語)は続けて2回読む。でないときちんと意味が掴めないし、内容が頭に残らないからだ。

私なりに語学学習(2級以上のレベルを目指す)の要点をまとめると以下のようになる。

・ 原書・原文は読んで当たり前。でもだからってすぐに上達することはない。過度な期待は×
・ 問題集を数多く、何度もこなすのが一番上達が早い
・ 結局大事なのは辞書を引くこと。どれだけ辞書を使いこなせるかが語学上達の秘訣。原書を読んでてわからない単語があったら辞書を引こう(2級以上のレベルになれば調べる単語もそこまで多くないはず)。それも仏和だけじゃなく、仏仏も使って。できれば2つ以上で調べるのが望ましい。とにかく出てくる単語、表現を全部覚えるつもりでやる。だって、試験範囲はすべてだもの

やばい、むっちゃ普通やん。「語学に王道はなし」を地でいってますな。まぁ、そういうことなんでしょう。私もこれからもコツコツ継続して勉強を続けたいと思います。慌てず、くらべず、あきらめず。コツらしいコツといえば、たぶんこんなところでしょう。

では、みなさんよいお年を。来年もこのブログをどうぞよろしく。

Au revoir et je vous souhaite une bonne et heureuse année !


2013年12月26日木曜日

可能性としての自分

ちょっと間が空いたけど、前回途中になっていた分身と時間について話を進めよう。

といっても論旨は単純だ。直線的時間を生きる西洋人(その終着点では最後の審判が待ち構えている)にとって、生まれ変わることは日本人に較べてはるかに難しい。

というのも多くの日本人は、人生を繰り返される一年の連続として捉えているからだ。いってみればそれは、薄く重ねられた螺旋形をしている。一年で一周しながら、31日から1日の連結点において転生が行われる。

毎年この季節に、一年の終わりを感じない日本人はいない。年末は一年の決算日としてあり、年始は新しい年が始まる清らかな日だ。31日から1日にかけて、除夜の鐘とともに時間は一度殺害され、その後蘇生される。と同時にわれわれもまた、新たな時間へ移行するのだ。われわれは一年ごとに死に向かう螺旋階段を一歩ずつ上っている / 下っているのだといえる。

西洋的な時間ではどうだろう。それを十分に語ることができるほど、直線的時間に精通してもいないし、実感してもいない。あくまで推論だ。

時間が直線的に流れる以上、他の位相と交わる機会はない。線上に入学や結婚といった区切りは存在するとしても、それはあくまで線上の一点に過ぎない。時間は前後には延びていても、上下には伸びていないのだから、上下と見比べることもできない。繰り返される時の流れのなかで、意図的にしろ無意識にしろ、混交することも少ない。

となると、可能性としての自分を見つけるためにはこう考えるしかない。自分が住んでいる世界線と平行に、何本も別の線が走っていて、今のこの世界と限りなく似た時間が、少しずつずれて繰り返されている。その平行世界からの闖入者として、分身やドッペルゲンガーは存在しているのではないだろうか。

分身小説の系譜は長い。まぁ、今思いつくだけでもたくさんある。イギリスではスティーブンスンの『ジキル博士とハイド氏』。アメリカはトウェインの『王子と乞食』。ロシアにはゴーゴリの『鼻』やドストエフスキーのそのまま『分身』なんてタイトルも。先日紹介したナボコフの『絶望』はこれらに対する反・分身小説と位置づけられるだろう。

そんな風に考えを進めていくと、今度はこんな疑問にぶち当たる。「もしや西洋人と日本人の記憶の仕方は全く異なるのではないか?」考えてみれば当然だろう。記憶とは、時間をどのように折りたたんでいるかの結果であり、時間の概念が異なる以上、記憶の仕方が違っても驚きはない。

この問題には様々な方面からアプローチが可能だろう。文学上の参考文献を挙げてみると、日本からは明治・昭和の私小説にアンチ私小説としての大江健三郎の小説群。南米代表はガルシア=マルケスの『百年の孤独』やボルヘスの『アレフ』などは必読だろう。そしてフランスからはプルーストの『失われたときを求めて』。

Au revoir et a bientot !

2013年12月20日金曜日

ぼくらは中世を生きている

いやー、早いもので今年も一年終わりですね。ついこの間1月だったのが、気がつけば3ヶ月、半年が経ち、今はもう12月も20日…なんてクソみたいな定型文を書き散らしてる場合じゃないよね。

あけましておめでとうございますから始まった一年が、よいお年をで終わり、そのあいだを様々な定型文が埋めていく。人生ってそんなもの?って疑問を抱きながらも、解決せぬままいたずらに年老いていく。おいおい、もう30だぜって、半笑いでごまかしているあいだに人は死ぬ。

要は阿部謹也を読まないで生きてるってやばいよね、ってことだ。たとえるならそれは、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を読まないで青春を過ごすのと同じようなもんだよね。つまり青春の大事な一部分を知覚せぬままに過ぎてしまうことだ。

ごめん、私もついこのあいだまで名前と中世の専門家ってことしか知らなかった。その経歴なんかは Wiki や本の末尾にある略歴なんかを読んでもらうとして、いやいやそれが人生と何の関係があるんだって質問に答えるなら、大アリでしょ。氏の文章を読めば、われわれがなんの疑問もなく従ってきた生活習慣が、決して自明のものではないと気づかされるから。

たとえば次のような一文、

私たちには一年単位で物事を測る習慣があります。年末には支払いをすませ、忘年会を開き、気分を一新して新しい年を迎えます。ところがこのような時間の測り方はヨーロッパにはないのです。…一年をくぎりとして物事を処理する考え方も中世初期まではありましたが、中世以後はなくなってしまったのです。新しい年を迎えるにあたっての心構えとか、禁煙の決心なども特にみられないのです。【甦える中世ヨーロッパ p.16より引用】

マジでか。これは大変なことだと思うよ。もしここに書かれていることが事実とすれば、西欧人とわれわれ日本人の時間の概念はまったく異なることになる。1年という区切りは存在せず、新年の目標を立てることもない。それが当たり前って、やばくない?

円環的時間と直線的時間。この感じ方の相違を突き詰める途中には、19世紀以降西欧文学で好んで扱われた「分身=ドッペルゲンガー」のテーマがあるのではなかろうか。まあ、これは別の機会で。

自分が属する共同体の習慣や規律を客観化し、絶対的なものから相対的なものの相へ移行させること。そのための比較対象として、氏は時間も場所も異なる中世ヨーロッパを選んだ。さて、もうすぐ2014年、ぼくらはなにを目印にして、自分の暮らしを見つめなおそうか?

Au revoir et a bientot !

参考文献:『甦える中世ヨーロッパ』 / 阿部謹也 著
氏の本は他にもいろいろあるが、これが一番面白く、読みやすくなおかつ氏の業績を広範に捉えている。特に中世ヨーロッパを専門に学ぶのでなければ、この一冊を読めばいいのではなかろうか。

2013年12月19日木曜日

書物たちの幸福な出会い

たまに自分が、人生を彩る様々な偶然の要素を、本と出会いにすべて費やしてしまっているのではないか、と疑うことがある。

先月は、カナダへ移民したスコットランド系移民への関心と、昨今の世界経済への興味とが、阿部謹也のヨーロッパ中世を語る書物内で、カール・ポランニーという名前になって交錯した。

また別の機会には、旅先のパリで見たエドワード・ホッパー回顧展のポスターに用いられていた『ナイト・ホークス』が、帰国後も私の中にとどまり続け、そこから派生した興味が、やがてリチャード・イエーツの本に結実し、この半年私の読書の中心にあったりもした(今回は彼について書こうと思っていたのだけれど、長くなりそうなので次回に)。

こんな風に、本がまた別の本を呼ぶのはよくある話で、ちょうど2ヶ月ほど前に、同じようなことを書いた文章に出くわした。

ちくま学芸文庫から出ている『山口昌男コレクション』。その第四部に「エイゼンシュタインの知的小宇宙」と題された文章がある。山口昌男が引用した文章を少し孫引きしてみよう。

ある聖人たちのところへは鳥が飛び集まってくる。(アッシジへ)
ある伝説的な人物たちのところへは獣らが走り寄ってくる。(オルペウス)
ヴェニスのサン・マルコ広場でゃ、老人たちのところに鳩がつきまとってくる。
アンドロクレスにはーーライオンが寄ってきた。
わたしには書物が押しかけてくる。
書物はわたしのところへ飛び集まり、走り寄り、つきまとうのだ。(同書p.544-545)

エイゼンシュタインの言葉を引用した後に、山口昌男は自分でもこう書き加える、「どうしてああタイミングよく、いろいろな本が見つかるのですか」との質問に対し、「書物が向こうからやってくる」という感じがすると。

自分のことをエイゼンシュタインや山口昌男のような知的巨人と較べるわけではないが、おそらく私を含め、多くの書物狂が同じような感慨を抱いていることだろう。あるいはこんな文章、

わたしは、書物をたいへん大事にしたので、ついには彼らのほうもお返しにわたしを愛するようになった。
書物は熟しきった果実のようにわたしの手のなかではじけ、あるいは、魔法の花のように花びらをひろげて行く。そして創造力をあたえる思想をもたらし、言葉をあたえ、引用を供給し、物事を実証してくれる。(同書p.546-547)

確かなのは本好きと本とのあいだには自然界の共生と同じような関係が成り立っていて、私という媒体を通じて、出会うべき二つの書物が時と場所を越えて出会うことあれば、運命の出会いに喜ぶ本たちの放射する幸福の電流が、私たち書物狂の口角を反射的に吊り上げさせることもある、ということだ。

Au revoir et à bientôt !

2013年12月13日金曜日

投石器で生首を投げ入れる

宗教によって救われた人間と殺された人間、はたしてどちらの数が多いのだろう。

PCの不具合が改善しようやく、 Le Point.fr の名物コーナー、"C'est arrivee aujourd'hui " を読める環境が整い、さぁブログで取り上げようと思った矢先、ぶち当たった記事がこれだよ!

十字軍によるイスラム教徒の虐殺と人肉食

もうね、こういう話題はいいんじゃないかと思ってるんですよ。こんなのはたまにやるから人の心をぐっと掴むわけで、毎日垂れ流しにしてても、浮浪者の立ちション程度の関心しか得られない。「おぅ、またやっとるわ」と横目で見て、嫌悪の表情を浮かべ、そしてすぐに忘れられる。そこまでの見事な様式美――どうせなら、1913年の同日に起きた事件、「1911年にルーヴル美術館から盗まれ行方不明になっていたモナリザがフィレンツェで発見される」のほうをやりたかったぜ。

まぁ、愚痴ってばかりいてもしゃーない。事件の全貌に迫ろう。

1098年12月12日、Ma'arra 市を包囲した十字軍の大軍は、「降伏すれば安全は保障する」とした約束と引き換えに、市内の住民2万人を虐殺。城内に十分な食糧がなかったことに激怒したキリスト教徒たちは、殺戮したイスラム教徒たちの人肉を食べた。

そのレシピが振るっている。「成人の肉は鍋で茹で、子供たちは串刺しにして直火で炙る」。まったく、フランスの美食ここに極まれり!だ。

今から1000年近い昔の社会でも、このような行為は衝撃的で非人間的だった。アラブ世界では数世紀にわたり、この事件が語り継がれたらしく、文献も数多く残っているようだ。

たとえこれに空腹を満たす以上の理由がある(異教徒を動物のように食べることで人外のものとみなす、魔術的解釈!)としても、その行為は非難されることはあっても、賞賛されることはない。これが宗教的な権威によって保障された行為だとしたら、人間性を失ってまで守るべきものなど、教会の内側にあるのだろうか?人間性=徳性こそ、宗教の最後の砦であるべきだろう。

われら21世紀に生きる異邦人、赦され、聖化された十字軍の軍隊が安閑としている天国の砦に、投石器で生首を投げ入れる。そう、彼らがイスラム教徒に対してしたのと同じように。「これが人間か」と問いながら、泣き喚きながら。

Au revoir et a bientot !
投石機にムスリムの首を入れて城壁内部に投げ入れる十字軍。この写本挿絵はニカイア攻囲戦を描いたもの Wikipedia より

参照URL:Le Point.fr C'est arrivé aujourd'hui 12 décembre 1098
Wikipedia マアッラト・アン=ヌウマーン

2013年12月12日木曜日

神の悪戯心すら萎えさせる偶然の話――スティーヴンスン『新アラビア夜話』

『ルパン3世vsコナン the movie』に先駆けて、先週の金曜ロードショーでTV版2時間スペシャルをやっていた。

内容のほうは…まぁ、触れないほうがいいことも世の中にはある。突っ込みどころ満載のこのスペシャルだが、まとめてしまうと、「SP弱すぎぃ!」「コナン君超人すぎぃ!」「警備ザルすぎぃ!」といったところだろう。個人的には「偶然に任せすぎ」な点が、一番気になった。

確かに、偶然は物語の重要な要素だ。二人の人物が出会うために偶然は欠かせない。一方で使いすぎると、作り物めいた印象がぬぐえない。

この「過度な偶然性」が気にならない人なら、スティーヴンスンの『新アラビア夜話』も楽しめるだろう。

千夜一夜物語を下敷きにしたストーリーは、ボヘミアの王子フロリゼルとのかかわりを持って進められる。この進め方が面白い。最初の最初だけは三人称ながらも王子の背後に作者がくっつくようにして書いているが、以降はある事件に一人の人物が巻き込まれ、その過程で知り合った王子が助け舟を出し、事件を解決する、という趣向になっている。

王子は探偵小説でいうところの探偵役を担っているのだが、登場するのはいつも物語の後半か、ほんのチラッと姿を見せるだけ。ようはこの物語、焦点が王子の活躍だけに当てられているのではなく、不思議な物語に巻き込まれた市井の人々の慌てぶりや感情の変化を愉しむものなのだ。探偵小説との違いはこのあたりにあるだろう。

それにしても、偶然人と出会う頻度が過ぎるだろう。たまたま王子と一緒の料理店に入っただけならまだしも、物語のキーとなる人物が寝台列車の隣通しの部屋になったり、名うての悪党が罪を犯すところを隣のマンションの窓から安易に見られていたり、突っ込みどころは枚挙に暇がない。偶然と不注意の、あまりにも適当なごたまぜもの。まぁ、キワモノ小説だと思って読めば十分楽しめる。

ちなみに、各物語は次のような文章によって締められる。

これで(とわがアラビア人の著者は言う)「神の悪戯心すら萎えさせる偶然の話」は終わる。ルパン3世とコナンの対決は現在劇場公開中であるが、明らかな理由から私は見ないことにしている。フロリゼル王子と本の内容に興味を持たれた方は、光文社古典新訳文庫の『新アラビア夜話』をお読みになると良い。

Au revoir et a bientot !


2013年12月9日月曜日

金沢懐古――小立野

いくつもの急坂が、丘の上に向けて登っていく。季節を問わずしばしば、私は、確かなアテもなくそのうちの一本を歩いたものだ。道端の残雪と雪の重みでしなった竹が道幅を狭めている。コートの下で汗ばんだ体を休めようと立ち止まり、振り返ると今は下に見える家々の屋根にも、真っ白な形さまざまな絨毯が敷かれていて、それは靴を浸透して足裏を濡らす物質と、同じものとは思われない。


「金沢は日本一電線の似合う街だ」 兼六園から卯辰山のほうを見て三島由紀夫は思った。この感慨を私はあまり共有しない / できない がしかし、緩やかなものからそれこそ八坂のような急坂まで、実に多種多様な坂の、高低差によって生じる視角のズレと、そこから生じる景色の多様さは、かつてこの地に住んでいたものとしては、日本一だと誇りたい。

ズレは地形だけにとどまらない。時間もまた、ここではズレを見せる。21世紀の今を流れる現在時のあいだを時折、昭和や明治の過去の時間が流れ込む。

たとえば東茶屋街や武家屋敷。どちらも街中を歩いているとなんの前触れもなく現れる。観光客にあまり人気がないが、西茶屋街にいたっては、寂れた野町商店街から横道一本入ったところにある。その先を進んでいくと、北鉄石川線の野町駅が、ひっそりと佇んでいる。鶴来まで行くこの電車、車社会のこの都市で今も走っているのかどうか。

あるいは小立野台地から浅野川を挟んだ向かいにある卯辰山の山頂。そこにはかつて、クジラが棲んでいたという。

なんのことはない、それはいしかわ動物園の水族館の屋上に鎮座するマッコウクジラのモルタル像。とはいえ、山の頂にクジラの姿が見えるその異様は、なかなかにロマンを感じさせるものだった。

とはいえ、いしかわ動物園は1999年頃、別所に移動しており、21世紀にはすでに、卯辰山頂には跡地しか残っていなかった。卯辰山が裏山みたいなものだった大学時代の私が見たクジラは、人から聞いた話を餌に大きく育った夢の産物だっただろうか。

金沢に行くことがあれば、『四季こもごも』という本を買うといい(橋本確文堂という地方出版社が出している)。あそこには金沢の街と坂のすべてがある。私も金沢を去る直前にこの本を買ったが、自分の記憶を補強、歪曲するのにずいぶんとお世話になった。

どうでもいい自慢をさせてもらうと、私はこの本の第二章、サカロジー――金沢の坂――に出てくるほとんどすべての坂を踏破している。昔はよく歩いたものだ。足が覚えたその記憶があるからこそ、この本がよりいとおしく感じるのかもしれない。

冒頭の文章も小立野に上るある坂をイメージしている。同書「馬坂」の項より、泉鏡花作『高野聖』の最後の一文を孫引きして、この文章を終わりにしよう。


ちらちらと雪の降る中を次第に高く坂道を上る聖の姿。恰も雲に駕してゆくように見えたのである

Au revoir et a bientot !

2013年12月7日土曜日

ぼくは不安定な一人称――ナボコフの『絶望』

テーマは「分身」?またかよって、ちょっと待って。我慢して50pくらい読んでほしい。読み進めていけばきっと、十分満足できるはずだから。

はっきりいってナボコフは天才だ。筋の巧みさ、小道具の使い分け、小説的技法、ナラティヴや言葉選びの遊び心――どんな深度で彼の小説を読んでも、相応の見返りをくれる。「小説家を目指す若者にとってナボコフは最良の教科書だ」と、大江健三郎が『ロリータ』の解説で書いていたが、それももっともだ。ここには小説のすべてがある。

そんなナボコフ初期の傑作、『絶望』 がロシア語から初訳された。もちろん、光文社古典新訳文庫だ。この小説もまた、彼らしい仕掛けが随所に埋め込まれている。

「ベルリン在住のビジネスマンのゲルマンは、プラハ出張の際、自分と“瓜二つ”の浮浪者を偶然発見する。そしてこの男を身代わりにした保険金殺人を企てるのだが……。」――裏表紙の作品紹介より引用。

「分身」と「犯罪小説的手法の間借り」を示唆したこの文章から物語に入ると、なるほどそんな感じもする。だが、実際のテーマは別のところにある。上の文章で言えば、「……」の部分こそが本題だ。

読者はゲルマンが一人称「ぼく」を用いて語る内容を追っていくのだが、しばらくして「ぼく」がおよそ信頼の置けぬ語り手であることに気づかされる。そう、光が観測方法によって粒子だったり波長だったりする二十世紀以降、物語られる世界もまた、語り手によって姿を変えるのは当然のことだ。

上手いのはその一人称の「ぼく」が語る内容と現実の世界のずれが、物語の転換点の役割を果たすことであり、「ぼく」=読者に見えていなかった世界が一気に露わになる、その瞬間のカタルシスにある。

といいつつこの小説においては、そうしたカタルシスとは無縁だ。なぜというに、ゲルマンの語りの向こうに常に、彼の見ていない世界が透けて見えているからであり、読者は容易に「一人称の不確実性」を見破ってしまうからだ。
そしてゲルマンによって語られない「現実」を必要以上に空想し、先走ってしまう――だって、妻とアルダリオンの関係を見抜けないってのは、いくらなんでも不自然だし、そうである以上ゲルマンはわざと見ないふりをしている、と考えるのが自然な流れだろう?――あげく、消化不良な結末を迎えることになる。

だがよそう、どうせ僕らはナボコフの手の上で踊らされる読者だ。安易な一人称の不確実さの露見も、カタルシスの不在も、おそらくは彼の意図したものだ。そう考えざるを得ないほどに、僕らはナボコフに飼いならされている。そもそも一人称の不安定性を疑う気持ちそのものが、ナボコフの文学的軌跡を追うことによって作り出されたものではないか?

先人のヘマをあげつらって、鬼の首をとったように意気揚々と掲げるその腕が、そもそもその先人によって作られたものだという事実。僕らはここに至ってようやく、ゲルマンの『絶望』に共感することができるのだ。

Au revoir et a bientot !


2013年12月4日水曜日

金沢懐古――片町

香林坊から片町に向かう通りが、おそらく金沢で一番の繁華街と言っていいところで、「スクランブル(交差点)」といえば、片町のそれを指している。繁華街だから当然、いかがわしい店も多い。夕方から少しずつ現れてきた黒服の男たちが、日が暮れる頃にはすっかりそこかしこに立っていて、道行く人に手当たり次第声をかける場所もここだ。明朝になるとあたりの飲食店から出た生ゴミを漁る大量のカラスの姿があって、それは黒服の男からカラスへの変身を容易に想像させる。

さて、スクランブルから金沢駅のほうへ少し行ったところ、片町2丁目の交差点に、コンビニのポプラがある。今はもう見る影もないが、ここはかつて金沢最古の喫茶店のひとつだった。

当時犀川の向こう側、室生犀星の旧宅にほど近い場所に住んでいた私は、職場からの帰り道、よくこの店の前を通ったものだった。20代前半だった私には、入るのがなんとなく勇気のいるような、そんな雰囲気の店だった。

実際に入ったのは2,3度だろう。なにを頼んだのかはまったく覚えていない。店内に立ち込めるタバコの煙を通して、うすぼんやりした明かりの中、レトロな内装に魅了されながら、水商売の女と中年男の組み合わせや、一人新聞に没頭する老人の姿を見ていた気がする。だがそれも、後に付け足した偽りの記憶かもしれない。

というのもこういうわけだ。
その頃の私は自分ながらあきれるほど熱心に小説を書いていたのだが、職場とオンボロアパートとを往復する日々の中、新しいことに挑戦することも、新しい友人を見つけることもなく、日々をごく限られた世界の中に生きていた。(それはそれで非常に濃密で有意義だったのだけれど)。

そんな私にとって、新しく発見されたその魅力的な喫茶店が、小説の中に紛れ込むのは必然だったろう。私は書いた、その入り口で鳴る鈴の音を、観葉植物の葉叢にちらついて見える店内と、大きな水槽、そこに泳ぐ奇妙な魚の姿を、僅かに傾いだ段差のあるフロアを、ねっとりとしたリノリウムの床を。

それらは書き進めるうちに姿かたちを変えて、現実の店内とは程遠いものとなり、私の頭の中にだけ存在する、架空の喫茶店になっていた。書いているあいだに店に行くことはなかったが、私にとってはその空想の店内は現実のそれとリンクしており、片町2丁目の交差点には、拙いながらも自分が書いた店内があるはずだった。

そうこうするあいだに私はその小説を書き上げ、それと前後して金沢を離れることとなった。その一年後、知人からその店がなくなると聞いた。次に行ったときにはすでに、コンビニに変わっていた。その店の扉が開かれることは二度となく、改竄された私の記憶が現実によって修正される機会もまた、葬り去られてしまった。

今自分の記憶に残るその店の思い出のほとんどが、自ら創り上げたものであることに幾分申し訳なさを感じる。たぶんそれは、空想が現実に対して、あまりにも安易に勝利を収めたことによる、困惑のようなものだろう。

年に一度あるかないかのことだけれど、夜の片町で、スクランブル交差点の少し先にポプラの看板が光っているのを見ると、こんな感傷がさっと心を通り抜ける。若気の至りで書いた三文小説が、今も心の中に波紋を広げている。さて、こんな気持ちをいったいどうやって片付けようか・・・。

Au revoir et a bientot !
夕暮れの金沢。昔住んでいた場所の近くから