2012年7月6日金曜日

ゼーバルト・コレクション

おはようございます。

W・G・ゼーバルトの名を初めて見たのは今から7,8年以上も前のことで、その頃の私は本屋に勤めており、任された文芸の棚を、如何に自分好みのものにできるか腐心していました。

その年の翻訳大賞でも採ったのだったか、普通なら1,2冊入荷すれば万歳な、海外(純)文学の注目本として、『アウステルリッツ』を平積みにしたのを今でも覚えています。

今記憶を辿り直してみると、それはちょうどゼーバルト・コレクション全六冊の刊行開始に合わせた増刷で、その証拠に記憶の中の私はそれを、第一回配本の『移民たち 四つの長い物語』と読み比べて、後者を買い求め、そして帯に書かれた今後の配本予定の最後に、『アウステルリッツ』のタイトルが、改訳の文字と、多和田葉子氏解説とあるのを確かめていたのでした。

最初の年に2冊刊行された後は、一年に一冊のペースで上梓される予定であったそのコレクションは、当初の予定から大幅に遅れて、もはや待つと呼ぶにはあまりにも期待薄な態度を持って、それでも書店に立ち寄った際には視線の端でいつも、コレクションの完成を飾る、最終配本を期待しているのでした。

そして、今年の七月。つい先日ふと立ち寄った本屋の店頭で、ついに完結の瞬間を目の当たりにすることになりました。半ば信じられぬ思いで手にとって、冒頭の一行に、『六〇年代の後半、なかばは研究の目的で、なかばは私自身判然とした理由のつかぬまま、イギリスからベルギーへの旅をくり返したことがある。』  とあるのを見つけたとき、この7,8年にも及ぶ空白期間を経た再会を、心から肯定したのでした。

かつて一度、手に入れようと思えば容易にそうすることのできたものを、自らとり逃して長い歳月を経て、予期せぬ出会いによって今度は分かちがたく結び付けられる。

このテーマ自体が、読み進めていくにつれ、語り手の私と、アウステルリッツとの間に醸成された関係性そのものであるかのように思われて、人生と本が交錯する、このような瞬間において人は、本とその物語にもっとも没入し、ほとんど生きることができる、と感じられたのです。

もっとも今はまだ、冒頭の100pほどを読み進めたにすぎず、二人の行く末は未だ定かでなく、確かなことはこれが過去に密接に結びついた物語、より正確には過去を語り直し清算することによって生じる、一続きの現在を描いた物語だということで、これはそのまま人生に当てはめても構わないのではないか、そんな気持ちにさせられる小説だということです。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!


0 件のコメント:

コメントを投稿