2013年5月18日土曜日

映画『ヒステリア』 今シーズンワースト映画に決定!

恵まれた題材からクソみたいな映画。『ヒステリア』はこんな評こそふさわしい。

舞台は19世紀末のイギリス。第二次産業革命ただ中の英国ヴィクトリア王朝では、性革命も同時に進行していた。

①すぐ泣く ②異常性欲 ③不感症 ④うつ病 などなどさまざまな症状を引き起こす“ ヒステリー ”と呼ばれる女性特有の病気に対抗するのは、真面目で医学の進歩を信じる(おまけに美男の)若き医師グランヴィル。彼が一般病院を追い出され、婦人科の権威ダリンプル医師の診療所に流れ着くところから物語は始まる。

日々マッサージ治療に明けくれるグランヴィルだったが、治療のしすぎで利き腕が使えなくなってしまう。あげく診療所もクビになってしまうのだが…。もちろんここがヴァイブレーターの見せどころだ。

「圧倒的支持率100%」なんて謳い文句につられたわけではないが、正直期待していた。だってヴァイブレーターの歴史だぜ?21世紀、人類はオナニーの道具についてこれだけ大っぴらに話せるようになったんだ。なんて期待していただけに、失望もまた大きい。なんて退屈な映画なんでしょう!

「20~60代女性限定一般試写会アンケート」なるものを行ったらしいが、それによると「この映画の感想は?」の質問には「非常に素晴らしかった」が38%、「大変良かった」が62%で満足度100%、更に「この映画に共感できた?」の問いには「Yes」が100%だったという。ウソだろ、おい。
おそらく、答えの選択肢が前者は「非常に素晴らしかった」と「大変良かった」の二択、後者は「Yes」しかなかったのだろうと推測される。

はっきりいって、これは女性蔑視の物語だ。この映画の監督は女性のようだが、19世紀の男性優位主義者が作ったといわれても納得の出来栄えだ。登場人物(とりわけ女性)に個性はなく、ただお決まりの枠にはめられている。ヒロインは女性の権利活動家でかつ慈善事業家だが、事業の金銭面では全面的に父親に依存している。父の行う画期的なマッサージ療法を毛嫌いしているにも関わらず。彼女の慈善事業は自分ではお金を稼いだことも働いたこともないお嬢様のオママゴトにしか見えない。

まったく魅力のないヒロイン、シャルロットに突如心奪われる主人公も謎だ。二人が抱き合うラストシーンはもはや、喜劇を通り越して悲劇的だ。妹のエミリーはどうしたよ、ええ?

この映画のなにがひどいって、結局ここだろう。妹エミリーとの恋愛を、姉シャルロットの引き立てる道具にする安直さ。お互い好き合っていた二人の関係をまるで、父親によって強いられていたかのように扱う態度。

映画の中ほどで主人公グランヴィルと妹エミリーが婚約の言葉を交わす。その際のぎこちなさはお互い本心を隠して建前ばかり(「父のため」「診療所を継ぐため」)を述べていたからで、決してお互い嫌いだったわけではない。むしろ好きなんだろ?それが言えなくてもどかしいんだろ、と観客は思う。なのにラスト手前では、妹エミリーは突然、「自分の本当の気持ちに気付いた。私は父のいいなりになってきただけ」と言って、グランヴィルとの関係に終止符を打つ。いやいや、ちゃうやろ。

確かに父の期待に添うように、とは思っていた。でもそんなことを抜きにしてあなたのことが好きなの、って展開が自然というものだ。そして姉シャルロットもまた、自分のことを擁護し、援助してくれるグランヴィルに惹かれ始める。

今や若くして金持ちで、顔も心も男前、加えて医師の本分を忘れないパーフェクト超人と化したグランヴィルをめぐって、姉と妹の骨肉の争いが繰り広げられる。その背景に自立した女性としての二人の姿をチラ見せする、といったところで幕を閉じるのがベストな結末だったろう。

もういいよ、期待した私がバカだった。こんな映画を見るよりは、橋本市長の従軍慰安婦発言を真面目に考えるほうが有益だ。さあみんな、戦争責任についてアメリカの野郎と話そうぜ。

Au revoir et à bientôt !
これはあかんでぇ。つーか、せっかく良い題材なのにもったいない。

2013年5月14日火曜日

大戦のさ中、地球の裏側で起きる。

はたから見れば彼らは仲の良い姉弟に見えた。

姉のLina が弟の Gerardo をあやす姿を見て、人々はなんて手のかからない子なんだろう、そしてなんて親孝行な娘だろう、と思っていた。5歳の年の差は兄弟にしてはさほど珍しくもない。

だが、母と息子の年の差が5歳しかない、なんてのは人類の歴史上この母子だけだ。

1939年5月14日、ペルーのリマでLina Medina が帝王切開で男の子を産んだ。その時彼女は5歳7ヶ月と20日。もちろん史上最も若い母親だ。

両親に聞き込みを行ったところ、通常は10歳前後で経験する初潮を、3歳にしてすでに迎えていたことがわかる。それはすごい。だが問題はその点ではなく、少女(と呼ぶにも幼すぎる)が類稀なるロリコンの毒牙にかかっていたことだ。

初めは父親が疑われた。それから、知的障害のある兄。どちらも警察に捕まったがその後、証拠不十分で釈放された。

彼女が息子を産んだ直後から、様々な方面からビジネスの話が舞い込む。そのほとんどが好奇心という名の悪辣さに端を発していた。中には、当時ニューヨークで開催されていた万博に子供と一緒に(見世物として)参加すれば、週に1000ドル(*) あげるよ、と持ちかけてくる者までいた。ペルー当局が子供たちを守るために一切の接触を禁じたのは、良心的な判断だといえる。

歴史上類を見ない幼年期を過ごした二人だが、その後の人生に特筆に値するような出来事はない。

Gerardo は1979年まで完全な健康体で過ごした後、40歳で脳髄の病気で亡くなった。

Lina はその後結婚し、1972年に第2子を出産する。彼女は現在も存命中であり、リマの貧しい郊外の一角に居を構えている。

出産から73年が経った今も、Gerardo の父親については口を閉ざしたままだ。

Au revoir et à beintôt !
 
(*) 当時の1 ドルは日本円で3.8円ほど。当時の1円は現在では1618円ほどの価値があるようなので、週給1000ドルとはつまり、1000×3.8×1618=¥6148400 、約615万円になる。

2013年5月13日月曜日

ときに権力は英断を下す

教皇ユリウス2世の慧眼をこそ、褒め称えるべきであろうか。

仕事を任されたとき、青年は未だ一枚の絵画しか完成させていなかった。本人には画家としてよりも、彫刻家としての矜持が勝った。
それでも4年の歳月の後に作品は完成し、いみじくも伝記史家ヴァザーリが予言した通り、今日まで西洋美術界の頂点にあり続けている。

1475年3月6日、現在のトスカーナ州アレッツォ近郊に生まれると、幼少期をフィレンツェで過ごす。13歳でギルランダイオに弟子入りすると14歳のときにはすでに一人前の画家として認められていた。もちろんこれは、当時においても極めて異例のことだった。1489年にメディチ家から、もっともすぐれた弟子を二人推挙するように言われたギルランダイオは、わずか14歳のこの少年を推薦している。

1492年、後援者であったロレンツォ・デ・メディチが死去するまでそこで彫刻を学んだあと、1496年には枢機卿ラファエ・レ・リアーリオの招きに応じ、ローマに赴く。ときに21歳。

1497年には彫刻の代表作のひとつに数えられる『ピエタ』を製作。さらに1504年、29歳にして彼の人生においてのみならず西洋彫刻界においても頂点を極める『ダヴィデ像』を完成させている。

システィーナ礼拝堂の天井画を引き受け(させられ)たのは、ちょうどこの頃。彫刻家として栄華を極めていたときのことだ。1508年5月10日にしぶしぶながらも契約にサインし、その4年後に作品は完成する。

この巨大な絵の白眉はやはり、『アダムの創造』の一場面だろう。神が自ら創り上げた人間に、魂を吹き込もうとする瞬間を、触れ合う指先で表現したこの作品には、人類創造の瞬間に対する一点の疑念もない信仰が見てとれる。

余談だが、日本でも同天井画を見ることができる。徳島県鳴門市にある「大塚国際美術館」には、世界の名画100点以上の、原寸大の陶板が飾られている。システィーナ礼拝堂の天井画などはその展示法までも含めて、ほぼ完全に再現されている。

すでに彫刻家としての名声をほしいままにしていた彼が、ほとんど新たな試みとして絵画の分野に乗り出すことには、躊躇いもあっただろう。事実、彼自身は初めまったく乗り気ではなく、ローマから逃げ出すことまでしている。それでも最終的に完成した作品は、人類史上まれにみる傑作となった。それは、その作品があることで、人類の存在そのものが肯定される、そういった類のものだ。

ルネッサンス期に天才は数あれど、こう呼ばれるのは彼しかいない。ミケランジェロ・ブオナローティ、まさに「神に愛された男 / Il Divino」だ。

Au revoir et a bientot !
大塚国際美術館の天井画。原作を忠実に再現。かなり、いいです。
参照URL:

2013年5月9日木曜日

オランピア、母に会う

オマージュとパロディ、盗作の境界線は曖昧だ。とりあえず、どれもすべて元となるネタが存在するが、それに対し、密やかな目配りをするのがオマージュ、それなしには成立しないのがパロディ、もはや元ネタと区別がつかないのが盗作としておこうか。

とりわけ小説や美術の世界で、それらは活発だ。いや、そもそもこれらの呼称が芸術作品にのみ使われている、というのが正しい。優れた作品は優れた後継者を生み出す。それはひとえに真似ぶ力だ。

4月末、歴史的な邂逅がなされた。マネの傑作、『オランピア』が、歴史上初めてフランスを離れ、16世紀の画家ティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』とヴェネツィアの地で出会ったのだ。

世界一美しい二人の女性は、同じ壁に並んで飾られ、各々に自らの美を主張する。ミシェル・レリスが夢見た一生に一度あるかないかの奇跡が、21世紀になって実現した。

この二人を共に「世界一美しい」と表現するのは、矛盾を孕んでいるようでいて、そうではない。なぜなら、『オランピア』は、『ウルビーノのヴィーナス』の直系の子孫、更に言えば母と娘の関係にあたるのだから。

マネが初めて『ヴィーナス』を見たのは25歳のとき。彼女は既に有名人であり、1775年にはマルキ・ド・サドを悩殺し、「高級娼婦」と揶揄されていた。美の女神は1863年、31歳のマネの手によって正式に娼婦へと格上げされる。

『オランピア』の中でマネは、偉大なる前任者にオマージュを捧げつつ、7つの違いを描き出している。モデルの女性がサンダルをはき、首に紐を巻いていること、忠実さのシンボルである犬が、黒猫に変えられていること。もちろん猫は気ままさのシンボルであり、同時に姦淫の象徴でもあり、その証拠に尻尾は性器を象っている。

あの『草上の昼食』よりも当時過激とされたマネの作品。その本質にあるのは、平凡さの中に潜む不遜だ。裸体画とは本来、あるいは建前として「美」を崇めるためのものであり、好色な目的のものではなかった(とされていた)。

マネの前では建前の仮面はいとも容易く剥ぎ取られる。オランピアの率直な、鑑賞者をじっと見据える眼差しによって。

そういえば、ニュースでは『オランピア』搬入時の様子も報じられていた。それによると同作は、ごく平凡なトラックに乗せて運ばれてきたという。トラックの荷台に『オランピア』を乗せる不遜さ、この行為もまた、マネの作品のオマージュ、といえるかもしれない。

Au revoir et à bientôt !

 

2013年5月7日火曜日

世界で一番良い仕事 !?

オーストラリアは身近だ。

高校の頃、留学といえばオーストラリアだったし、ワーホリの行き先でも、一番人気だ。

もちろん実際に身近かといえば、決してそんなことはない。時差はほとんどないけれど季節は真逆だし、そもそも飛行機で9時間はかかる。文化的背景も日本とはひどく異なる。

初めて西欧文明が到達したのが1606年、1788年からは独立したアメリカに代わって流刑植民地としてイギリス人の移民がはじまる。1828年に全土がイギリスの植民地に。1901年に独立を果たすが、その後もイギリス国王に忠誠を誓っていた。当然のように先住民たちの文化が無視されるのが西欧の帝国主義が世界に広めた「歴史」だ。

それはともかく、身近な国と思わせるのにはそれなりの努力が必要で、オーストラリアは国を挙げて実施しているのが大きい。その文化的背景を有効に生かして、日本を含むアジアの各国には西洋文明への憧れを、ヨーロッパ文化圏には共通の価値観をチラつかせながら、適度に加減されたオリエンタリズムを提供する算段。実にしたたかである。

そんな国を挙げての取り組みの一つに、「世界最高の仕事」プロジェクトがある。
カンガルーを起こすこと、イルカと一緒に泳ぐこと、コアラを抱くこと、そしてオーストラリア国内の魅力的なバーやレストランを発掘すること、といった一般的な仕事のイメージとは程遠いものばかりで、毎年世界各国から数万人が応募している。

応募には30秒のアピールヴィデオの製作が必要になるが、今回選ばれたフランス人のElisa さんが作った動画がこちら。他にもFacebook 上で1000のいいね!を獲得するために奔走する姿を撮った動画などもアップされている。


なんのためにこんなプロジェクトを?もちろん、オーストラリアの魅力をもっと世界に知ってもらうためだ。なるほど、広告費に較べれば人間一人の人件費など知れたものだ。現在の一個人の発信力に着目した、21世紀型マーケティングの成功例といえるだろう。

観光大国を目指す日本の手本が、こんなにも身近なところにある。

Au revoir et a bientot !
オーストラリア。じゃなくて、おーじどうぶつえん。
 参照URL:
 

2013年5月2日木曜日

メーデー スペインからの救難信号

5/1 はメーデー(May Day) 、ヨーロッパでは夏の訪れを祝う日である一方、労働者が統一して権利要求と国際連帯の活動を行う日である。

昨今の日本では存在感が薄く感じられるが、その一番の理由は、ゴールデンウィークとかいうふざけた大型連休の最中に、働くことを真面目に考えるやつなんていない、この一点に尽きると思う。

そもそも日本は国際的に見て、5/1 が祝日ではない、珍しい国の一つに数えられる。祝日化の動きはこれまでに何度かあったようだが、実現はしていない(このあたりの経緯はWiki を参照させていただいた)。つーか別に勤労感謝の日があるじゃん、と言われればそれまでだ。

ここに面白いデータがある。

タイトルはずばり「世界の祝日ランキングベスト10」。祝日を含めた年間有給休暇数を比較したものだが、日本はヴァカンス大国フランスから1日少ないだけの、年間35日で世界9位にランクインしている。アメリカの25日、ドイツの29日、有休がすべて使えるわけでないことを差し引いても、かなり多い。

さて、肝心のメーデー。水曜日は世界各地で労働組合による運動が繰り広げられ、ヨーロッパではとりわけ、緊縮財政と失業率の悪化に抗議するデモが盛んに行われた。

その中でも気になったのは、先日就任したばかりの第266代ローマ教皇フランシスコが出した声明だ。

「若者だけに限らず、人々が就業するのが困難ないくつかの国がある」と教皇は言う、「エゴイスティックな経済原理が根底にあり、それが今日の状況を生み出しているではないかと思っている。これは社会的正義の観点から逸脱した精神だ」。このように述べて失業と、それを生み出している社会に警鐘を鳴らした。

この発言で教皇が念頭に置いていたのは、スペインの悲惨な就業実態だろう。

昨年10~12月期のスペインの失業率は、過去最悪の27.2%。これは国民の4人に1人が失業しているきわめて異常な状態だ。更に若者(16~24歳)に限ればこの数値は57.2%にまで跳ね上がる。リーマンショックが起きる直前の2007年の数字が8.6% 。失業者の総数は当時が190万人、現在は620万人にまで膨らんでいる。

スペインの年間有給休暇数は日本より1日多い、36日(フランスと同率6位)。羨ましくなんかない。今やスペイン国民の大半にとって毎日がヴァカンスだ。もちろん、無給だ。国民的スポーツであるサッカーも、先日チャンピオンズ・リーグでレアル・マドリー、バルセロナともに、ドイツ勢を前に敗退した。経済だけでなくサッカーでも負けちまうのか?

ここ数年のあいだ、世界最高のサッカーチームであり続けたFCバルセロナが、2試合合計 7-0 でバイエルン・ミュンヘンに敗れる姿は衝撃だった。もしかするとあれは、スペイン経済が発するメーデー(*救難信号)だったのかもしれない。

* mayday は世界共通の救難信号。フランス語の "Venez m'aider / 助けに来て" に由来する。
 
Au revoir et à bientôt !