2012年7月24日火曜日

縦に、横に

おはようございます。

実家に帰ったついでに、倉敷の大原美術館に行ってきました。

1930年に創設されたこの美術館は、その前年に逝去した児島虎次郎の業績を記念するものです。

この美術館の傑出しているところは、常設展が非常に充実していることがあげられます。特に19世紀後半から20世紀前半の西洋美術のコレクションは、日本の美術館で見られる最高のものが揃っている、といっても過言ではないでしょう。

モネやゴーギャン、さらにはエル・グレコの『受胎告知』など、挙げればきりがありません。

さて、今日は「絵画の見方」について。といってももちろん絵画の専門家ではないので、私がどんな風に楽しんでいるか、です。

美術館に普段行かない人によく、「絵を見てなにが楽しいの?」と聞かれます。

もちろん、一つ一つの絵を見て、きれいだなあと思ったり、面白い構図だと思ったりすればいいのです。しかし、それだけでは物足りない。必要なのは自分の中に比較対象となるストックを持つことでしょう。

なににしてもそうですが、比較の対象がないと、そのものを評価することは難しい。これは人間の頭がそのようになっているのでしょう。そのものだけを見て、美しい、とか美しくない、とか断することができるというのは、つまり「絶対的美」の存在を肯定することになります。果たしてそのようなものがあるでしょうか。

比較する際に重要になるのが、歴史的に(縦に)見るか、同時代的に(横に)見るか、でしょう。

例えば、大原美術館所蔵のモネの『積み藁』。これを同時代、同系統の印象派の画家と較べてみる。あるいは同じフランスの画家でも時代を遡ってアングルや、あるいは進んでユトリロなどと較べてみる。そうして見ることで、これまで見逃していたギャップや、各々の特長に注目することができるのではないでしょうか。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!

2012年7月19日木曜日

文学と国民性

おはようございます。

先日、タブッキの『イタリア広場』、パヴェーゼ『流刑』と、イタリアの作家を続けて読みました。

そうなると当然のように、自分の中に二人の共通項目を探そうという働きが湧き起こってくるのです。まるで一個人間の相違よりも、共通する国民性なるものが存在する、とでもいうかのように。

これまでにも何度か、このテーマについて側面から取り上げたことはあるのですが、今回はこれを正面に据えて書いてみようかと。

実際あまりにも無謀で暴力的なこのような取り組みを、自分に正統化させたのは、ひとえにツヴェタン・トドロフの次のような言葉に出会ったからです。少し長いですが引用すると、

総称的なレッテルの下に個々の思想家たちをまとめることには、いつでも不安がともなう。<…主義>という語が好きな人はいない。理由は言わずと知れている。グループに分類するたびに、何かしら暴力的、恣意的なものが入り込むからである。・・・しかしながら、これを用いようと決めたのは、これには長所もあるとみているからである。・・・私にとって証明することはできなくとも、いくつかの類似性、いくつかの差異の中には、他と比べてより重要なものが存在するということである。したがってそれがこうした分類を正当化するのである。『未完の菜園(p.15-16)』

となるとここで求められているのは、他の瑣末な差異よりは重要な類似性の発見でしょう。要は「イタリア文学」とくくったときに見出される共通点。

同様のことが他の分野にも言えるでしょう。「ロシア文学」「日本文学」とくくることで、見えてくる共通点。あるいは「近代」と「現代」といった時代区分とその差異。

そのために必要な方法論など持ち合わせていない私からすれば当然自分の心象を書くより他はないでしょう。

そこで重要となるのが、以前にも書いた「美的排斥」に反する意識、つまりどのような「美意識」を持ち合わせているか、だと思います。

タブッキとパヴェーゼ、それにカルヴィーノも加えて彼らに共通する美意識を探るとすれば、それは「海への憧憬」とならないでしょうか?彼らには海に囲まれた半島に住んでいるにもかかわらず、海に、そこに仮託された自由に憧れを抱く、そんな心象を抱いている印象を受けます。もちろん、ただ私の思いこみなのですが。

では、また。

Au revoir, à la prochaine fois!
須磨水族館


2012年7月15日日曜日

投げ出したところからやり直す

おはようございます。

先日、といっても先月末の話ですが、映画 『星の旅人たち』 を見てきました。

内容に関しては、巡礼の旅を描いたもの、とだけ言っておくとして、これを見て感じたことが二つ。

ひとつは、
「人は自分の人生を選ぶことはできない。ただ、生きるだけだ」
という登場人物のセリフ。もうひとつは 「祈り」 について。

――今回は前者について話したいと思います。

といっても、このセリフについて付け足すようなことが特別あるわけではなく、私が強い共感を抱いたって、それだけの話なんです。

それというのも、この映画を見た数日後、職場で異動の話があって、私が今年新しくできたところに行くことになったのです。

その仕事内容というのが、昨年まで勤めていた職場でやっていたものとほぼ同じ、ついでに言えば施設の形態も、役職も、その報酬もほぼ同じ。加えてその話があったのがちょうど、その前の職場を辞めた日とくれば、なんかしら天の配剤とやらが働いていると感じるのも不自然ではないでしょう。

この一年、いわゆるヒラの職でやってきて、やりがいは大してないけれど、責任も同様にない立場で、実に気楽に仕事をして、定時に帰っては仕事以外の人生を存分に楽しんでいたのですが、どうやらそんな生活にも終止符が打たれそうな予感です。

なるほど、人間にはあらかじめ与えられた「命」があって、それをやらずにはいられないようになっている、そんな気にさせられた出来事でした。

それを運命と呼ぶか宿命と呼ぶか、はたまた天命と呼ぶべきかは、今の私には測りかねているのですが。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!

2012年7月12日木曜日

ASCENSION / 昇天

ASCENSION / 昇天

飛翔する死の森が通り過ぎた雲は
己の起源を取り戻し、
恒星の霧氷の下で、
天球軸にそっと触れる。

まるで地上に並んでいるような
ポプラの亡霊
君たちは堂々と居並ぶために
一本の川を探している。

この低木、あの灌木は
でこぼこ道に必要なものだった、
空はその下で
地球の骨格をまねている。

その影は残っているのか
生の記憶の中に、
そしてそこに残っていた不安の糸を
断ち切るのだろうか?


おはようございます。

久しぶりの翻訳なのですが、うーん、雑。全体にもっと訳語を練らないといけませんね。

タイトルから想像されるように、ここでは死後の世界がイメージされているようです。おそらくは、上方(天界)から見下ろした地上(下界)の景色。それで本来は上に見えるものが下に見え(雲)、下にあるものが上に見える(ポプラの亡霊)。

上にあるからといって幸せなのではなく、本来のあるべき形を求めている、その姿はあくまで現実世界を生きる我々と繋がっており、そのか細い繋がりを断ち切ることが、できるのだろうかと尋ねる詩人の声は反語的で懐疑的であり、生が根源的に抱えている不安こそが、不格好ながらも「理想的」存在であることの、条件なのでしょう。

ちょっと、詩の解釈めいたことを書いてみました。こうやって書くと、なんとなくわかった気になるから不思議なものですね。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
セーヌ川と並木道。




2012年7月7日土曜日

異邦人が街に住みつくとき

おはようございます。

『ユリイカ』6月号がアントニオ・タブッキ特集だったので購入しました。
以前に述べたように、タブッキはフェルナンド・ペソアの研究者であり、翻訳者でありました。

生涯を通してペソアに関心を持ち続けたタブッキですが、いったいペソアのなにが彼を惹きつけたのか。異名と呼ばれる数々の人物を創造し、全く異なる詩世界を作り上げたこと?――もちろんそれも理由のひとつでしょう。

事実タブッキは、中編『フェルナンド・ペソア最後の三日間』において、臨終の床にあるペソアの下を、異名たちが訪ねる様子を描いています。

しかしながらタブッキが、詩人のそのような側面(にしてもっとも有名な背面)に惹かれていたのは確実としても、それだけではなかったこともまた、同様に確かなことに思われるのです。

別の側面とはつまり、「机上の旅人」 としてのペソアです。私自身、これまでも彼の経歴を読んで、非常に興味を惹かれていた部分です。今回『ユリイカ』に訳出された作品を読んで、タブッキもまた同じような興味を持っていたに違いない、と思うようになりました。

「…フェルナンド・ペソアは机にすわって旅をする。」

小品『しずかな旅人』にある一文ですが、これを読んで文学好きの人ならもう一人、詩人と同時代を生きた人物を思い出したとしても、なんら不思議ではないでしょう。

フランツ・カフカ。1883年生まれ。1924年になくなるまでの大部分をプラハで過ごした20世紀の偉大な小説家は、その40年の生涯で数えるほどしか旅行をしていません。
その一方で、旅を常に夢見ていたのは確かなようで、それは未完の長編『アメリカ』や、ジュール・ヴェルヌを好んで読んでいたことからもうかがえます。

ペソアとカフカ、二人に共通するのはただ一度きりの旅行が、人生において決定的なものとなってしまうこと。またふたりが生涯をすごした都市が、彼らにとって(おそらくは)故郷と呼べる場所ではなかったこと。

特に後者において、二人の共通部分は際立ちます。なぜ彼らはその、生まれ故郷と呼べない場所を、生涯の地と定め、そこから出ることなく一生を終えたのか?

二人の生き方には、都会に生きる異邦人の不安と安息が垣間見えるように思います。近代から現代に至る過渡期を生きた彼らはまさしく、現代の都会人だったのでした。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
フェルナンド・ペソアの肖像

2012年7月6日金曜日

ゼーバルト・コレクション

おはようございます。

W・G・ゼーバルトの名を初めて見たのは今から7,8年以上も前のことで、その頃の私は本屋に勤めており、任された文芸の棚を、如何に自分好みのものにできるか腐心していました。

その年の翻訳大賞でも採ったのだったか、普通なら1,2冊入荷すれば万歳な、海外(純)文学の注目本として、『アウステルリッツ』を平積みにしたのを今でも覚えています。

今記憶を辿り直してみると、それはちょうどゼーバルト・コレクション全六冊の刊行開始に合わせた増刷で、その証拠に記憶の中の私はそれを、第一回配本の『移民たち 四つの長い物語』と読み比べて、後者を買い求め、そして帯に書かれた今後の配本予定の最後に、『アウステルリッツ』のタイトルが、改訳の文字と、多和田葉子氏解説とあるのを確かめていたのでした。

最初の年に2冊刊行された後は、一年に一冊のペースで上梓される予定であったそのコレクションは、当初の予定から大幅に遅れて、もはや待つと呼ぶにはあまりにも期待薄な態度を持って、それでも書店に立ち寄った際には視線の端でいつも、コレクションの完成を飾る、最終配本を期待しているのでした。

そして、今年の七月。つい先日ふと立ち寄った本屋の店頭で、ついに完結の瞬間を目の当たりにすることになりました。半ば信じられぬ思いで手にとって、冒頭の一行に、『六〇年代の後半、なかばは研究の目的で、なかばは私自身判然とした理由のつかぬまま、イギリスからベルギーへの旅をくり返したことがある。』  とあるのを見つけたとき、この7,8年にも及ぶ空白期間を経た再会を、心から肯定したのでした。

かつて一度、手に入れようと思えば容易にそうすることのできたものを、自らとり逃して長い歳月を経て、予期せぬ出会いによって今度は分かちがたく結び付けられる。

このテーマ自体が、読み進めていくにつれ、語り手の私と、アウステルリッツとの間に醸成された関係性そのものであるかのように思われて、人生と本が交錯する、このような瞬間において人は、本とその物語にもっとも没入し、ほとんど生きることができる、と感じられたのです。

もっとも今はまだ、冒頭の100pほどを読み進めたにすぎず、二人の行く末は未だ定かでなく、確かなことはこれが過去に密接に結びついた物語、より正確には過去を語り直し清算することによって生じる、一続きの現在を描いた物語だということで、これはそのまま人生に当てはめても構わないのではないか、そんな気持ちにさせられる小説だということです。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!


2012年7月5日木曜日

生活の幅は広がったか?

おはようございます。

今年は2012年、21世紀になってもう10年以上が経ったことになります。

10ねんもあれば、いろいろなことが代わるもので、私にとってとりわけ印象的な変化といえば、携帯電話やネット環境の劇的変化でしょうか。

後者に関していうと、今ではもはや当たり前になったネット上での動画の視聴が、10年前ではこれほど容易くなかったことを思い合わせると、まさに昔日の感があります。

また、前者に関して言えば、世紀の変わり目くらいがちょうど小中学生でさえ持つようになり、爆発的に普及した時期だと、認識しています。

これらはいずれも資本主義の恩恵、とまぁいうことができるでしょう。一方で、現在の商品交換スパンを見ていると、もはや資本主義は人間の手に負えないところまで来てしまっている、そんな印象も受けます。

そのひとつの指針として、私が提示したいのが、タイトルにもある、「生活の幅」。つまり人が生きていくうえで、どれだけの選択肢、可能性があるか、ということです。

一見すると、現代社会は無限の可能性を有した、素晴らしい社会と見えます。実際、一昔二昔前に較べると、ずいぶんといろいろなことができるようになっています。私がこんな風にブログという形で、世間一般に向けて発信することができる、というのも、昔は考えられないことでした。

その一方で、これだけ人と物とアイディアが自在に行き来する世界なのに、選択の幅が狭すぎる、ということもできるでしょう。

それは、用意されたレールの本数は増えたけれど、それ以外の道は歩行困難になった、とイメージすることができます。

携帯電話を例にとれば、今や機種変更の際、スマートフォン以外の選択肢をとることは、驚くべき困難を伴う、ということです。

もはや資本主義は人が生きるために使用するツールではなく、人が資本主義を増大させるための燃料資源なのだ、と考えてみても、あながち悲観的な意見とも思われないのです。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!

2012年7月1日日曜日

7/1 認知症ケア専門士試験

おはようございます。

タイトル通り、試験を受けてきました。
手ごたえとしては、9割方受かっただろう、という実感。それほど難しい試験でもありませんしね。

そんなことより気になったのは、受験者の数!まさかこんなに多いとは。私の受けた会場だけで2000人を下らないんではないでしょうか。受験会場を聞いたときにはまさか、と思ったものですが、予想をはるかに上回る老若男女の、人、人、人でした。

それにしても、この資格試験ってやつ、あこぎな商売ですね~。

今回のこの試験なんてテキストが実質一種類しかないので、会場にいる人みんな、ほとんど同じテキストでした。つまり、受験費用+テキスト代+登録代で相当な利益を出しているのは間違いないですね。肝心の試験内容といえば、重複あり、揚げ足取りの問題あり、の実にお粗末な内容でしたが…。

なんだか業界との癒着の匂いがぷんぷんします。

試験を受ける人の知識や技術向上のためでなく、自分たちの利益を最大にすることばかり考えている、そんな印象を持たれても仕方ないのでは?と思ってしまう試験でした。まあ、資格試験なんて、どれも似たようなものなのかもしれません。

しようもない話で七月がスタートです。申し訳ない。次回からまた、いつも通り頑張ります。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
せめてもの償いとばかりにパリの一幕