前回、ワンガリ・マータイさんについて書いたのですが、どうやらその翌日に亡くなられたそうです。謹んでご冥福お祈り申し上げます。
こんな風に、人生はできすぎた偶然に溢れています。
ずっと探していた本に旅先の古本屋でばったり出会ったり、長いこと連絡をとっていない友達のことを、ふと思い出したその日に、その人からメールが来たり、仕事で失敗して落ち込んでいるときに、遠方の友人から連絡が来たり…。
見えない糸でつながっている、という表現はあまりに陳腐でしょうか?
私は本が好きなので、本にまつわるこのような偶然はたくさんあります。一冊の本を読み終えて、まったく別の本を読んでいるとき、先の本で取り上げられていた本と出会う…。本と本、本と人、人と人との出会いには偶然が欠かせません。
さて、この偶然という要素、小説を構築する上ではなくてはならないのですが、あまり多用するのはよろしくないという、暗黙の了解のようなものがあります。
特にいわゆる「純文学」と呼ばれる分野でこの傾向は顕著で、偶然を多用するほど文学としての「質」が低い、と看做されることもありました。ようは伏線をきちんと張った筋作りが望ましいということですね。まぁ、わからないでもないのですが。
とはいえ、人間の想像力は限られたもので、人生が用意するトンデモナイ偶然の前には、あまりにも本当らしく映ってしまいます。
「事実は小説より奇なり」。人生はいつも筋道立った物語よりも、奇抜な物語のほうを好むようです。
では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
偶然?いいえ、ケフィアです。 |
0 件のコメント:
コメントを投稿