2011年9月27日火曜日

あまりにもできすぎた偶然

おはようございます。

前回、ワンガリ・マータイさんについて書いたのですが、どうやらその翌日に亡くなられたそうです。謹んでご冥福お祈り申し上げます。

こんな風に、人生はできすぎた偶然に溢れています。

ずっと探していた本に旅先の古本屋でばったり出会ったり、長いこと連絡をとっていない友達のことを、ふと思い出したその日に、その人からメールが来たり、仕事で失敗して落ち込んでいるときに、遠方の友人から連絡が来たり…。

見えない糸でつながっている、という表現はあまりに陳腐でしょうか?

私は本が好きなので、本にまつわるこのような偶然はたくさんあります。一冊の本を読み終えて、まったく別の本を読んでいるとき、先の本で取り上げられていた本と出会う…。本と本、本と人、人と人との出会いには偶然が欠かせません。

さて、この偶然という要素、小説を構築する上ではなくてはならないのですが、あまり多用するのはよろしくないという、暗黙の了解のようなものがあります。

特にいわゆる「純文学」と呼ばれる分野でこの傾向は顕著で、偶然を多用するほど文学としての「質」が低い、と看做されることもありました。ようは伏線をきちんと張った筋作りが望ましいということですね。まぁ、わからないでもないのですが。

これを逆手にとって、偶然に満ち溢れた小説を書いた人もいます(…たぶん)。

とはいえ、人間の想像力は限られたもので、人生が用意するトンデモナイ偶然の前には、あまりにも本当らしく映ってしまいます。

「事実は小説より奇なり」人生はいつも筋道立った物語よりも、奇抜な物語のほうを好むようです。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
偶然?いいえ、ケフィアです。

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