2014年2月4日火曜日

ブレンダ・スペンサーの憂うつな月曜日

ブレンダはアメリカのカリフォルニア州、サンディエゴに住むごく普通の16歳。あるいは他の子より少しばかり活発だったかもしれない。週末には父親と一緒にハンティングに出かけるのを何よりも楽しみにしている少女だった。

先のクリスマスには素敵なプレゼントを受け取った。狙撃スコープ付きのカービン銃だ。16歳の少女のクリスマスプレゼントにしてはいささか物騒な代物だが、ブレンダには最高の贈り物だった。サンタさん、ありがとう!よしよし、いい子だ。おまけに500発の弾薬もつけちゃうぞ。なんてやりとりが父と娘のあいだで交わされた。

自分だけの銃を持ったことが誇らしくて、彼女は学友たちに自慢して回った。「私きっと有名になってテレビに出るわ!」もちろん友達は取り合わなかった。だってそうだろう!銃を持っているだけでテレビに出れるなんてバカらしい。そんなの兵隊ごっこをして英雄になったつもりの男の子とおんなじだ。

ひょっとするとブレンダ・スペンサーは他の子らに比べて、少しばかり子供だったのかも知れない。

1979年1月29日。ブレンダは自分の部屋の窓から無関心に外を見ていた。家の前の学校に、足取り重く登校する児童の群れ。もちろん彼女も憂うつだった。月曜日はいつもそうだ。楽しい週末が終わり、今日からまた一週間が始まる。もうすぐ学校に行かなくちゃ。そんな彼女の暗鬱な心を照らす妙案が、ふと浮かんだ。

「あの子たちを獲物にハンティングしたら楽しくない?」

いてもたってもいられずに、彼女は自分の銃を取り出し、肩に担いで構えると、狙いをつけて発射した。パン、パン、パン!

なにがなんだかわからず子供たちは、地面に倒れ、泣き叫び、逃げ惑った。ブレンダは冷静だった。まるで射撃場でするように銃弾を込め、狙いを定めた。なにも見えず、なにも聞こえなかった。ただ獲物の動きだけを目はひたすら沈着に追っていた。

校長 Burton Wragg はヒーローになりたかった。新聞の一面やニュースで取り上げられる自分の姿を想像して、悦に浸った。ヒーローは簡単に死ぬはずがない。彼は隠れ場から身を乗り出し、悪人がどこから撃ってくるか確かめようとした。バンッ!即死だった。

校長が撃たれたのを見て、警備員の Mike Suchar は思った、今校長を助ければきっと感謝状がもらえるだろう。これを足がかりに出世街道に乗ることもできるはずだ。他のやつには譲れない。考えるより先に体は行動していた。急いで校長のもとに駆け寄ると、バンッ!校長の体に折り重なるようにして倒れ、死亡した。銃撃は15分ほど続き、その間ほかに8人の子供たちが怪我をした。あぁ、アンラッキーブルーマンデー!

ブレンダはその後、7時間に渡って家に立てこもり、警官に抗した。最終的に降伏した彼女は、何故こんなことをしたのか、と問い詰める周囲の大人に向かってこう言った、「なんていっていいかわかんない。だって面白いと思ったんだもの。池にアヒルがいるから撃つようなもの。あ、でもあれは動きの鈍い牛を狙ってるみたいだった。めちゃ簡単なの」

後悔の念を見せない彼女に対し、司法は厳格だった。彼女を大人と同じように扱い、終身刑と25年の実刑判決となった。

服役期間中、彼女は4度釈放の嘆願書を出した。最後の嘆願時(2001年)には、「父親に性的虐待を受けていた」と主張し、自由を取り戻そうとした。要求はすべて却下された。

34年間、彼女は檻の向こう側にいる。今も彼女は月曜日が嫌いだ。でも今は、一週間ずっと憂うつなままだ。

Au revoir et a bientot !
Brenda Spencer.

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