2013年7月26日金曜日

ボッティチェリと「萌え」の歴史

これだけ上手いと嫉妬しちゃうぜ。

中野京子氏の『怖い絵』シリーズが文庫になっていたので、「泣く女」編と「死と乙女」編を続けざまに読んだ。タイトルからして、美術をよく知らないライト層に向けた入門書、というか、物事を大げさに言い立てて、耳目を集める悪いベストセラーの見本のように想像していたのだが、いい意味で裏切られた。

時代時代の流行りものや習俗に言及することで、絵画の描かれた時代背景、時代の雰囲気を読む人に体験させる。西洋史と西洋絵画史を重ね合わせることに成功した、良作だ。作品の紹介順が時代・場所とまるで脈絡のないのだけが、少し残念だけれど。

文章が良い。決して自分語りに堕さない程度に解釈を加えながら、それぞれの作品の本質とテーマ、歴史背景、観賞のポイントを教えてくれる。決して押しつけがましくなく、ひとつひとつの絵画をめぐる物語を、ストーリーテリングしていく。

秀逸だったのは、『ヴィーナスの誕生』と題された二つの作品の紹介。ボッティチェリのあまりに有名な同作が、正確にはヴィーナスが海上で誕生した後、キプロス島の浅瀬へ打ち上げられた瞬間を描いていることを示したあと、ヘシオドスの『神統記』に依拠し、彼女の誕生を我が子を喰らうサトゥルヌスと繋げる。ヴィーナスと数多の愛人、それに誰よりも醜い肉体を持つ夫、鍛冶の神ヘパイトスのねじれた関係で愛と死、恋愛の幸福と罪業を示す。

カバネルの『ヴィーナスの誕生』は一転して近代との繋がりから紹介される。ここで描かれるのはギリシャ神話ではなく、西洋絵画史におけるヌード神話のほうだ。女性の裸を描くのに、神話や歴史上の事件を必要とした時代が、やがてマネの『草上の昼食』に代表されるように卑俗なものとなっていく。そこに、これまで王侯貴族の専有物だった裸体画の、大衆への公開とその影響を重ねる。

カバネルら同時代の画家が描いた裸体画の衝撃。それは、「我らが夢の裸体」の現出であった。男はそれを抱きしめたいと願い、女はこうなりたいと願う。また、男は自分の妻や愛人の肉体と較べて愕然とし、女も彼我の差にショックを受ける。

現代のグラビア誌やスクリーンに映されるヌードと我々の関係そのものだ、と作者はいう。デジタル処理が施されたしみや毛穴ひとつない艶やかな肌、細かく修正されたボディライン。もはやどこにもリアルはない。夢の裸体が存在感を増すにつれ、現実の(=三次元の)肉体はますます受け入れ難いものとなる――

これは絵画の本じゃない。15世紀のボッティチェリから21世紀の日本までを、わずか20p で横断する作者の筆力を存分に堪能する本だ。

Au revoir et à bientôt !
 
参考文献:『怖い絵 死と乙女篇』 / 中野京子著 角川文庫 


0 件のコメント:

コメントを投稿