2014年1月30日木曜日

清清しいまでに下品 映画『アイムソー・エキサイテッド!』

「とびきり下品なネタ満載なので、デートには禁止よ。」
――よしひろまさみちさん(映画ライター)

いやー、それ観る前に言ってほしかったわ。チラシに掲載されてる著名人のコメントを呼んでそう思ったのは、なにも私一人ではないだろう。おかげで見終わった後に気まずい雰囲気満々ですやん。

なんとか名誉挽回しようと映画の名シーンを思い出して会話を盛り上げようとするのだけれど、あら不思議!そんなシーンは思い出す限り1ミリも存在しないじゃありませんか。ってそれ以前にこんな映画にウキウキで彼女を連れて行った男の知性が疑われるよね。

ペドロ・アルモドバル監督の『アイムソー・エキサイテッド!』はそんな映画だ。全編下ネタ満載、ってか下ネタしかない、3人のオカマ添乗員と曲者だらけの乗客たちが織り成す、「ワン・シチュエーション・コメディ」。

「ワン・シチュエーション・コメディ」って単語につられて、傑作『大人のけんか』みたいな作品を想像してしまってはいけない。この映画の出来栄えなんて、語るだけ野暮だろう。考えるんじゃない、感じるんだ。そうすれば君のア○ルがむずむずしてくること請け合いだ(下品で失礼)。

やっぱり歌って踊っているシーンがいい。私は大好きだ。フランソワ・オゾン監督の『8人の女たち』の影響が大きいのかもしれない。3人のオカマの最大の見せ場、特に信心深いぽっちゃりファハスの出番はここだけだ。バナナマンの日村に似た彼の勇姿を、僅か3分程度だが、目に焼き付けたい。
ストーリーには関係ないが、個人的には殺し屋が持っている本が気になった。あれ多分ロベルト・ボラーニョの『2666』だと思うんだけど。この飛行機が向かう先はメキシコ。『2666』の主な舞台である架空の街も、メキシコシティをモデルにしているといわれる。そこで行われる大量殺人事件が物語の骨子にあるのだから、それが彼の職業=殺し屋を暗示しているのも当然だ。

たぶん、癖のある乗客たちのそれぞれには、モデルとなる人物が存在するのだろう。世界的なSM女王、落ち目の俳優、それに未来が見える処女の中年女子(世間に根付いたアラフォー、アラサーなんて中身のない言葉よりも、私はこの語を強く押したい)…。興味のある方は調べてみてはどうだろうか?

ごめん、全然映画の内容に突っ込んでないね。つーか、突っ込むほどの内容があんのか。でも駄作ではない(間違っても傑作ではないけれど)。予告を見て、ウキウキで嫁を誘って行った私の名誉のためにもそう言っておきたい。休みの日になにもすることがなくて、街をぶらぶらしていて、たまたま寄った映画館で、ちょうど上映してたんなら観てみればいいと思う。けっこう笑えるぜ。

ただし、恋人と行ってはいけない。わざわざ危ない橋を渡るのは勇気ではなく、無謀というものだ。一人で行き、下品なネタに笑い、感情を共有している他の観客たちを軽蔑すればいい。他の観客たちも、下ネタで爆笑する君の事を蔑んでいるから。

だがもし、もしも恋人と一緒に行ってしまい、気まずくなるどころか恋人のほうから映画の話題を嬉々として話してくるようであれば、別の心配をするほうがいい。たぶん君の恋人は…バイセクシャルだ!

Au revoir et a bientot !

2014年1月29日水曜日

すべての傑作は特殊な例外である

かつて風景画は絵画の位階において一番低いところに位置していた。

美術史を開くと決まって用いられるこのロジックに、最初は無批判に納得し、首肯していた。そうして、レンブラントやターナー、マネと印象派の革新性と時代を切り開いた努力に感心させられていた。だが、ふと、あるとき立ち止まって考えてみる、「本当にそうなのだろうか?」と。

一等高い位置に宗教画があり、その下に歴史画や人物画、さらにその下にはごたまぜに、静物画や風俗画と一緒に風景画がある――おそらくそれは正しいのだろう。だが、その仮定を受け入れたときに、ひとつの矛盾が生じる。なぜクロード・ロランは17世紀当時、歴史画の体裁をとりながらもその実ほとんど風景画といえる絵を描き続けながら、かくも絶大な人気を誇り、あまつさえ多大な贋作を生み出すに至ったのか?

安易に答えを出すことはできない。なぜならそれは、クロード・ロランの描いた作品の魅力を語ることと同義だからだ。同じく時代は下るが同時代から受け入れられ、賞賛されたイギリスの画家、ターナーの展示会に行って、その感を強くした。時代を超える作品の多くは、その当時の社会の要求を超えたところに存在するのだ、と。

ジョン・バージャーの『イメージ 視覚とメディア』(ちくま学芸文庫)は、硬直した絵画の見方を一変させるだけの力を持った力作だ。以下にごく簡単に要約してみよう。

画家にある物をキャンバスに描かせるということは、と彼は語る、それを買い、家のなかに配置することに近い行為といえるだろう。物を描いた絵を買うことは、その絵があらわす物の外観を買うことでもある。

見ることによって所有することを可能にした芸術形式、それこそが油絵であり、多くの凡作に過ぎない油絵はただ、市場の要求にしたがって、ただ金で買えるものを示したに過ぎない。要は油絵とは、貨幣の変種といえるのだ。

後世から観るわれわれに、そのことは見えずらい。なぜなら、後世に残っているものはほとんどが傑作であるからだ。だが忘れてはいけないことがある、すべての傑作は特殊な例外である。傑作が時代の欲求と外れたところにある以上、それらを時代jを追ってつなぎ合わせたところで、当時の社会がよみがえるはずがない。

とりわけ、風景画においてそうだ。伝統的な絵画の位階において、確かに風景画は低い位置ににあった。だが風景画ほど自立的な絵画行為はなく、それゆえ最初の独創力はいつも、風景画から起こったのである。同時代と後世の評価が交錯するクロード・ロランやターナーといった画家は、まさに「幸福な例外」と呼べるのだろう。

Au revoir et à bientôt !
神戸のターナー展にて

2014年1月21日火曜日

売女の人殺しに共感して

毅然とした態度でゆったりと歩を進める巨体と、それにあわせてワラワラと群がる小さな生き物。宇宙から見るとはたしてどちらがより知性を持った動物に見えるのだろう。

過去にその語を耳にしたことは片手で数えるほどしかないのに、一週間や二週間そこらで2度もその単語に出会うとしたら、それは啓示だ。まったく関係のないモノ同士を結び合わせる絆は、手を離せばほどけてしまう。

最初に出会ったのはいつものように、C'est arrivée aujourd'hui の記事だ。1903年1月4日、1500人の野次馬たちが集まったルナパークで、一頭の象 Topsy の公開処刑が行われた。罪状は殺人。火のついたタバコを食べさせようとした愚か者を踏み潰したカドで告発され、弁護人もなく死刑が言い渡された。年齢は28歳のアジア象。Forepaugh サーカスの一員として働いていた。

ここに見る暴力と群集の熱狂におぞましさを覚えながらも、安易に非難しない(できない)のが、人の弱さであるとともに、共感の持つ力だろう。

次にそれは文学の中に現れる。

昨年超大作 『2666』 が日本語訳されて以降、いまや今世紀最大の文学的事件として扱われつつある(もちろん日本での話だ)、ロベルト・ボラーニョ。彼の生前最後の短編集『売女の人殺し』、その一編「フランス、ベルギー放浪」の中にルナパークは登場する。

作者が投影されたBという登場人物は、物語の冒頭で、パリ滞在2日目に殺し屋が養老院で暮らしている小説を読み終えたあと、古本屋を物色しに出かけ、ヴィウ・コロンビエ通りの一軒に入り、そこで雑誌『ルナパーク』のバックナンバーを購入する。

そこに寄稿している作家の中で、アンリ・ルフェーブルなる人物だけが、Bが何も知らない唯一の名前で、その名前が古本屋のなかで、まるで暗い部屋でともしたマッチみたいに突然輝いて見える。少なくともBはそう感じる。

傑作長編小説『野生の探偵たち』のミニチュア版ともいえるこの短編で、Bがルフェーブルに寄せる想いもまた、共感と呼べるのではないだろうか。そしてベルギーに訪れた昔の知人MがBに抱く想いもまた。

それは互いに断絶された二人の人間が虚空に伸ばした腕のような想いだ。たとえ指先しか触れ合わないとしても、あるいは届かないとしても、伸ばした腕の形はきっと、忘れられずそこにあって、たとえ互いに忘れたとしても、別の時間、別の孤独な誰かがその場に居合わせて、それを見つける。想いはまるで暗い部屋でともしたマッチみたいに突然輝いて見える。少なくとも私はそう感じる。

Au revoir et à bientôt !

2014年1月13日月曜日

『マネー・ボール』片手に球場入り

「流行りモノだから」読まない、聞かないって態度は、自分の関心と流行を作り出すメインストリームとの距離がしっかり掴めている限りにおいて、役に立つ。

人生の限られた時間のなかで、自分の好きなものを追うだけでも十分でないのだから、まずは「捨てる」ことが優先される。大多数のものを切り捨てた後に初めて、自分が関心のある分野にどっぷりと浸かり、なにを読むか吟味する。正しい判断だ。

ときに自分の関心の先が流行りモノに向いていることがあるだろう。そんなときはよく考えてみたほうがいい。「流行りモノだから」といって、無差別に切り捨ててしまうのはおろかだ。それではその分野の最良のものを見落とすことにもなりかねない。流行はときに、その分野の最良のものだけを取り出し、持ち上げることがある。

まあ、そんなことを考えながらってわけじゃないんだけど、先日ようやく『マネー・ボール』を読んだ。やばいね、面白いわこれ。(著者:マイケル・ルイス)

日本のプロ野球およびそのファンのあいだでもようやく、マネーボール理論ひいてはセイバーメトリクスが重要視されるようになってきている。偉そうに書いている私も、そもそもそんなデータがあることすら、ごく最近まで知らなかった。これは、セイバーを球団経営に先駆的に取り入れた、、2000年代前半のオークランド・アスレチックスの快進撃の物語だ。

アスレチックスのGM(ゼネラル・マネージャー)に就任した元メジャーリーガーのビリー・ビーンは、「どうしたら少ない投資額でたくさん勝つことができるか(=大きな見返りが得られるか)?」と考えた。

多くの人間が抱くこの疑問に、ビリー・ビーンはこれまで重要視されてこなかった数字にスポットを当てることで解決しようとする。多くの球団が選手獲得の目安としていた打率や打点、盗塁数といった数字に着目する代わりに、出塁率や長打率といった、これまでおざなりにされていた数字の重要性を見出し、結果としてこれまで正当な評価を得られていなかった選手たちを格安で獲得し、チームの勝利に結び付けていく。その発想の根本には、野球を「27のアウトを取られるまでにどれだけ得点できるか競うスポーツ」と定義付けられる明晰さがある。

ここまでが『マネー・ボール』の内容。原書は2003年に出版されており、それから10年が過ぎた現在、状況はまた変化している。
たとえば出塁率重視の傾向。この考え方の有用性が明らかになった今、出塁率の高い選手は以前ほど格安で取ることはできなくなった。それはつまり、金満球団と同じ土俵で争うことに等しい。それでは、勝てない。そんなわけで現在のアスレチックスはこの本ではあまり肯定されていない盗塁やバントも使っていく戦い方にシフトしていっている。マネーボールはまだ進化の途中にある。

もうひとつ、本書でも触れられているが未解決な問題がある。守備や走塁がセイバーメトリクスではあまりに軽視されている。明らかにここには議論の余地がある。結局のところアスレチックスがポストシーズンで勝てていないのは、そこに要因があるとも考えられるのではないか。

なんにしろこれは実に刺激的な本だ。「最良のビジネス書」と評した書評もあるくらい、他の分野でも役に立つ。もっともその評価は転じてみれば、「ビジネス書なんておしなべてクソだ」って言っているようなものなのだけれど。まあ、それには私も全面的に賛成だ。

Au revoir et a bientot !

2014年1月6日月曜日

野球フランスリーグ、今年の参加チームを発表

先月、野球フランスリーグの Classement Elite、サッカーで言うところの1部リーグに参加する8チームが発表された。

Chartres-French Cubs, Rouen-Huskies, Senart-Templiers, Beaucaire-Chevaliers, Paris UC, Savigny sur Orge-Lions, MVC-Barracudas, Toulouse-Tigers, 以上の8チームで2014年のチャンピオンシップは争われる。

各チームの名前は前半部分が地名、後半部がチーム名になっていて、それぞれカタカナに直すと、

シャルトル・フレンチカブス
ルーアン・ハスキース
セナール・テンプリエ
ボウケール・シュヴァリエ
パリ・大学クラブ
サヴィニー・ライオンズ
モンペリエ・バラクーダ
トゥルーズ・タイガース

となる。

で、FFBS(Federation Francaise de Baseball et Softball / フランス野球&ソフトボール連盟) の公式ホームページを見たんだけど、やる気なさすぎ!

まず参加しているチームの情報がどこにあるか、全然わからないし、ようやく見つけても情報そのものが少なすぎる。誰が所属しているのか、去年の成績がどんなものなのか、ぱっと見れないってのはいかんでしょ。

ちなみに2013年の結果を見ようと思えば、FFBSのホームページ→Championnats Baseball Division 1 → CNSB Archives-Championnats 2013 → Calendrier,resultats と経由すれば見ることができる。ね、簡単でしょ?

4割打者が誕生していたり、ホームランが1本も出ていなかったり、突っ込みどころは満載だが、ひとつのスポーツがある地域に根ざしていく、その過程を体験しているようで実に楽しい。

週に1度、一年で28試合しかなかったり、チームの本拠地もほとんどが人口10万前後の地方都市だったりと、まだまだ発展途上のフランス野球だが、もともと潜在的にスポーツ好きな国民性。サッカーやロードレースばかりが取り沙汰されるが、ラグビーもようやく根付いてきた。野球がフランス人の気質に合わないと誰が言い切れるだろう?今後の展開に注目だ。

Au revoir et a bientot !
私は今年もオリックス・バファローズを応援しています。
参照URL: FFBS 公式サイト

2014年1月4日土曜日

2014年 新年の抱負

あけましておめでとうございます。

今年のテーマは「謙虚」

これまで自分が積み重ねてきた経験や知識に安住し、人と比べて優越感に浸る、傲慢の罪を犯さないためにも、常に攻めの姿勢で学ぶことを忘れず、アグレッシヴにいきたいと思います。

これまでの自分がそうであったように、これからもそうあり続けたい。変わらずに継続することが変化を恐れずに求め続けることであり、もっとも困難なことだ――そんな気持ちを込めた今年の目標です。いわばこれ、原点回帰。

さて、今年でこのブログも4年目に突入しました。今年も気ままに自分が気になったテーマを書いていきたいと思いますので、お付き合いをどうぞヨロシク。

Je vous souhaite une bonne et heureuse annee !