2013年12月31日火曜日

語学に王道なし

12/26、準一級の試験結果が届いた。結果は 79 / 120 で合格!今回の合格点は67点。合格率は26 %。ってごめん、ガッツポーズはすでに、ネットで結果を知った四日前に済ましてたよね。さすがに四度目の受験ともなれば、喜びよりも安堵のほうが大きい。それでも4度目にしてようやく、十分な実力を持って一次試験を突破したのは紛れもない事実だ。もっと胸を張ろうぜ。

思えば2008年に二級合格してから丸5年が経っている。2009年には難しすぎると一度飛ばして、2010年からは毎年受験。その都度獲得点数は上がるもあと少しのところで合格を逃していた。去年はようやくやってやったと思ったら、試験用紙を捨てられてるし。ね?今回三度目(4回目)の正直で受かってほっとしている。

で、ここで少し自分の勉強法を振り返ってみようかと。今後二次試験、仏検1級を目指す自分自身にとって、あるいはこれから語学の習得を目指す人にとって、反面教師としてでも役に立てれば幸いだ。

ここ2年半、勉強した時間は大体記録をつけていた。 aTimeLogger ってアプリ優秀だよね、ってこれはステマ。その間にフランス語に費やした時間は、去年一昨年でおよそ1200h、今年が600h の計1800h 。あれ、多くね?――うん、どう考えても去年、一昨年の数字が間違ってるとしか思えないんだが。まあ、ここ3年は大体、1年のうち600h をフランス語の学習に費やしていた、と考えてもらえればよろしい。

これが多いか少ないかは別として、その 1800h の内訳を見ると、もちろん細かいのは残ってないんだけれど、ざっとした感じ、原書を読んでいた時間がおよそ 700h、1000h 弱が問題集を解いたり、italki.com に書き込んでた時間。残り100h がRFI なんかのラジオを聴いてた時間になる。

まあ、ぶっちゃけ時間だけかけて内容が薄いよね、って突っ込まれたら返す言葉がない。準一級の試験は1000h もかけるものじゃない、っていう人も多いだろう。でも、事実として私はこんだけかかった、ってことだ。人と比較してもしゃあないってことを学ばなければ、社会人をやりながら勉強を続けていくことなんてできない。他になにを学ぶにしてもね。

これだけやって私の学んだことは次の3つ

・ 原書100万語読んだからってスラスラ読めるようになるわけではない
・ 勉強の成果は問題集を解くのは比較的早く、書いたり読んだりが上達するのは遅い
・ 時間を決めてやるより内容を決めてやったほうが効率がいい

当たり前過ぎる?まあ、仕方ない。これが私が2年半ちゃんと勉強してみて得た結論だ。ただ、一番最初のものについてはちゃんと言っておきたい。世の中には100万語読めば原書が読める!みたいな本があふれているが、そして辞書は使わなくてもいずれ自然に意味がわかってくるなんて書いているが、あれは嘘だと。

平均的な本一冊(200pくらい)でおよそ5万語、20冊で100万語になるのだが、そんなのこの5年間毎年それ以上読んでるよ、といいたい。だからといって読む能力が飛躍的に上昇することはなかった、と断言する。

はっきり言って、原書を読む行為は外国語運用能力を維持こそすれ向上することにはあまり益していない。とりわけ量に重点を置いて、文法や単語の意味をないがしろにして読む場合には。日本語でもそうなのだから、当たり前の話だろう。私だって、難しい本(日本語)は続けて2回読む。でないときちんと意味が掴めないし、内容が頭に残らないからだ。

私なりに語学学習(2級以上のレベルを目指す)の要点をまとめると以下のようになる。

・ 原書・原文は読んで当たり前。でもだからってすぐに上達することはない。過度な期待は×
・ 問題集を数多く、何度もこなすのが一番上達が早い
・ 結局大事なのは辞書を引くこと。どれだけ辞書を使いこなせるかが語学上達の秘訣。原書を読んでてわからない単語があったら辞書を引こう(2級以上のレベルになれば調べる単語もそこまで多くないはず)。それも仏和だけじゃなく、仏仏も使って。できれば2つ以上で調べるのが望ましい。とにかく出てくる単語、表現を全部覚えるつもりでやる。だって、試験範囲はすべてだもの

やばい、むっちゃ普通やん。「語学に王道はなし」を地でいってますな。まぁ、そういうことなんでしょう。私もこれからもコツコツ継続して勉強を続けたいと思います。慌てず、くらべず、あきらめず。コツらしいコツといえば、たぶんこんなところでしょう。

では、みなさんよいお年を。来年もこのブログをどうぞよろしく。

Au revoir et je vous souhaite une bonne et heureuse année !


2013年12月26日木曜日

可能性としての自分

ちょっと間が空いたけど、前回途中になっていた分身と時間について話を進めよう。

といっても論旨は単純だ。直線的時間を生きる西洋人(その終着点では最後の審判が待ち構えている)にとって、生まれ変わることは日本人に較べてはるかに難しい。

というのも多くの日本人は、人生を繰り返される一年の連続として捉えているからだ。いってみればそれは、薄く重ねられた螺旋形をしている。一年で一周しながら、31日から1日の連結点において転生が行われる。

毎年この季節に、一年の終わりを感じない日本人はいない。年末は一年の決算日としてあり、年始は新しい年が始まる清らかな日だ。31日から1日にかけて、除夜の鐘とともに時間は一度殺害され、その後蘇生される。と同時にわれわれもまた、新たな時間へ移行するのだ。われわれは一年ごとに死に向かう螺旋階段を一歩ずつ上っている / 下っているのだといえる。

西洋的な時間ではどうだろう。それを十分に語ることができるほど、直線的時間に精通してもいないし、実感してもいない。あくまで推論だ。

時間が直線的に流れる以上、他の位相と交わる機会はない。線上に入学や結婚といった区切りは存在するとしても、それはあくまで線上の一点に過ぎない。時間は前後には延びていても、上下には伸びていないのだから、上下と見比べることもできない。繰り返される時の流れのなかで、意図的にしろ無意識にしろ、混交することも少ない。

となると、可能性としての自分を見つけるためにはこう考えるしかない。自分が住んでいる世界線と平行に、何本も別の線が走っていて、今のこの世界と限りなく似た時間が、少しずつずれて繰り返されている。その平行世界からの闖入者として、分身やドッペルゲンガーは存在しているのではないだろうか。

分身小説の系譜は長い。まぁ、今思いつくだけでもたくさんある。イギリスではスティーブンスンの『ジキル博士とハイド氏』。アメリカはトウェインの『王子と乞食』。ロシアにはゴーゴリの『鼻』やドストエフスキーのそのまま『分身』なんてタイトルも。先日紹介したナボコフの『絶望』はこれらに対する反・分身小説と位置づけられるだろう。

そんな風に考えを進めていくと、今度はこんな疑問にぶち当たる。「もしや西洋人と日本人の記憶の仕方は全く異なるのではないか?」考えてみれば当然だろう。記憶とは、時間をどのように折りたたんでいるかの結果であり、時間の概念が異なる以上、記憶の仕方が違っても驚きはない。

この問題には様々な方面からアプローチが可能だろう。文学上の参考文献を挙げてみると、日本からは明治・昭和の私小説にアンチ私小説としての大江健三郎の小説群。南米代表はガルシア=マルケスの『百年の孤独』やボルヘスの『アレフ』などは必読だろう。そしてフランスからはプルーストの『失われたときを求めて』。

Au revoir et a bientot !

2013年12月20日金曜日

ぼくらは中世を生きている

いやー、早いもので今年も一年終わりですね。ついこの間1月だったのが、気がつけば3ヶ月、半年が経ち、今はもう12月も20日…なんてクソみたいな定型文を書き散らしてる場合じゃないよね。

あけましておめでとうございますから始まった一年が、よいお年をで終わり、そのあいだを様々な定型文が埋めていく。人生ってそんなもの?って疑問を抱きながらも、解決せぬままいたずらに年老いていく。おいおい、もう30だぜって、半笑いでごまかしているあいだに人は死ぬ。

要は阿部謹也を読まないで生きてるってやばいよね、ってことだ。たとえるならそれは、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を読まないで青春を過ごすのと同じようなもんだよね。つまり青春の大事な一部分を知覚せぬままに過ぎてしまうことだ。

ごめん、私もついこのあいだまで名前と中世の専門家ってことしか知らなかった。その経歴なんかは Wiki や本の末尾にある略歴なんかを読んでもらうとして、いやいやそれが人生と何の関係があるんだって質問に答えるなら、大アリでしょ。氏の文章を読めば、われわれがなんの疑問もなく従ってきた生活習慣が、決して自明のものではないと気づかされるから。

たとえば次のような一文、

私たちには一年単位で物事を測る習慣があります。年末には支払いをすませ、忘年会を開き、気分を一新して新しい年を迎えます。ところがこのような時間の測り方はヨーロッパにはないのです。…一年をくぎりとして物事を処理する考え方も中世初期まではありましたが、中世以後はなくなってしまったのです。新しい年を迎えるにあたっての心構えとか、禁煙の決心なども特にみられないのです。【甦える中世ヨーロッパ p.16より引用】

マジでか。これは大変なことだと思うよ。もしここに書かれていることが事実とすれば、西欧人とわれわれ日本人の時間の概念はまったく異なることになる。1年という区切りは存在せず、新年の目標を立てることもない。それが当たり前って、やばくない?

円環的時間と直線的時間。この感じ方の相違を突き詰める途中には、19世紀以降西欧文学で好んで扱われた「分身=ドッペルゲンガー」のテーマがあるのではなかろうか。まあ、これは別の機会で。

自分が属する共同体の習慣や規律を客観化し、絶対的なものから相対的なものの相へ移行させること。そのための比較対象として、氏は時間も場所も異なる中世ヨーロッパを選んだ。さて、もうすぐ2014年、ぼくらはなにを目印にして、自分の暮らしを見つめなおそうか?

Au revoir et a bientot !

参考文献:『甦える中世ヨーロッパ』 / 阿部謹也 著
氏の本は他にもいろいろあるが、これが一番面白く、読みやすくなおかつ氏の業績を広範に捉えている。特に中世ヨーロッパを専門に学ぶのでなければ、この一冊を読めばいいのではなかろうか。

2013年12月19日木曜日

書物たちの幸福な出会い

たまに自分が、人生を彩る様々な偶然の要素を、本と出会いにすべて費やしてしまっているのではないか、と疑うことがある。

先月は、カナダへ移民したスコットランド系移民への関心と、昨今の世界経済への興味とが、阿部謹也のヨーロッパ中世を語る書物内で、カール・ポランニーという名前になって交錯した。

また別の機会には、旅先のパリで見たエドワード・ホッパー回顧展のポスターに用いられていた『ナイト・ホークス』が、帰国後も私の中にとどまり続け、そこから派生した興味が、やがてリチャード・イエーツの本に結実し、この半年私の読書の中心にあったりもした(今回は彼について書こうと思っていたのだけれど、長くなりそうなので次回に)。

こんな風に、本がまた別の本を呼ぶのはよくある話で、ちょうど2ヶ月ほど前に、同じようなことを書いた文章に出くわした。

ちくま学芸文庫から出ている『山口昌男コレクション』。その第四部に「エイゼンシュタインの知的小宇宙」と題された文章がある。山口昌男が引用した文章を少し孫引きしてみよう。

ある聖人たちのところへは鳥が飛び集まってくる。(アッシジへ)
ある伝説的な人物たちのところへは獣らが走り寄ってくる。(オルペウス)
ヴェニスのサン・マルコ広場でゃ、老人たちのところに鳩がつきまとってくる。
アンドロクレスにはーーライオンが寄ってきた。
わたしには書物が押しかけてくる。
書物はわたしのところへ飛び集まり、走り寄り、つきまとうのだ。(同書p.544-545)

エイゼンシュタインの言葉を引用した後に、山口昌男は自分でもこう書き加える、「どうしてああタイミングよく、いろいろな本が見つかるのですか」との質問に対し、「書物が向こうからやってくる」という感じがすると。

自分のことをエイゼンシュタインや山口昌男のような知的巨人と較べるわけではないが、おそらく私を含め、多くの書物狂が同じような感慨を抱いていることだろう。あるいはこんな文章、

わたしは、書物をたいへん大事にしたので、ついには彼らのほうもお返しにわたしを愛するようになった。
書物は熟しきった果実のようにわたしの手のなかではじけ、あるいは、魔法の花のように花びらをひろげて行く。そして創造力をあたえる思想をもたらし、言葉をあたえ、引用を供給し、物事を実証してくれる。(同書p.546-547)

確かなのは本好きと本とのあいだには自然界の共生と同じような関係が成り立っていて、私という媒体を通じて、出会うべき二つの書物が時と場所を越えて出会うことあれば、運命の出会いに喜ぶ本たちの放射する幸福の電流が、私たち書物狂の口角を反射的に吊り上げさせることもある、ということだ。

Au revoir et à bientôt !

2013年12月13日金曜日

投石器で生首を投げ入れる

宗教によって救われた人間と殺された人間、はたしてどちらの数が多いのだろう。

PCの不具合が改善しようやく、 Le Point.fr の名物コーナー、"C'est arrivee aujourd'hui " を読める環境が整い、さぁブログで取り上げようと思った矢先、ぶち当たった記事がこれだよ!

十字軍によるイスラム教徒の虐殺と人肉食

もうね、こういう話題はいいんじゃないかと思ってるんですよ。こんなのはたまにやるから人の心をぐっと掴むわけで、毎日垂れ流しにしてても、浮浪者の立ちション程度の関心しか得られない。「おぅ、またやっとるわ」と横目で見て、嫌悪の表情を浮かべ、そしてすぐに忘れられる。そこまでの見事な様式美――どうせなら、1913年の同日に起きた事件、「1911年にルーヴル美術館から盗まれ行方不明になっていたモナリザがフィレンツェで発見される」のほうをやりたかったぜ。

まぁ、愚痴ってばかりいてもしゃーない。事件の全貌に迫ろう。

1098年12月12日、Ma'arra 市を包囲した十字軍の大軍は、「降伏すれば安全は保障する」とした約束と引き換えに、市内の住民2万人を虐殺。城内に十分な食糧がなかったことに激怒したキリスト教徒たちは、殺戮したイスラム教徒たちの人肉を食べた。

そのレシピが振るっている。「成人の肉は鍋で茹で、子供たちは串刺しにして直火で炙る」。まったく、フランスの美食ここに極まれり!だ。

今から1000年近い昔の社会でも、このような行為は衝撃的で非人間的だった。アラブ世界では数世紀にわたり、この事件が語り継がれたらしく、文献も数多く残っているようだ。

たとえこれに空腹を満たす以上の理由がある(異教徒を動物のように食べることで人外のものとみなす、魔術的解釈!)としても、その行為は非難されることはあっても、賞賛されることはない。これが宗教的な権威によって保障された行為だとしたら、人間性を失ってまで守るべきものなど、教会の内側にあるのだろうか?人間性=徳性こそ、宗教の最後の砦であるべきだろう。

われら21世紀に生きる異邦人、赦され、聖化された十字軍の軍隊が安閑としている天国の砦に、投石器で生首を投げ入れる。そう、彼らがイスラム教徒に対してしたのと同じように。「これが人間か」と問いながら、泣き喚きながら。

Au revoir et a bientot !
投石機にムスリムの首を入れて城壁内部に投げ入れる十字軍。この写本挿絵はニカイア攻囲戦を描いたもの Wikipedia より

参照URL:Le Point.fr C'est arrivé aujourd'hui 12 décembre 1098
Wikipedia マアッラト・アン=ヌウマーン

2013年12月12日木曜日

神の悪戯心すら萎えさせる偶然の話――スティーヴンスン『新アラビア夜話』

『ルパン3世vsコナン the movie』に先駆けて、先週の金曜ロードショーでTV版2時間スペシャルをやっていた。

内容のほうは…まぁ、触れないほうがいいことも世の中にはある。突っ込みどころ満載のこのスペシャルだが、まとめてしまうと、「SP弱すぎぃ!」「コナン君超人すぎぃ!」「警備ザルすぎぃ!」といったところだろう。個人的には「偶然に任せすぎ」な点が、一番気になった。

確かに、偶然は物語の重要な要素だ。二人の人物が出会うために偶然は欠かせない。一方で使いすぎると、作り物めいた印象がぬぐえない。

この「過度な偶然性」が気にならない人なら、スティーヴンスンの『新アラビア夜話』も楽しめるだろう。

千夜一夜物語を下敷きにしたストーリーは、ボヘミアの王子フロリゼルとのかかわりを持って進められる。この進め方が面白い。最初の最初だけは三人称ながらも王子の背後に作者がくっつくようにして書いているが、以降はある事件に一人の人物が巻き込まれ、その過程で知り合った王子が助け舟を出し、事件を解決する、という趣向になっている。

王子は探偵小説でいうところの探偵役を担っているのだが、登場するのはいつも物語の後半か、ほんのチラッと姿を見せるだけ。ようはこの物語、焦点が王子の活躍だけに当てられているのではなく、不思議な物語に巻き込まれた市井の人々の慌てぶりや感情の変化を愉しむものなのだ。探偵小説との違いはこのあたりにあるだろう。

それにしても、偶然人と出会う頻度が過ぎるだろう。たまたま王子と一緒の料理店に入っただけならまだしも、物語のキーとなる人物が寝台列車の隣通しの部屋になったり、名うての悪党が罪を犯すところを隣のマンションの窓から安易に見られていたり、突っ込みどころは枚挙に暇がない。偶然と不注意の、あまりにも適当なごたまぜもの。まぁ、キワモノ小説だと思って読めば十分楽しめる。

ちなみに、各物語は次のような文章によって締められる。

これで(とわがアラビア人の著者は言う)「神の悪戯心すら萎えさせる偶然の話」は終わる。ルパン3世とコナンの対決は現在劇場公開中であるが、明らかな理由から私は見ないことにしている。フロリゼル王子と本の内容に興味を持たれた方は、光文社古典新訳文庫の『新アラビア夜話』をお読みになると良い。

Au revoir et a bientot !


2013年12月9日月曜日

金沢懐古――小立野

いくつもの急坂が、丘の上に向けて登っていく。季節を問わずしばしば、私は、確かなアテもなくそのうちの一本を歩いたものだ。道端の残雪と雪の重みでしなった竹が道幅を狭めている。コートの下で汗ばんだ体を休めようと立ち止まり、振り返ると今は下に見える家々の屋根にも、真っ白な形さまざまな絨毯が敷かれていて、それは靴を浸透して足裏を濡らす物質と、同じものとは思われない。


「金沢は日本一電線の似合う街だ」 兼六園から卯辰山のほうを見て三島由紀夫は思った。この感慨を私はあまり共有しない / できない がしかし、緩やかなものからそれこそ八坂のような急坂まで、実に多種多様な坂の、高低差によって生じる視角のズレと、そこから生じる景色の多様さは、かつてこの地に住んでいたものとしては、日本一だと誇りたい。

ズレは地形だけにとどまらない。時間もまた、ここではズレを見せる。21世紀の今を流れる現在時のあいだを時折、昭和や明治の過去の時間が流れ込む。

たとえば東茶屋街や武家屋敷。どちらも街中を歩いているとなんの前触れもなく現れる。観光客にあまり人気がないが、西茶屋街にいたっては、寂れた野町商店街から横道一本入ったところにある。その先を進んでいくと、北鉄石川線の野町駅が、ひっそりと佇んでいる。鶴来まで行くこの電車、車社会のこの都市で今も走っているのかどうか。

あるいは小立野台地から浅野川を挟んだ向かいにある卯辰山の山頂。そこにはかつて、クジラが棲んでいたという。

なんのことはない、それはいしかわ動物園の水族館の屋上に鎮座するマッコウクジラのモルタル像。とはいえ、山の頂にクジラの姿が見えるその異様は、なかなかにロマンを感じさせるものだった。

とはいえ、いしかわ動物園は1999年頃、別所に移動しており、21世紀にはすでに、卯辰山頂には跡地しか残っていなかった。卯辰山が裏山みたいなものだった大学時代の私が見たクジラは、人から聞いた話を餌に大きく育った夢の産物だっただろうか。

金沢に行くことがあれば、『四季こもごも』という本を買うといい(橋本確文堂という地方出版社が出している)。あそこには金沢の街と坂のすべてがある。私も金沢を去る直前にこの本を買ったが、自分の記憶を補強、歪曲するのにずいぶんとお世話になった。

どうでもいい自慢をさせてもらうと、私はこの本の第二章、サカロジー――金沢の坂――に出てくるほとんどすべての坂を踏破している。昔はよく歩いたものだ。足が覚えたその記憶があるからこそ、この本がよりいとおしく感じるのかもしれない。

冒頭の文章も小立野に上るある坂をイメージしている。同書「馬坂」の項より、泉鏡花作『高野聖』の最後の一文を孫引きして、この文章を終わりにしよう。


ちらちらと雪の降る中を次第に高く坂道を上る聖の姿。恰も雲に駕してゆくように見えたのである

Au revoir et a bientot !

2013年12月7日土曜日

ぼくは不安定な一人称――ナボコフの『絶望』

テーマは「分身」?またかよって、ちょっと待って。我慢して50pくらい読んでほしい。読み進めていけばきっと、十分満足できるはずだから。

はっきりいってナボコフは天才だ。筋の巧みさ、小道具の使い分け、小説的技法、ナラティヴや言葉選びの遊び心――どんな深度で彼の小説を読んでも、相応の見返りをくれる。「小説家を目指す若者にとってナボコフは最良の教科書だ」と、大江健三郎が『ロリータ』の解説で書いていたが、それももっともだ。ここには小説のすべてがある。

そんなナボコフ初期の傑作、『絶望』 がロシア語から初訳された。もちろん、光文社古典新訳文庫だ。この小説もまた、彼らしい仕掛けが随所に埋め込まれている。

「ベルリン在住のビジネスマンのゲルマンは、プラハ出張の際、自分と“瓜二つ”の浮浪者を偶然発見する。そしてこの男を身代わりにした保険金殺人を企てるのだが……。」――裏表紙の作品紹介より引用。

「分身」と「犯罪小説的手法の間借り」を示唆したこの文章から物語に入ると、なるほどそんな感じもする。だが、実際のテーマは別のところにある。上の文章で言えば、「……」の部分こそが本題だ。

読者はゲルマンが一人称「ぼく」を用いて語る内容を追っていくのだが、しばらくして「ぼく」がおよそ信頼の置けぬ語り手であることに気づかされる。そう、光が観測方法によって粒子だったり波長だったりする二十世紀以降、物語られる世界もまた、語り手によって姿を変えるのは当然のことだ。

上手いのはその一人称の「ぼく」が語る内容と現実の世界のずれが、物語の転換点の役割を果たすことであり、「ぼく」=読者に見えていなかった世界が一気に露わになる、その瞬間のカタルシスにある。

といいつつこの小説においては、そうしたカタルシスとは無縁だ。なぜというに、ゲルマンの語りの向こうに常に、彼の見ていない世界が透けて見えているからであり、読者は容易に「一人称の不確実性」を見破ってしまうからだ。
そしてゲルマンによって語られない「現実」を必要以上に空想し、先走ってしまう――だって、妻とアルダリオンの関係を見抜けないってのは、いくらなんでも不自然だし、そうである以上ゲルマンはわざと見ないふりをしている、と考えるのが自然な流れだろう?――あげく、消化不良な結末を迎えることになる。

だがよそう、どうせ僕らはナボコフの手の上で踊らされる読者だ。安易な一人称の不確実さの露見も、カタルシスの不在も、おそらくは彼の意図したものだ。そう考えざるを得ないほどに、僕らはナボコフに飼いならされている。そもそも一人称の不安定性を疑う気持ちそのものが、ナボコフの文学的軌跡を追うことによって作り出されたものではないか?

先人のヘマをあげつらって、鬼の首をとったように意気揚々と掲げるその腕が、そもそもその先人によって作られたものだという事実。僕らはここに至ってようやく、ゲルマンの『絶望』に共感することができるのだ。

Au revoir et a bientot !


2013年12月4日水曜日

金沢懐古――片町

香林坊から片町に向かう通りが、おそらく金沢で一番の繁華街と言っていいところで、「スクランブル(交差点)」といえば、片町のそれを指している。繁華街だから当然、いかがわしい店も多い。夕方から少しずつ現れてきた黒服の男たちが、日が暮れる頃にはすっかりそこかしこに立っていて、道行く人に手当たり次第声をかける場所もここだ。明朝になるとあたりの飲食店から出た生ゴミを漁る大量のカラスの姿があって、それは黒服の男からカラスへの変身を容易に想像させる。

さて、スクランブルから金沢駅のほうへ少し行ったところ、片町2丁目の交差点に、コンビニのポプラがある。今はもう見る影もないが、ここはかつて金沢最古の喫茶店のひとつだった。

当時犀川の向こう側、室生犀星の旧宅にほど近い場所に住んでいた私は、職場からの帰り道、よくこの店の前を通ったものだった。20代前半だった私には、入るのがなんとなく勇気のいるような、そんな雰囲気の店だった。

実際に入ったのは2,3度だろう。なにを頼んだのかはまったく覚えていない。店内に立ち込めるタバコの煙を通して、うすぼんやりした明かりの中、レトロな内装に魅了されながら、水商売の女と中年男の組み合わせや、一人新聞に没頭する老人の姿を見ていた気がする。だがそれも、後に付け足した偽りの記憶かもしれない。

というのもこういうわけだ。
その頃の私は自分ながらあきれるほど熱心に小説を書いていたのだが、職場とオンボロアパートとを往復する日々の中、新しいことに挑戦することも、新しい友人を見つけることもなく、日々をごく限られた世界の中に生きていた。(それはそれで非常に濃密で有意義だったのだけれど)。

そんな私にとって、新しく発見されたその魅力的な喫茶店が、小説の中に紛れ込むのは必然だったろう。私は書いた、その入り口で鳴る鈴の音を、観葉植物の葉叢にちらついて見える店内と、大きな水槽、そこに泳ぐ奇妙な魚の姿を、僅かに傾いだ段差のあるフロアを、ねっとりとしたリノリウムの床を。

それらは書き進めるうちに姿かたちを変えて、現実の店内とは程遠いものとなり、私の頭の中にだけ存在する、架空の喫茶店になっていた。書いているあいだに店に行くことはなかったが、私にとってはその空想の店内は現実のそれとリンクしており、片町2丁目の交差点には、拙いながらも自分が書いた店内があるはずだった。

そうこうするあいだに私はその小説を書き上げ、それと前後して金沢を離れることとなった。その一年後、知人からその店がなくなると聞いた。次に行ったときにはすでに、コンビニに変わっていた。その店の扉が開かれることは二度となく、改竄された私の記憶が現実によって修正される機会もまた、葬り去られてしまった。

今自分の記憶に残るその店の思い出のほとんどが、自ら創り上げたものであることに幾分申し訳なさを感じる。たぶんそれは、空想が現実に対して、あまりにも安易に勝利を収めたことによる、困惑のようなものだろう。

年に一度あるかないかのことだけれど、夜の片町で、スクランブル交差点の少し先にポプラの看板が光っているのを見ると、こんな感傷がさっと心を通り抜ける。若気の至りで書いた三文小説が、今も心の中に波紋を広げている。さて、こんな気持ちをいったいどうやって片付けようか・・・。

Au revoir et a bientot !
夕暮れの金沢。昔住んでいた場所の近くから

2013年11月30日土曜日

ヒトは変態してなにになるんだろう?

光文社古典新訳文庫が熱すぎる。

数年前に出始めた当初は正直、侮っていた。ドストエフスキーやコクトーなんかの既訳が存在するベタな売れ筋を、少し手直しして並べただけだろうって。

違ったね。ナボコフやスティーブンスンあたりの有名作家の絶版・未訳ものを出したかと思えば、ブッツァーティやプリーモ・レーヴィあたりの現代イタリア文学を紹介してみたり。果てはわが心の詩人、シュペルヴィエルの小説にまで手を出してしまう。もっとも彼の小説は、「知らなければよかった」類のものなのだけど。
言ってみればこのシリーズは、『今もっとも熱い海外文学シリーズ』なんて、実にマージナルな分野のチャンピオンリングを、白水社のエクス・リブリスシリーズと争っているといえるだろう。

さて、今日はその中からプリーモ・レーヴィの短編小説集、『天使の蝶』の紹介を。

この、SF的雰囲気が多分に感じられる短編集の中でも、とりわけシンプソン氏とNATCA社の画期的な製品が生み出す近未来的な世界像は、同じく20世紀イタリア発祥の芸術運動、「未来派」を必然的に想起させる。そしてその未来派がイタリア・ファシズムに利用されたという点において、イタリア系ユダヤ人として1944年アウシュビッツに収容された筆者の体験と、皮肉な対照を成す。

アウシュビッツでの体験を冷静な視点から描く、『休戦』や『これが人間か』がこの作者の代表的な一面だとすれば、この短編集ではまた別の一面、すなわち「創作を愉しむ」作家としてのレーヴィの顔が見れる。

表題作の命題が面白い。自然界には幼形成熟(ネオテニー)という現象がある。これは、幼生の状態で繁殖できるため、成体にならないアホトロールのような生き物のことをいう。それを知った作中の科学者レーブは、こう考える、「人間もまた、成体に変態する以前の状態、すなわちネオテニーなのではないか?」と。

実はこの命題、1920年、レ・ボルクという学者によって実際に取り上げられている。彼によるとヒトはチンパンジーのネオテニーだという。この議論の結末はわからないが、マッドサイエンティスト、レーブは続けてこう考える。「ヒトは天使のネオテニーではないか」

レーブは人体実験に取り組み、その結末はグロテスクなものだが、この命題自体は今も通用する。それを大人になりきれない現代人のアレゴリーとして読むのもいいだろう。それが少しばかり教訓的すぎるというのなら、どうぞお好きなように。読み方は自由だ。

そう、アイディアや下書きと作品とのあいだに横たわる画然とした溝こそが、自然界で「変態」と呼ばれる現象であり、芋虫が蝶になる瞬間なのだ。どんなに不恰好な蝶でも蝶に変わりなく、同じようにどんなに美しい芋虫も、芋虫以外ではありえないのだ。

Au revoir et a bientot !

2013年11月29日金曜日

金沢懐古――武蔵が辻

夕方になるともとから悪い視力がいっそう悪化し、まわりの世界が鮮明さを失う。それに伴い、ものとものとのあいだにあった輪郭線がぼやけ、取り違えがおきる。視力が悪いのに眼鏡をかけない人間は、しばしば体験することだろう。

錯視はときに、およそ夢ですらためらうような幻を生み出す。

もう何年も昔の話だ。
金沢にしては珍しくよく晴れた日の夕方に、私は自転車で武蔵が辻を通りかかった。当時はまだイオンで買った一万円の折りたたみ自転車に乗っていて、普段からメンテナンスを気にするようなこともなく、タイヤの空気がほとんど抜けかかっていた。幸いにしてパンクはしてないようだから、家まで戻るのにたいした問題もなさそうだった。

視線の先では、少し離れた交差点で信号が青になっているのが見えた。渡ってしまおうと私は、サドルから腰を上げた。

ちょうどそのときだ、交差点に差し掛かる少し手前の左側、銀行の前に空気入れが置いてあるのを見つけたのは。

はじめは少し戸惑った。いくらなんでも話が上手すぎた。タイヤに空気を入れたいと思ったその数秒後に、ありえない場所でありえないものを見つける。偶然にしてはできすぎていた。

スピードを落とし、ゆっくりと近づく途中、半信半疑で何度も確かめて、ついにそれが空気入れであることを確認した私は、自転車を押しながらそのほうに近寄っていった。

だがそれは、手を伸ばせば届く距離になってふいに、空気入れとはまったく別のもの、銀行の前に腰を下ろしてバスを待つ白髪のおばあちゃんに変わってしまった。

そのときの当惑はずっと、私の口をつぐませていた。だって、誰が信じてくれますか?空気入れが実はおばあちゃんだったなんて?ばかばかしいにもほどがある。けれど、そんな馬鹿げた体験をしたことも、疑いようのない事実なのだ。

今回金沢を訪れると、件の建物は残っていたが、そこに銀行はなかった。金沢の友人に確かめても、「そうだったかな?」と確かな返事は返ってこない。銀行も、空気入れも、おばあちゃんもすべてが幻だったのか?そんな風に片付けられるのは三文小説の中だけだ。

以前に『場所が記憶する』と題した文章をこのブログで書いた。「人は場所に自分の記憶を委ねている」といった趣旨のものだが、どうやら場所もまた人の記憶に依存しているようだ。

ある場所にあったものが壊され、別のものになる。そこに住む人たちはすぐに新しいものに慣れ、以前あったものの記憶は、姿とともに忘れられる。そうした過去が忘却の淵に葬り去られるのを防いでいるのは、案外私のような異邦人たちなのだろう。そしてこんな風に語ることによって、在りし日の姿を、つかの間垣間見せてくれるのだろう。

Au revoir, et a bientot !
犀川のほとりで。この写真自体4年前に撮ったもの

2013年11月26日火曜日

受かったッ!第3部完!(一年ぶり2回目)

今年も恒例、仏検準一級試験を受けてきました。

なんの前フリもなしに答え合わせいっちゃうぞ、コノヤロー。

第一問、名詞化。(1)と(2)以外は正解で 6/10

第二問、多義語。全問正解で5/5

第三問、前置詞。全問正解。5/5

第四問、動詞と活用。(3)、(5)のみ正解で 4/10

第五問、長文問題(1)。(5)を間違えて 4/5

第六問、長文問題(2)。全問正解。16/16

第七問、長文問題(3)と第八問、和文仏訳は採点ができないので保留(29 点)

筆記問題は第七、八問を除いて、40/51 。

続いて書き取り・聞き取り。

書き取りも採点不可(20点)。聞き取りは第一問、まさかの6問ミスで 4/10 も、第二問は全問正解で10/10

あぁん?合計何点よ?40+14= 54点でしょ、得点率8割近いでしょ。どう考えても受かってますがな、これ。採点不能な箇所で多少こけてたって、80点を切ることはまずない。これまでの合格ラインは2008 からの5年間、68-73-65-71-74 と推移。一般には合格ラインが60~70% とされており、これは得点に直すと72~84点。あれ、もしかしてやばい?といったって、これまでほとんど常に6割前後が合格ラインだったわけだし、今年に限って80を越えることはありえねぇ!、と信じたい。あとは試験官の裁量次第なんだよなー。

というわけで、三度目の正直(四回目)にしてようやく、仏検準一級一次試験を突破した体で話をすすめることにして、ちょっと今後のこのブログについて話をしましょう。

9月はまったく書かず、10月に再開宣言をしたものの、11月はこの記事まで音沙汰なしと、かつての継続ぶりはなりを潜めているわけですが、どうにもこうにも、旧型パソコンを使用している限りは以前のような更新頻度はきびしいものがあるかもしれません。当面は、心優しい友人がパソコンを払い下げてくれるのを待ちつつ、細々と続けていきたいと思っています。

とりあえず、今後の予定としてーー

・ 金沢懐古(今回試験を金沢まで受けに行ってきたので)
・ 前置詞の勉強法を振り返る(前回0点から今回5点満点になったのに浮かれて)

の二つを近日中に書き上げようと思っています。その後はちょっと仏語原書、日本語で読んだ本の紹介をしたいなぁと。

もしこれで落ちてたら?俺は勉強をやめるぞ!ジョジョーッ!!

Au revoir et à bientôt !
尾山神社前

2013年10月27日日曜日

『そして父になる』って言われても

映画においてわかりやすさは重要だ。

他の芸術では許される言葉による補填が、会話という最低限の形でしか許されない。とりわけ現代アートにおいて言葉の重要性が増すにつれて、映画は、音楽や演劇についで言葉の重要度が(比較的)低い芸術になった。

そうである以上、映画がイメージに頼るのは必然の流れだ。とりわけ、起用されている俳優の社会的イメージがはっきりしている場合、それを利用しない手はない。福山雅治には福山雅治の、リリー・フランキーにはリリー・フフランキーの、メディアが作り上げたイメージ。

各俳優の持つこのイメージを、『そして父になる』は丁寧に、壊れ物を扱うかのように、扱う。各俳優の持つイメージの文脈に従う以上、それぞれが演じる役割は自ずと限定される。福山雅治が貧しいが子沢山で幸福な父親を演じることは、リリー・フランキーが高学歴のエリートな父親を演じるのとと同様、不可能に近い。

映画にわかりやすさは重要だ。それは観客に安心感を与えてくれる。映画の中の登場人物が普段テレビの中でみる俳優のそれと類似・酷似していること。日常との地続きの感覚は、映画を日常の中に位置づけてくれる。

だがその安心感は本来、そこからの離陸、浮遊の感覚を呼び覚ますための大地であるはずだ。日常が瓦解するときに見える世界を垣間見せること。平凡な定義かもしれないがそれが今も、映画を含めた芸術の使命だ。

この映画の題材はまさにそんなところにある。自分の息子が実は全く血の繋がっていない他人の子供だったこと。それは現実に起これば、地面が足元から裂けるような感覚だ。

だが俳優たちの不変性・不動性のもたらす安心感が、パラシュートの役割を果たす。ゆっくりと、安全に観客はすぐ近くの地面に着陸する。登場人物たちが右往左往する素晴らしい景色を足元に見て、身の危険を感じることなく。

わかりやすさは重要だ。だがそこからイメージをずらし、観客に不安を与えるために。だからわかりやすさは映画にとって重要ではあるが、本質ではない。本質はきっと、そこからほんのわずか上下左右、どちらかにずれたところにあるのだろう。心臓が人体の中心から、少し左にずれたところにあるように。

Au revoir et a bientot !

2013年10月21日月曜日

『大統領の料理人』と政治学

極寒の地、南極。地軸の南端に位置する、生物の住まない土地にも人間は暮らしている。

南極のフランス基地に向かう船上でのインタビュー場面で映画は幕を開ける。インタビューに応じているのは、中肉中背、半ば禿げかかった30代の男。この度新しく南極基地の料理人として赴任してきた。一年の任期を終えた前任者と交代するために。

その前任者こそ、元エリゼ宮の料理人。彼女こそが大統領の料理人だ。

南極基地で働く現在から、エリゼ宮での2年間を回顧する。このエピソードって蛇足だよね。人物描写が深まるわけでも、コンポジションによって大統領の料理人としての仕事が際立つわけでもない。

そんな瑣末なことはわきによけて、物語の重心に目を移そう。
フランスの一地方で旅館をしていた女性がある日突然、大統領府に呼ばれ、大統領の料理人となるーーいいよ、別に。そんなこともあるだろうさ。彼女だって、、それなりに名の知れた料理人なんだから。

それでも、彼女の人物像はいただけない。

女性が男性優位の社会で活躍するさまを見るのは爽快だ。周縁が中心を変えていく、トリックスターの働きがそこに顕現するからだ。観客がこの映画に求めているのは、彼女がお堅い大統領府のしきたりを次々と破っていく、そのカタルシスにあるはずなのに、ここには、それがない。

映画内で彼女の勝利はつかの間だ。それもおそらく、宮廷に何がしかの影響を与えるにも至らない。映画が始まってまもなく、彼女は敗退を続ける。料理に使用する材料や金額は制限され、主厨房の協力は得られない。唯一の味方は大統領のみだが、彼もまた本人の力の及ばないところで管理下におかれている。

いまや周りは敵だらけ。そんな状況に置かれた二人が真夜中の厨房で交わす場面は印象的だ。大統領が「逆境だからこそ頑張れる」というのに対し、弱々しく微笑む彼女。やがて彼女は、2年間勤めた仕事を自ら放棄する。

この映画に欠けているのは、自分の主張を押し通すために必要な政治学だ。料理人であれ大統領であれ、自分のやりたいことを成し遂げるためには根回しが欠かせない。それを人は政治と呼ぶんだろう。

もっと大統領の料理人の破天荒さが見たい。追い出されて、泥にまみれても、「絶対に見返してやる」と目を血走らせる活力。この映画にはそんな、絶対的なエネルギー量に欠けている。

「ステレオタイプを恐れないで」そう声を大にして叫びたくなる作品。そんな肩肘張らず、もっと気楽にいこうぜ。

Au revoir et a bientot !


2013年10月18日金曜日

ブログ再開

10/13 ケアマネージャー試験を受けてきました。

結果は今日のところは脇において、ちょっとした雑感を。

ケアマネ試験を受験するには5年の実務経験が必要。いやー、5年って本当に早い。

当時見上げていた人たちと同じような年齢になって、あるいはその年齢を越えて、いつしか自分にも後輩や部下ができて、少しだけ見上げられる立場になって、そうやって見上げる人の視線が、人の成長を促すものだと気づき、日々頑張っています。

このブログも始めてから2年が過ぎて、その間に書いた記事の数も255を数えます。

その全部を読んでくれた人も、一部だけの人も、通り過ぎただけの人も、それぞれの視線がこのブログの原動力です。

今後も1つ1つ地道に続けていきますので、どうぞよろしくおねがいします。

Merci a tous, et au revoir, a bientot !

2013年10月9日水曜日

ブログの更新再開予定について

お久しぶりです。一ヶ月以上ブログの更新が出来ませんでした。

現在これまで使用していた自宅のパソコンが使えない状態であり、ブログの更新が難しい状態となっています(この文章も携帯から作成)。加えて、試験が今月・来月と続いており、その勉強に追われる日々が続いております。

今後は状況が落ち着き次第、ブログを再開しようと思っています。旧型パソコンを使用すれば、今月の中旬あたりから細々と再開できるのでは、と思います。

もしこのブログを楽しみにしてくださっている方がいらっしゃいましたら、これからもよろしくお願いします。

2013年8月29日木曜日

ブロッコリーの森

月面世界の住人、発見される!

そのニュースが New York Sun 紙の紙面を飾ったのは、1835年8月25日のこと。気鋭の天文学者、イギリスの John Herschel 卿の発表によると、アフリカの喜望峰に据え付けられた最新鋭の天体望遠鏡によって、これまで謎に包まれていた月面世界の一面を覗き見ることができたという。

月面には巨大な樹木が生い茂っており、これまた巨大な建造物があって、エメラルドの壁、黄金の屋根で飾られている。住んでいるのは身長が120cmばかりの小男だが、彼らには翼がある。

想像してみてほしい、コウモリ男という表現が一番しっくりくるその体躯が、縦横に飛び回る月面世界を。そんなの、今なら乳幼児だって信じねぇな。

当時の読者がどんな顔をしてこの記事を読んでいたかは判りかねるが、おそらくは半信半疑、いや面白い読み物程度に受け止めていただろう。だって、これを読んだポーが盗作だ!って、自分の児童向け小説と較べて騒ぐくらいだから。これが一般的な反応だtったのだろう。スポーツ新聞の飛ばし記事のようなものだ。

昔からマスコミの報道には信じる・信じないの自己申告ラインが存在してきた。1938年、H・G・ウェルズのSFを元に製作されたラジオドラマを聴いて、本当に宇宙人が地球に攻めてきたとパニックになった人も、マスコミの捏造した流行りにのせられる現代人も、大きくは変わらない。

だからって自分は大丈夫、なんていえないところに怖さがあって、メディアリテラシーて言ったって、世の中わからないことだらけだし、調べる対象だってメディアのひとつだし、結局信じる、信じないの個人的な問題なんでしょ?ってことになる。

この記事が出た当時、世界は外に向かって広がっていた。文明は次々と新しいものを発明し、前人未到の地には何人もの冒険かが分け入った。

今でも宇宙はフロンティアのひとつだ。でも、もう夢はない。

昔空を見上げてみた夢を、今はもう見ない。見上げる瞳に映るのはただ、澄み渡った青だけだ。


Au revoir et a bientot !

参照URL: 



2013年8月24日土曜日

映画 『31年目の夫婦げんか』――1時間40分の超大作缶コーヒーCM

31年も連れ添ってきたんだ、夫婦間に問題があるはずがないだろう?
――そうだな、そう思うしかないよな。

結婚して31年目を迎え、変わり映えのしない毎日を送っていた妻のケイは、もう一度人生に輝きを取り戻そうと、夫のアーノルドを無理やり連れ出し、1週間の滞在型カウンセリングにやってくる。カウンセラーから予想もしなかったさまざまな“宿題”を課されて驚くケイは、次第にため込んでいた感情を吐き出していき、口の重たいアーノルドも本心を打ち明け始めるが……。(『31年目の夫婦げんか』映画案内より引用)

夫婦間の溝に悩む妻と、それに気づかない夫。ありがちな設定を主演のメリル・ストリープトミー・リー・ジョーンズが見事に演じる。陳腐だけどそれだけに、あぁこんな夫婦絶対いるよな、って妙な説得力がある。

夫婦間の溝に沿って問題を語ろう。
男だってもちろん、その存在に気づいている。目をそらしているだけだ。彼はふとそちらのほうを向いて、長年に渡って穿たれた溝の深さを前に唖然とし、自問する。いったいこいつはいつの間にできたんだ、と。そして、そこから目をそらす。

女は違う。その溝に臆面なく立ち向かおうとする。その巨大な間隙を、なんらかのもので埋めようと、飛び越えて距離をなくそうとする。虚無には耐えられない。だが、そうするのは男の役目だ。だってわたし、女の子だもん。

ずるい大人の男と女。両者が溝を隔てて向かい合う。女は声をかけて男を呼ぶが、男にその声は聞こえない。聞こうとしない。女の戯言より、ゴルフのトップフォームを確立することのほうが大切だ。

で、その溝って結局なによ?PVでは失われた夫婦の絆を取り戻す、なんてキレイごとを並べるけれど、それはつまるところ肉体関係の欠如、セックスレスに行き着くのだ。なんて浅い溝!って笑えるうちはまだ夫婦仲のいい証拠だろう。たぶん、当事者たちにとって、かなり、切実だ。

これはセックスレスの中年夫婦が、いかにして再びセックスを始めるかの物語だ。こんな風にまとめるとつまらなさそうに思えるかもしれないが、私は1時間40分、退屈しないで見れた。大筋を追いかけるよりも、時折飛び出してくる細部の欲求不満のエネルギーの表出が好きだ。

カウンセラーに質問されて、自分の性的妄想(オフィスで机の下にもぐりこんで、フェラチオをしてほしい!)を話す主人公や、港近くのカフェで「この中で最近セックスをしてない人?」と聞かれ、沈黙した挙句、指摘されておずおずと手を挙げる脇役が私は好きだ。

それに対して、正直妻の欲求不満は物足りない。オナニーは最近してないし、性的妄想はこれまで考えたこともない。性的にかなりおくてで、これまでオーラルセックスをみたこともきいたことも、もちろんやったこともない。これで若さもなく、、スタイルのよさもなく、魅力もない。同情するぜ、旦那。あんたの欲望は一生宙吊りのままみたいだな。

映画では夫妻が抱えてきた問題を1時間半かけて掘り起こし、10分で解決する。もちろんハッピーエンドが宿命付けられている。すごいな、どうやったんだ?と聞かれても観客の誰も答えられない。駄作だって?そうかもしれない。

じゃあ、こんな案はどうだろう。

結局二人の仲はもとに戻らない。夫婦は離婚する。ハッピーエンドにしたいなら、円満離婚もいいだろう。ある日、元夫がビーチを散策していたとき、元妻がもう一度ビーチで結婚式を挙げたい、と語っていたのを思い出し、感傷に浸る。素晴らしい文句をそのまま使えば、

「この星では、別れなければ出会えない」 缶コーヒーのBOSS、レインボーマウンテン

このろくてでもない、すばらしき世界。

Au revoir et a bientot !


2013年8月22日木曜日

文学の食わず嫌い

大事なのは訳者の名声ではなく、翻訳の質だ。

村上春樹訳というだけで避けてきたレイモンド・カーヴァー選集を、食わず嫌いはよくないと思い、初期短編集から読み始めた。新書サイズで主な作品は大体揃っていて、値段も1000円ほどと手ごろ。今日びこれだけ恵まれた読書環境にある海外作家は他にあるまい。これも訳者の名声がなせる技!

肝心の内容は乏しい。中流階級の没落や労働者階級の悲哀を描いた作品が多いが、どれもいまいちピンとこない。切実さがないのだ。というか、現代日本に生きる私が共有できる感覚でない、といおうか。

食わず嫌いにはそれなりの理由があるのだ。同様に作者と読者の相性というものもある。私にとって作家村上春樹は、高校時代に夢中になって読んだときの輝きをもはや放つことはない。と同時に、翻訳者村上春樹は下手くその烙印を押されてしまった。

『頼むから静かにしてくれ』2冊ともう一冊短編集を購入したが、どうにもしようがない。学生が英文和訳したような直訳文体が多すぎる。そういう技法だ、といわれてしまえばそれまでだが、全く魅力がない。なんでもかんでもカタカナでごまかすのはいかがなものか。チャンドラーの傑作『長いお別れ』をそのまま『ロング グッバイ』と訳したときから気づいてはいた。実際に読んでみると物悲しい気持ちになる。これを読むと作家として必要な資質と、翻訳者のそれとは全く別物だ、ということに気づかされる。

読者と作者の相性は重要だ。世界中の本を読むだけの時間がわれわれには与えられていないのだ。

人生は有限で、読書に割くことのできる時間は限られている。どうして自分にとって有用でない本に時を割くことができるだろう?人生は短く、本は永遠だ。

人は自分が世界の中心だと思う。それは正しい。ただしその法則はすべての人に例外なく適用される。本の中の登場人物であっても同様だ。彼らにとって読者は、ある世紀、ある時代に背中にふと感じた、幾百もの視線のひとつに過ぎない。

人の一生は久遠の時の流れる本の中に刻まれた、束の間の出会いだ。どうせひと時の思い出なら、美しいほうがいいだろう?食わず嫌いをするには、これだけで十分だ。。

Au revoir et a bientot !

2013年8月18日日曜日

プロ野球とファン心理

また今日もプロ野球?――まぁ、そう言うなよ。明日からちゃんとやるさ。

6月末に初めて京セラドームに野球観戦に行って以来、すっかりオリックス・バファローズのファンだ。

なぜオリックスかって?近いからさ。

地理的な距離だけでない。神戸に越してきて2年、四国の田舎町に生まれた私にとって、ホームタウンのチームってのは憧れの対象だ。

兵庫には阪神タイガースがあるやん、って違うんですよ。確かに京セラドームに行くより甲子園のほうが近い。でもあれは、神戸のチームじゃない。たとえ地元神戸っこのほとんどが、オリックスブルーウェーブが神戸にあった当時から阪神ファンだという事実を前にしても、私の確信は揺らがない。チームカラーといい、球団を取り巻く環境といい、オリックスが神戸のホームチームなのだ。近鉄バファローズと合併して、大阪がホームタウンだと球団自身が明言していても。

それにしても人はなぜ、プロ野球ファンになるのだろう。アイドル、サッカー選手、もしかすると作家・・・。ある特定の個人のファンになるというのとは、なにか別のものがあるのではないか。

あるチームを応援するとき、人は見返りを求める。チームの勝利を求める。オリックスファンになって以降、さまざまなブログを読んできた。いろんな人が監督の戦術や選手起用を批判する。だが、無意味だ。どれだけ考えても、妙案があっても、それが採用されることはない。球団はファンはチームの一員だというけれど、君の提案は聞こえない。それってむなしくないかい?

そんな感情を超越したところに、ファン心理は存在するのだろうか。あるいはなんともならないこのもどかしさを愉しんでいるのがファンと呼べる存在なのか。オリックス・バファローズの応援を始めて僅か二ヶ月の私には到底知る由もない。

おそらくファン心理とは、必然と偶然、確率と直感が入り混じる混沌とした野球場の中でも、もっとも理解しがたい要素のひとつだろう。

ファン心理は混沌とした数多の素材から成る、スタジアムの外壁である。

Au revoir et a bientot !
次から文学の話。パリのカフェ2009年撮影

2013年8月13日火曜日

VOD とテレビの未来

今日から二回続けてプロ野球の話。

今月から「パリーグTV」なるサイトに有料登録して、毎日のように野球を見ている。

月額1500円(ファンクラブに加入していれば980円 / 月)で、パリーグ主催の試合を全部、ライブで見ることができる。それもテレビじゃなく、パソコン、スマホで。値段面でも「テレビではなくパソコンで
という部分でも、まさにどんぴしゃなサービスだ(我が家には10年来テレビがない)。

このサービスを利用して実感したのは、運営側が利用者がなにを望んでいるか、をきちんと把握してるな、一番大事な部分がわかってるな、と感じた。2013年に行われた試合すべてが、ハイライトやヒーローインタビューだけでなく、試合の最初から最後まで見ることができるってのは、野球ファンにとって最高だろう。贔屓チームかどうかを気にしなければ、一日中野球を見て過ごすことも可能だ。試合結果がわかっている分、ドキドキは半減するが、ライブで見れないことも多い不規則労働者のこともよく考えられている。

その流れで先日、「光TV」とやらも試してみようと思い立った。が、これが全くよろしくない。
まず料金プランが分かりにくい。どのプランでどの番組が見れるのか、ぱっと見でわからないし、そもそもパソコンで全部見れるのかすら、はっきりとしない。なるほど、調べればわかるんだろうさ。でもね、新規顧客ってのは正直そこまでしてみたいと思ってないんだぜ。
という
地上波がクソ番組ばかり垂れ流している現在、有料会員になって、自分の見たいものだけを見る、そんな視聴者が増えているのは間違いない。初めはとても浸透しそうになかったスカパーの定着率を見るにつけ思う。当然企業もしのぎを削る。すでにそこはブルーオーシャンではない。導入までの簡易さと、テーマの明瞭さが新規顧客の獲得のためには必要不可欠だ。

パリーグTVはその二つを兼ね備えている。メールアドレスとパスワード、それにクレジットカード番号だけで登録できる簡便さ、パリーグ主催試合すべて放送(他の試合はチラリとも見えない)という明快さ。

当然欠点もある。セリーグの試合が全く見れないってのは、相当致命的だ。正直セリーグファンにとって、パリーグTVに加入するメリットはゼロだ。プロ野球の黄金時代が終わりを告げた現在に、いくらかファンの数は増えているとはいえ巨人、阪神のいるセリーグに較べれば未だ人気の低いパリーグに限定する勇気、というか蛮勇。文学における「海外文学」ジャンルなみのニッチ市場だぜ。

時代がニッチを求めているのは確かで、それも随分昔から求めていた。経済の分野ではニッチ市場がとやかく言われて久しいはずだが、ようやく大衆のニーズや経済理論に合わせた企業が雨後のタケノコのように生まれて来ているのかもしれない。

これは良い兆候だろうか。少なくとも、フランス語×海外文学×福祉×オリックスバファローズ なんてブログを書いている私のような隙間人間にとっては朗報だろう。大事なのは選択と集中だよ、諸君。

Au revoir et à bientôt !
パリーグTVのまわしものではないので。悪しからず

2013年8月9日金曜日

近況報告――2013年8月

今年はけっこうマジで忙しい。

5月から6月にかけて計8日間、ユニットリーダー研修があったし、明日明後日は夏祭り、その責任者が私だ。10月にはケアマネの試験がある。

この試験、難しくて手に負えない、とは言わない。先月に一度過去問5年分を解いてみたが、これから勉強しても十分に間に合う範囲だ。懸念すべきは、受からないとやばいという社内の空気と、問題数が少なく、4,5問わからない即不合格となりかねない点だ。選択式で、その全部があっていないと得点にならないのもつらい。
要は正確な知識が必要とされる。なんとなく消去法、ではしのげない、なかなかにシビアな試験だ。

11月には仏検準一級の一次試験がある。さすがに今年受からないとやばい。って、去年も言ってたじゃねーかなんて突っ込みはなしだ。

正直、今年はいけるやろ、って安直に考えている。つーか、受からなホンマにあかんでぇ。すでにフランス語に400h以上注力している今年、これでダメなら本当に、語学学習業界から引退だ。まぁ、それもしゃあないか。だって4度目だもの。今年31だもの。


そうなったら、そのときには熱狂的な野球ファンになってやろうか。年間4,50 試合は現地に行って、ビール片手に観戦するのもいいじゃない。自分ではどうにもならないチーム状況に一喜一憂して、幸福や不幸を贔屓チームの運命と重ね合わせる。なんて、ガラじゃないか。

自分の性格上、そんなことにはならないだろう。たとえ今月、パ・リーグTVに有料登録して、日々オリックス・バファローズの試合をネット観戦してるとしても、それとこれとは話が別だ。これまでの人生、机に向かってなんやかんや続けてきた。そうしないと落ち着かないし、罪悪感のようなものさえあった。「あぁ、今日もなにもせずに一日が終わったな」って、なにを理由にそんな自分を正当化すればいいんだい?

このクソ忙しい7月末から8月にかけても、暇を見つけては小説を書いていた。そんな必要ないだろう?せやな、まったくその通りだ。他人からみればおそろしく無駄な時間。でもそれが、自分で選んだ生き方なんだろう。

有意義なものより無意味なものに愛着を。たぶんこれからもそんな風に生きていくだろう。
―― 『肉詰工場』、今月末より当ブログで連載開始だ。

Au revoir et à bientôt !
バファローベルと駿太ユニのおじさんのハイタッチ
 


2013年8月2日金曜日

『他人まかせの自伝――あとづけの詩学』

優れた本はリトマス試験紙だ。読むことでその時々に考えていることを、自分で言葉にするよりも上手く表現された箇所を見出す。だから繰り返し読む必要がある。優れた本は多層・可変構造をした建造物であり、訪れるたび、新たな表情を見せてくれる。ほら、今日も違った地層が見えるだろう?

タブッキが亡くなり、私なりの追悼文を書いて一年が過ぎた(用意されていたかのような追悼文)。その間に一人の友人がタブッキの文学世界に引き寄せられ、その影響で私も再度、といわず4,5度目のタブッキ諸島をめぐる旅に出る。

タブッキの小説を島々に例えるのは、『ポルト・ピムの女』によるところが大きい。もっとも、須賀敦子の翻訳した『島とクジラと女をめぐる断片』を私は読んでいない。となると、あれだ。

『他人まかせの自伝――あとづけの詩学』。このタイトルは一見、タブッキなりの小説作法のようにも見える。キングによるそれを読んだばかりであるだけになおさらだ。

それを裏付けるような文章もある。タブッキ自身によるジョゼフ・コンラッドからの引用、「まず作品ができる。それから初めて、その理論を考え出す。それは退屈しのぎの独りよがりな仕儀にすぎず、おそらく役には立たないうえに、謬った結論へと導きかねないものだ」とはまるで、キングがストーリーとテーマについて語った言葉を繰り返しているようだ(リトマス試験紙としての役割!)。そんな風に読み進めてみてもいい。

あるいは「他人まかせの」と言いながらも自伝として読むこともできる。もっともそれにしては、相当に断片的なものだが。

どちらの読み方をするにせよ、あるいはまた別の読み方にせよ、ある地点から読者は奇妙な感覚に襲われることになる。その感覚の根元にあるのは、「どこからが現実で、どこからが虚構なのか」境界線の定まらない不安だ。これまで自分の立っていた場所が、足元から崩れていく恐怖。自分が現実と見定めて読み進めていた開始地点からしてすでに、虚構だったと知ること。

この「境界線を明確にしたい」人間の願望を、タブッキは逆手に取るように、こう語る。

人生は、ものごとのおおもととなる流出だ。しかし、ここからここまでが人生であると、測量するように確定することはできない。つまりは、川だが、岸がないのだ。(p.86)

タブッキの小説を島々に例えるのは適当か?たとえそうでないとしても、この比喩を推し進めるならば、この本はそれらを巡る遊覧船に例えられるだろう。そしてある島で下船して、船のほうを振り返ってみると、島の形に見える。島なのか船なのか?その境界はいつも曖昧である。

Au revoir et à bientôt !

2013年8月1日木曜日

たくさん読み、たくさん書く

小説作法についての本ほど読んで空しいものはない。

古今東西小説に関する様々な本が出版されてきた。そして最後にはいつも、「才能とはなにか」なる問いに行きつくのが常だ。なぜだろう?

答えは簡単だ。それらの本を書くのが小説家として成功した人々だからであり、彼らは当然、「自分には天賦の才がある」と思いたがる。

それに対し、本書の著者であり、世界的に著名なホラー作家、スティーヴン・キングは言う。3流が2流になること、1流が超1流になるには努力だけではどうにもならない。しかし、2流のもの書き(多くの一般的な書き手)が、自己研鑽を重ねて1流になることは可能だ、と。

『書くことについて』と題されたこの本で、キングはその方法論を惜しみなく開示している。多くはキングの経験に基づいた、転用の不可能性が疑われるものだけれど、それは仕方のないことだ。自分の価値観を築くこと、つまり自分のやり方に自信を持つためには、キングの言うように、たくさん読み、たくさん書く  しかないのだから。

最初の一章「履歴書」では、自身の生い立ちや作家を目指したいきさつを語り、次の「道具箱」では、小説を書くために必要な道具、語彙(大きさじゃなくて、どう使うか)、文法(副詞はタンポポだ、放っておくとすぐにいっぱいになってしまう)、文法作法について語る。面白いのは次の「書くことについて」と題された一章で、ここでキングは、「なにを、どうやって書くか」を赤裸々に語っている。

「なにを書くか」について、答えは明快だ。自分の書きたいことを書く。それだけだ。

一方、「どのように書くか」。その手法部分がとりわけ面白い。最初に「状況設定」を考える(もし吸血鬼がニューイングランドの小さな町にやってきたら?)。プロットは(ほとんど)存在しない。大事なのはストーリーだ。ストーリーは自然にできていく(作者はそれを、地中に埋もれた化石を掘り起こす作業に例える)。ストーリーとプロットはまったく別物だ。ストーリーは由緒正しく、信頼に値する。プロットはいかがわしい。自宅に監禁しておくのが一番だ。背景描写や会話や人物造形は、大事だけれど些細なことだ。そしてテーマ。それは最初から考えるものじゃない。後見直してみて、作中に自然に浮かび上がって来るものだ。

この本でもうひとつ面白いのが補遺その一、「閉じたドア、開いたドア」だ。そこでは具体的に、なにがよくてなにが悪いか、文章を添削して説明している。

小説家志望の若者がこの本からなにを得られるか?たくさん読み、たくさん書くという当たり前のことと、小説の方法論は自分で学びとるしかないことの再確認。実践的に使えるのはこれくらいだろう。

もうひとつ、この本には優れた効能がある。読み終えると否応なしに小説を書きたくなることだ。読者にそう感じさせる以上、これは実に優れた小説作法本である。

Au revoir et à bientôt !
 
参照:『書くことについて』 / スティーヴン・キング 著 小学館文庫


2013年7月28日日曜日

小粋なクリスマスプレゼント

親愛なる友へ / cher ami

僕としたことがついかっとなってあんなことを言ってしまった。君のことを非難するつもりはなかった。僕のこの言葉を君なら信じてくれるものと思う。なるほど、二人の考え方は大きく違う。それは僕だって認める。でも今僕らが、ともに、直面している問題と、それを解決することで開ける新しい世界のヴィジョンは共通しているのだ。どうして仲たがいする必要があろう、僕らは血を分けた兄弟みたいなものだ。こんなことで二人の友情が終わりになることはないと信じている。

ともかく今日は、われらが主の誕生を祝おう。ささやかだがこれは僕から君へのプレゼントだ。君がこれを、和解のために伸ばされた手だと、悪意を持って捉えることはないと信じている。だって僕らは、結局のところ、仲たがいをしたのではないのだから。そうだろう?

なにはともあれ メリークリスマス!/ Joyeux Noel !

――いつまでも君に忠実な友より

昨夜の激しい言い争いから数時間とせず届けられたクリスマスプレゼント。粗末な木製の箱の上に、小石を重しに置かれた手紙は、むき出しのままミストラルに震えていた。

アルルの街並み
読み終えた手紙を手に、男はふっと息を吐いた。昨日、彼の態度は許しがたいものだった。侮辱された、と男は思った。加えて今日のこの手紙。彼に羞恥心や反省を求めるのは難しい、頭ではわかってはいても、納得はできない。クリスマスにおよそふさわしくない、粗野な造りの木箱のふたに、彼のふざけた笑い顔が、刻印されたかのように浮かんで見えた。

昨夜の彼の態度は我慢ならない。俺がもう少し若ければその場で決闘を申し込んでいたかもしれない。だが俺も、少しばかり熱くなりすぎた。世間知らずの白痴に向かって、言うべきでないことを言ったのも確かだ。話の舵取りを任せられていたのは年長者たるこの俺ではなかったか・・・。

男の顔に微笑が浮かんだ。株式仲買人だった男の過去が表情筋の上を無意識の電気信号となって走り抜けた。

木箱をゆすると、軽く乾いたものの擦れる音がした。開けてみると、彼が普段使っているデッサン用紙が、丸められて緩衝材代わりに詰め込まれていた。他人への贈り物をくずかご代わりに使ったらしい、皺のよったデッサン用紙の上で、いくつもの線が予期せぬ箇所で交じり合い、新たな面を作っていた。その上から滴った赤が、また別の次元を、奥行きを、襞のあいだに隠れた神秘を暗示していた。視線は自然に、用紙の真ん中に収められた、贈り物に引き寄せられた。

それは切りとられたばかりの男の右耳だった。

奇天烈なエピソードに彩られたフィンセント・ファン・ゴッホの人生も、1890年7月27日から29日にかけて終わりを迎える。終生売れない画家であったゴッホは人生に嫌気がさし、自らの胸に銃弾を打ち込む。享年37歳。弟のテオだけが、生前彼の唯一の理解者であり、支援者であり、兄弟であり、そして終生変わることのない友だった。兄の死の半年後、あとを追うようにして命の火が消えてしまう。享年34歳。ゴッホの絵画が売れ始めるのは以降、兄弟のあずかり知らぬところでだった。

Au revoir et a bientot !

2013年7月26日金曜日

ボッティチェリと「萌え」の歴史

これだけ上手いと嫉妬しちゃうぜ。

中野京子氏の『怖い絵』シリーズが文庫になっていたので、「泣く女」編と「死と乙女」編を続けざまに読んだ。タイトルからして、美術をよく知らないライト層に向けた入門書、というか、物事を大げさに言い立てて、耳目を集める悪いベストセラーの見本のように想像していたのだが、いい意味で裏切られた。

時代時代の流行りものや習俗に言及することで、絵画の描かれた時代背景、時代の雰囲気を読む人に体験させる。西洋史と西洋絵画史を重ね合わせることに成功した、良作だ。作品の紹介順が時代・場所とまるで脈絡のないのだけが、少し残念だけれど。

文章が良い。決して自分語りに堕さない程度に解釈を加えながら、それぞれの作品の本質とテーマ、歴史背景、観賞のポイントを教えてくれる。決して押しつけがましくなく、ひとつひとつの絵画をめぐる物語を、ストーリーテリングしていく。

秀逸だったのは、『ヴィーナスの誕生』と題された二つの作品の紹介。ボッティチェリのあまりに有名な同作が、正確にはヴィーナスが海上で誕生した後、キプロス島の浅瀬へ打ち上げられた瞬間を描いていることを示したあと、ヘシオドスの『神統記』に依拠し、彼女の誕生を我が子を喰らうサトゥルヌスと繋げる。ヴィーナスと数多の愛人、それに誰よりも醜い肉体を持つ夫、鍛冶の神ヘパイトスのねじれた関係で愛と死、恋愛の幸福と罪業を示す。

カバネルの『ヴィーナスの誕生』は一転して近代との繋がりから紹介される。ここで描かれるのはギリシャ神話ではなく、西洋絵画史におけるヌード神話のほうだ。女性の裸を描くのに、神話や歴史上の事件を必要とした時代が、やがてマネの『草上の昼食』に代表されるように卑俗なものとなっていく。そこに、これまで王侯貴族の専有物だった裸体画の、大衆への公開とその影響を重ねる。

カバネルら同時代の画家が描いた裸体画の衝撃。それは、「我らが夢の裸体」の現出であった。男はそれを抱きしめたいと願い、女はこうなりたいと願う。また、男は自分の妻や愛人の肉体と較べて愕然とし、女も彼我の差にショックを受ける。

現代のグラビア誌やスクリーンに映されるヌードと我々の関係そのものだ、と作者はいう。デジタル処理が施されたしみや毛穴ひとつない艶やかな肌、細かく修正されたボディライン。もはやどこにもリアルはない。夢の裸体が存在感を増すにつれ、現実の(=三次元の)肉体はますます受け入れ難いものとなる――

これは絵画の本じゃない。15世紀のボッティチェリから21世紀の日本までを、わずか20p で横断する作者の筆力を存分に堪能する本だ。

Au revoir et à bientôt !
 
参考文献:『怖い絵 死と乙女篇』 / 中野京子著 角川文庫 


2013年7月23日火曜日

お前らはエコロジストを名乗ればいい

インターネットには様々な側面がある。世界中の情報をリアルタイムで知ることができるのもひとつ。2013年ツール・ド・フランスでなんの波乱もなく、クリス・フルームが優勝なんてつまらない記事も、レース終了直後に手に入る。いろんな人の意見を読むことができるのもひとつ。たとえ匿名の仮面をかぶっているとしても、ほとんどの意見が感情まかせに吐き出されたクソみたいなものだとしても。それでもきちんと時間をかけさえすれば良い意見も見つかるし、自分では思いもよらなかった新たな側面から、物事に光を当ててくれることさえある。声の大きさは大小あれど、画一性からはまだ逃れている。

で、気づくんだ。「マスコミってのも案外大したことないな」って。

ニュースを提供する媒体としての存在価値は未だ持ち続けているにせよ、オピニオンを発信する存在としては、もはや死に体だ。新聞やテレビで彼らの呟く言葉を聞くたび、むしろ発せられなかった言葉の大きさにたじろいでしまう。誰もがわかりきっている意見をしたり顔で語る表情の裏側に隠された、数々のタブー。もうタブーしかないじゃん、ってみんなが好き勝手言ってるネット上からふと戻って見るとそう思う。

で、なんの話がしたいかって?そら、自転車よ。

ここ1,2年の自転車をめぐるマスコミの言説は凄まじい。そのほとんどが自転車を批判する体のものである。いわく、自転車事故が急増している、マナーが悪い、放置自転車が多い、あげく景観を損なっている、歩行者にとっても車の側からしてもあぶない…などなど。

正直、マナーの悪い自転車が多いのは事実だ。私だって何度か無灯火で逆走してくるチャリンコに命を奪われそうになったし、歩道を我が物顔で走ってきてはベルを鳴らされたこともある。

でも考えてみてほしい。そんな状況を作ったのはどこのどいつだ?交通ルールを子供のころから叩きこまなかったのは?自転車の走る道がどこにもないのは?自転車道があってもその上に車が駐車してるのは?駐輪しようにも駐輪場がないのは?全部自転車乗りが悪いのか?なんでその事実を報道しないのか?頭悪いのか?バカなのか?権力の犬なのか?

結局その全部なんだろう。自転車よりも明らかに死亡事故の多く、車線をひとつ潰して停車して、景観をはるかに損なっている車について、なんにも言わないのは。

自動車産業の声は大きく、自転車のそれは小さい。世界中でシマノのコンポーネントが使われていようと、この事実は変わらない。これからも当分、自動車は日本の主要な輸出製品であり続け、ガソリン、もしくは電気を使うのにエコだと言い続け、定期的な買い替えを迫るだろう。その一方で自転車は、乗る人の汗と筋力だけで動く魔法の乗り物、否ケンタウロスの下半身は、地球環境にも人間の文明にも優しくない、野蛮な乗り物として、反社会性の権化として白眼視され続けるのだろう。

この状況がすぐに変わることはないだろう。なら草の根で活動してやろう。生育してアスファルトをも突き破る雑草を見習って、チャリンコ乗りがペダルを踏んで地球を回そう。

それに、彼らの言うことにも一理ある。マナーは各々で意識して改善すべきことだし、ママチャリは確かにダサい。街中で一台一万円もしない中国製のママチャリがずらっと並んだ様は確かに醜悪だ。まずはここからだ。

さあみんな、GIOS に乗ろうぜ。

Au revoir et à bientôt !
My GIOS 今年で6年目。総走行距離約20,000km
 

2013年7月18日木曜日

紳士協定とドーピング 【後編】


「汚い」選手と「きれいな」選手が混淆することを嫌う唯一の理由、それは「公平性に欠ける」ということだろう。ドーピングという「汚い」手を使って超人的な記録をたたき出す選手と、「清廉潔白な」選手が争うのは不平等だという風潮。一見説得力を持つように見えるが、実のところ全くそうではない。

なぜなら、スポーツほど不平等なものはないからだ。

考えてみてほしい。一人の選手が一流の選手になるために必要なものの数々を。生まれもっての才能であり、それを伸ばしてくれる指導者であり、よき理解者であり、設備を含めた環境であり、生まれた時代であり、惜しみない努力であり…その多くは一個人の力ではほとんどどうしようもないものであり、換言してしまえば運である。ツールが100周年を迎えるにもかかわらず、未だただ一人の日本人も区間優勝すら成し得ていない現実を見てほしい。オリンピック100m決勝で、黒人を破って金メダルを取ったアジア人はいない。

人間の問題ばかりではない。技術の発展とともに、道具の進歩も顕著になる。ひとつの道具の開発が、記録の歪さを作ることになる。ここ2年の日本プロ野球界の統一球問題もそれだろうし、そもそもプロ野球においては、球場の広さの変化が、野球そのものを変えたところもある。陸上競技において、シューズの革新が記録にもたらした影響は大きいだろうし、競泳ではあまりに記録の出る水着の使用が禁止になったこともあった。

この観点からドーピング問題を再考すると、改めてドーピングが悪とされる理由がわからなくなる。やや極言に過ぎるとはいえ、それは人類の技術の発展がもたらした恩恵ともいえるからだ。その恩恵にあずかれる人とそうでない人がいるから不平等だという論理は、優れたシューズをはける選手とはけない選手がいる不平等と同じであり、正当性を持たない。

健康面からの考察もしてみよう。ドーピング問題を語るにあたって、この側面からの非難は以外に少ない。これにはスポーツの根底にある「一生懸命さ」が、健康と無縁であるからだろう。それにスポーツ界で未だ幅を利かせている根性論もこれに反対する。「命を削ってでもトップになりたい」といった言葉の響きの良さを考えればわかるだろう。たとえそれによって命を落とすことになろうとも、一位になれるのならば惜しくない、と考える人間が出るのは、現在のスポーツをめぐる言論と風潮を考えれば当然のことだ。

もはやドーピングを非難することのできる明白な論拠は存在しない。今後、ドーピングを正当に非難し、禁止するためには、過度なトレーニングの禁止(+トレーニング量の統一)や、人種ごとにわけて競技を行うことが必要になるだろう。健康のためのスポーツと、公明正大な競技の行き着く果ては、およそ興行・娯楽性のない味気ないものとなるだろう。

結局、ドーピングをめぐる非難の根源にあるのは、観衆やファンの「格好悪い」と感じる気分の問題だ。ドーピングをして自分の贔屓の選手やチームが勝ったとしても嬉しくないという気持ちが、ドーピング禁止の風潮を生み出す。たとえそれが「ドーピング=悪」の予め刷り込まれた公式から生み出されたトートロジーであろうとも。「気分」こそ、反・ドーピング運動を正当化する唯一の論拠なのだ。

なにもその気分は観客だけのものではない。選手たちもその気分を共有していることは、時代をともにしていることからして当然のことだといえる。ならばドーピングをした選手はつまはじきにする選手間のルールが、ドーピングの撲滅に繋がるだろう。それは「落車が発生したときにアタックしてはいけない」という、ロードレースの紳士協定と同様、暗黙の了解としてのみ存在すべきだろう。そして裁くのは常に競技に身を投じている当事者で、外部の人間が関与すべきことではない。唯一彼らだけがその競技に己の人生を賭しているのだから。自らの命の重さは、自分で量るべきだ。

Au revoir et a bientot !

2013年7月17日水曜日

紳士協定とドーピング 【前編】

クリス・フレームが順調だ。

記念すべき第100回ツール・ド・フランスの主役は間違いなくこの男。「白いケニア人」は第16ステージ終了時点で総合2位のモレッマとは4分14秒差、3位コンタドールとは4分25秒差。個人TTにも強いことを考えれば、すでにマイヨ・ジョーヌにチェック・メイトといったところ。順調すぎてつまらないくらいだ。

こうも圧倒的だと周囲も当然のごとく騒がしくなる。もはやロードレース界では消えることのない「ドーピング疑惑」だ。強い選手が出てくるたび、この話題が蒸し返される。シロだクロだと騒ぎ立て、肝心のレースはおざなりになってしまう。一般レベルにはドーピングの話題しか入ってこず、あげく過去の名選手までがクロとされ、人気は落ち込む一方だ。

先日は陸上100mの元世界選手権王者タイソン・ゲイと元世界記録保持者のアサファ・パウエル両選手が、ドーピング検査で陽性反応が出た、と報道された。日本でもスポーツニュースとしてでなく、時事問題として取り上げられていた。

ここでひとつ問題提起をさせてほしい。ドーピングのなにが悪いの?と。

この問いに答えるのは案外難しい。巷では「ドーピング=悪」の公式だけは流布しているが、それを突き詰める姿勢は皆無だ。マスメディアは「悪いものは悪い」のトートロジーで済ませようとする、この姿勢こそが最悪だ。「問題だ、問題だ」と騒ぎ立てるばかりで、なにが問題なのかについては決して触れない。
ここはひとつ自分なりにドーピングについて考えめぐらせることが必要だろう。

ドーピングを叩く言質には主に2つの傾向が存在する。一つは健康面、もう一つは倫理面。前者は簡単で誰にでもわかりやすい。「ドーピングは体に悪い」から禁止すべきだ、という論旨であり、タバコは体に悪いからやめるべき、というのと同じ類いだ。

一方、倫理的な側面はより複雑だ。倫理的である以上、そこに善悪の概念が付きまとうのだが、「ドーピング=悪」の公式がアプリオリなものとして仮定されており、「なぜドーピングが悪いのか?」という問いにそのまま、この公式が返されてしまう。少し掘り下げて善悪の基準を探ってみると、それが実に曖昧で恣意的なものであることい気づかされる。加えてそれは時代によって変化するものでもある(例えばロードレース界では昔、変速機の使用は禁じられていた)。

もう少しだけ掘り下げてみよう。ドーピングにまつわる言葉を探っていくと、しばしば「汚い」「汚れた」といった形容詞に出会う。そうなると反論として「身の潔白を証明する」を必要がでてくる。つまりレース上に「きれいな」選手と「汚い」選手が混じっていて、それが問題だ、ということだ。

なんとなく、いろんな競技の黎明期に頻出した「黒人と一緒にするのは嫌だ」という人種差別的言質に向かいそうだが、今回はそれには触れないでおく。しかし、おそらく根はその近くにある。

【後編】に続く
Au revoir et a bientot !
記事に関係のない画像でもとりあえず貼っておけという風潮。


2013年7月12日金曜日

les Blues 15年前を懐かしむ

あれからもう15年が経つのか。

1998年7月12日、サッカーフランス代表(愛称 les Blues )は世界の頂点に立った。
スタッド・ド・フランスで前回大会優勝のブラジルと対戦したレ・ブルーは、この大会で英雄になったジネディーヌ・ジダンの前半2ゴールもあって、3-0 で勝利。自国開催のワールドカップで、見事初優勝を飾った。

日本代表はこれがはじめてのワールドカップ出場。アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカとのグループリーグで一勝もできずに敗退。それでも決して悲観的にならなかったのは、当時はワールドカップで勝つ以前に、出場権の獲得そのものが快挙だったからに他ならない。

ちなみに、当時の日本代表のFIFAランキングは22位。同年2月には歴代最高の9位を記録している。最新のランキングで37位であることを考えれば、異例の高さだ。もちろんこれには理由があって、当時のFIFAランキングは、対戦相手に関係なく勝てば3点、引き分け1点だった。要はとにかく試合数をこなせば(とりわけ弱小国と対戦して勝利し続ければ)順位が上がる、実際の実力を反映したとは到底言い難いものだった(それでも、当時一位はブラジルだったのだけれど)。

正直、当時はまったくサッカーに興味がなかった。

高校生だった私を熱狂させていたのは、38年ぶりの優勝に向けて驀進している横浜ベイスターズであり、マシンガン打線であり、その中核を担った鈴木 尚典とロバート・ローズの3,4番コンビだった。世界はまだ狭く、未踏の地に溢れており、フランスは名前しか知らない異国で、金星と同じような位置づけだった。私の世界文学彷徨はまだはじまったばかりで、カフカの『変身』に端を発した読書熱は、ドストエフスキーやトルストイによって何度もかき消されそうになりながらも、惰性のごとく続いていた。

サッカーフランス代表に話を戻そう。
自国開催のワールドカップで優勝した後、les Blues は黄金期を迎える。2000年のユーロでも勢いそのままに優勝すると、好調を維持し2002年の日韓合同ワールドカップでは、ブラジルを押しのけ、優勝の大本命に挙げられた。

しかし、その大会で一勝もできないどころか一点もとれないままにグループリーグ敗退を喫すると、歯車が狂いだす。緩やかな、しかし確実な衰退がはじまろうとしていた。2004年のユーロでは、準々決勝でギリシャの前に敗退。2006年W杯では、一度引退表明をしたジダンを呼び戻すなどして、準優勝の好成績を収めるが、その決勝の舞台では永遠に語り継がれるであろう、ジダンの頭突き事件が起きてしまった。2008年のユーロ、2010年のWカップと続けてグループリーグで敗退する。2004年以降、10年で7億ユーロ以上を投じ、現在黄金期を築いているドイツとは対照的だ。

とはいえ、結局は選手の力がものをいう。1998年当時、フランス代表のスタメンに名を連ねていたのは、所属クラブでも圧倒的な実力を持つ選手ばかりだった。バルデズ、ブラン、アンリ、トレゼゲ、テュラム、ジダン…。
今は違う。ベンゼマはレアル・マドリーで確固たる地位を築いたとは言えず、ナスリはマンチェスター・シティで時折試合に出るだけだ。グルキュフに至っては、ここ2年のあいだまともな働きを見せていない。唯一満足なパフォーマンスを見せているのは、リベリだけだ。これでは勝てるはずがない。

フランス代表がふたたび輝きを取り戻す日は来るのか?そして日本代表がワールドカップで優勝する日が来るのか?――そんなことには大して興味がない。今語るべきなのは、ナショナリズムとスポーツの異常なまでの癒着だろう。それも、堅いメディアが語るのではなく、スポーツメディアが正面切って取り上げる、そんな時代がくるだろうか?私にはそっちのほうが大切だ。

Au revoir et à bientôt !
Number とかが特集を組むとか。

2013年7月10日水曜日

居酒屋プロ野球

プロ野球は、祭りだ。

退屈な日常に一点の非日常を。そんな紋切り型の表現を持ち出してしまうほど、プロ野球はカーニバルしていた。

6/29 (土)14:00~ のオリックス×楽天9回戦。内容は正直凡戦だったが、「プロ野球とはなにか?」を知るには十分だった。だってこれが、人生初のプロ野球観戦だったから。

バファローベル、最高やん。

いや、そうじゃないだろう。現代社会におけるプロ野球の立ち位置をどこに求めるか?バフチンのカーニバル論を借りてきて語ろうか?――一言でいえばそれは、価値倒錯の場である。階級的差異の消失とそれに伴うカオス、充満する放埓さであり、日常の不満のはけ口としての祭りであり、革命のさ中断行された王の斬首である――なんて。

たしかに、いくらかはそんな要素もある。年収400万のサラリーマンが、年俸4億のプロ野球選手を野次るリアル。これが拝金主義の現代における、実にうまくパッケージ化された価値倒錯の仕組みでなくてなんだろう?

もちろん実際に価値を転覆させるつもりはない。野次る観客の誰ひとり、4億の責任を背負ってバッターボックスに立つ気概はない。反対の立場を引き受けるのはつまるところ、ギロチンの下に自らの首を差し出す覚悟を持つことだ。それが可能なのはフィクションの中でだけ、現実の革命はいつも、少しばかり重すぎる。

言ってしまえばここは居酒屋みたいなものだ。ちょっとした入場料と引き換えに得られるカタルシス。ビール片手に選手をディスるその姿は、「今度上司にガツンといってやりますよ」と管を巻くのと同じくらい空疎だ。今度っていつよ?――未来永劫来ない時空間に置き去りにされた一点のことさ。

だから苦い現実から目をそむけて、ありもしない幻想に身を任せるのだってアリだ。隣に座った女の子がチラチラこちらを見る視線を感じて、「この子もしかしてオレに気があるんじゃね?」なんてバカなことを考えられるのは、思春期の男子とほろ酔い加減のオッサンにだけ与えられた特権だ。彼女の見ているのはたぶん、異常に繁茂した君の耳毛か、全開になった股間のファスナーだ。

そうだ、性的な放埓さも、ここでは少しだけ許される。まったくそんなつもりのない女の子に向けられる、真摯なアプローチ合戦。打球の行方には見向きもせずに、ビールの売り子のケツを追っかけるオッサンたちの視線は、彼女が通り過ぎた後に交わり、火花散る。球場で消費されるビールの8割が、男たちの泡のような期待で溢れ出す。7回の表裏で放たれるジェット風船は、バファローベルを孕ませんと狙う幾百万の精子の直喩だ。

職業野球を横目に繰り広げられる男たちの不毛な争い。諸君、これがプロ野球だ…。


Au revoir et a bientot !
6/29 京セラドームにて
参照:オリックスバファローズ公式ホームページ

2013年7月7日日曜日

人生の守護天使たち

5年前ならたぶん、大いに讃嘆してたろう。でも今はもう30歳、与えられた人生の3分の1は優にすぎて、ものの見方も大きく変わった。

帯には「日本ウリポ史上最大のシリーズ刊行開始!」と銘打たれている。ウリポ / Oulipo とは、1960年11月24日に数学者のフランソワ・ル・リヨネーを発起人として設立された文学グループ。正式名称は「Ouvroir de littérature potentielle 」(潜在的文学工房)。アルフレッド・ジャリ、レーモン・クノー、レーモン・ルーセルらの文学を理想とし、言語遊戯的な技法の開発を通して新しい文学の可能性を追求した。(参照: Wikipedia ウリポ ) 他にもジョルジュ・ペレックやイタロ・カルヴィーノなど、20代の私を終始興奮させた作家たちが名を連ねる、まさに先駆的文学実験工房といえる。

その中でも師範格を占めたのが、レーモン・クノ― / Raymond Queneau。詩人であり小説家でもある彼の、代表作といえば『地下鉄のザジ』だが、他にも『文体練習』『百兆の詩編』など、遊び心溢れる作品を数多世に送り出している。それらの作品はここで内容を紹介するよりも、手にとって読むことをオススメする。どれも一読してすぐ、その面白さがわかるものだ。個人的には『はまむぎ』が好きだ。

『イカロスの飛行』はそんな彼の遺稿にあたる。小説家ユベールの書き始めたばかりの小説から、主人公イカロスが逃げ出した。困ったユベールはイカロスの捜索を探偵モルコルに依頼して…そこからはじまるドタバタ劇を、軽快なリズムの会話の積み重ねによって描いていく。200p の分量が瞬く間に飛び去っていく。ここでは文体自体が飛翔して( voler )いるのだ。

単語 voler の持つ「飛ぶ / 盗む」の二重性が執筆のきっかけになったのだろう。冒頭で逃げ出したイカロスを、ユベールは「盗まれた / volé 」ものとして同業者を非難する。あげくユベールは3人の同業者らと決闘するはめとなる。イカロスが「盗まれた」とする筋が一本、小説の中を通っている。

もちろん一方で、ギリシャ神話のイカロスの墜落のエピソードをなぞることも忘れない。その際イカロスの創造者ユベールは父ダイダロスに重ねられる。小説家 / 父によって生命 / 翼を与えられたイカロスは、外の世界に飛び出す。はじめはおどおどしながら、やがて大胆に。彼は恋をし、仕事を見つける。だが人生は順風満帆とはいかず、terrain 「決闘場 / グラウンド」で乗っていた凧が墜落し、命を落とす。

この話に教訓なんて存在しない(もちろん!)。そして物語はあまりにもそつがない。
(イカロスの原稿を閉じながら)すべては予測どおりに起こった。ぼくの小説はこれでおしまい。
最後にユベールがこう述べて、物語は円環を閉じる。完全すぎて、予測された結末。完璧であるがゆえの、物足りなさ。

歳をとってものの見方も変わる。しかつめらしい顔をして叡智を求めるダイダロスと、大それた望みではなくとも、絶えずなにかを求め続け、あげく命を落とすことになる、イカロスと。

どちらが正しいなんてない。いずれも自分の生を生きた。ならばわれらもそうしよう。そうすれば彼らは、思い通りにいかない人生の守護天使であり続けるだろう。

Au revoir et à bientôt !
ピーテル・ブリューゲル作 『イカロスの墜落』 ベルギー王立美術館蔵
 
『イカロスの飛行 レーモン・クノー・コレクション ⑬』 / 石川清子 訳 水声社刊

2013年7月4日木曜日

ポケットの中の世界

どんな地方にもヒーローはいる。

その地方の出身ではなくても、なにかしらの縁があれば、地元の誇りとして喜ぶ。どこもそう変わりないだろう。

スポーツでは野球の松井秀喜、サッカー日本代表本田圭介。文学・思想界には泉鏡花に室生犀星、徳田秋声は脇に置いといて、鈴木大拙に西田幾多郎。それでも足りなければ井上靖なども加えることのできる石川県金沢市では、郷土愛を存分に発揮する機会がいくらでもある。彼らは一時金沢に住み、今も年に一度訪れる私にとっても、偏愛の対象となりうる。

まあでも、これはないわ。

講談社学術文庫に収められた鈴木大拙の『一禅者の思索』。最初2編の講演書き起こしはいいが、残りは短い雑感のたぐいを一冊にまとめただけで、かなり物足りない。これでは大拙の思想の全貌は知れないし、初めて氏の思想に触れる人に対しての入門書としても物足りない。

その学術文庫の巻末にはこんな文章が載せられている。

これは、学術をポケットに入れることをモットーとして生まれた文庫である。…こうした考え方は、学術を巨大な城のように見る世間の常識に反するかもしれない。また、一部の人たちからは、学術の権威をおとすものと非難されるかもしれない。…しかし、学術の権威を、その形の上だけで判断してはならない。その生成のあとをかえりみれば、その根は常に人々の生活の中にあった。…学術文庫は、内外の迷信を打破し、学術のために新しい天地をひらく意図をもって生まれた。文庫という小さい形と、学術という壮大な城とが、完全に両立するためには、なおいくらかの時を必要とするであろう。しかし、学術をポケットにした社会が、人間の生活にとってより豊かな社会であることは、たしかである。
「講談社学術文庫」の刊行に当たって

学問を城にたとえるとき、私の頭にはカフカの『城』が浮かんだ。近くにあるのに手が届かない対象、というだけではない。人間の執着と怨嗟と、その他多様な感情の働きを詰め込んだ、巨大な一個の生き物のようなそれだ。やがてそれは、他所者であったKをも巻き込み、その内側に取り込んで、巨大な城の一部となる。

学問は巨大な城だ。それはそのまま人類の歴史だから。すべてを渉猟するのは不可能だ。君の歩みよりも早く、どこかで新たな城壁が築かれる。誰もがその築城に参する一員だ。俯瞰してみればこのブログを書いている私も、どこかの一隅で砂の城を作る子供の一人には数えられるだろう。

本は地図であり、同時に入口だ。読み込むことで世界の住人となる。レメディオス・バロの世界の住人が刺繍するマントには窓があり、外の世界に向けて開かれている。
地図はポケットになければ意味がない。ポケットは世界へと繋がっているのだ。

Au revoir et à bientôt !
 

2013年7月2日火曜日

ホット・チョコでドーピング!? UCI に相談だ !!

煙突掃除夫がツール総合優勝者になるなんて、今後二度とないだろう。

どんな分野でも黎明期はべらぼうに面白い。そもそもどんなふうに楽しむか、ルールすらまともに決まっていない中で、みんなが思い思いのことをする。やがて様々なものが整備され、淘汰されて、不都合は排除され、プロとアマチュアは分離し、再び混じり合うことはない。

6月29日。記念すべき100回目のツール・ド・フランスがコルシカ島をスタート地点に開催された。21世紀の現在まで、幾度の中断を経ながら脈々と続いてきた物語にも、始まりはある。これはそんなツール創成期の物語だ。

1903年7月1日。パリ郊外の町、モンジュロン / Montgeron にあるカフェ Au Reveil Matin の前のスタート地点に、60人の選手が並んでいた。6ステージで総走行距離2428km を数える、実に過酷な挑戦が始まろうとしていた。

パリ(近郊) - リヨン間を結ぶ467km(!) の第一ステージを制したのは、当時32歳の煙突掃除夫、モーリス・ガラン/ Maurice Garin だった。2位に55分もの大差をつけ、17時間45分をかけて走り抜けた彼はそのまま、7月19日には記念すべき第一回のツール総合優勝者となった。栄光のマイヨ・ジョーヌを着ることはできなかったけれど(採用は1919年から)、賞金6,075F (現在の価値で約54,000€ = 約¥7,020,000) を獲得し、歴史に名を刻んだ。

平地がメインだったとはいえ、変速機もブレーキもない重さ14kg の自転車で、2500km 近くの距離を平均時速 25.6km/h で走り切ったところをみるに、ただの煙突掃除夫でなかったのは間違いない。それは、他の選手たちが気付け薬に赤ワインや安ブランデーを飲んでいたのを横目に、好物だからという理由だけで、ホット・チョコを飲んでいたというエピソードからも推し量れる。

過酷さでいえば、今よりもはるかにすごかったろう。1ステージの平均走行距離は400kmを超し、ときに道端で寝ることを余儀なくされた。日当を出してまでかき集めた79名の参加予定者のうち、当日スタート地点に現れたのは60人にすぎず、ゴールラインを越えたものはわずか21人だった。ツール史上最初のランタン・ルージュ(最下位の選手)、Milocheau がゴールしたのは、ガランに遅れること65時間、およそ3日後の出来事だった。

牧歌的な時代は終わった。今やレース中にホット・チョコなど飲もうものなら、ドーピング検査に引っ掛かってしまう。名声は一瞬にして地に落ち、流したすべての汗は否定される。

いや、そもそもが後世から振り返ってみた懐古的な幻想にすぎないのだろう。どれだけ機材が貧しかろうと、そんなことに構わず出場した選手たちはベストを尽くした。そこに名誉の付随するのが周知されたとき、悪もまた蔓延る。

モーリス・ガランは第2回のツールにも参加した。Saint-Étienne を抜けてすぐのところで、その地域の選手のサポーターに待ち伏せをされており、他の選手とともに石つぶてを浴びせられた。あるものは地面に押し倒され、叩きのめされた。暴漢たちを追い払うには、主催者の発砲が必要だった。

事件を受けてガランは言った、「オレは1位をとるよ。もしパリに着く前に殺されなかったらな」。宣言通り彼は2年連続2回目の総合優勝を果たす。

事件はそれで終わらなかった。同年12月、「禁止されたタイミングで食料を補給した」として告発され、順位格下げの憂き目にあう。別の者は彼が、途中列車を使ったと主張した。以降二度とガランはツールに出場しなかった。

1957年に没するまで、ガランがどのように生活していたのかは明らかでない。以前のように、煙突掃除の仕事に戻ったとも考えられる。煙突掃除は彼を裏切らないことを、経験上知っていたのかもしれない。

Au revoir et a bientot !
モーリス・ガラン
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2013年7月1日月曜日

ジェーン・マンスフィールドの www

ニュースは瞬く間に世界中に広がり、こうして1950-1960年代に思春期を迎えた男たちはみな、自分の青春が終わりを告げたのを知ったのだった。

wwwは世界を繋ぐ。
21世紀の男たちは、それを駆使して世界中のアダルトサイトを駆けめぐっているし、「世界最高のおっぱい」ことジェーン・マンスフィールドの自伝タイトルは "Wild, Wild World" だった。
訂正しよう。いつの時代もおっぱいは世界を繋ぐ。

ジェーン・マンスフィールド / Jayne Mansfield は1933年4月19日、アメリカのペンシルベニア州ブリンモアで生まれた。実際には五ヶ国語を操る才女だったにもかかわらず、終生を通して1950年代を代表するセックスシンボルとして、人々の中に記憶された。ライバルはもちろん、マリリン・モンローだった。

女優としては、1957年に『気まぐれバス』でゴールデングローブ賞有望若手女優賞を受賞、決して凡庸でないことを示したが、『ロック・ハンターはそれを我慢できるか?』、『女はそれを我慢できない』などに出演した1959年以降、良い役に恵まれず、映画女優としてのキャリアは実質終わりを告げる。

彼女名声を助けたのは世間に蔓延るステレオタイプだった。やがてそれは実像を覆い尽くし、いつしか人格までも食い尽してしまう。

「美人だけど頭の弱いブロンドの女」という、格言にまで高められたイメージは、歴史上繰り返し用いられ、古び廃れるどころかむしろ反対に、「そうでないもの」との境界を浸食し、彼方に追いやる。

そして彼女には、そのイメージを強化する身体的特徴も備えていた。

注意深く演出された公開の「ハプニング」スーザン・ソンタグ?もちろん!)によって、幾度も露出させられた彼女のおっぱいは、40D,46DD,40D-21-36 といった神秘的な数値によって神格化された。

やがておっぱいは…彼女の公的人格の大部分を占めるに至り、トーク番組の司会者ジャック・パール (Jack Paar) は、かつて彼女を『ザ・トゥナイト・ショー』に迎え入れる際、「Here they are, Jayne Mansfield.(さあどうぞ、ジェーン・マンスフィールドたちです)」と紹介した。
(Wikipedia ジェーン・マンスフィールドより引用)

当時既に彼女は、20世紀に数多存在した一流半の女優の一人としてでなく、「世界最高のおっぱい」として、あるいはそれに付属する一部分として、あるいはまたそれに仕える巫女として人々に記憶されるさだめだった。

だがタナトスは彼女に別の運命を用意していた。

1967年6月29日午前2時25分頃、ルート90上で1台のトラックが蚊の殺虫剤を噴霧したため、減速した大型トレーラーの後部にマンスフィールドの乗っていた車は衝突した。激突の後に、トレーラー後部と道路の間にめり込んだ。前部座席に乗っていた大人たちは即死した。

この事件の後、全米高速道路交通安全委員会 (NHTSA) は全ての大型トレーラーの下部にガードを取り付けるよう要求した。このバーは今、マンスフィールド・バーとして知られている。

Au revoir et à bientôt !
photo by carbonated
 


2013年6月30日日曜日

揺らぎを捉えて

格好いいやん?憧れるやん?

これぞハードボイルドな古典、ギャビン・ライアルの『深夜プラス1』大富豪マガンハルトを定刻までにリヒテンシュタインまで送り届ける任務を負った主人公ルイス・ケインが、派手な銃撃戦やら心理戦やらをかましながら目的地まで達する様を、巧緻な会話を織り交ぜて描く、まさにエンターテインメント小説の王道だ。

ごめん、それって映画でいいやん?

せやな。文学と映画の違いを今ここで論ずるつもりも準備もないけれど、この作品が実にビジュアル的で、ハリウッドのアクション大作向きであることに異論はないはずだ。

もっとも、この作品の最大の魅力は人物造形にあるだろう。主人公の「カントン」ことルイス・ケイン、アル中ガンマンのハーヴェイ、、産業スパイのジェネラル・フェイなど、いずれもひと癖二癖ある人物ばかりだ。

だが、それが物足りなくもある。

巻末解説で、田中光二という作家が、「エンターテインメント・プラス1」と題して、「エンターテインメイトの本質はなにか」を述べている。ただ面白ければいいのか、読後になにか残るものがあることがその条件なのか。

答えは出ていないが、エンターテインメントといわゆる純文学の違いは私の中で一つの答えが出ている。人物が一貫してるかどうか、より平たくいえば、登場人物がキャラクターかどうか。その違いだ。人物の首尾一貫性、それこそがセリーヌやジュネの小説とハードボイルド小説との混交を避ける要因だろう。

文学を人間を書くものだとしたら、その不条理さこそが書かれるべきだ。人間とは弱く、脆い生き物で、朝令暮改は当たり前、自分のルール、倫理観なんてものも、自由に融通がきいて、あってないようなものだ。

『深夜プラス1』に話を戻そう。この小説の登場人物たちはみな、魅力的かもしれないが、それぞれに与えられたキャラクターに嵌りすぎている印象がぬぐえない。ハーヴェイの言葉を借りれば、彼らは一人の例外もなく「プロ」なのだ。プロを相手にすることは楽だ。行動が予測できるから。

アマチュアを相手にするのはしんどい。なにをしてくるかわからないから。それが、人の世だ。

Au revoir et à bientôt !
 

2013年6月29日土曜日

文学のインプロヴィゼーション

もう2年も昔に、「人生にリセットボタンはないが、社会にはあるべきだ」というタイトルの文章を書いた。人の生きる時間は不可逆的で、「あのときああしておけば」と後悔してもやり直せない。その一方で、社会が一度失敗したからといって、立ち直れない仕組みになっていては、後悔にまみれた人間たちの生きる場所がなくなってしまう。

創作にも同じことがいえる。

人の一生の持つ不可逆性と、(理想的な)社会の持つ柔軟性をそのまま、ファースト・テイクとその後の修正に較べてみること。

勢いに任せてでも、呻吟しながらでも書きあげた第一稿は、それ自体ある種の聖性を持つ。加えられるにせよ削られるにせよ、あるいは順序が入れ替わるにしろ、すべて後出し、後付けにすぎない。それらはすべて、ファースト・テイクの不滅を否定するものではない。

それでは、時間が、つまるところ人生が含む一回性を推し進めていくとどうなるだろうか?ファースト・テイクの至高性を唱えたのが、ジャズのインプロヴィゼーション(即興演奏)であり、文学なら集ルレアリストの自動筆記(écriture automatique)だろう。


今回紹介するボフミル・フラバルの『わたしは英国王に給仕した』も、自動筆記とは異なるものの、わずか18日で書きあげられたと言われており、ファースト・テイクを重視した作品といえる。

駅のソーセージ売りから出発した主人公が、その人間的魅力を武器に、いかにしてホテルの経営者まで上りつめるか。ドイツ文学の伝統にある教養小説(Bildungsroman)の一種とも言えるが、それよりもより中欧文化に根差しているようだ。

性的なものとユーモアの結合は、同国出身の現代フランス作家、ミラン・クンデラと共通するし、なによりハシェクの『兵士シュヴェイクの冒険』と、ストーリーの展開の仕方が瓜二つ。どちらも戦争や出世街道といった英雄譚の要素が求められる題材を、民衆の言葉と笑いを巧みに用いて、ドタバタ喜劇に転換している。

この作品を読んでなにが得られるか?「人生は一度きり。だから目いっぱい楽しもう」なんて、腐った格言めいた言葉を引き出すよりも、主人公に思いっきり影響されて、好きな女の子に告白して、見事玉砕して、周りから嘲笑され、作者を呪うほうがきっと、草葉の陰で眠る作者にとっても本望だろう。

さ、思いっきりやらかそうぜ。

Au revoir et à bientôt !
 

2013年6月28日金曜日

ノーベル文学賞作家によるエロ小説

…性は民主的にはなりえない。それは選民的、貴族的であり、たがいに同意をしたうえでのある種の専制主義があって成り立つものである。
『ドン・リゴベルトの手帖 p.318』

人間の記憶なんてものは実に曖昧なものだ。クンデラのものだと確信していた文章に、リョサの小説内で出会う。前々回にも言ったように、今読み終えた本の内容すら、要約するのは容易じゃない。

つい先日、マリオ・バルガス=リョサの『ドン・リゴベルトの手帖』を読み終えたのだが、すでに内容の大半を忘れてしまっている。

それにしてもなんとまぁ、大仰な作品だろう。明らかに前作『継母礼讃』のほうが、小説としての完成度も物語性も高い。正直何度か途中で投げ出そうと思った。

物語は前作、息子フォンチートの(悪意のない)戯れによって、別居生活を余儀なくされたリゴベルトとルクレシア。二人がいかにしてヨリを戻すのか、それが物語の大枠だ。

それだけでは文庫400p 近くにもわたって書き続けられるはずがない。その間隙を埋めているのが、エゴン・シーレの素描を中心とした絵画のイメージだ。

リゴベルトが空想する、絵画のイメージの実現。それは絵画の登場人物のポーズを模倣することによって現実化する。読者は、彼の、そして息子フォンチートの奔放でエロティックな幻想を、心ゆくまで堪能すれば良い。だが正直にいって、このイメージ自体前作のほうが優れている、と言わざるを得ないのだけれど。

知的な大人だけがなし得る性的遊戯がここにある。これぞエロスだ。プレイボーイ誌の固定したイメージにはマネできないエロ。

エロスとはつまるところ、想像力の飛翔だ。女性の裸体に勃起する性器に災いあれ。人間を動物と分かつものは極限すればこのイメージの力に限られる。

固定化したイメージ、シチュエーションを楽しむのも時にはいい。もっともそれは、高級料亭の味を知った者が食べる、280円の牛丼であり、頽廃的な趣味だ。たまにはいいね、でも食えたもんじゃないね――エロ本やAVなんてみんな同じだ、とリョサは言う。

そうだ、空想にもっと自由を。飛翔せよ、我が幾千万の精子たち。時は来たれり。

Au revoir et à bientôt ! 
『継母礼讃』とアフォガート。至高の組み合わせだ…