2011年9月30日金曜日

隣の芝生はこんなにも青い!?――反省文

おはようございます。

今日はこれまで自分が書いたものに対する反省を。

このブログは基本的に私がフランスに行って考えたこと、感じたことを中心に書いている(はず)のですが、昨日久しぶりに自分の書いた文章を読み直しました。

で、気にかかることが。
それは、フランスと日本の比較の結果、優劣が付けられてしまっている、あるいはそれを前提に書かれている、ということです。

多くの場合それは、フランスの美点、日本の欠点という構図をとることになっているのですが、それを読んで思わず、「だからなんやねん!」と突っ込みたくなる内容でした。

こんなことを書いたのも、最近デンマークの福祉に関する本を読んでいるのですが、まさに同じ感想を持ったのですよ。理由を考えてみると、

・ あちらの良いところだけを挙げている。それに対してこちらの悪いところだけを挙げている。

・ あちらの悪いところを見ない。対してこちらの良いところを見ない。

・ その中間点(あるいは第三地点)があるはずなのに、それに関して情報がない

・ 改善策が提示されない

とまあ、こんなところでしょうか。

もちろん、問題提起をすることは非常に重要で、問題となっているテーマについて読者に考えさせる、というのは文章を書く上で大きな動機の一つです。

しかしながら、想定される「読者」像がどんなものか?という設問に対する書く側の想像力の欠如が、読者の関心を殺いでしまっています。

自分の住んでいる国や、自分が一生懸命取り組んでいる仕事を軽視するような視座に立った人の言葉に耳を貸す人は、よほどの聖者かマゾヒストでしょう。

要は、「読者を意識して書け」と言いたいわけです。自分自身をそう戒めたわけです。

もう一点、二点間の比較はどうしても視野が狭隘になってしまいますね。これもかなり反省してます。フランスと日本を較べるにしても、その中間点、もしくは第三観測点の必要性を感じます(例えばモロッコ、例えば中国、例えばオーストラリア、例えばベトナム。もっと大きな範囲で言えば、ヨーロッパとアジアに対するアフリカ、オセアニア、アメリカ、などなど)。うん、まだまだ勉強です。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
滝に打たれて反省。新神戸駅近くの布引の滝

2011年9月27日火曜日

あまりにもできすぎた偶然

おはようございます。

前回、ワンガリ・マータイさんについて書いたのですが、どうやらその翌日に亡くなられたそうです。謹んでご冥福お祈り申し上げます。

こんな風に、人生はできすぎた偶然に溢れています。

ずっと探していた本に旅先の古本屋でばったり出会ったり、長いこと連絡をとっていない友達のことを、ふと思い出したその日に、その人からメールが来たり、仕事で失敗して落ち込んでいるときに、遠方の友人から連絡が来たり…。

見えない糸でつながっている、という表現はあまりに陳腐でしょうか?

私は本が好きなので、本にまつわるこのような偶然はたくさんあります。一冊の本を読み終えて、まったく別の本を読んでいるとき、先の本で取り上げられていた本と出会う…。本と本、本と人、人と人との出会いには偶然が欠かせません。

さて、この偶然という要素、小説を構築する上ではなくてはならないのですが、あまり多用するのはよろしくないという、暗黙の了解のようなものがあります。

特にいわゆる「純文学」と呼ばれる分野でこの傾向は顕著で、偶然を多用するほど文学としての「質」が低い、と看做されることもありました。ようは伏線をきちんと張った筋作りが望ましいということですね。まぁ、わからないでもないのですが。

これを逆手にとって、偶然に満ち溢れた小説を書いた人もいます(…たぶん)。

とはいえ、人間の想像力は限られたもので、人生が用意するトンデモナイ偶然の前には、あまりにも本当らしく映ってしまいます。

「事実は小説より奇なり」人生はいつも筋道立った物語よりも、奇抜な物語のほうを好むようです。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
偶然?いいえ、ケフィアです。

2011年9月24日土曜日

もったいない / Mottainai

おはようございます。

前回は予定のない文章を長々と書き連ねましたが、今日はいつも通りに。

数年前、ワンガリ・マータイさんという女性がノーベル平和賞を受賞したことをご存知でしょうか?

日本でもたびたび取り上げられたその理由は、彼女が「もったいない」という日本語を国際語として使用したからに違いなく、私が今覚えているのも受賞理由がいかなるものであるか、ということではなく、その一事であることからも確かでしょう。

この言葉、今でも日常に根づいていますね。砂糖を瓶に入れ替える際にこぼしてしまい、「もったいない」。少しばかりくたびれた衣類を処分するか迷って、「もったいない」。一生懸命稼いだお金をギャンブルその他で一夜にしてすってしまい、「もったいない」…使う場面は多々あります。

マータイさんの素晴らしいところは、日本語の「もったいない」を国際語の「Mottainai」に変換する際に、より肯定的な方向付けをしたことでしょう。日本語の「もったいない」にはどうしても、貧乏くさい響きがあるのですが、そうした貧乏臭さを取り払った潔い雰囲気を「Mottainai」には感じます。
そこに地球環境にやさしい云々の色付けをするのが昨今の「エコ」の風潮、発想なのですが、これを話すとなると、喧嘩腰になってしまいそうなので、またいつか別の機会に。

さて、「もったいない」の肝は「長く大事に使う」ことです。

身の回りに十年、二十年使い続けたものがどれくらいありますか?また、これからそれだけの時間使い続けようと思うものがどれだけありますか?

そう考えたときに、自分を取り巻き呑み込んでいる資本主義の大きなうねりを感じます。そのうねりの中、如何に多くのものが「使い捨て」で「交換可能な」ものとして使われているか、そして我々がそのことに慣れきっているかも。

長く使われることを前提に愛される製品を作る、それに答えるようにしてモノを愛する、モノとひととの関係がこのような時代もあったし、これからやってくることもあると思います。

かつて「重さ」や「歴史」に価値を置く時代が存在し、対して現代が「軽さ」や「速さ」の時代であることは体感としてあります。いづれ掌に世界の全てが収まるような時代が来た時、再び価値観の転倒がなされるのでしょうか。この時代が推し進めるこの速さの中で、それは意外にも早く到来する未来なのかもしれません。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!

フランス高速鉄道、TGV


2011年9月23日金曜日

『ムントゥリャサ通りで』

おはようございます。

最近は Facebook を読書日記代わりに使っていて、こちらでは読んだ本の感想をあまり書いていなかったのですが、久しぶりに読み返した表題の作品があまりに素晴らしかったので、ちょっと長めの文章を書きたいと思い、こちらに書くことにしました。
*普段と違い、自分のためのまとめのようなものでもあるので、かなり長い文章になっています。

それにしても面白い。

ごく簡単にあらすじのようなものを書くと、かつて小学校の校長だった老人が、かつての教え子である政府高官を訪ねるところから物語が始まる。そこでのやり取りを怪しいと思った警察が、翌日老人を呼び出して話を聞き出そうとするが、その語りがなんとも筋道のはっきりしない代物。警察が「Aの話を聞きたい」というと、老人は「そのためにはBの話をしなければAは理解できない」といってBの話を始めるのだが、そのBの話を理解するためにはCの話が…という具合にひとつの筋が何本にも枝分かれして広がっていく。つまり、明確なあらすじはないようなもの。

そこで小説の構造を理解することが大切になるのだが、まず語りの構造はというと、

① 老人の住む現実世界を描写する物語
② 老人が警察に呼び出されて語る物語
②´ 老人が供述書として原稿に書き付ける物語
③ 老人の記憶の中の人物が語る物語

という三層+αになっているといえる。
まあこれだけならばそれほど特異な小説とは言えない(『千夜一夜物語』はまさにこの入れ子構造の代表的な作品)と思うのだが、この小説の白眉は読者もまた多層的に構成されているということで、

ⅰ.自分の書いた原稿(記憶)を読み直す老人
ⅱ.老人の書いた原稿を抜粋して読む何人もの警察
ⅲ.老人の行動、警察の行動を読み取ろうとする人間
ⅳ.それらが書かれた『ムントゥリャサ通りで』という作品を読む人間(=読者)

という四層になっていると考えられる。

そしてそれぞれが知り得る情報というのがばらばらで、なおかつ「自分の知りたいこと・隠したいこと」を関心の中央に据えるために、自ずとそれぞれに重なり合い、欠如が生じる。

例えば、②の位相で老人を呼び出す警察は、老人が書いた②´の原稿を読んではいるのだが、あまりに長大なので全部には目を通していない。また、そもそもその原稿自体が終わりにまで達していない。そのため、老人を直接呼び出して、自分の知りたい部分だけ知ろうとするのだが、最初に書いたように「AのためにはB、BのためにはC」という入れ子構造に嵌ってしまい、知ることができない。そこに①の現実の位相が介入してきて、面談は中断される。

読者においても同じようなことが言える。老人の書く物語の全体を読みたいと思っても、②´の老人の原稿を手にすることはできず、②の位相で語られる言葉で、もしくは②の中で語られる③の話で満足するしかない。

こうした語り手と読み手の多層構造に支えられて、物語られる時空も多層的に展開される。

a. 現在の街とムントゥリャサ通り(社会主義政権下のルーマニア)
b. 老人の語る子供たちの暮らした街(1930年以前。約10年の幅がある)
c. 子供たちに由来する過去の街(およそ200年の幅)
d. 他の場所(山や別の街)【注】
x. 「こちら」の世界に対する「あちら」

【注】d.はb.の次元において物語の発生装置として機能しているので、時間的にはb.と等しい。

この小説の、あるいは老人の語りの核心はb.の次元で子供たちがx.の次元を発見しようとする、そしてその秘密の一端に触れることによって発生する数々の出来事を記述することにあるとひとまずは言うことができる。

これは探索の物語である。

警察は老人の語るb.の中に自分たちの知りたい情報を求め、
老人は子供たちの現在時a.での消息を求め、
そしておそらくは自分もその一端を知ったx.の「神秘」を知りたいと欲し、
b.地点の子供たち、またc.地点の大人たちはx.の神秘を知ろうと躍起になる。

では、その「X」はどこにあるのか?

ムントゥリャサ通りの水のたまった地下室、「しるし」のある場所にそれは存在する。ただしその神秘に触れたものは決して「こちら」側に戻っては来れない。その不回帰性。

対して現実は回帰的だ。

x.の世界の探求を突き詰めた先になにがあるのか?そこにa.の世界、現実の、陰謀や裏切りの渦巻く生々しい「こちら」の世界を置くあたりに、作者エリアーデのシニシズムを感じ取れなくもない。

だが、この小説ほど「子供の世界が大人の世界にダイレクトに繋がっている」という感覚に確信を与えてくれるものはないだろう。

子供の頃に垣間見た「神秘」が、大人になって「陰謀」に変わっているとしても、存在が許されなくなったわけではない。私のそばにある、君のそばにある、誰のそばにもある。「神秘」の探索は、世代を越えて続けられる長い長い遊戯なのだ。

それにしても、「神秘」の一端を垣間見せる描写は魅力的。空に放たれたままいつまでも戻ってこない矢、1mに満たない水溜りに消える少年…。

多層的な語り・読みと時空に隠された神秘を探す旅。わずか150ページほどの中篇ですが、その中に無限を感じさせる、まさにエリアーデの現実世界が見事に現れていると言えるでしょう。

非常な長文でした。もしここまで読んでくださった方がいらしたら感謝します。次回からまた普段通りのものを書きたいと思います。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
アヴィニョンにて。特に言うことはない


2011年9月21日水曜日

ma bagnole

おはようございます。

今日は久しぶりにフランスの話題を。

フランス語では車に当たる単語として、voiture の他に表題の bagnole という語があります。

前者(車?)は一般的に用いられる意味の車で、日本語の車、自動車とほぼ同義です。後車は辞書で見てみると、

① ≪話≫車、自動車

② おんぼろ車、ぽんこつカー

とあります。

辞書で近くの単語を探索すると、「bagage / 鞄」があり、「bagarrer / 争う」があり、そこから派生した「bagarre / 乱闘」があり、極めつけは「bagnard / 徒刑囚」「bagne / 徒刑場、流刑地」などといった不穏なものまで。なんだかずいぶん痛めつけられた単語揃いとなっています。

さてこの単語、本などで見かける機会が意外に多くあります。
それもそのはずで、フランスでは実に多くの bagnole が街を走っているのです。

パリの街にいわゆる駐車場はなく、いたるところの道の片側に沿って、プジョーやらフォルクスワーゲンに混じって、どこのメーカーとも知れぬ bagnole が何食わぬ顔をして停めてあります。

で、もちろん出るときには前後のプジョーやフィアットにぶつかりながら出ていく。
「バンパーはぶつけるためにある」という、その潔さには感服します。

日本ではおんぼろ車を見る機会は随分まれになったと思います。私が子供の頃はもっと見た記憶があるのですが。

そういえば、この「おんぼろ」という単語自体、あまり聞かれなくなりましたね。確かに周りを見回しても、この語がしっくりくるようなものが減ったと思います。建物しかり、自動車やバスしかり、(表現的にはおかしいですが)衣服しかり・・・。一方で「レトロ」に対する志向は見られるように思います。

社会の変化に合わせて言葉もまた変わっていく。言葉は社会を映し出す鏡のようなものなのでしょう。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
これはまだ新しいほうかな?もちろん、新車に乗ってる人もたくさんいます

2011年9月20日火曜日

場所が記憶する

おはようございます。

一昨日、私用で金沢に行ってきました。

大学時代を含めて五年間を過ごした場所はやはり特別で、訪れるたびに感得される変化も含めて、懐かしいと感じさせます。

果たしてこの懐かしさはどこから来るものなのか?

見えるもの、見えなくなったもの、見たことのないものの全てが、記憶の中にある街を揺さぶり、目覚めさせるのでしょう。

ある場所に立つと、目の前に突然記憶としか呼びようのない景色が一瞬にして広がる経験は、誰にでもあることでしょう。

人の記憶の容量は限られていて、日常的に使わない情報はどんどん忘れられていきます。

そうして、一度は記憶の表層から消えたものが、その場所を訪ねることによって呼び覚まされる。

おそらくは、心もとない人間に代わって、場所が記憶しているのです。

そんな風に考えると、目に映るものすべて、聞こえるもの、感じるものすべてが自分に好意を持ってくれているような気になります。

荷物も記憶も持たずに旅に出てみよう、そうすればいつかそこに置いていった、懐かしい昔の自分とふとすれ違うこともあるかもしれません。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
なにを見てもなにかを思い出す by  ヘミングウェイ

2011年9月19日月曜日

人生にリセットボタンはないが社会にはある(べきだ)

おはようございます。

今日はちょっと愚痴のようなものを。

今の社会が生きにくいと感じている人、多いと思います。私もその一人です。

足の引っ張り合いをする政治家や先の見えない不況による閉塞感、きちんと働く人を軽んじる税金政策と、それと裏返してあるような社会的弱者に対する厳しい視線…

要は国として、そこに住む人として方針が定まってないんだと思います。

特に今の自分の身につまされる思いがするのが、ドロップアウトした人間をすくい上げる十分な機能が社会に備わっていないこと。

いまだに中学校、高校を卒業したら大学に行き、そのあとは就職して…という社会の敷いたレールがあり、そこから外れてしまうと、社会的な地位がないに等しい、そんな状況だと思います。

もちろん、そこで人は人と割り切って頑張る人もいるのですが、そうでない人もいる。人間は弱く、弱い人間ほどこの間隙に落ち込みやすく、落ちてしまうと強い人間しか這い上がれない。

そろそろ変わってもいい頃ではないでしょうか。

国が変わり、人が変わり、多様な生き方を受容でき、社会的柔軟性を作り、生まれて、価値観が変わり、今私の書いた文章の中にも含まれていた上下高低の概念が、ただ場所の違いになる。お金や利便性、時間の短縮が共通の使用通貨となるのでなく、それぞれが独自の価値観で通貨を鋳造し、交換すること自体、理解しようと努めるその行為自体に意義と価値が生まれる…

そんな考えは夢物語でしょうか。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
Chartres 大聖堂の床に描かれた紋章

2011年9月14日水曜日

国民性と美意識

おはようございます。

前回のテーマを引き継いで、今回も日本人の国民性について。

その前に、「国民性」とひとくくりにすることが簡単にできるのか、してしまっていいのか、という思いはあります。

しかしながら、ある程度同一の社会的環境で育った人間が同じような習慣を持つことはごく自然なことと思います。あくまでそれは習慣であって、環境が変われば変わる、後天的なものと言えるでしょう。ですので同じ国内であっても、地域ごとに大きく環境が異なる場合には習慣も変わり、ひいては国民性に違いが出てくることになります。

なにが言いたいか?今の日本社会における(ある程度)共通的な習慣=国民性と呼びたいわけです。

さて、本題。
はじめてフランスに行ったとき、逆に日本を振り返ってみて感じたのが、日本の便利さでした。

とにかくなんでも便利、なんでもやってくれる。フランスにくらべて便利なところを羅列してみると、

・ 地下鉄などの車両が自動で開く
・ どこの駅にもエレベーター、エスカレーターが設置されている
・ 日曜日でもお店が開いている
・ 24時間営業のコンビニがある
・ 空調設備がほぼ完備
・ 安いホテルでも部屋にトイレ・風呂があり、お湯がきちんと出る
などなど・・・。
ようは日本人の国民性として、「利便性」を求めるところがあるんじゃないの?と言いたいわけです。

対してフランスはどうか。一旅行者の視点で見ると、「歴史性」こそフランス人の国民性を表しているのではないでしょうか。

とにかく古い建物を大事にする。パリの街中でもあちこちで年代物の建物を見かけます。というか、新しい建物をほとんど見ない。もちろん外観だけで、中身は現代的、という改装もなされているそうですが、多少の不自由さを我慢してでも、またそちらのほうがお金がかかるとしても、それを望む。その考え方が社会の様々な層まで行き渡っている…。

これは、もはや国民性ではなく、美意識ですよ、と言いたかったのでした。
今回はグダグダでしたが、このへんで。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
古い(?)街並み。これで築何年くらいなんでしょうね

2011年9月12日月曜日

親切な機械、親切な人

おはようございます。

前回は人と人との距離感、それが文化や国籍を明らかにする、という話をしました。今日は特に「他人同士の距離感」について。

日本では他人同士の距離が遠く、フランスでは近い、という話をしました。

そもそも、遠近の考え方が、どこに基準を置くかで変わってくるので、あくまで私個人の意見です。

日本では「他人同士で話す」という機会が非常に少ない。

道で通りすがりの人に煙草の火をもらうとか、知らない土地で道を聞くとか、あるいはレジ係の店員と雑談をするとか、まぁありえないこと。道を聞くのはまだありですが…。

前回挙げた電車でたまたま隣り合った人同士が話をするとか、京都の鴨川で、他人同士がくっついて座るとか、カフェで知らない人と相席して、話が盛り上がるとか…。
いや、私だってそういうことがフランスで頻繁に起こる、といっているわけではなく。ただ可能性としては非常に大きいのは確かです。

じゃあ日本はみんなが他人に無関心で、冷酷で、生きにくい社会なのかと言われたら、うん、そうやねと答えてしまいそうですが、あえていや、そんなことはないと言いたいと思います。他人に無関心であることの利点もありますし・・・。

それを補っているのが日本では機械なんですね。例に挙げるなら、車椅子の人がバスに乗るために、フランスでは乗客が手伝う、日本ではステップを低くする。駅の構内で言えば、階段を他人を集めてかついで登るよりは、エレベーターを設置する。なんでも機械がやってくれる、他人が手伝う機会がなくなる。

どちらがいいか。どうしたいのか。どう生きていくのか。便利さがすべてに優先するこの世の中、今一度考えなおしてもいいのかもしれません。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
ポストが黄色いからって、それがどうした!!

2011年9月7日水曜日

Pourquoi vous me trouvez le japonais? / どうして日本人だとわかるの?

おはようございます。

9月に入って朝夕はだいぶ涼しくなってきました。季節の変わり目は体調を崩しやすいので、気をつけて過ごしてください。

さて、前回のアジア話を引き継いでの今回です。

フランスを旅行していたとき、現地の人に声をかけられたり、話をしたりする機会があるのですが、‘Vous êtes japonais?’ (日本人ですか?)と聞かれることがあります。稀に中国人と間違われる(というより、アジア系の顔の人=chinois と言っているだけなのでしょう)こともありますが、大抵間違われることはありません。

なぜか?

一つには、日本人の観光客が多い、という点があげられると思います。先に挙げたアジア人=中国人の感覚で、アジア人=日本人という等式に当てはめて話しかける、ということもあるでしょう。

日本人に共通の行動原理がある、というのも理由の一つかもしれません。一昔前に海外で流通していたと思われる日本人のステレオタイプと言えば、メガネ+カメラですが、そういった明らかにそれとわかる印でなくとも、ある出来事に対して、日本人がcatégorique な行動をしている可能性はあると思います。これは一つの文化ですね。

私が思うのは「距離感」です。見知らぬ人同士、友人同士、恋人同士の距離、それぞれ国によって違うわけで、それが挨拶の仕方にも表れてきます(逆かな?)。これもまた文化の一種と言えると思います。

私の思うに、日本人は「他人同士ではかなり遠いが、恋人(あるいは友人)同士では非常に近い距離をとる」国民だと思います。これは電車内で顕著だと思いますが、日本ではほぼ確実に二人掛けの座席に一人ずつ座っていきますよね?で、席はたくさん空いてるのに、二人では座れない、といった状態になる。

ではフランス人はどうか?と言われると正直に言ってよくわかりませんが、見知らぬ人同士の距離は確実に日本より近いと思います。特に見知らぬ人同士での会話というものが非常に多い、というより当たり前に交わされている印象です。まぁこれはあくまで旅行者の印象ですから当てになりませんが。

みなさんもぜひ、電車で他に空席があるにも関わらず誰かの隣りに座って、天気の話でもしてみてください。きっと怪訝そうな顔をされること請け合いです。もしかすると、相手が機嫌を損ねることもあるかもしれませんが、そこは自己責任でお願いいたします。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
聖人たちが密着状態。Notre-Dame de Paris にて。

2011年9月4日日曜日

アジアはどこまで広がるか?

おはようございます。

台風の影響で三日ほど雨が降り続いています。みなさんの家は大丈夫でしょうか?我が家では網戸が強風で飛ばされた以外は無事です。

さて、先日サッカーワールドカップの3次予選が行われ、日本は対北朝鮮戦に1-0で勝利しました。

で、いつも気になるのが、サッカー界における「アジア」枠。どう考えても広すぎるでしょ!?

なにしろ、東は日本、韓国から西はサウジアラビア、シリアまで、果てはオセアニアブロックからやって来た南のオーストラリアまで、地球上の1/3くらいの面積はあるんではなかろうかという勢い。アジア広すぎだろ!と、突っ込みどころ満載です。

たかがスポーツのブロック分けにそんな目くじら立てるなよ、と言われればその通りなのですが、ヨーロッパやアフリカなんかはきちんと地理的・文化的にも整合した分け方がされているわけですよ、なんか釈然としない。ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカと分けた後、残りは全部アジア的な、FIFAのアジア軽視の臭いがぷんぷんします。考えすぎでしょうか。

もちろん、サッカーのレベルではヨーロッパ、南アメリカが先進国なわけで、その地域が優遇されるのは、サッカーファンとしては文句はないのだと思います。そのほうがレベルの高い試合がたくさん見られるわけですから。

しかし、ですよ。やっぱりアジア予選でオーストラリアと戦ったり、中東のチームと戦ったりするのは私の感覚としては異和感があるわけです。それは私の「アジア人」という意識に関係あると思います。

どういうことかと言えば、ヨーロッパ、私の場合はフランスに行ったときに、どこまでを「同胞」感覚で見るか、ということです。あくまで個人的な意見であることを断わっておきますが、私の中では東アジア、東南アジアあたりまでの人はなんとなく仲間意識を感じますが、インドあたりではやや微妙で、中東の人々に関してはもはや完全に異国の民といった感じです。イスラム教圏の人々はどうしても遠くに感じてしまいますね。キリスト教・ヨーロッパ文化の日本への流入量に較べると明らかに少ないことも影響しているでしょう。

この「分類する」という行為に関しては、良い点、悪い点をきちんと理解しながらしていくことが大切だと痛感します。特に文化といった扱いのデリケートな問題に関しては特に。ある地域を一つの文化に閉じ込めてしまうと、特長は明らかになるかもしれませんが、マージナルなものが見失われるということが多々見られると思います。

そんなことを考えていたのは、家の本を整理していたからなんです。ジャンルごとにわけるか、著者ごとにわけるか、大きさで分けるか・・・。本の整理は悩みが尽きません。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
民博にて。今一番興味のある地域=オセアニアの帆船

2011年9月2日金曜日

日本 → フランス → アジア・アフリカ → 日本

おはようございます。

昨日から九月に入りましたね。仏検準1級試験まであと2ヶ月半です。今年は二回目の挑戦なので、ぜひ受かりたいです。というか受かります。頑張れ、自分!!

今日は雑談みたいなものです。

六月に二度目のフランス旅行に行きました。ブログの最初のほうでも書きましたが、一度目とは違ったところに目が行きました。前回は興味のなかった、Quai Branly 美術館に行ったのなども、その表れだと思います。

自分の視座の変化が大きいのでしょう。
これまでは、自分でも意識しないうちに、欧米讃歌に近い立場からモノを見ていたと思います。

それが、一昨年、今年とフランスに旅行したことでその視点がフラットになった、あるいはそういった立場が意識されるようになってきた、と。

それによって見えなかった部分が見えてくる、興味の対象が広がる。

特に大きいのが日本を含めたアジアへの興味の広がりです。

最近でも、鶴見良行氏や網野善彦氏の著作などを集中的に読んでいますが、日本をアジアの中に位置づけて読み解く作品が非常に面白い。このあたりの作者の本を読むと、自然アジアの文化にも、翻っては日本の文化にも自然と興味が湧いてきます。

さて、突然ですが問題です。「日本」という国名が決まったのは紀元何年でしょうか?正解は一番下に。

海外で日本人であるということは、そういったことにも興味を持ち、日本人の代表として、他の国の人々に自国の正しい情報を発信していく、ということではないでしょうか。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
万博記念公園。この中にある国立民俗学博物館は必見
正解:689年。詳しい話を知りたい方は、網野善彦氏の著作『歴史を考えるヒント』をぜひ。