2012年10月29日月曜日

Passage à l'heure d'hiver en Europe / 夏の終わり、冬の始まり

10月の最終日曜日、27日にフランスでは時計の針が一時間巻き戻された。

日本ではまったくなじみのない、「l'heure d'été / 夏時間」の終わりである。つまり、3月最終日曜日に進められた時計の針を元に戻した、というわけ。

フランスでは1998年から始められたというこの制度の一番の利点は、電力節約につながることだという。

なぜ時計の針を戻す(進める)ことが節約につながるのか?――私にもよくわからない。が、とりあえずフランスの環境相のお言葉を聞いてみる。

" Selon le ministère de l'Ecologie, le changement d'heure a permis d'économiser 440 GWh en éclairage en 2009, soit la consommation d'environ 800.000 ménages."

要は「夏時間の導入によって、2009年には440GWh の消費電力削減に成功した」とのこと。マジなのか?

440GWh。これがどれくらいのものなのか。いまいちピンとこないので、関西電力の昨年度一年間の原子力発電所によって供給された電力量を調べてみる。

「電気事業連合組合」のホームページ (http://www.fepc.or.jp/) によると、1871603MKh とのこと。単位をGKhに変換すると、1871,603 ≒ 1872GKh

つまり、夏時間の導入によって、2009年のフランスは、2011年度関西電力の原子力発電所が供給した電力の、およそ1/4を節約したことになる。うむ、なかなかの成果ではないか。

それにしても、時間を一時間戻す、進めるという作業は実に文学的だ。人為的に作られた時間の襞。これを使った文学的トリックなんて、如何にもありそうだ。

で、どこに節約の要素があるのか?なんて質問はナンセンス。おそらくそれも、慣性という名の重力に縛られた政治的レトリックに過ぎないのだろう、残念ながら。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!

2012年10月27日土曜日

Paris / パリ 魂の実家

10/11 Avignon 12:26 - Paris 15:10

もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。
――アーネスト・ヘミングウェイ

ヘミングウェイは好きじゃないが、このフレーズはいいよね。より正確にはヘミングウェイの小説は嫌いじゃない。ただ、若き日々の回想録ともいうべきこの本が糞なだけだ。まぁ大抵、死後発表の作品には碌なものがない。作者の意図に反するからだ。

冒頭を飾るこの言葉が示す通り、私もパリに惹きつけられた大勢の一人だ。この4年間で3回、日数にして10日ほどパリに滞在した。これは日本も含め、他のどの都市よりも多い。実家に帰った日数よりも。

この街の魅力はなにか?回想録で取り上げられる1920年代のパリで重要な役割を果たし、今もセーヌの左岸に現存する、シェイクスピア書店に象徴される文化と歴史。それがフランスの最大の武器であることは言を待たない。

フランスにおいてもパリは特別な場所だ。そこは文化や歴史、更には政治、経済の中心であるともに、ヨーロッパの中心でもある。

パリにいると、交通の要諦としてどれだけ重要な位置をしめているか、旅行者の身にも感じられる。アメリカは人種の坩堝だとよくいわれるが、それを地理的・歴史的に圧縮した都市といえるだろう。

ここにあるもので、純粋なものなどひとつとして存在しない。そう言い切ってしまいたくなるほど、この街には文化や人が流入してきた。それらは混ざり合い、やがて境界線を曖昧にしていき、独自のものを形作る。

「エコール・ド・パリ」と呼ばれた画家たちのほとんどはパリ、フランスの外から来て、パリで育った、育てられたものたちだ。スーチン、藤田嗣治、モディリアニ…。ここにピカソを加えることもできるだろう。出自は違えど、彼らは疑いもなく「パリの」画家だ。画家たちにとって、パリは学び、成長するための学校のような場所だったろう。

パリは学校。そのたとえが適切だとしよう。そしてもし冒頭のヘミングウェイの言葉を時間軸の方向に切りとるとすれば、どんなときにも立ち返るところだ、ということになる。つまり、人生の各時点で、がむしゃらに学び続けた若かりし頃を思い出せ、という意味にもなる。

つまるところパリは、青春の夢や野心と切り離すことのできない都市なのだ。そしてそれは、その後の人生の拠り所となるべき場所。人生の行く先々で付きまとい、悩み苦しんでいるときにパリはこう語りかける、「君に立ち返るべきパリはあるかい?」と。

パリは夢、野望。でも一時のものじゃない。それは何度でも立ち返る場所、魂の実家なのだ。

夜のエッフェル塔。実ははじめて見た。

...La prochaine destination ☛ Musée du Louvre

2012年10月24日水曜日

À la recherche des livres inconnus / 本屋めぐり

フランスの各地をめぐる旅は一休みしよう。今回は、フランスに行って「できなかったこと」の話だ。

一番にあげられるのがやはり「本屋失踪」とも言うべき、本をめぐる冒険の不在。

過去二回はいずれも何軒かの本屋を回り、30冊を超える書籍を購入してきた。それでフランス語の習熟を図ってもいた。

今回は様子が違う。なにしろ5泊7日の強行軍、それもかなり緊密なスケジュール、ということもあって、自由な時間をほとんどとることができなかった。

ツアーではないのだから行きたいところに行けばいい、というのはなるほどその通りだが、実際に時間という絶対的制限を前にしては、おのずと優先順位が決まってくる。つまりは、観光地巡礼。

そんなことをいいながらも、行くには行ったのだ、フランスのメガ書店、fnac / フナックに。

デジカメからゲーム、CD&DVD、本までを扱う品揃えは、日本でいうところのジュンク堂、というよりはTSUTAYAやビッグカメラを想起させるのだが、私の目当てはもちろん本だ。

しかし、本を選ぶのは簡単な作業ではない。殊に現代フランス文学に関する情報がほとんどゼロの状態で選ぶときには。

これまでに仕入れた数少ない未翻訳作家のリストは、過去二回のフランス滞在の折に使い果たしてしまった。

そうなると必然、既知の作家もしくはまったく名も知らない新規作家の開拓しか手はなくなる。しかし前者を行うには意欲が足りず、後者は時間が許さない。

つまるところ Il n'y a rien à faire / 打つ手なし、だ。

そもそも前者に関しては、amazon でいいじゃん、なんて、それを言ったらおしまいだろう。だが、それが真実だ。

本屋は未知なる書物との出会いの場だが、その場を活かすためには時の作用が必要不可欠なのだ、と異国の地で観光客は思い知らされるのだった。

本屋の画像はない。

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2012年10月21日日曜日

Villeneuve-lès -Avignon / ヴィルヌーヴ・レ・ザヴィニョン かくも過酷な観光旅行

10/11 9:38 Avignon 発 - 9:50 Villeneuve-lès-Avignon 着

名前からして属州じゃないか。

そんな声も聞こえてきそうなほど、アヴィニョンとヴィルヌーヴ・レ・ザヴィニョンの関係は密接で、従属的に思える。

アヴィニョンに教皇庁が置かれていたのに対して、レザヴィニョンには枢機卿の邸宅が並んでいた。10世紀には修道院が設立され、11世紀にはその周囲に村が形成されていった。以降は教皇庁を構えるアヴィニョンと対立的な立場をとり、フランス国王に保護を求めるなどしている。このように、その歴史的にも二つの都市を切り離して考えることは難しい。


もっとも、そんな歴史的背景があるからといって、今もその関係そのままに見るのは、視野を狭めるだけだろう。この街にはこの街なりの魅力がある。

といいながらも、実際この街を見るために割り当てた時間はわずか二時間で、おまけにバス停を降りてすぐのところで開かれていた朝市を、物珍しげに眺め歩いたから、この街一番の見どころといえるChartreuse du Val de Bénédiction / 祝福の谷修道院ですら、駆け足で見るはめになった。

そんな人間の言葉など、誰が信じられるだろう。だがまあ、聞いてほしい。この街に見どころは数多く、実際一日かけてゆっくりと回るべきだろう。

修道院の他にも、Fort St-André / サンタンドレ要塞や Tour Philippe le Bel / フィリップ美男王の塔、Eglise Collegiale Notre-Dame / ノートルダム参事会教会など、見るに値する観光地は多く、それでいてツアー客に煩わされることもない。

時間、時間さえあれば…

そんな風にわが身を呪いつつ、12時14分発のパリ・リヨン駅行きのTGVに乗り遅れないよう、死力を尽くす。分刻みのスケジュール、時計の秒針とのスピード勝負、一本バスを逃すとそこで終わりの緊張感。観光旅行とはかくも過酷なものなのか。

祝福の谷修道院
 
...À la prochaine déstination ☛ Ce que je n'ai pas fait

2012年10月19日金曜日

Les villages en Provence / プロヴァンス村巡り 農業大国フランス

10/10 8:10 Avignon ホテル前発 - Tour "Les Beaux de Provence et Luberon" 参加

 前日、アヴィニョンのツーリストオフィスで、南仏の村巡りツアーを予約しておいた。一人65€。タクシーを手配して行くことを考えれば、かなりお得な値段だ。

もちろん、それ相応のリスクはある。ツアーなので融通が利かないし、他の利用者とも一緒になる。ガイドとの関係も重要だ。

当日若い女性ガイドとアメリカ人の他二組と一緒に回ることになったが、そうなるともちろんガイドする言語は英語。フランス語は喋れるが高校生並みの私は、時折拾える単語の意味と、空想で繋ぎ合わせて、話を聞いているつもりになっていた。途中からは英語がほぼ通じないことが、他のメンバーに了解されて、放っておかれたのは逆にこちらも気安かった。

さて、肝心のプロヴァンスの村々はどうだったか、というと、これについて語ることはあまりない。いや、それぞれの村は本来、別個に語り得るだけの魅力があるのだが、それを堪能する時間がなかった、というのが本当だ。


実際、ツアーで巡ったGordes / ゴルド、Roussillon / ルシヨン、Les baux de provence / レ・ボーのいずれも、Les plus beaux villages de France / フランスの美しい村 に選ばれている。

この「フランスの美しい村」というのは同名協会による認定制となっており、2012年7月の段階で157の村が加盟している。認定のためには厳格な選定基準の下に審査され、一度認定されても視覚を取り消されることがあるという。その基準の主な四つとは、

1.人口2000人未満であること。
2.2ヶ所以上の保護遺産か遺跡(景観、芸術、科学、歴史など)があり、その保全のための計画的な土地利用政策がなされていること。
3.村の建物の外観に調和がとれていること。
4.自治体の議会で同意を得ていること。

だという。この基準を読むだけでも、面白そうな村が揃っているのだろうと推測できる。しかし、大事なのはそれを味わうための時間だ。それがなければ、どんなに素晴らしい素材も味のないスープのようになってしまう。今回のこのブログのように。

それでも収穫もあった。

今回、ツアーに参加してなにより大きかったのは、車でフランスを見ることができたこと。そしてそのことで改めて、農業大国としてのフランスを感じることができたこと。


フランスでは都市部と農村部の乖離がはなはだしい。都市を少し離れれば、どこに行っても畑ばかりだ。違いといえば作っている作物だけ。そんな風にも見える。

こういう土地だからこそ、各地に綺羅星のように点在する村のひとつひとつが魅力的で、訪れる人々を惹きつけてやまないのだろう。

フランスの車窓から。

...À la prochaine déstination ☛ Villeneuve-les-Avignon

2012年10月18日木曜日

Arles / アルル 兄弟関係

10/9 9:44 発Avignon 発 - 10:05 Arles 着

TGVで夜遅くアヴィニョンに着き、翌日一番にアルルに向かう。

直通電車で二十分。往来に便利なこの街に、著名なものは大きく2つ。

ひとつは円形闘技場に代表されるローマ時代の遺跡。もうひとつは太陽の画家、ヴァン・ゴッホである。実はもうひとつ、アルルの女たちもあげられるが、今それは置いておこう。

アルルにはこの二つがあるから観光地として素晴らしい。より正確には、この二つがあるからこそ観光地として大きな成功を収めているのだ。

互いが競い合うことで生まれる相乗効果。まさしくそれは、ゴッホとゴーギャンの共同生活そのものではなかったか。

いや、ここではゴッホとその弟テオの兄弟関係になぞらえるのがより適切かもしれない。

熱狂的、いや狂信的な兄とそれを影から献身的に支える弟。現代の我々が抱く二人の関係は、このようなややステレオタイプな美談仕立てに堕しているが、現実は果たしてどうだったか?

兄と弟。古今東西どんな兄弟関係も、少なからぬ緊張関係をはらんできた。どちらにとっても相手は、打ち負かすべき初めてのライバルだ。どんなに仲の良い兄弟であっても、その関係にピンと一本張られた糸があることに変わりはない。

ローマ古代遺跡とゴッホ、この大きく歳の離れた2つのあいだにも、同様の力学を想定できるだろうか。できる、といいたいところだが、それは同時に彼らだけが知り得る秘密の結びつきなのだ。

 
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2012年10月17日水曜日

Avignon / アヴィニョン フランスの似姿 

10/8 17:35 Nice 発 - 21:25 Avignon TGV駅 着

アヴィニョンで見るべきはなにか。

1309年から77年まで、ここに教皇庁がおかれ、都合7人の法王が暮らしたことなど、この街を味わう上で知らなくともよい。それでも、ローマ以外に唯一教皇庁の置かれた場所であるという権威(ステータス)は、キリスト教徒でなくとも惹きつけられる。

その教皇庁の巨大さに圧倒されるもよし、ローヌ川に半ば架かっているサン・ベネゼ橋の追憶に浸るもよし。あるいは街を取り囲む、城壁を回ってみるのも楽しいだろう。

とりわけ城壁は、「見る」というより「見える」という表現がふさわしい存在感があり、建てられたその意味を、現代にまで語り継いでいる。

想定されている外敵の脅威と、なんとしてでもそれを排除しようとする執念の力学。異物を取り除くために行われた奮闘はしかし、効果のほどは疑わしかった。

そもそもこの都市自体、その誕生からして異様なものの受容から始まっており、その集積によって現在まで成長を続けてきたのだといえる。


外からの敵をかたくななまでに拒みながら、自らの内に招き入れて、自家薬籠中のものにする。ここにあるのは、内 - 外 = 味方 - 敵という単純な対立ではなく、すべてが自在に所在を変える、混沌とした葛藤の精神だ。

フランス・ユマニスムの思想に受け継がれていると言えなくもないこの葛藤は、サン・ベネゼ橋を人間関係の綾と読み解くことで、より人間らしいものとなる。これほどまでにひとつの都市が人間の似姿をとっているのも珍しい。まさにこの街で、毎年演劇祭が催されているのも、偶然ではないだろう。

ピカソのキュビズム時代の代表作『アヴィニョンの女たち』に名前を貸しているように、この街は自らその保守的な外壁を乗り越える。まさに avant-garde。

ゆえにこの街を巡るのは、ある人物の精神の軌跡をたどることに等しく、街の中心にある時計台広場の時計が刻んでいるのは、その心音だと。そしてそこに常設されたメリーゴーランドの前に立つと、4年前に同じ場所で見た映像が自然とフラッシュバックされるのは、それがその場所に埋め込まれた記憶だからで、その記憶の持ち主こそ、フランスを象徴するあの女性なのだろう。


異常な回転速度のメリーゴーランド
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2012年10月16日火曜日

Monaco / モナコ 優美・裕福・勇敢さ

10/8 11:40 Èze 発 - 12:00 Monaco 着
 

エズからモナコまで、約20分。Cote-d'azur の海岸沿いの山道を下っていく。途中から明らかに、一般の郊外のそれとは姿の異なる建物群が見えてくる。モナコはすぐそこだ。
 
「他の乗客が降りたから」という安易な理由で、地図も確認せずにバスを降りるような男はすでに、モナコに滞在する資格はない、といっていい。
 
いやそもそも、乗合バスを使うような観光客が、訪れていい場所ではないのかもしれない。世界に二番目に小さな国、ここモナコでは、富を持つものがすべてに優先される。
 
街の心臓部、Monte-Carlo / モンテ・カルロにある Grand-Casino 前には、見るからに威厳のあるガードマンがいて、黒塗りの車を出迎えている。その威風堂々たる姿を前にしては、旧市街地に居を構える王宮のほうが、まだしも庶民的でとっつきやすい、とさえ思えてしまう。
 
もちろん、それもまた幻想にすぎない。そもそもMonte-Carlo の名称自体、モナコを興隆に導いたCharles Ⅲ の名を冠しているのだから。仮にその領域に近づこうと試みるのであれば、先代の王Rainier Ⅲ の妃となったGrace Kelly / グレース・ケリー並みの優美さが必要となる。
 
もうひとつ、モナコを語る上で忘れてはならないのが、毎年五月に開催されるF1だろう。
 
市街地をサーキットとして使用するという、命知らずな試みは、それゆえに勇敢な平民を限りない高みへと押し上げ、束の間幻想と現実の境目を乗り越えることを可能にする。
 
それがどれだけ勇気の必要なことかを知りたければ、市街地を歩き、殺人的なヘアピンカーブを目の当たりにするだけで十分だろう。
 
勇敢さ、優美さ、裕福さ。このすべてを欠いた人間にとって、モナコは夢に出てくる幻の王国にすぎない。
 
仮にでもモナコを語ろうとするのならば、サンダル履きでTシャツからビール腹を覗かせて、ガードマンからじろじろと見られるのにお構いなく、カジノを見物するだけして帰って来るという、アメリカのおじさん風の度胸が最低限備えておくべき資質となる。それは今の私には求めがたいセンスだ。
 
Monaco 王宮前
 
…La prochaine déstination ☛ Avignon
 
 
 


2012年10月15日月曜日

Èze / エズ 観光地に生まれて

10/7 8:00 Nice 発 - 8:35 Èze 着
 
 
観光客の朝は早い。
 
6時半には起きて準備をする。外はまだ暗い。だが、このバスを逃せば次は一時間後。前回は話の流れ上、持ち上げて書いては見たものの、正味の話、そんなに便利なわけでもない。
 
時刻表を見る限り、30分ちょっとでエズの村に着く。だが、そんなはずはないだろう。村はニースからは影も形も見えないし、乗車して10分を過ぎてからも、バスは市街地をあちらこちらに進んで、乗客を拾っている。
 
それがなんとか時刻表通りに着いたのは、2分ばかりの容赦のないフライングスタートと、曲がりくねった山道をスピードを落とさず駆け抜ける、運転手のたぐい稀なるテクニックのおかげだろう。
 
オレ、このバスの運転が済んだら、F1レーサーになるんだ。
 
違う。そんな夢の名残りがこの運転テクニックなのだろう。
 
おそらくこのあたりには、夢破れてその腕を持て余した男たちがゴロゴロ存在して、こんな危険な山道を走るバスの運転手にも事欠かないのだろう。少年たちの夢のサーキット、モンテ・カルロは山を越えたすぐ向こうだ…。
 
話をエズに戻すと、「外から見えない」この特殊性こそ、エズ村が要塞都市として、14世紀頃まで発展していた理由がある。
 
そんなエズの村も、21世紀の観光客たちの目からは逃れられない。
 
Côte-d'Azur の中核都市ニースから30分という立地条件を、ガイドブックが逃すはずもない――必然、村は観光地の体をとる。
 
そこにあるのは四つ星ホテルとみやげ物屋と、観光客向け値段のカフェ。もちろん村の姿かたちは多くが昔のまま残されていて素晴らしい。しかしその美観さえも…いや、よそう。素直な気持ちで観賞することこそ、異文化理解のための最低条件のはずだ。それに、村の最高地にある熱帯庭園からの景色は、掛け値なしに美しい。
 
2時間弱の滞在の終わりに、村の入り口にあるカフェに入った。
働いているのは、高校を卒業したばかりとも思える若い女の子と、その父親らしき人物。
 
給仕に来る彼女の、露わになった二の腕を、素直な気持ちで歎賞しながら、彼女の将来を考えるのは野暮だろう。観光地で生きる意味など、そこで生まれ、死ぬことを選択したものにしかわかるまい。

1,2時間に一本ある、モナコ行きのバスを待つ。15分遅れているが、バスはまだ来ない。
 

エズ熱帯庭園からの風景
 
…La prochaine déstination ☛ Monaco
 


2012年10月14日日曜日

Nice / ニース 盛夏の名残り

10/6 23:40 関西国際空港発 - 10/7 14:15 Nice / ニース着

日本から南周りの飛行機に乗ってドバイで乗り継ぎ、20数時間。Nice Côte d'azur 空港に降り立ったときから夏だった。

乗り継ぎで訪れたドバイとさほど変わらぬ気候に困惑を隠せず、ベロアの上着を脱いだのは、窓の外にヤシ科の木の見えるホテルに着いた後。そのとき私は、スーツケースに入れた薄手のセーターが今回の旅行で使われることはまずないと、苦笑いをしながら確信した。

断わっておくが、私の衣類のチョイスが間違っていたわけではない。後日訪れたパリでは、自らの正しさを確認したのだが、それはまたのちの話だ。

いや、おそらく間違っているのはニース市民のほうだろう。声を大にして言いたい、「夏はもう終わった。時代は冬に向かっている」と。

実際のところ冷静になって、日本人的良識とともに考えるならば、そもそも半そで短パンで道を歩いている彼らのほうがおかしいのだ。そんなに暑くないだろ、いやむしろ、その格好、やせ我慢してるんでしょ?と。

なぜそんなにも夏に執着するのか。思うにニースの人々にとって、それこそが街の全盛期の思いで、古き良き時代の記憶なのだ。

フランス随一の避暑地としての地位を確立することは同時に、夏のあとの喪失感もまた何倍にも強く感じることも意味する。

避暑客たちは、夏が過ぎれば元の生活に戻り、10月のニースに取り残されたのはそこに住む住民たちと、季節外れ、流行りに乗り遅れた観光客だけだ。

そんなところにいったい見るべきなにがある?なにもないだろう。あるのはただ、イタリアから出稼ぎに来たフランス語も英語も不完全な革職人の店と、近距離に点在する観光地に向かうための、完全に整備されたバス網だけ。

こんな季節じゃバゲットひとつ満足に買えやしない。

さぁ行こう、流行りには乗り損なったけれど、他のところに行くバスならたんとある。10月のニースはそんな街だ。いや、まぁそれも悪くない…。



…La prochaine déstination ☛ Èze
 

2012年10月6日土曜日

ルーヴル3時間の旅

お久しぶりです。

二週間以上このブログを放置していたことにきちんと触れず、いきなり本題に突っ込むのはいかがなものかと思いますが、今日からフランスに行ってきます。

思えばこのブログを始めたのも、前回フランスに行ったのが機でした。

前回は二回目ということもあり、初めてのときには見えなかったフランス、改めて感じた日本の良さといったものが私にとって書く原動力となりました。果たして今回はどんな発見があるのでしょうか。

さて、出発が5時間後に迫っている今、あえてブログを更新してるのにはちょっとした理由があって、それが表題なわけです。

「ルーヴル美術館をいかに巡るか」これは美術好きがフランスを旅するにあたって、フランスを旅する、というメインテーマに準ずる位置を占めている、といっても過言ではないでしょう。

三十数万点を超える膨大な収蔵作に加えて、現在も継続中の改修工事、世界各地の企画展に貸し出される作品群。「ルーヴルは一日では回れない」とはよく言われることですが、一日はおろか、一年かかってもその全貌をうかがい知ることはできないのではないか。そう思わせる圧倒的な量と質。

にもかかわらず、今回の旅行では3時間しか予定をとっていないなんて、ふざけるのもいい加減にしろ、と叱責されても仕方がないところです。

限られた3時間をいかに使うか、それが今回のテーマです。

私が自らに課したテーマは、「フランス絵画、特に印象派前までを歴史を追って見る」ということです。

具体的に名前を挙げていくならば、フォンテーヌブロー派からプッサン、クロード・ロラン、ラ・トゥール、ロココ芸術を経て新古典派&ロマン派へ。と、なんともエロティシズム溢れるラインナップとなっています。

とりわけ今回絶対観たいと思っているのが、プッサンの『アルカディアの牧人』とクロード・ロランの作品群。この二つは前回完全に見逃していたので、凝視してきたいと思います。

果たして私は計画通りに作品を見ることができるのか?結果は帰国時に・・・。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
行くぜ、ルーヴル!