2014年4月25日金曜日

バリアフリー 2014

ガルシア=マルケス死去のニュースを聞いてから、追悼文を書こうと思いつつ、早一週間。もうちょいしたら書く予定なんで、もうしばらくのお待ちを。

久しぶりに福祉の話題を。

4月の17、18、19と大阪のインテックス大阪ってところで、「バリアフリー 2014」なる展覧会が開催された。職場の同僚に勧められて(ごり押しされて?)、片道1時間半かけて行ってきたのであります。

このいかにも福祉してる名前の通り、様々な福祉用具が展示されていたのだけれど、そんなん関係なしに面白い。展覧会ってやつのお祭りの雰囲気ムンムンで、出店がたくさんあって、出展者は売る気満々で、「福祉」よりも「資本主義」を強く感じる現場。これまでの福祉にはない、「金を稼ぐ」ことを前面に出したこの空間に、好感を持った。

個人的に一番印象的だったのは、ベッドや車椅子の進歩よりも、そうした企業の本気度具合だった。いやー、トヨタやホンダが本気できとるやん。食品業界でもキューピーなんかが参入してきていて、これからの福祉業界にどれくらい金が入ってくるか、まざまざと見せられることとなった。

こんな風に競争が激化すれば、これまで法外な値段設定をして安穏としてきた、福祉用具業界の尻に火がつくだろう。消費者としては、ありがたい限りだ。その一方で、これだけ大企業が進出してくると、中小の企業にはかなり厳しいだろう、と推測も立つ。まぁ、多少事情が異なるとはいえ、介護の現場も他人事ではないだろうが。

団塊の世代が高齢者になって、福祉も新しいフェイズに移行したなと感じる。これまで社会の一隅に押し込められてきたものが、社会の中心に位置する。人口における高齢者の割合を考えたとき、これは当然の動きだろう。この動きがどこまで加速していくか、注目したい。

その一方で懸念もある。同じ福祉に属していても、身体障害者や精神障害者はこの流れの恩恵を受けられるだろうか?これまで以上に社会から置き去りにされないだろうか。高齢者福祉に携わる身でありながら、そんな危機感と不安がぬぐえない。

それにしても…どんだけ「福祉」言うねん!

Au revoir et a bientot !


2014年4月24日木曜日

スペインと昭和の貧しさ

今って平成何年だっけ?24年、それとも25年?え、26年?ha ha ha 、面白い冗談だ。

なんにしろ、これは確かだ。もうしばらく前から新入社員は平成生まれが当たり前で、昭和生まれの新卒なんて、ほとんどいない。そして、これからこれからもそうだ。時間の逆行はありえない。昭和を経験したものはみな、若者でなくなってしまった。昭和生まれの若者なんて、もういない。

昭和が街から消えてどれくらい経つのだろう?昭和50年代後半に生まれた私が、正確に測ることはできない。私の中に残っているのは、昭和の汚さだ。平成はキレイだ。潔癖に近い清潔さに私はしかし、少し居心地悪く感じてしまう。

時代の大きな転換点、というものは実際にあって、日本ではそれが1950年代後半(昭和30年代)に訪れた。家電の三種の神器と呼ばれたテレビ、冷蔵庫、洗濯機の登場は、人々の暮らしを根底から変えた。

どれぐらい変わったかって?応仁の乱(1467-1477)以来、大きく変更されなかった生活様式が変わったのだ、といえばその激変ぶりが理解できるだろう。人々が使用する道具は、幾度も改良が成されたとはいえ、基本的に同じものだった。これはつまり、1950年代の主婦が1500年ごろにタイムスリップしたとして、多少の戸惑いはあるにしても、普通に生活できるということだ。これってすごくね?

平成と昭和の境目が、これほどの大変動であるかは、後世の検証を待つ必要があるが、小変動であったのは確かだ。平成生まれが昭和に戻って生活できるか?平成生まれを貶すのでなく、それだけの変化があった、ということだ。

ミゲル・デリーベスの『ネズミ』を読んだとき、同じような時の断絶を感じた。

舞台は1955-56年のスペイン。カスティーリャ地方の一寒村。石ころだらけで作物もまともに育たないこの土地で、主人公のニーニ少年は、おじさんの「ネズミ捕り」と一緒に洞窟で暮らしている。川のネズミを捕って生計を立てている彼らの生活のみならず、他の村人たちの暮らしもおしなべて貧しい。村には電気もガスもなく、あぜ道を未だロバが闊歩している。そのロバでさえ、特権者の証だ。

死が暮らしのすぐそばにあって、その暗い深淵を覗かせている。人々はそこを覗き込み、自分のほうを見つめ返す深みからの眼を感じながら暮らしている。現実からは目を背ける。他に方法がないからだ。その局面を打開するための、財も、策も、才覚も、なにもない。貧に縛られ、人々はただ、死に頭を食いちぎられるのを待つ。それすらも救いの一種だと捉えかねない諦念とともに。

このような貧しさは、現在の日本では見られない(おそらくはスペインでも)。先進国では貧しさは、別の次元に移行した。全員が平等に叩き落され、よじ登る見込みのない底なし沼のような貧困から、やっかみと嫉妬の渦巻く、ところどころに開いた落とし穴に。落とし穴に巻き込まれる途中幾度も、普通の暮らしをおくる人々の姿が見えて、それがいっそう自分の陥った悲惨に自覚的にさせられる。人は他人をひがみ、自らを卑下する。現代の貧しさは心を蝕む。『ネズミ』はそれ以前の、貧しさの中にも高貴さを保った人が(も)いた、そんな時代の物語だ。

Au revoir et a bientot !

2014年4月19日土曜日

ラテンの鎧を着たケルト

「ケルト」ってなによ?そんな大風呂敷を広げても、答えられるはずもない。ケルト音楽にケルト神話、ケルト文化…これだけ繰り返しても、明確な輪郭は掴めず、むしろケルトがゲシュタルト崩壊してしまう。

そんなら一日本人にとって「ケルト」ってなによ?というのが、今回紹介する『スペイン「ケルト」紀行』。内容は正直、薄い。スペインのガリシア地方をめぐる旅行記を書きたいのか、それともスペインに残るケルト文明についてスポットを当てるのか、曖昧なままいたずらにページが費やされる。

だが、それでいい。そもそもヨーロッパは混血ありきの大陸であり、「純粋な」血統なんてものは、ないに等しい。それがゆえに王族間で血を純に保とうとする働きがあったのだろう。そんな大陸で、ケルトの源に遡ろうとするのは、そもそもが無謀な試みだろう。

純粋なケルトも、神話に過ぎない。ケルト文化に魅せられ、ヨーロッパ各地をめぐってきた筆者は、ガリシア地方に残るケルト文化を、「ラテンの鎧を着たケルト」と、道中に出会った人の言葉を借りて表現する。だが、実際のところどうなのだろう?立派な鎧をまとってはいるが、その実中身はからっぽだった、なんてこともあり得るのではなかろうか。

イタロ・カルヴィーノが書いた『不在の騎士』。戦場で勇猛果敢に戦うこの騎士、中身は空洞だった、という話。反・騎士道小説であり、はたまた騎士の中身が女性だった、という反・反騎士道小説でもあるこの寓話。なんにでも中身があるわけではないのだ。

「ケルト」という言葉についてはどうだろう。一見、非常に独自な文化が残っているように見える。ケルト音楽と聞くと、あのいかにもアイリッシュな音楽を思い出すし(これ以上に表現が見つからない)、ケルト神話に出てくる妖精の類は今も、子どもたちの想像を掻き立てる。

それは、それでいい。だが、それを絶対視し、他文化からの影響を全く認めない、となればもはやその本質を失ってしまうだろう。どの文化も別の文化か大なり小なり影響を受けている。とりわけヨーロッパという極小の大陸にあって、他からの影響を免れることは不可能に近い。それを認めたうえで、ケルト文化を主張し、享受すること。人と人との関係のように、そうすることではじめて実りある関係を築くことができる。

他者からの影響を否定し、自らの独自性ばかり主張していたら、自分が空っぽになってしまう。己という存在が、他人の声や影響だけで成り立っていると認めるのが虚しい?別に、それでいいんじゃない?立派な鎧を自慢するのも、またひとつの生き方だ。

Au revoir et a bientot !

2014年4月12日土曜日

ヴァンセンヌの新しい動物園

もっと野生的に、もっとディズニーランドから遠く離れて。

4月12日、5年間の改修工事を経て、パリ近郊の都市、ヴァンセンヌの動物園が再開する。

約15ヘクタールの土地は大きく5つのゾーンに区分けされている。パタゴニア、スーダン、ヨーロッパ、ギアナ、マダガスカルの5つだ。それがさらに細かく180に分類される。

注目すべきは、その「展示」方法だ。

20世紀の動物園の目的は「コレクション」だった。博物館や美術館と同様に、動物園もまた珍奇なもののコレクションとして、より多くの動物を見る=鑑賞することが優先された。

21世紀の動物園が目指すところはなんだろう?日本では北海道旭川市の旭山動物園が有名だ。行ったことがないので、具体的に語ることはできないが、ニュースなどで見た限りでは、いかに「見せる=魅せる」かに重点を置いているように思える。動物園もエンターテイメントのひとつとして位置付けようという試みだ。

一方、ヴァンセンヌの動物園において、動物たちはより自然な環境に身をおく。そこでは動物が本来生活している環境をできる限り再現している。ゆえに欠点もある。入園者たちは動物を探さなければならず、もしかすると見えないこともあるかもしれない。それでいいのだ、というのがヴァンセンヌ動物園の考え方だ。

園長のThomas Grenon 氏の目的は、動物園をただの娯楽施設でなく、教育の道具とすることにある。来園し、限りなく自然に近い環境で暮らす動物たちを見て、自然保護の必要性を自覚する。そうなれば素晴らしい、と彼は言う。

どちらがいい、悪いの話ではない。ただ、これからの動物園はより差別化されたものが必要だ、ということだ。もちろんそれは、動物園に限ったことではない。植物園や水族館などの公共施設しかり、遊園地やデパートなどの民間施設しかり。そして、ブログのような個人的情報発信サイトも、また。

Au revoir et a bientot !

2014年4月11日金曜日

人間は考える葦だなんて、パスカルに言わせておけばいい――『ブラス・クーバスの死後の回想』

これが19世紀の小説かよぉ!反・物語の意識を強く持ちながらも、ちゃんと小説してる。20世紀の小説が求めたものがここにある。この作品がこれまで日本で紹介されてないって、どうよ。

『ブラス・クーバスの死後の回想』は傑作だ。発表は1881年。作者はブラジルのマシャード・ジ・アシス(1839-1908)。西洋の同時代の著名な作家といえば、ディケンズ(1812-1870)、ドストエフスキー(1821-1881)、レフ・トルストイ(1823-1910)、エミール・ゾラ(1840-1902)、マーク・トウェイン(1835-1910)など錚々たる面々で、まさに文学界のオールスター。マシャード・ジ・アシスはこれらの作家と同列に並べて語られるだけの価値がある。

文学に興味のない人でも聞いたことのある名前ばかり。これを見てもらえばわかるとおり、19世紀は小説の最盛期だった。バルザックが19世紀初頭に確立した小説芸術が、半世紀と経たぬうちに全盛を迎える。19世紀は文学の中心が詩から小説へと、決定的に移り変わった時代だ。

この時代に「物語」の枠組みも作られたといってよい。それと同時に、大衆文学と呼ばれるジャンルも確立した。何度も繰り返され、矮小化されたプロットが、巷に氾濫することになる。流行ればそれを疎ましく思う人もいる。多くの場合それは、自分たちが苦労して作り出した枠組みを流用され、悪用された作家たちだ。彼らはより、新奇で珍しい枠組みを創り出そうと辛苦したあげく、大衆から離れてしまうことになる――これは20世紀文学の話。

そんな風に時代の流れを捉えてみれば、この小説、作家もまた同時代に生きていた作家だといえる。違いはといえば、社会の違いだ。産業革命後のヨーロッパと、奴隷制の影響が未だ色濃く残るブラジル。社会の違いは作家の資質の違い以上のものを、作品にもたらしている。

解説によると、ブラジルの文学百選を募ると、この作品が必ず上位に入るそうだ。世界文学においても、上位は難しいかもしれないが、中位は狙えるだろう。少なくともベスト100には入れてあげたい。

ここまで全く作品の内容に触れていないのでちょっとだけ。最初にも書いたように、この小説は「反・物語」だ。亡くなったブラス・クーバスが自らの人生を振り返るのだが、そこには奇想天外な冒険短も、出世の階段を駆け上がり、転落する人生も、ない。主人公はただ、知人の妻と不倫し、政界に出馬してさしたる功績もなく引退し、結婚しようとして失敗し、先祖から受け継いだ財産を蕩尽というほどもなく、ほどほどに使って、死に至る。面白いことはなにも起こらない。平凡な人間の平均よりも事件性に乏しいとさえ、いえる。だがそんなしょうもない一生を、500p以上にわたって書きつづけ、それで読者を飽きさせない、というのはやはり、才能のなせる業だろう。

作中より、好きな表現を引用してみよう。

…人間は考える葦だなんて、パスカルに言わせておけばいい。違う。人間は考える正誤表、そう、そうなのだ。人生の各局面が一つの版で、それはその前の版を改定する。そして、それもいずれは修正され、ついに最終版ができあがるが、それも編集者が無視にただでくれてやることになる。(p.139)

ここで作者は、人生を一冊の本にたとえている。これはこの小説全体を貫いているテーマであり、ブラス・クーバスは自らの息切れを文体に反映させている。まさしく、「文は人なり」――私も、こんなだらだらした文章を書いて、人格を疑われるようなことは止めにしよう…。

Au revoir et à bientôt !


2014年4月10日木曜日

プロ野球顧客満足度調査 2014

オリックス・バファローズの8連勝をかけた試合を見てきました。結果は3-6 で敗戦。プロ野球は年間144試合。いつかは負けるものだから、そう落ち込むこともないでしょう。まぁ、一言言わせてもらうなら――岸田、投球テンポ悪すぎぃ!

明けて今日、面白いニュースをネットで見つけたので紹介を。

慶大理工学部の鈴木秀男教授が今季開幕に合わせて、「プロ野球のサービスに関する満足度調査」なるものを発表した。なんでもこの調査、2009年から毎年行われているらしい。

当然のようにオリックスは最下位を獲得。総合満足度からチーム成績、チーム・選手、球場、ファンサービス・地域貢献、ユニホーム・ロゴ、応援ロイヤルティー、観戦ロイヤルティーと計7項目あり、いずれの値においても、オリックスは下位を低迷した。もちろん、毎年10~12位を死守し続けている。

「顧客がなにを求めているか」を知るのはどんな業界でも大切なことであり、この調査も有用だと思う。個人的には「経験価値」なる概念が非常に面白く、ためになった。

ただ、この調査に関して言わせてもらうなら、結局のところ「強いチームが高い数値を出す」という、当たり前の結論に行き着いてしまっているように思う。だって、パ・リーグは公式ホームページを全チームで統一してるのに、オリックスの満足度がほかに比べて低いってどうよ?

もちろん、強いだけでは駄目なようだ。巨人はセ・リーグを連覇したが、それでも満足度は5位にとどまった。ここには「毎年日本一になってほしい」「人気すぎてチケットが出に入らない」といった、強くて人気があるが故の不満も散見される。あるいは、この項目でいえば「応援ロイヤルティー、観戦ロイヤルティー」といった項目を高めることで、たとえ順位が低くても、満足しやすい環境づくりができるようだ(広島など)。

やはり満足度を向上させる最大の要因は、勝利だ。かつて落合元監督が語ったように、「勝つことが最大のファンサービス」といえる。

というわけで今のところ好調なオリックスも、今後も勝ち続けることで、ファンの数が増えていくのではないだろうか。もっとも、7連勝中にもかかわらず、昨日の観客数は12653人に過ぎなかったのだけど。

ちなみに、上記の調査でオリックスが1位を獲得した項目は、「チケットの手に入りやすさ」でした。

Au revoir et a bientot !

2014年4月8日火曜日

追悼 ジャック・ル・ゴフ

ジャック・ル・ゴフはみずからが中世を発見した日を覚えている。

1936年、フランスの南東部、地中海に面する軍港の町トゥーロンに住む十二歳の少年は、イギリス中世を舞台にした、ウォルター・スコットの歴史小説『アイヴァンホー』を読むことで、中世と出会ったのだった。

1936年は結集した反ファシズム勢力がフランスで選挙に圧勝し、人民戦線内閣が誕生した年。ル・ゴフも、『アイヴァンホー』の描くノルマン人のユダヤ人に対する仕打ち、とくに美しいヒロイン、レベッカの苦難を読むとただちに、当時のユダヤ人排斥と人種差別に反対する運動に加わろうと決心したようだ。それは母親をひどく心配させたが。

1924年にトゥーロンで生まれたル・ゴフはその後、パリの高等師範学校に進学、ヨーロッパ各地の大学で学ぶ。その後はアナール学派第三世代のリーダーとして、フェルナン・ブローデルの後を継ぐことになる。2014年4月1日、90歳でその人生の幕を閉じた。

アナール学派とはなにか。相変わらずWikipedia に頼らせてもらうと、

旧来の歴史学が、戦争などの政治的事件を中心とする「事件史」や、ナポレオンのような高名な人物を軸とする「大人物史」の歴史叙述に傾きやすかったことを批判し、見過ごされていた民衆の生活文化や、社会全体の「集合記憶」に目を向けるべきことを訴えた。この目的を達成するために専門分野間の交流が推進され、とくに経済学・統計学・人類学・言語学などの知見をさかんに取り入れた。民衆の生活に注目する「社会史」的視点に加えて、そうした学際性の強さもアナール派の特徴とみなされている

機関紙『アナール』の創刊が1929年であることを考えると、ずいぶんと長い歴史を持つ学派ということになる。アナール派で特に有名なのが、フェルナン・ブローデルの『地中海』だろうが、不幸にして私は未読のため、語ることはできない。

「大人物」や「事件」を中心にした歴史記述でなく、「民衆」に視点を当て、「集合記憶」を呼び覚ます手法は、ル・ゴフの著作にも現れている。それはほぼ同じ時代を生きた、ドイツ中世史家の阿部謹也氏にも同様の感覚が見受けられる。

ル・ゴフ氏の著作で読んだことがあるのは、『中世の高利貸』と『子どもたちに語るヨーロッパ史』だけだが、歴史学の門外漢である私にも刺激的な作品だった。一般の人々にも十分訴えかけるだけの内容を持つ著作であり、生き方の再考を迫るものだと思う。

本と出合い、人と出会う。ル・ゴフ氏にとっての『アイヴァンホー』のように人の生き方を変える力が、彼の著作物にもある。ご冥福をお祈り申し上げる。

Je prie pour l'âme de Jacques Le Goff...

参考書籍:子どもたちに語るヨーロッパ史 ちくま学芸文庫

2014年4月5日土曜日

『不死身のバートフス』

怒りに支配されるとき、人は無口になる。

バートフスは、無口だ。それが、彼を人々から遠ざける――そこにはかつての友人や知人、あげく今一緒に住んでいる家族までも含まれる。

沈黙は忘却と踵を接しているのだろうか?ある場合は――シュペルヴィエルの詩のように――そうだ。別の場合には、また違った側面を照らし出す。「覚えているから忘れてほしい」その願望の現われとしての、側面。

バートフスの今を支配するのは、「不死身」と呼ばれた収容所での過去だ。どこに行ってもその称号は彼に付きまとう。後ろに伸びる長い影のように。人はその影を見て、彼を判断し、呼びかける、「不死身のバートフス」と。快感はない。むしろ苦痛だ。

バートフスは怒り、自分の中に閉じこもる。そのための金は、十分にある。トレーダーとしての資質が彼を助けている。非合法的だとしても、見逃されている。

ときにバートフスは、自分の内面を誰かにぶちまけたいと思う。だが、誰が聞いてくれるだろう?家族とのつながりは、はじめからないに等しい。友人たちは彼の元を去った。カフェで出会う戦時中の知人も、すでに今を生きていて、過去の話には取り合わない。なのに彼には、彼の周りでは称号が一人歩きする。バートフスには過去に苦しめられているのが自分だけのように思える。

『Le garçon qui voulait dormir』 と同様、これは過去の自分とその幻想に苦しめられる人間の物語だ。どちらの主人公も、人々が勝手に自分に抱いた幻想を否定するために生きる。

その姿はそのまま、筆者アッペルフェルドにも重ねられる。彼もまた、「ホロコーストの作家」というレッテル貼りから逃れるために、苦闘する。

『Le garçon qui voulait dormir』 の少年が物語の冒頭で目覚めたのに対し、『不死身のバートフス』では、結末部分でバートフスが眠りに落ちる。これまで不眠に悩まされていた彼が、「これからは、胸のなかの心配はすべて忘れて眠るんだ」 と自分に言い聞かせて、豊満な眠りに身をゆだねる。

作者自身がそのどちらを選んだのか。選択の結果は明白だ。彼は目覚めて、書く。たとえそうすることによって、レッテルを剥がすことができなくとも。それが、生きるということだ。

Au revoir et à bientôt !

2014年4月3日木曜日

世界最古の月面地図帳

最近読書日記ばかりだったので、久しぶりに趣向を変えて。

Le Point.fr 中のシリーズ、Les incroyables tresors de l'Histoire / 歴史の信じがたい贈り物 から世界最古の月面地図帳の話を。


作成したのは Johanes Hevelius / ヨハネス・ヘヴェリウス(1611-1687) というポーランド人。同時代に生きたガリレオ・ガリレイや、ヨハネス・ケプラーにはるかに知名度では及ばないが、重要な人物だ。自宅に設置した巨大な空気望遠鏡は彼の代名詞で、名前を冠して「ヘヴェリウスの空気望遠鏡」と呼ばれていたそうだ。空気望遠鏡なるものがどんなのか、私にはわからないが、レンズの直径15センチメートル、鏡筒部分の長さ45メートルというのだから、相当のものだ。

4年の観測期を経て1647年に発表された著作は、『 Selenographia 』と題され、出版された。タイトルは月の女神 Selene / セレネの名前から。1663年、フランス滞在の折に、自らの著作をルイ14世に献呈した。その書物が今もフランスのBNF(Bibliotheque Nationale de France / フランス国立図書館)に現存する。


動画を見る限り、非常に美しい書物だ。もちろんただ美学的見地からでなく、科学的にも非常に価値の高い作品として、今も大切に保管されている。

ヨハネス・ヘヴェリウスの生涯については、ja.Wikipedia よりも.fr. のほうが詳しい。おそらくポーランド語ではより詳細に書かれているのだろう。こんなのも、ものの見方を変えてくれる、小さいけど大切な瞬間だ。

Au revoir et a bientot !

 参照URL:Le plus ancien atlas de la Lune publié en 1647 par le Polonais Hevelius. © Le Point.fr