2012年2月6日月曜日

王子と乞食

おはようございます。

昨日『匪賊の文化史』という本を読みました。
匪賊という社会的アウトサイダーがどのような環境、要因によって作り出されるのか、また社会にどのようにコミットしているのかを追求した本です。

その方法の是非はさておくとして、彼らの志向するところが「支配からの脱却」であることは言を待たず、それ故「都市的フラストレーションからの解放」を欲する現代人が彼らに、殊に彼らの代表的理想像であるロビン・フッドに憧れを抱くのも、不合理ではないでしょう。

彼らが求めているものを、「自由」と称していいのか、またこの躊躇いにはなにが含まれているのか、そのあたりを踏まえつつ表題の話に移ります。

『王子と乞食』はマーク・トウェインが1881年に発表した作品です。
内容はというと、王子と乞食、社会の両端にありながら、瓜二つの容姿を持った二人が、ふとした思いつきからその身分を交換して…というお話。

トウェインは『ハックルベリーフィンの冒険』を書いたことからも推測できるように、本質的にアウトサイダーや「自由」を追求する作家であったと思います。この物語もまた、その線上にあるものとして考えられます。

王子と乞食、この二つの身分が人間の持つ「自由」を両極端に表したもの、つまりは「権力欲」と「放浪癖」という、相容れないながらも志向する方向は同じ二つの願望を投影したものと考えられます。

それは、この二つがともに職業と呼ぶには抵抗がある点からも伺えます。つまりこれらは極めて象徴的な身分であり、一般の人間には実現不可能な夢、極論だと言えるでしょう。
普通の人間はこの二つの願望のあいだに揺られ、時にはこちら、別の時はあちらとたゆたうのでしょう。あるいは、一方に行けるところまで進んだり、自分の志向と現実に折り合いをつけて生きているのでしょう。

もっとも、これら二つの身分も、たとえ周縁的にせよ社会に組み込まれている点ではなんら変りなく、それらが象徴する各々の自由もまた、制限つきのものとならざるを得ません。そうした点で、『王子と乞食』の結末は象徴的です。
やはりマーク・トウェインは優れた「自由」の研究家だったのでしょう。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
道端のアイスクリーム屋さん。

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