2012年2月7日火曜日

世を忍ぶ仮の姿――放射的人生を生きる

おはようございます。

少し前に書いた「カフカ、コーネル、ピカシェット、偉大なる先人たち」に意外な数の反響があり、嬉しく思いました。今回はその話を少し敷衍したいと思います。

最近(ここ一年)の私の関心として、「臨床」という語があり、この大きな流れの中に組み込まれるような人をときどきに見つけては読んでいます。
で、今読んでいるのが中井久夫氏で、まあ精神科のほうではかなり有名な方だと思いますが、最近まで読んだことがありませんでした。

この方や故河合隼雄氏などの著作は、老人福祉に携わっている私にとって非常に面白く、また実践的です。現在の老人福祉業界が出版しているような底の浅い本でなく、精神医学の分野が積み重ねてきた歴史と、彼ら個人の個性や知性、それに臨床体験が加わって、結果として汎用性のあるものとなっています。(ちなみに底の浅い、と書いた老人福祉分野の本の多くは、およそ汎用性に乏しいものがほとんどです。その理由を前者のどこに置くかは人それぞれとして、個人的実感としては、最後に挙げた個人の個性や知性+臨床体験の貧しさが大きいと感じています。まぁ、これは余談です。)

さて、その中井氏の著作には統合失調症を扱っている文章が多いのですが、その中に面白い文章を見つけたので紹介したいと思います。

語られているのは、患者の「社会復帰」についてなのですが、著者は「社会復帰=仕事をする」という等式に疑問を投げかけています。さらに続けて、鈴木純一氏という方が述べたことを引用して、こう言っています。

わが国(日本)で社会的パワーを獲得するのは、職場を中心とする同心円的構造である・・・彼の国(イギリス)で社会的パワーを獲得するには、職場と全く無関係な、いくつもの場に根をおろすことができていると評価される必要があり、職場を中心に、ホビーも、談笑も、家族同士のつき合いもしている人もいないわけではないが、そういう人はあまり高く評価されないとのことである。
世に棲む患者(p.21-22) ちくま学芸文庫

このイギリスの構造を、日本の同心円的構造と比較して放射的構造と呼んでいます。
著者は続けて、社会復帰には二つの面がある、と言います。一つは職業の獲得、もう一つは「世に棲む」その棲み方、根の生やし方の獲得である、と。

この文章が書かれたのは1980年、つまり今から30年も昔になりますが、現在でも日本においては同心円的構造が安定した生活構造であることは事実です。しかしながらようやく、放射的構造を生きる人々がマイノリティとは言えない数になってきており、そうした生き方をすることに引け目を感じることも少なくなってきたのではないでしょうか。

仕事をしている自分はあくまで「世を忍ぶ仮の姿」であり、仕事とは、「この世に生きるために払う税金」のようなものであると考える(「といって、この価値観は仕事を楽しみ、また十分に有能であることの妨げになっていなかった」)。

「好きなことを仕事に」とは誰しも一度は思うことでしょうが、見方を変えれば、あくまで日本的な同心円的構造でのものの考え方だといえます。そして先の言葉を裏返して言えば、好きなことを仕事にしているからといって、その仕事で十分に有能であるとは限らないのです。仕事は仕事、好きなことは好きなことで楽しめばいいじゃない、そんな余裕を持って生きたいものです。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
アヴィニョン橋の上で踊りましょ~。正式にはサン・ベネゼ橋というらしいですよ。

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