2013年12月4日水曜日

金沢懐古――片町

香林坊から片町に向かう通りが、おそらく金沢で一番の繁華街と言っていいところで、「スクランブル(交差点)」といえば、片町のそれを指している。繁華街だから当然、いかがわしい店も多い。夕方から少しずつ現れてきた黒服の男たちが、日が暮れる頃にはすっかりそこかしこに立っていて、道行く人に手当たり次第声をかける場所もここだ。明朝になるとあたりの飲食店から出た生ゴミを漁る大量のカラスの姿があって、それは黒服の男からカラスへの変身を容易に想像させる。

さて、スクランブルから金沢駅のほうへ少し行ったところ、片町2丁目の交差点に、コンビニのポプラがある。今はもう見る影もないが、ここはかつて金沢最古の喫茶店のひとつだった。

当時犀川の向こう側、室生犀星の旧宅にほど近い場所に住んでいた私は、職場からの帰り道、よくこの店の前を通ったものだった。20代前半だった私には、入るのがなんとなく勇気のいるような、そんな雰囲気の店だった。

実際に入ったのは2,3度だろう。なにを頼んだのかはまったく覚えていない。店内に立ち込めるタバコの煙を通して、うすぼんやりした明かりの中、レトロな内装に魅了されながら、水商売の女と中年男の組み合わせや、一人新聞に没頭する老人の姿を見ていた気がする。だがそれも、後に付け足した偽りの記憶かもしれない。

というのもこういうわけだ。
その頃の私は自分ながらあきれるほど熱心に小説を書いていたのだが、職場とオンボロアパートとを往復する日々の中、新しいことに挑戦することも、新しい友人を見つけることもなく、日々をごく限られた世界の中に生きていた。(それはそれで非常に濃密で有意義だったのだけれど)。

そんな私にとって、新しく発見されたその魅力的な喫茶店が、小説の中に紛れ込むのは必然だったろう。私は書いた、その入り口で鳴る鈴の音を、観葉植物の葉叢にちらついて見える店内と、大きな水槽、そこに泳ぐ奇妙な魚の姿を、僅かに傾いだ段差のあるフロアを、ねっとりとしたリノリウムの床を。

それらは書き進めるうちに姿かたちを変えて、現実の店内とは程遠いものとなり、私の頭の中にだけ存在する、架空の喫茶店になっていた。書いているあいだに店に行くことはなかったが、私にとってはその空想の店内は現実のそれとリンクしており、片町2丁目の交差点には、拙いながらも自分が書いた店内があるはずだった。

そうこうするあいだに私はその小説を書き上げ、それと前後して金沢を離れることとなった。その一年後、知人からその店がなくなると聞いた。次に行ったときにはすでに、コンビニに変わっていた。その店の扉が開かれることは二度となく、改竄された私の記憶が現実によって修正される機会もまた、葬り去られてしまった。

今自分の記憶に残るその店の思い出のほとんどが、自ら創り上げたものであることに幾分申し訳なさを感じる。たぶんそれは、空想が現実に対して、あまりにも安易に勝利を収めたことによる、困惑のようなものだろう。

年に一度あるかないかのことだけれど、夜の片町で、スクランブル交差点の少し先にポプラの看板が光っているのを見ると、こんな感傷がさっと心を通り抜ける。若気の至りで書いた三文小説が、今も心の中に波紋を広げている。さて、こんな気持ちをいったいどうやって片付けようか・・・。

Au revoir et a bientot !
夕暮れの金沢。昔住んでいた場所の近くから

0 件のコメント:

コメントを投稿