2013年11月30日土曜日

ヒトは変態してなにになるんだろう?

光文社古典新訳文庫が熱すぎる。

数年前に出始めた当初は正直、侮っていた。ドストエフスキーやコクトーなんかの既訳が存在するベタな売れ筋を、少し手直しして並べただけだろうって。

違ったね。ナボコフやスティーブンスンあたりの有名作家の絶版・未訳ものを出したかと思えば、ブッツァーティやプリーモ・レーヴィあたりの現代イタリア文学を紹介してみたり。果てはわが心の詩人、シュペルヴィエルの小説にまで手を出してしまう。もっとも彼の小説は、「知らなければよかった」類のものなのだけど。
言ってみればこのシリーズは、『今もっとも熱い海外文学シリーズ』なんて、実にマージナルな分野のチャンピオンリングを、白水社のエクス・リブリスシリーズと争っているといえるだろう。

さて、今日はその中からプリーモ・レーヴィの短編小説集、『天使の蝶』の紹介を。

この、SF的雰囲気が多分に感じられる短編集の中でも、とりわけシンプソン氏とNATCA社の画期的な製品が生み出す近未来的な世界像は、同じく20世紀イタリア発祥の芸術運動、「未来派」を必然的に想起させる。そしてその未来派がイタリア・ファシズムに利用されたという点において、イタリア系ユダヤ人として1944年アウシュビッツに収容された筆者の体験と、皮肉な対照を成す。

アウシュビッツでの体験を冷静な視点から描く、『休戦』や『これが人間か』がこの作者の代表的な一面だとすれば、この短編集ではまた別の一面、すなわち「創作を愉しむ」作家としてのレーヴィの顔が見れる。

表題作の命題が面白い。自然界には幼形成熟(ネオテニー)という現象がある。これは、幼生の状態で繁殖できるため、成体にならないアホトロールのような生き物のことをいう。それを知った作中の科学者レーブは、こう考える、「人間もまた、成体に変態する以前の状態、すなわちネオテニーなのではないか?」と。

実はこの命題、1920年、レ・ボルクという学者によって実際に取り上げられている。彼によるとヒトはチンパンジーのネオテニーだという。この議論の結末はわからないが、マッドサイエンティスト、レーブは続けてこう考える。「ヒトは天使のネオテニーではないか」

レーブは人体実験に取り組み、その結末はグロテスクなものだが、この命題自体は今も通用する。それを大人になりきれない現代人のアレゴリーとして読むのもいいだろう。それが少しばかり教訓的すぎるというのなら、どうぞお好きなように。読み方は自由だ。

そう、アイディアや下書きと作品とのあいだに横たわる画然とした溝こそが、自然界で「変態」と呼ばれる現象であり、芋虫が蝶になる瞬間なのだ。どんなに不恰好な蝶でも蝶に変わりなく、同じようにどんなに美しい芋虫も、芋虫以外ではありえないのだ。

Au revoir et a bientot !

2013年11月29日金曜日

金沢懐古――武蔵が辻

夕方になるともとから悪い視力がいっそう悪化し、まわりの世界が鮮明さを失う。それに伴い、ものとものとのあいだにあった輪郭線がぼやけ、取り違えがおきる。視力が悪いのに眼鏡をかけない人間は、しばしば体験することだろう。

錯視はときに、およそ夢ですらためらうような幻を生み出す。

もう何年も昔の話だ。
金沢にしては珍しくよく晴れた日の夕方に、私は自転車で武蔵が辻を通りかかった。当時はまだイオンで買った一万円の折りたたみ自転車に乗っていて、普段からメンテナンスを気にするようなこともなく、タイヤの空気がほとんど抜けかかっていた。幸いにしてパンクはしてないようだから、家まで戻るのにたいした問題もなさそうだった。

視線の先では、少し離れた交差点で信号が青になっているのが見えた。渡ってしまおうと私は、サドルから腰を上げた。

ちょうどそのときだ、交差点に差し掛かる少し手前の左側、銀行の前に空気入れが置いてあるのを見つけたのは。

はじめは少し戸惑った。いくらなんでも話が上手すぎた。タイヤに空気を入れたいと思ったその数秒後に、ありえない場所でありえないものを見つける。偶然にしてはできすぎていた。

スピードを落とし、ゆっくりと近づく途中、半信半疑で何度も確かめて、ついにそれが空気入れであることを確認した私は、自転車を押しながらそのほうに近寄っていった。

だがそれは、手を伸ばせば届く距離になってふいに、空気入れとはまったく別のもの、銀行の前に腰を下ろしてバスを待つ白髪のおばあちゃんに変わってしまった。

そのときの当惑はずっと、私の口をつぐませていた。だって、誰が信じてくれますか?空気入れが実はおばあちゃんだったなんて?ばかばかしいにもほどがある。けれど、そんな馬鹿げた体験をしたことも、疑いようのない事実なのだ。

今回金沢を訪れると、件の建物は残っていたが、そこに銀行はなかった。金沢の友人に確かめても、「そうだったかな?」と確かな返事は返ってこない。銀行も、空気入れも、おばあちゃんもすべてが幻だったのか?そんな風に片付けられるのは三文小説の中だけだ。

以前に『場所が記憶する』と題した文章をこのブログで書いた。「人は場所に自分の記憶を委ねている」といった趣旨のものだが、どうやら場所もまた人の記憶に依存しているようだ。

ある場所にあったものが壊され、別のものになる。そこに住む人たちはすぐに新しいものに慣れ、以前あったものの記憶は、姿とともに忘れられる。そうした過去が忘却の淵に葬り去られるのを防いでいるのは、案外私のような異邦人たちなのだろう。そしてこんな風に語ることによって、在りし日の姿を、つかの間垣間見せてくれるのだろう。

Au revoir, et a bientot !
犀川のほとりで。この写真自体4年前に撮ったもの

2013年11月26日火曜日

受かったッ!第3部完!(一年ぶり2回目)

今年も恒例、仏検準一級試験を受けてきました。

なんの前フリもなしに答え合わせいっちゃうぞ、コノヤロー。

第一問、名詞化。(1)と(2)以外は正解で 6/10

第二問、多義語。全問正解で5/5

第三問、前置詞。全問正解。5/5

第四問、動詞と活用。(3)、(5)のみ正解で 4/10

第五問、長文問題(1)。(5)を間違えて 4/5

第六問、長文問題(2)。全問正解。16/16

第七問、長文問題(3)と第八問、和文仏訳は採点ができないので保留(29 点)

筆記問題は第七、八問を除いて、40/51 。

続いて書き取り・聞き取り。

書き取りも採点不可(20点)。聞き取りは第一問、まさかの6問ミスで 4/10 も、第二問は全問正解で10/10

あぁん?合計何点よ?40+14= 54点でしょ、得点率8割近いでしょ。どう考えても受かってますがな、これ。採点不能な箇所で多少こけてたって、80点を切ることはまずない。これまでの合格ラインは2008 からの5年間、68-73-65-71-74 と推移。一般には合格ラインが60~70% とされており、これは得点に直すと72~84点。あれ、もしかしてやばい?といったって、これまでほとんど常に6割前後が合格ラインだったわけだし、今年に限って80を越えることはありえねぇ!、と信じたい。あとは試験官の裁量次第なんだよなー。

というわけで、三度目の正直(四回目)にしてようやく、仏検準一級一次試験を突破した体で話をすすめることにして、ちょっと今後のこのブログについて話をしましょう。

9月はまったく書かず、10月に再開宣言をしたものの、11月はこの記事まで音沙汰なしと、かつての継続ぶりはなりを潜めているわけですが、どうにもこうにも、旧型パソコンを使用している限りは以前のような更新頻度はきびしいものがあるかもしれません。当面は、心優しい友人がパソコンを払い下げてくれるのを待ちつつ、細々と続けていきたいと思っています。

とりあえず、今後の予定としてーー

・ 金沢懐古(今回試験を金沢まで受けに行ってきたので)
・ 前置詞の勉強法を振り返る(前回0点から今回5点満点になったのに浮かれて)

の二つを近日中に書き上げようと思っています。その後はちょっと仏語原書、日本語で読んだ本の紹介をしたいなぁと。

もしこれで落ちてたら?俺は勉強をやめるぞ!ジョジョーッ!!

Au revoir et à bientôt !
尾山神社前