2012年12月31日月曜日

1年でどれだけ挫折するつもり?――答え 上手くいくまで。

脳に損傷を負った患者が、日常語である英語をすっかり忘れてしまい、代わりに小さい頃少しだけ使っていたウェールズ語しか話せなくなる。ある種の失語症患者にこのような症例がみられたという。

脳血管症を患う患者には、失語であったり、言葉が十全に使いこなせない、といった症状が出ることがある。ここから導き出される結論としては、言語機能は脳の一部分に集まっているのではなく、右脳・左脳関係なく広範囲にまたがっていること、とりわけ新たな言語を学ぶことは、脳のまったく新しい分野を開拓することでもある、と言える。

もちろん、だからといって一度も勉強したことのない言語が突然喋れるようになることはない。だがもしかすると、新たな回路の発見で、これまでばらばらに点在していたものが偶然繋ぎ合わされ、後天的な言語能力が向上する、といったことがあるかもしれない。

必要なのは思考の跳躍だ。

12月31日、年末である。ご多分にもれず今年一年の振り返りをしていたのだが、まあ今年もいろんなことがあった。今日この時点から振り向くとあっという間に感じられるものが、手帳を見直してみると、一日一日が積み重なって一年の終わり、366日目が来ているのが確かめられる。

年末に仏検の試験用紙紛失事件があって、最悪な一年のように感じたが、3度目のフランス旅行だったり、結婚だったり、はじめて映画館に行ってそれから入り浸っていたり、10年ぶりに旧友と再会したり、新しい友達ができたり、それから職場内で異動があったり、とまあ良いも悪いも取り混ぜて、話題には事欠かない一年だったといえる。

で、まあこれまたご多分にもれず来年一年の目標、計画を立てていたのだが、まあなんというか、「どんだけ挫折する気なんだ」 と人様から心配されそうなスケジュールである。

試験関係だけのスケジュールをあえてここに乗せると、

6/9     DELF B2筆記試験
6/16   同口述試験
6/23   仏検1級1次試験
10月末  ケアマネ試験
11/10  DALF C1 筆記試験
11/24  仏検準1級1次試験、DALF C1 口述試験

上半期は目立って大きなことはないが、裏返せばそれだけ試験までの間隔が空いているということで、中だるみする気配がぷんぷんするし、10月のケアマネ試験から11月のDALF C1、仏検準1級の並びには、失敗の匂いしか嗅ぎとれない。そもそも、仏検準1級試験とDALF C1 の口述試験の日が被っている時点で、完全に死亡フラグだろう。

あくまで合格を目標に頑張るのだから、そのための方法を見つけ出さねばならないのだが、もしかするとこれまでのように、積み重ねる、という発想が間違っているのかもしれない。目の前にある一段一段に気を取られて、もっと楽な近道があるのに気付いてないのかもしれない

――そんな風にいろいろと考えて、一度引いて全体を見つめ直すのに、年末年始ってやつは最適だろう。大掃除の範囲は部屋だけじゃない。脳みそだって整理整頓が必要だ。

それでは、みなさん良いお年を。また来年お会いしましょう。

Au revoir et je vous souhaite une bonne et heureuse année !
2012年の初詣先。2013年もお世話になります。
 

2012年12月29日土曜日

20代の終わりと松井秀喜引退

今や引退して号外が出るプロ野球選手なんて、イチローと彼くらいだろう。

松井秀喜の名は、読売巨人軍の名前とともに、10代の頃から知っていたし、彼の存在がプロ野球そのものの代名詞でもあった時代が、確かにあった。

その点イチローは、オリックスブルーウェーブスという、パ・リーグの一不人気球団に在籍していたこともあって、そこまでの存在足り得なかった。これは選手としての格云々の話ではなく、私のような地方在住者がテレビで野球を見ようと思えば、巨人戦のみだった、という圧倒的な事実による。

さて、思い出はいつも個人的なものだ。それはしばしば一緒に体験した者同士のあいだでさえ、食い違いが生じる。

勝手なもので、私が松井秀喜という一プロ野球選手を思い出すとき、頭に浮かぶのは彼のプレーではなく、それを見ていた自分自身のことだ。

2003年当時、金沢に住んでいた私は、大学にも行かず日々無為に過ごしていた。そんな私も夕方5時から始まるテレビ金沢の番組内の一コーナー、「今日のマツイ」は欠かさず見ていた。きっとそれは外界と閉じこもった自分の部屋を繋ぐ、小さな窓だったのかもしれない。

特別野球が好きではなかった少年が、親の影響で少年野球団に入り、父や弟とキャッチボールをする。おそらく昭和から平成の初期まで、日本中で見られたありふれた光景の一部分を形成していた少年が、大きくなって再び野球に魅せられる。海の向こうのメジャーリーグに挑戦した、一人の礼儀正しい石川県人によって。彼はその出身地に移り住んだ天の邪鬼にとっても、素直に応援したくなる存在だった。

あれから10年が経ち、ヒデキ・マツイに勇気をもらった男は、当時目指していた夢を脇において、一応は真っ当な仕事につき、結婚もした。新しい目標もできたし、それに向かって日々頑張っている。

ヒデキ・マツイはMLBの世界から身を引いた。ちょうど私の30歳の誕生日の翌日に。

松井秀喜の引退。それはプロ野球にとって間違いなく、一つの時代の終わりを意味する。私にとってはそれが、20代の終わりとぴたりと重なることによって、特別な印になった。

そうだ、それは松井が日本プロ野球に身を置いた最後のシーズン、2002年シーズンの最後に五十嵐亮太から打った、第50号ホームランの軌道に似ている。その弾道は、引っ張りの多かったこれまでの松井のホームランとは一線を画す、左中間スタンド中段にぶち込まれた弾丸ライナーだった。

そうだ、当時テレビでそのホームランを目の当たりにした私は、新しく生まれ変わった松井秀喜、いや、ヒデキ・マツイを確かに認めたのだった。

そうだ、それは新しい門出、人生の節目を自ら祝う祝砲の一発だ…。

Au revoir et à bientôt !
ありがとう、松井秀喜。
 

2012年12月24日月曜日

打ち負かされること自体は、なにも恥じるべきことではない。

仏検準一級の試験結果が届いたのがおよそ一週間。ようやく自分の中で整理がついたので、ブログに現在の心境を残しておこうと。

表題からも推測される通り、今回もまた(3度目!)一次試験突破はならず。もっとも今回は実力不足以前に天災の要素が多分にあるのだけれど。

こんなことがありました。

私を含めた一般の人のブログはおろか、仏検を主催しているAPEFのホームページにさえ記載されていない。

以下のような文面が届いたのは12/15 の夜。これを読んだときはもう、ああ、全世界が私の敵なんだな、と確信したものだ。

西宮会場(関西学院大学)で準1級1次試験を受験された皆様へ

さる11月18日、西宮会場(関西学院大学)で行われた秋季1次試験終了後、採点のため同会場から仏検事務局に皆様の解答用紙が送付されましたが、事務局で確認したところ、準1級の書き取り・聞き取り試験の解答用紙が同梱されていないことが判明しました。直ちに調査を行い、解答用紙の回収に全力を尽くしましたが、発見には至らず、結論として、「準1級の書き取り・聞き取り試験終了後、回収された解答用紙が西宮会場の試験本部において使用済みの資材とともに誤って破棄された可能性が極めて高い」と申しあげざるを得ません。
(中略)前例のない事態に私どもとしても動揺しておりますが、試験運営に関わる一切の責任が当協会に帰することは申しあげるまでもありません。仏検審査委員会において対応を協議した結果、以下の措置を決定いたしましたのでお知らせいたします。

(1) 今季の準一級の検定料を全額返納
(2) 2次試験当日、面接試験に先立って書き取り・聞き取り試験のみによる再試験を実施

…どうだろうか?私はこの文章+1次試験結果(筆記のみ)を読んだとき、暴れた。いや、ありえへんやろ、と。完全に不祥事ですね、本当にありがとうございました。

一年間(いや、2年か)頑張ってやってきた結果をこんな風にむちゃくちゃにされて、心穏やかでいられる人がいるものなのか。いないだろう。いるとすればそいつはすでに死んでいる。

筆記試験の結果的には、合格の可能性もないではないが(それでも自己採点よりは7点低い 40/80で、受けたとしてもかなり厳しい)、とてもじゃないが再試験を受けようという気持ちにはなれなかった。もうね、これまで費やしてきた勉強時間がこんな風にダメになるなんて。試験に落ちているなら、それはそれでいい。しょうがないじゃない。できなかったところを見直して、また頑張るだけだから。しかし、こんな中途半端で自分ではどうしようもない結末は、ねえ?

こうなってくるとなにもかも他人のせいにしたくなる。だいたい、筆記が40点しか取れていない、ってのがおかしい。自己採点では47,8点。どう考えても和文仏訳の点数を低く見積もって、再試験受けさせないようにしてるだろ、とか。

――いや、認めよう。自分の実力不足だったと。勉強しても無理なもんは無理なんですよ。ここから先は環境に恵まれた人間だけが立ち入ることの許された領域で、私のような仕事をしながら学ぶ独学者はお呼びでないんだろう。これでもう、フランス語はすっぱりと諦めよう…。


そんなわけがないだろう。

今回は今の自分を奮い立たせるのにぴったりの名言、「ダレル・ロイヤルの手紙」の引用を。漫画『アイシールド21』の中でも使われていたのが印象的。

~ダレル・ロイヤルの手紙~
打ち負かされること自体は、なにも恥じるべきことではない。打ち負かされたまま、立ち上がろうとせずにいることが恥ずべきなのである。
ここに、数多くの人生での敗北を経験しながらも、その敗北から這い上がる勇気を持ち続けた、偉大な男の歴史を紹介しよう。

1832年 失業
832年 州議院選、落選
833年 事業倒産
834年 州議会議員当選
1835年 婚約者死去
1836年 神経衰弱
1838年 州議会議長落選
1845年 下院議員指名投票、敗北
1846年 下院議員当選
1848年 下院議員再選失敗
1849年 国土庁調査官を拒否される
1854年 上院議員落選
1856年 副大統領指名投票敗北
1858年 上院議員、再度落選

...そして1860年 、エイブラハム リンカーンは第十六代 アメリカ合衆国大統領に選出された。

諸君等も三軍でシーズンを迎え、六軍でシーズンを終えるかも知れない。或いは一軍で始まり、四軍で終わるかもしれない。諸君等が常に自分に問うべき事は、打ちのめされた後、自分は何をしようとしているのか?ということである。 不平を言って自分を情けなく思うのか、それとも闘志を燃やし再び立ち向かって行くのか、という事である。 今秋、フィールドでプレーする諸君等の誰もが、必ず一度や二度の屈辱を味わされるだろう。 今まで打ちのめされたことがない選手など、存在しない。ただし、一流の選手はあらゆる努力を払い速やかに立ち上がろうと努める、並の選手は少しばかり立ち上がるのが遅い、そして敗者はいつまでもグラウンドに横たわったままである。

さて、今日も頑張ろうか。 

なにを? ――もちろん、フランス語さ。

Au revoir et à bientôt !
リンカーン。Wiki より拝借。
 

2012年12月23日日曜日

月刊、なんて言わずに全集

去年の12月には『月刊 万有引力』と銘打って、シュペルヴィエルの詩集の翻訳をしていたものだが、今年はなにやら忙しさにかまけて、うやむやに終わってしまいそうだ。
 
そこで今日は、Gallimard 社から発行されている Bibliothèque de la pléiade / プレイヤード叢書 に収められているシュペルヴィエル全詩集を少し紹介しよう。
 
そもそもプレイヤード叢書とはなにか。まずそこからはじめよう。
 
一言でいってしまえばそれは、「世界文学名作全集」である。国籍を問わず優れた作家はすべて、この叢書に収められているといってもあながち過言ではない。
 
もちろんフランス語に翻訳されている、という制約は付きまとうが、それでも作家としてこのシリーズに名を連ねることは、アカデミーフランセーズ会員になることより名誉であると言え、また、ノーベル文学賞?たかが一ダイナマイト技術者の作った賞なんていらないね――なんて一笑に付すことだってできる(かもしれない)。
 
この叢書は翻訳の際に底本として使われることも多い。それはこれがしばしば死後確定された決定稿としての扱いを受けていることを意味するとともに、異同のある別稿の有無についても触れている点において他を凌駕しているからでもある。
 
さて、シュペルヴィエルの全詩集にざっと目を通すと、このシリーズの面白さがよくわかる。
 
ひとつひとつの詩に解釈が付けられ、巻末にある索引を使えば、同名の詩の存在や類似したテーマの詩を調べることができる(Offrande / 贈り物 と題された詩を生涯にいくつ書いているか、君は知っていますか?)。
 
つまりは作者の持つ語彙の幅や嗜好をよりよく知ることができるツールなわけだ。
 
まあ、ここまで書いていうのもなんですけど、この前自分の誕生祝いとして購入し、その勢いのまま嬉しげにこのブログを書いた、というわけ。
要は自慢したかっただけだろう?――そうですが、なにか?
 
Au revoir et à bientôt !

写真編集ツールを使用してみた。

2012年12月19日水曜日

はなくそまんきんたんで10を数えて

だるまさんがころんだ、だるまさんがころんだ…

今となっては不思議なくらい、子供の頃は数を数えてばかりいた。缶けりやかくれんぼ、鬼の目から逃れるにはいつもある程度の時間を必要とした。遊戯には常に数える行為がついて回った。

ただ数えるだけではゲイがないと、流行っていたのが上記のようなちょっとひねった数え方。「だるまさんがころんだ」はちょうど10文字。これを10回繰り返せば自然と100を数えたことになる。早口言葉のような面白さとリズム感が、「数える」という単調な動作を、遊戯に変えていたように思う。

我が家では、もっぱら「はなくそまんきんたん」が使われたものだ。もちろんこれも10文字。だるまさんと同様の理由に加えて、「はなくそ」の下品さと「まんきんたん」の意味不明さが混ざり合っており、まさしく子供心をくすぐる単語だったのは間違いない。

さて、大人になって子供の頃なにげなく使っていた言葉の意味がわかる、ということがあって、この言葉もそのひとつの体験だった。

越中富山の反魂丹
鼻くそ丸めて万金丹
それを飲むやつあんぽんたん

これらの語句を小気味よく繰り返す老婆との出会いがきっかけだった。

意味はそう、薬に対する不信感を歌ったもののようだが、実は最初、この歌を聞いたときに幼いころの数え言葉との関連は得られなかった。私にとってそれだけ、「はなくそまんきんたん」が独立した言葉であった、ともいえる。

本当の意味など、どうでもいいのだ。大事なことは、自分が幼少時に使っていた語彙の保持と、その効果の持続だから。

「はなくそまんきんたん」。それは物事を動かす魔法の言葉。遊戯の開始を告げるのはいつもこの言葉だった。同時にそれは、やり直しの呪文でもある。
もちろん、ここには現在からの意図的な歪曲が存在する。むしろそうであるがゆえに、わたしは今もこの言葉を呟いて、一度すべてをリセットし、新たにやり直す気になっているのだ。

はなくそまんきんたんと10数えて、さあ、一からやり直そう。

Au revoir et à bientôt !
 

2012年12月13日木曜日

Retour au Japon / 愛だって?ただの無知だろう


10/12 15:35 Paris L'aeroport de Charles de Gaulle - 10/13 15:35 関西国際空港着

「夜にはパリ郊外にある Stade de France で、サッカー日本代表のおよそ9年ぶりとなる対フランス戦親善試合が行われるというのに、今帰国の途に就こうとしている」
そう、書いたのは乗継地のドバイに向かう飛行機の中で、さて代表戦は内容はさておき 1-0 で日本の勝利に終り、私は無事日本に戻って早二ヶ月が経とうというのに、このブログの旅行記は未だ、明確な着地点を見いだせていない。

うん、もういいだろう。旅は終わった。そう認めることも必要だ。フランスに行っていたのは過去の話で、今は毎日職場に向かい、同じようなルーティンワークを日々こなしているところだ、と。おそらく今後は、フランスに行く機会もそうそうないだろう。二十代の終わりは同時に、夢の終わりでもあるのだろうか。

フランス語の勉強を最初に始めたのは21歳の頃で、考えてみるとそれからもうすぐ10年が経とうとしている。もちろんその間ずっと勉強していたわけではなく、25歳すぎるまでは基礎をやっただけで、ほとんど手をつけていなかったから、まともに勉強をしているのはこの5年ということになる。

その間にフランスには3度行き、通算で30日ほど滞在していた。

はじめてフランスに行ったときは見るものすべてが新鮮で、衝撃的だった。私にとってそれがはじめての異文化体験だったのだから無理もない。とにかくなにもかもが日本とは違い、そしてその違いが素晴らしく思えたものだ。

二度三度と行くに従い、嫌なところも見えてきた。日本の良さもわかってきた。以前は、「こんな国」と思っていたが、今では、まあ日本も悪くない、と思えるようになってきた。なにより飯がうまい。

だからといって、「生まれ変わっても日本人になりたいか?」 という問いに安易に「はい」と答えるほど、愛着がある、いや、無知ではないつもりだ。
 
「86.4%の人が生まれ変わっても日本人になりたい」URl:http://article.home-plaza.jp/article/trend/111/

実際には「今あなたが国籍を選ぶとしたら日本を選びますか?」という問いと同義のこの質問。これだけ見れば日本人の日本への愛情が伺えるが、裏を返せば他の国に対する無関心が表明されているともいえる。

この調査の一番の問題点は、おそらく調査の対象となった多くの人が、他の国を愛せるほど十分に知っていない、ことだろう。知らない国の国籍をとる?ごめん、そんな無茶が通用するのは笑い話としてだけだ。

カッコよくいえば愛には二種類の要因があり、ひとつは無知、もうひとつは熟知だ。前者は憧れと変換され、後者はときどき惰性といわれることもある。

ここでカギとなる単語は「それでも」だ。

たとえば君の彼女が他の子と較べて顔が悪いとか、おっぱいが小さいとか、私服がダサいとか、いろいろあるとしても、それでも、その子と一緒にいるのは、惰性ではなく、まごうことなき愛情だ。

周りも見ずに、良いところだけを称揚するのは愛ではない。他と比較し良いところは素直に褒め、悪いところを認める。それでもいいといえるのが愛だろう。

日本国の隅々まで行き渡った利便性は世界の他のどの国に行っても手に入れることはできないだろう。しかしそれが、歴史性や他のなにかと引き換えに得ているものであることは、おそらく外に出なければわからない。他の国と比較し、自国の良い点・悪い点を客観視して、それでもなお、日本が良い、といえる人がたくさんいるとしたら、日本は本当に素晴らしい国だといえるのだろう。

さあ、私も日本に戻ってジタバタしようか。

Au revoir, et à bientôt !
グッバイ、ドバイ。
 

2012年12月11日火曜日

嘘つきの恋

イェーツ?知ってるよ。詩人だろ?

と私も思ったのだが、今回はまったくの別人、Richard Yates / リチャード・イェーツについて紹介したい(ちなみに詩人のほうは、William Butler Yeats / ウィリアム・バトラー・イェイツ。1923年にノーベル文学賞も受賞している。日本では岩波文庫から対訳詩集が出ているので、それを読むことをお勧めする)。

Richard Yates / リチャード・イェーツ(1926-1992)。3歳のときに両親が離婚。高校の頃からジャーナリスト志望で、高校卒業後は軍隊に入隊、第二次世界大戦に従軍する。1946年、ニューヨークに戻りジャーナリストとして活動を開始。ゴーストライターとして、ロバート・ケネディ司法長官のスピーチ原稿を書いたりもしたらしい。

文学界に現れるのは1961年の『Revolutionary Road  / La fenêtre panoramique(仏題)』によって。この作品、サム・メンデス監督の下、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットのタイタニックコンビで2008年に映画化されている。ケイト・ウィンスレットはこの作品で、第66回ゴールデングローブ賞主演女優賞 (ドラマ部門を)受賞。

生前彼の小説は、批評家からは絶賛されるものの、世間からはほとんど無視された状態だった。評価され出したのは死後のことで、Stewart O'Nan が1999年、Boston Review に寄稿した"The Lost World of Richard Yates: How the great writer of the Age of Anxiety disappeared from print" が再評価の始まりである。
 ここまでWikipedia(fr)から抄訳。URL: http://fr.wikipedia.org/wiki/Richard_Yates_(auteur)

略歴を見ると同世代の作家、レイモンド・カーヴァーの影がまとわりついて離れないが、まあそれはいいだろう。一日に煙草4箱を吸うヘビースモーカーであり、アルコール中毒であった彼が書いた作品の登場人物にはいつも、敗北者の雰囲気がまとわりついている。儚く散った幻や中途半端に終わった宿命、上手くいかない人生に諦めてしまった野心…。

過去は苦く、未来はどんずまり。そんな冴えない人物が主人公の小説が、面白くないわけがないだろう。

人生には失敗と断念と、そして苦しみしかない。そう語りかけてくる彼の小説はホッパーの絵を思い出させる。人々はカップルだったり、集まっていたりするのに、どこかいつも寂しげだ。イェーツは絵の中に、ウィスキーの瓶を付け加える。飲まずにはいられないのだ。

これは人生の敗残者の物語だ。そして彼の失敗は取り返しがつかない。おそらく作者自身の生が色濃く投影されているのだろう。それはただひたすらに、苦い。

これが飲まずにいられるかい?
Au revoir et a bientot !
『夜更かしの人々
 
 
<注>今回のブログの内容のほとんどは上記参照サイトの翻訳に過ぎないことをここでお断りしておく。これは1981年発表の« Liars in Love » のフランス語訳 "Menteurs amoureux" 発売に合わせた記事である。現時点でRichard Yates の小説の邦訳はなく、Wikipedia の記事も日本語版は存在しない。私個人としては近いうちにフランス語で読んで、感想をかければと考えている。


2012年12月8日土曜日

愛は地球を救う、なんて嘘よりも

煙草を吸うのはカッコいい。そんな時代は終わった。

煙草を取り巻く状況は年々厳しくなっており、喫煙者たちは日々世界の片隅へ追いやられている。この傾向は他の国(特に先進国)でも変わらない。フランスでは今年10月、煙草の値段が7.6%引き上げられたばかりだ。
(フランスにおける煙草1箱の値段の変遷についてはこのサイトを参照。約20年で煙草の値段は4倍以上に引き上げられている。URL: http://www.tarif-tabac.com/statistiques_tabac

私は煙草を吸わないが、現代の嫌煙ブーム、ひいては健康志向は少し行き過ぎている、と思わないでもない。煙草を吸う人、吸わない人それぞれがお互いに配慮し、快適に過ごすことができれば、これ以上公共の場から喫煙スペースを減らし、愛煙家に肩身の狭い思いをさせる必要もないだろう。

身体に悪い?そんな考えはドブに捨ててしまおう。毎年煙草の害で亡くなる以上に多くの人が、自ら命を断っている。もし自殺を決意した一人の男が、最後に吸った一本の煙草でその決断を翻すのなら、それはどんな薬よりも有用ではないか?

こんな意見をオーストラリアで表明しようものなら、異端尋問にかけられるかもしれない。同国では先日、「すべての煙草のパッケージを同一のものとする」法律が施行された。

フランスのニュースサイトRFIによると、
une loi qui oblige dorénavant tous les paquets de cigarettes vendus en Australie à être identiques : c'est-à-dire dans un emballage d'une couleur vert olive sombre, recouvert d'avertissements sur les dangers du tabac, avec des photos chocs de malades. Et ce, quelle que soit la marque, car seul le nom des cigarettes pourra changer.
オーストラリアで販売されるすべての煙草は同一のパッケージでなければならない。暗いオリーブグリーンをベースに、喫煙の危険性を警告した文章、肺がん患者のショッキングな写真つき。唯一ブランド名だけが変更可能…というもの。

まったく、喫煙者でなくとも「どうかしてるぜ!」と言いたくなるだろう。君が昨日買った豚肉に、その豚の成長過程の写真や趣味・特技が書かれていたら、あまりいい気はしないだろう。誰だってそうだ。私だってそうだ。

巷では喫煙者にとって嫌なニュースばかりが流れ、白眼視され、精神的に追い詰められ、ひいては死に至る、なんてことのないように、私が処方箋を用意しよう。

メキシコの研究者が発表したところによると、鳥たちは煙草の吸殻を巣作りの材料にしているらしい。吸い殻が鳥のヒナたちを害虫から守るからだという。これは煙草に含まれるニコチンが蚤や虱に対し効果があるからで、スズメのように市街地に住む鳥がよく使用している。もとよりある種の鳥たちは芳香性のある素材を好んでいたようで、吸い殻は殺虫剤の一種として鳥たちの間で知られていた。

これを読んでよし、"Fumer sauve les oiseaux / 喫煙は鳥たちを救う" を煙草のパッケージにしよう、と考えたのはどうやら私だけではないらしく、すぐ後に研究者自身、「スズメを救うために肺をダメにするには及ばない」と断言している。

しかしながらこの研究報告による限り、愛よりも吸い殻のほうが間違いなく鳥たちを救っているわけで、このニュースを喫煙者が読めば、多少は心安らかに煙草を吸うことができるのではないだろうか。調子に乗って、オーストラリアの法律に対抗して、上記のスローガンと一緒にスズメの写真を配した煙草ケースを販売してはどうだろう?あるいは喫煙所の目印として、鳥の巣を模したものを採用するのはどうだ?――どうも今の日本では顰蹙をかうだけで終わりそうだ。

喫煙を擁護することはもはやタブーのようになっているが、それでもこういったユーモア、寛大さこそが、喫煙者と被喫煙者がお互い気持良く生きていくための、最上の解決策だと思うのですが、どうでしょうかね?

Au revoir et à bientôt !
最近スズメってあまり見なくなりましたよね?これも禁煙の影響?――それは、言い過ぎ。
 


2012年12月2日日曜日

Louvre 別館号 金沢 - SANAA - ランス

もう少しだけ、ルーヴル美術館の話をしよう。

12月4日、ルーヴル美術館の別館がフランス北部の炭鉱都市、 Lens / ランスの街に誕生する(一般開放は12日から)。

この分館にいわゆる常設作品はなく、パリの本館から借りだす形をとるようだ。ジョルジュ・ドゥ・ラトゥールやフラゴナールといった面々の他にもなんと、フランス革命の精神をそのまま描き出したといえる、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』までもが貸与されるという。これは、事件だ。

最初の構想が練られたのは今から約10年前の2003年。当時の文化相 Jean-Jacques Aillagon が首都パリに一極集中した諸機能を地方に移譲する政策の一環として発表。当時は7つ(後に6つ)あった候補地の中から最終的にランスが選ばれたのが2004年。

2005年にはコンペティションが実施される。このコンペで見事優勝したのが日本の建築家ユニット、SANAA。Sejima and Nishizawa and Associates の略であり、妹島和世西沢立衛の二人からなる彼らは、金沢21世紀美術館の設計でも知られる。

21世紀美術館ができた当時、私は金沢に住んでいて、街のど真ん中にできた円形の美術館と、その集客力に大いに魅了されたものだ。

それから10年近く。その間に日本ではより東京一極化が進んだように思われる。毎年金沢には友人を訪ねているが、そのたびに閉店したまま埋まらない空き店舗が目についていた。

しばらく前から政治の上で「地方分権」は叫ばれているが、どうも当面実現しそうにない。今回の衆議院選でも、主要な議題でないのは明らかだ。

フランスもまた、ヨーロッパでは特に中央集権が顕著な国として知られている。それでも、ここ4年のあいだに3度フランスを訪れ、その都度地方都市の活気を肌で感じてきた。それには、中央に集められた権力の側が、たとえ上からにせよ、その権力を委譲しようと積極的な働きかけを行ったからに他ならないだろう。Louvres-Lens はその最たる例といえる。

政治家はよく、「日本再生」などと声高に唱えるが、それには東京だけが繁栄し、地方は衰退する一方の今の形が好ましくないのは自明だろう。今回のルーヴルの取り組みも、政府主導で行って、実現までに10年を費やしている。日本で似たようなニュースが紙面を賑わすことになるのは、果たして何年後の話だろう?

Au revoir et à bientôt !

Le public défile devant "La République guidant le peuple" de Delacoix au Louvre Lens
© PHILIPPE HUGUEN / AFP