2013年7月12日金曜日

les Blues 15年前を懐かしむ

あれからもう15年が経つのか。

1998年7月12日、サッカーフランス代表(愛称 les Blues )は世界の頂点に立った。
スタッド・ド・フランスで前回大会優勝のブラジルと対戦したレ・ブルーは、この大会で英雄になったジネディーヌ・ジダンの前半2ゴールもあって、3-0 で勝利。自国開催のワールドカップで、見事初優勝を飾った。

日本代表はこれがはじめてのワールドカップ出場。アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカとのグループリーグで一勝もできずに敗退。それでも決して悲観的にならなかったのは、当時はワールドカップで勝つ以前に、出場権の獲得そのものが快挙だったからに他ならない。

ちなみに、当時の日本代表のFIFAランキングは22位。同年2月には歴代最高の9位を記録している。最新のランキングで37位であることを考えれば、異例の高さだ。もちろんこれには理由があって、当時のFIFAランキングは、対戦相手に関係なく勝てば3点、引き分け1点だった。要はとにかく試合数をこなせば(とりわけ弱小国と対戦して勝利し続ければ)順位が上がる、実際の実力を反映したとは到底言い難いものだった(それでも、当時一位はブラジルだったのだけれど)。

正直、当時はまったくサッカーに興味がなかった。

高校生だった私を熱狂させていたのは、38年ぶりの優勝に向けて驀進している横浜ベイスターズであり、マシンガン打線であり、その中核を担った鈴木 尚典とロバート・ローズの3,4番コンビだった。世界はまだ狭く、未踏の地に溢れており、フランスは名前しか知らない異国で、金星と同じような位置づけだった。私の世界文学彷徨はまだはじまったばかりで、カフカの『変身』に端を発した読書熱は、ドストエフスキーやトルストイによって何度もかき消されそうになりながらも、惰性のごとく続いていた。

サッカーフランス代表に話を戻そう。
自国開催のワールドカップで優勝した後、les Blues は黄金期を迎える。2000年のユーロでも勢いそのままに優勝すると、好調を維持し2002年の日韓合同ワールドカップでは、ブラジルを押しのけ、優勝の大本命に挙げられた。

しかし、その大会で一勝もできないどころか一点もとれないままにグループリーグ敗退を喫すると、歯車が狂いだす。緩やかな、しかし確実な衰退がはじまろうとしていた。2004年のユーロでは、準々決勝でギリシャの前に敗退。2006年W杯では、一度引退表明をしたジダンを呼び戻すなどして、準優勝の好成績を収めるが、その決勝の舞台では永遠に語り継がれるであろう、ジダンの頭突き事件が起きてしまった。2008年のユーロ、2010年のWカップと続けてグループリーグで敗退する。2004年以降、10年で7億ユーロ以上を投じ、現在黄金期を築いているドイツとは対照的だ。

とはいえ、結局は選手の力がものをいう。1998年当時、フランス代表のスタメンに名を連ねていたのは、所属クラブでも圧倒的な実力を持つ選手ばかりだった。バルデズ、ブラン、アンリ、トレゼゲ、テュラム、ジダン…。
今は違う。ベンゼマはレアル・マドリーで確固たる地位を築いたとは言えず、ナスリはマンチェスター・シティで時折試合に出るだけだ。グルキュフに至っては、ここ2年のあいだまともな働きを見せていない。唯一満足なパフォーマンスを見せているのは、リベリだけだ。これでは勝てるはずがない。

フランス代表がふたたび輝きを取り戻す日は来るのか?そして日本代表がワールドカップで優勝する日が来るのか?――そんなことには大して興味がない。今語るべきなのは、ナショナリズムとスポーツの異常なまでの癒着だろう。それも、堅いメディアが語るのではなく、スポーツメディアが正面切って取り上げる、そんな時代がくるだろうか?私にはそっちのほうが大切だ。

Au revoir et à bientôt !
Number とかが特集を組むとか。

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