2013年1月27日日曜日

顧客の優位性が大学を支配する

――生徒が先生を評価する。これほど素敵なことがまたとあろうか。

発端は昨日今日の話ではない。1997年、Francois Bayrou による教育改革案に遡る。

大学教育における授業の質の向上を図ろうというのが、この制度の目的だ。

現在の大学では、研究成果に評価基準の大半が置かれており、どんな授業を行ったかは、ほぼ考慮されない。それを、優れた授業を行うことが、キャリアアップのための重要なファクターとすることに要点はある。

日本の大学教育もほぼ同じ現状だといえる。

もちろん反対意見もある。大学教授は研究成果こそが大事だ。学生は優秀な教授の話を聞けるだけでもありがたいと思わなければ。そう考えるのもわかる。

だからこそ逆説的に、研究第一だからこそ、優れた授業を行うことが必要なのだ、ということもできる。少子高齢化時代を迎え、年々学生の絶対数が減っている現在、自分の学術分野に十分な研究資金を得るためには、人気とその必要性をプレゼンすることが求められる。その場として、授業はうってつけだ。面白い授業、優れた授業には学生が集まる。それが大学内でのキャリアアップにつながることはすなわち、パワーバランスを授業によって変え得る、ということだ。

確かに最初は上手くいかないだろうが、最後には教授たちも自分の研究分野に学生たちの興味を向けさせることの有用性に気づくだろう。そう、それは顧客のことを無視できる販売者が存在しないのと同じことだ。

教育の世界でもまた、顧客の優位性が明らかになりつつあるのではないだろうか。それがどの程度の深度と広さを併せ持つのか、それはまだわからないけれども。

Au revoir et à bientôt !
フォンテーヌブロー派の絵。仏語では École de Fontainebleau、つまり「フォンテーヌブローの学校」と表現する。面白いね。
参考URL: Le Figaro による元記事

2013年1月25日金曜日

堕ちた英雄がすべてを語る(後編)

2001年にグレッグ・レモンはアームストロングがまだ現役の最中、ということはつまり、ツール・ド・フランス連覇中ということだが、「もしもアームストロングがクリーンなら、まれにみる復活劇だ。そしてもしもクリーンではなかったとしたら、史上まれにみる茶番だ」とコメントし、物議をかもした。

それから12年後の2013年1月17日。アメリカで放映されたテレビ番組で彼は、これまで執拗に取り沙汰されてきた自らのドーピング疑惑に終止符を打った。最悪の形で。

「ランス・アームストロングがツールで見せた走りは結局、すべて茶番にすぎなかったのか?」これから様々なことが明らかになっていくだろう中で、重要な問いはこれだけだ。


そのことについて判断を下すのは、誰よりも彼自身が相応しい。

癌との闘病、奇跡の復活を遂げツール・ド・フランスを初制覇した後の2000年に発表した自伝、『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく(原題 It's Not About the Bike )』

その中で彼はこう言っている、「当時僕は、何かがおかしいと気づくべきだった。しかし運動選手、とくに自転車競技の選手は、否定することが仕事なのだ。あらゆる筋肉や節々の痛みを否定する。レースを終えるためには、否定しなければならないのだ。自転車競技は自虐的なスポーツだ。一日中、どんな天候でも状況でも、砂利道であろうが砂道であろうがぬかるんでいようが、風が吹こうが雨が降ろうが雹が降ろうが、六時間も七時間も自転車に乗り続け、痛みには決して屈しない。」と。まるでドーピング疑惑に対する彼の姿勢そのものだ。

「断言していい。癌は僕の人生に起こった最良のことだ。」彼はそう言った。ではドーピングの告白はどうだろう?これは最悪の出来事だろうか、それともこれも最良といえるだろうか?

「耐久レースで一流の選手になるには、誰もが感じる気おくれを飲み込み、不平を言わずに耐え忍ぶ能力が必要不可欠だ。要は、歯を食いしばって耐えればいいことで、はたからどう見えようが、最後まで残ればいいのである。そして僕はそういう競技であれば勝てるのがわかってきた。どんな競技だろうと問題ではない。ただ正攻法で戦う、長距離のレースであれば、僕は他を負かすことができた。
耐えることがすべてであるなら、僕にはその才能があった。」13歳の時彼はそう確信した。今もそうだろうか。

 プロでの第一戦、彼は優勝した選手からほぼ30分遅れの最下位でフィニッシュする。競技を辞めようとも考えていた彼を周囲は思いとどまらせ、次のチューリヒのレースで彼は、2位になる健闘を見せる。「クリスに電話した。「ほらね」。クリスは言った。たった数日の間に、僕は肩を落とした新人選手から、本物の競技者になっていた。突如、スポーツ界ではみんなが注目し始めた。「一体こいつは誰で、何者なんだ?」
そしてこれは、僕が自分自身で答えを出さなければならない問題だった。」と彼は言う。

 母は僕を不屈の精神で育てた。「あらゆる障害をチャンスとせよ」。そして僕たちはその通りに生きてきた。と彼は言う。

オーストラリアのある図書館では、彼の著作物はすべて、フィクションの棚に移されたという。Ha ha ha, 面白いジョークだ。

彼が小学校五年生で学校の長距離走に出るとき、彼の母は1972年製のコインを取り出してきてこう言った、「これは幸運のコインよ。競争相手は時間だけ」

病気の全体像が明らかになるにつれ、僕は医師たちに何度も同じ質問をぶつけた。「勝率はどれくらいですか」。僕は数字を知りたかった。しかし回復率は日毎に低くなっていった。リーヴス医師は50パーセントといった。「でも本当は20パーセントと考えていました」と後に認めている。と彼は言った。 この数字は後に3%まで引き下げられる。

今回のドーピング告白に対し、世間の目は冷ややかだ。かつての英雄は完全に地に落ちた。もはや名誉も権威もなにもない。彼がこれまで払ってきたすべての努力も、疑いの目から逃れられずにいる。まるで、彼が末期癌から復活を遂げたことすら、フィクションであるかのように。

「ある記者の中で、僕がフランスの丘や山々を「飛ぶように上っていった」という表現があった。でも丘を「飛ぶように上る」ことなどできない。僕にできることは、「ゆっくりと苦しみながらも、ひたすらペダルをこぎ続け、あらゆる努力を惜しまず上っていく」ことだけだ。そうすれば、もしかしたら最初に頂上にたどり着けるかもしれないのだ。」こんな風に書けるのは、実際に登りの苦しみを知っている人間だけだ。彼はその苦しみを違法なやり方で和らげようとしたのだ?なるほど、そうかもしれない。
海抜0メートルよりはるか下まで落ちた彼の現在地から、再び浮かび上がって来ることは、フランスの山々を登っていくことよりもはるかに難しい。山道を上るそのたびに感じる息苦しさや圧迫感が彼自身の専有物であったように、今度の苦しみもまた、彼だけのものだ。

ランス・アームストロングは一人の人間ではない。一つの物語だ。でも、『It's Not About the Bike / 自転車についての話じゃない』。なるほど、その通りだ。ドーピングの話でもない。これは人間の強さと弱さの話だ。癌から奇跡的な復活を遂げ、ツール・ド・フランスを制し栄光を掴んだ男は、ドーピングの魅力に負け、その力に頼ってしまう。不正は告発され、名声は地に落ちる。これまでの賞賛が蜃気楼のように、非難の嵐にかき消される。それでも人は生きなければならない。忍び寄るシニシズムと闘わなければならない。

「信じることがなければ、僕たちは毎日、圧倒されるような運命の中に、素手で置き去りにされるようなものだ。そうなれば運命は僕たちを打ち砕くだろう。世にはびこる負の力に対し、僕たちはどうやって闘うのか、じわじわと忍び寄る冷笑的態度に、毎日どうやって立ち向かうのか。癌になるまで、僕はわからなかった。人生に真の危難を招くのは、突然の病や天変地異や最後の審判ではない。落胆と失望こそが人を危難に陥れるのだ。僕はなぜ人々が癌を恐れるのかがわかる。癌はゆっくりとした避けられない死であり、これこそがシニシズムと失意そのものなのだ。
だから、僕は信じる。」 彼はそう言っている。それなら私も待とう。今度は一番でゴールする必要なんてない。どんな結末でもいい、彼が信じて歩む姿はきっと、見るものに再び勇気を与えてくれるから。

Au revoir et à bientôt !
 
 
参考文献:『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく 』 ランス・アームストロング著 安次嶺佳子訳 文中の斜体で書かれた部分はすべて、同著書から引用した。

2013年1月22日火曜日

堕ちた英雄がすべてを語る(前編)

ランス・アームストロング / Lance Armstrong 。末期癌から奇跡の生還を果たした後、前人未到のツール・ド・フランス7連覇を成し遂げた鋼の男。彼は一人の人物ではない。一つの物語だ。

彼がいなければ繋がれることのなかった点と点が結び合わされ、更にはまだ見ぬ未来の一点を指し示す。

たとえばグレッグ・レモン / Greg LeMond。ランスがツール総合優勝の回数を重ねるたびに名前を出される、元祖アメリカンロードレーサー。アメリカ人初のツール区間優勝を達成し、その後総合優勝を二度経験する(もちろんこちらもアメリカ人初の称号を冠している)。加えて現役中に胸部に散弾銃の弾を受け、生死の境をさまようも、その後再びレースに復帰するというエピソードを併せ持つ。

たとえばヤン・ウルリッヒ / Jan Ullrich。ランスの全盛期最大のライバルであった彼は、結局一度も総合順位において勝ることはなかった。東ドイツ最後のスポーツエリートは、ドーピング疑惑の渦中に取り残されたまま、失意のうちに引退した。

あるいはアルベルト・コンタドール / Alberto Contador。登坂で圧倒的な強さを見せるこのグランツール達成者もまた、脳の多孔性血管腫という、命を脅かす重病に冒されながらも、そこから復活を遂げ、マイヨ・ジョーヌを身にまとい、レモン、アームストロングの系譜を見事に受け継いでいる。2009年のツール・ド・フランス、チームアスタナで同僚となったランスとコンタドールの緊張関係は、見ているこちら側にまで伝わってきた。

あるいはベルナール・イノー / Bernard Hinault。上記のランスとコンタドールの関係を正確に前書きしていた。1986年、前年チームメイトのレモンに総合優勝を譲ってもらった形であったイノーは、この年はレモンのアシストに徹することを約束した。にもかかわらず、5度のツール総合優勝を誇るフランスの英雄は、欲に目がくらんだのか6度目のマイヨ・ジョーヌの着用を望んでしまう。観衆をも不安に陥れたその行為は、重大な裏切りと呼び得るものだったが、最終的にレモンが総合優勝を果たしたことで事なきを得た。これはもう一人の優勝候補、ローラン・フィニョンを罠にかけるための陽動作戦だった、ともいわれるが、結局のところ真相は彼の心にしまわれたままだ。1985年、彼の総合優勝の後、今日までフランス人マイヨ・ジョーヌは現れていない。

すべての偉大な作家は偉大な先人を自ずから作り出す。スポーツ選手においても言えることだ。一人の輝かしい存在が、過去の歴史を紐解く機会を作り出す。2004年MLBのシーズン最多安打記録を更新したイチローが、それまでの記録保持者、ジョージ・シスラーの存在に光を当てたように。

そしてその光り輝く存在は、未だ定まらぬ未来から見れば、目標とすべき灯台となり、模倣と超越とで縒り合わされた光を放射する。

そんな偉大な人物から放たれた光が、過去に存在していた暗部をも照らし出す。闇が存在するのは不可避なことなのか。今のランスによって強調されるのは、癌患者を勇気づけたり、挫折したものを再び這い上がらせるための未来へ向けた輝かしい光ではなく、その影にできた、深い陰影に縁取られた底知れぬ過去の闇だ。

次回、ランス・アームストロングのドーピング告白に触れる。

Au revoir et à bientot !
鋼の男、ランス・アームストロング

参照: Wikipedia の各選手のページにおいて、経歴の確認を行いました。各選手の名前からそれぞれのWiki ページへジャンプします。

2013年1月21日月曜日

砂漠と隣り合わせの雪景色

先日から日本のメディアが、アルジェリアの武装勢力による人質拘束事件を、執拗に報道しているのに較べると、フランスのメディアは冷静だ。

もちろんフランスのメディアも連日事件について報道している。そもそも事の発端は、フランス軍によるマリへの軍事介入によるものだといわれている。フランス軍には作戦の開始から死者が出ている。今回の人質拘束事件においても、フランス人の死者も、そこから逃げ出した人も出てきている。

にもかかわらず彼らが日本人と較べて冷静に対処しているのには、彼らにとって、これはテロリズムとの「戦争」だ、という意識を明確化しているからだろう。9・11は言わずもがな、2005年に起こったロンドンの地下鉄同時爆破事件など、彼らにはテロとの戦いが、自分の肌に迫る感覚として体験されている。また、自らの国の内に、テロ萌芽となる存在を抱え込んでいることへの自覚でもあるだろう。

対して自国が戦場となる経験が、現代の日本には欠けている。これは素晴らしいことであるが、同時に他国の対処法に対する無理解にも繋がっている。

それら戦争のニュースと並列して配信された、思わずにやりとしてしまった気候の話を。

先週末、パリでは大雪が降り、街はスキー場へと変貌を遂げた。パリジャンたちはみなスキーや橇、スノーボードなど、思い思いの道具を持って街に繰り出す。そう、パリの至るところに存在する坂という坂を滑走するために。

もちろん規則では禁止されているのだけれど、そんなことお構いなしだ。なにしろ、人一倍厳格な規則を作るくせに、

Toute règle comporte des exceptions. / 例外のない規則はない

そういって憚らない国民性だから…。

Au revoir et à bientôt !
サクレ・クール寺院前、モンマルトルの丘からジャンプ
 
参照記事: Snowboard et luge à Paris sous la neige / 20 minutes.fr ここで紹介されている動画が格好良すぎ。一見の価値あり。 http://www.20minutes.fr/societe/1084127-video-snowboard-luge-a-paris-sous-neige

2013年1月19日土曜日

美徳や道徳はドブの中には落ちてない

前回紹介した Pascal Garnier 。彼は現代フランスの優れた Roman noir / ロマンノワール作家だといって過言ではない。

では、ロマンノワールとはなにか?日本では「暗黒小説」と訳されることもあることのジャンル、日本版Wiki に従えば、その源流が第一次大戦後アメリカで生まれたハードボイルド小説にあるように錯覚してしまいそうだが、実際のそれは16世紀スペインで誕生したピカレスク小説(悪漢小説)にある。

15世紀に隆盛を極めた騎士道小説の、いわばネガとして誕生したピカレスク小説は、その名の通り(社会的)悪者を主人公に据えた小説形式であり、犯罪(およびそれに準じた行為)が物語の主要な部分を占めている。

レイモン・チャンドラーやダシール・ハメットの小説を読んでわかるとおり、ハードボイルドが主人公の「生き様」に主眼を置いているのに対し、ピカレスク小説のほうは、「悪と正義」という倫理観を軸に、それを揺さぶることを楽しんでいる気配がある。

では、ロマンノワールはどうだろう?

この小説形式の明らかな直系の先祖として、医師であり反ユダヤ主義者であった、ルイ=フェルディナン・セリーヌがおり、また窃盗その他の容疑で何度も捕まり、ついには死刑宣告を受けるものの、その文学的才能に惚れこんでいたサルトルらの尽力によって刑を免れた、闇世界の住人、ジャン・ジュネがいる。

彼らの作品を他の大衆小説作家のそれと画しているのは、「卑劣さの美徳、その欠如」とでも呼ぶべき要素だ。彼らの描く人物は多く卑劣で、仲間内からも嫌われている、あるいはそれゆえに一種の尊敬すら集めている。そしてそのことに対し、一瞬たりとも罪の意識や倫理的な反省を抱くことがない。

――美徳?道徳?そんなものドブの中には落ちてなかったぜ。

悪徳商人から盗んだ金を貧しい人に分け与える鼠小僧、泥棒とは名ばかりの某三世など、悪人にも義賊要素が求められる日本では決して受け入れられないこれらの登場人物が、今もフランスのロマンノワール上では跳梁跋扈しているのか?

その答えはおそらく、Non だろう。フランスでだって、そんな人物は受け入れられない。というか、そもそも上記の二人が例外だ。レ・ミゼラブルだって、ジャン・クリストフだって、自分の美学に忠実に生きる、義賊の一種だ。「自分の美学すら容易に裏切ってみせる卑劣さ」なんて、誰でもが共感するものではない。

確かに、パスカル・ガルニエの小説を読むだけでジュネやセリーヌの作中人物が現代に生きていないことは容易に想像がつく。だが彼らの作り出したアウトローからも嫌われる卑劣漢を、単純な余罪の追及で死に追いやろうとは決してすまいという心意気をそこに読み取ることもまた、決して難しくないのだ。

ロマンノワール=反社会的小説ではない。むしろそれはミステリーと境を接した、人気のある文学の一ジャンルにすぎない。

ならばどこにそんな卑劣漢を見つけようか?『夜の果てへの旅』?『泥棒日記』?そんな遠くまで出かけなくとも、自分の心の中をちょっと覗いてみれば、そこいらじゅうをウヨウヨ這いまわっているのに出会えるだろう。

お前は卑劣さ、卑劣漢だよ、スメルジャコフ!

Au revoir et à bientôt !
修道院にも悪徳は存在する。たぶん

2013年1月16日水曜日

痛みはどうだい?――シニカルに、されどユーモアを込めて

時機を逸してしまうと二度と思い出せない記憶があるのとは反対に、時宜を逃したからこそ書ける記事もあるだろう。と自分に言い聞かせて、今日は現代フランスノワール小説の作家、Pascal Garnier の紹介といこう。

Pascal Garnier / パスカル・ガルニエ (1949-2010) はパリ生まれのフランスの作家。若い頃には放浪し、職を転々とする。ロックンローラーを志していたこともあったようだ。35歳のときに作家になることを決意、以降多数の作品を出版。ミステリーから若者向けの小説まで幅広く書いていた。彼の書く登場人物は、「シメノン風の」ブラックユーモアが特徴。

今回読んだ彼の作品は、『Comment va la douleur ?』 。私が訳すなら『痛みはどうだい?』

ちなみにこの表題には対になる表現、"Comment va la santé ? / お元気ですか?" が存在する。これは現在、口語でのみ使用される表現だ(本来は、"Comment ca va ?","Comment vas-tu ?" など)。パスカル・ガルニエはこの表現を念頭に置いていたと思われるが、果たしてどうか。


――なんと言うか、ハードボイルドだぜ。

ほんの少しだけ内容を紹介しよう。
若くて世間知らず、純真無垢なベルナールは、ある温泉街で自称ネズミ駆除業者のシモンと出会う。ベルナールのことが気に入ったシモンは、彼を短期間の臨時運転手として雇うのだが、実はシモンには秘密があった…。

私が気に入った場面は二つ。一つは小説の冒頭場面。
シモンに呼ばれたベルナールは、部屋で首吊り死体を見つける。なんとなく彼は、机の上にあった食べさしのリンゴに手をつける。

ひどい味だった。近頃はまともなリンゴなんてめったにお目にかかれない。また、くしゃみが出た。この一週間、雨が降り続きのような気がする。彼は部屋を出、後ろ手に扉を閉めた。死体にさよならを言うのは野暮だろう。廊下の突き当たりにあるエレベーターは満員だった。ベルナールは階段で下りた。

もうひとつは、シモンの仕事が人殺しと判明したときの二人の会話。

「あなたの仕事ってのが、ようやく僕にもわかりましたよ」
「それで?」
「どうもないです。なんにしろ普通じゃないのだけは確かですが」
「必要悪さ。注文がある限りはやらなきゃならん」
「それでも僕からすれば、あなたがネズミの駆除だけしてるほうが良かったですけど」
「ネズミと人、どこが違う?どちらも殺してもまたすぐに湧いてくる」

 全体を紹介していないのでわかりずらいのは承知だが、ここには明らかにレイモン・チャンドラーの人物造形に連なるものがある。シニカルさとユーモアのないまぜになった男たちは、今の時代を生き抜くには、少しばかりカッコ良すぎるだろう。

 Au revoir et à bientôt !
Pascal Garnier / パスカル・ガルニエ (1949-2010)

2013年1月13日日曜日

Black on Black

マレーヴィチのやつ、やってくれるぜ。

およそ抽象絵画に対する理解力を持たない私にも、その絵画は力強く訴えかけてきた。

1918年発表 『White on white』
1918年、マレーヴィチ40歳の時の作品、『White on white』 。白い正方形の上に傾いた別の白い正方形が重ねられたこの作品は、20世紀――いやそんな枠組みなど必要としない――美術の極北に輝く、青白い星だ。


「Suprematism / シュプレマティスム(絶対主義)」の名にふさわしい厳めしさと謹直さとを備えたこの絵は、抽象絵画の時代を開くとともに、その到達点でもあった。

時は流れ21世紀のパリ。Le musée Dapper では伝統的アフリカ芸術と現代アフリカアートの企画展が行われている。

…ごめん、パリにそんな美術館があることすら知らなかった。

17世紀のオランダ人ユマニスト、Olfert  Dapper の名を冠したというこの美術館、凱旋門からほど近いポール・ヴァレリー通りに位置しており、主にアフリカ芸術の展覧会を定期的に行っている。

この展示の魅力は、「いかにして過去は乗り越えられるか」にあるといえる。

アフリカ芸術が20世紀美術に及ぼした影響は、キュビズムを始めとして決して小さくないものであり、いたるところに散見されるが、さて激動の20世紀、アフリカという大地でどのような発展をみせてきたか、それを知る機会は意外に少ない(これは正確に日本における浮世絵とジャポニズム、そして現代日本のアートの関係に置き換えることができるだろう)。

下の二枚の写真を見較べてみてほしい。どちらが現代の作品で、どちらが昔(少なくとも100年以上前)の作品か、わかるだろうか。

© Archives Musée Dapper, à gauche Dominique Cohas, à droite photo Hugues Dubois

過去と同じ土俵で勝負し、なおかつ昔は存在しなかった新しい要素を付け加えること。過去の超克にはこのような方法もあるのだと、目を開かされる。アフリカ(の伝統)の上に、アフリカ(の現代アート)を付け加える。まさに Black on black

 マレーヴィチが初めて抽象絵画を手掛けてからおよそ一世紀。南の空に黒色の星が、燦爛と輝きを放っているぜ。

Au revoir et à bientôt !


Le musée Dapper のホームページ: http://www.dapper.fr/


2013年1月8日火曜日

R×R (Robot × Rock)

全自動ピアノが出たときからわかっていたことだ。

ロボット三人組が Motörhead / モーターヘッドの楽曲、『Ace of Spades』を演奏したからといってそれがなんだってんだぃ?
ドラムのStickboy
全自動ピアノの優れた点は、あくまでピアノの枠に留まりながら、人間では決してできない指の動きを追求し、結果として聴く人に新たな音楽的刺激を与えたことによる。

彼らはどうだろう。今はまだ人間の模倣の域を出ない。だが既に全自動ピアノにできないことをやってのけている。頭を振ってリズムを刻み、インストゥルメンタルさえこなしてみせる。

ロックバンドにこの言葉は不適切かもしれないが、彼らはそう、スウィングしてるのだ。



今日は、そんなイカした三人組ロボットバンド Compressorhead を紹介しよう。(参照記事はコチラ

ベーシスト、Bones
ドラム担当の “スティックボーイ” はグループ最年長の5歳(2007年誕生)。4つの脚に2本の腕、ひとつの頭の中は空っぽのナイスガイだ。


ギターは “フィンガー” が担当。2009年加入のこのギタリストは、78の指を駆使するテクニシャンだ。6本のコードの上を這いまわる指の動きは実に官能的だ。


ギター担当、Fingers
最年少ベーシスト、“ボーン” が生まれたのは2012年。まだ1歳にも満たないが、「世界最高の精緻さ」を誇るという、製作者自慢の神童だ。その類い稀なる才能を最大限に発揮できるのか、未知なる未来に彼を待つのは、天国か、それとも地獄だろうか。

喝采の準備はいいかい?栄光のステージライトはすぐそこだ。2013年オーストラリア。オリジナルの楽曲を引っ提げて登場、なんてこともあるかもしれない。

時は21世紀。新しい時代はもう、とっくに始まっているんだぜ…。



Au revoir et a bientot !
参照 Compressorhead のホームページ:http://compressorheadband.com/

2013年1月7日月曜日

映画『最強のふたり』

そこにあるのは「最強の」エンターテイメントと、「最強の」予定調和。『最強のふたり(原題:
Intouchables )』はまさしくそんな映画だ。

全身不随の白人大富豪と、パリ郊外のスラムに住む貧しい黒人。クラシックとソウル、文学とBD。ありとあらゆる定型句的な対立を持ち込んで、これまたありきたりな融合へと昇華させる。この様式美。なるほど、フランス映画なのに全世界で見られる理由がよくわかる。

かといって、それを否定するつもりはない。反対に映画館では大いに楽しんだ。いいね、予定調和、いいじゃんベタな人物像。

ただ惜しむらくは毒が足りない。それは実話をもとにしたこの映画の、実話の側には欠けることのなかった要素だ。

映画終了後のクレジットロールに少しだけ登場する実話の二人は、ヨーロッパ系とアラブ系に見えたのだが、どうだろうか?(実際に確認したところ、それぞれ、Philippe Pozzo di Borgo は父がコルシカ島出身のイタリア系フランス人、Abdel Yasmin Sellou はアラブ系だ)。

つまりこれは、本来ならキリスト教とイスラム教の対比であり、その結果としての融和の物語であり得たのである。それが黒人と白人、貧者と富者のありふれた対比に変えられてしまった(もちろんだからといって、この二つが重要でない、というわけではない)。実にもったいない話ではないか(※)。

確かにこれはデリケートで、現在進行形の問題である。一応は過去のものとなった、帝国主義時代の宗主国と植民地の関係でさえ、フランスにおいて今なお解決されているとは言い難い(日本が同様にそうであるように)。

だからこそ、そうした問題を正面から取り上げることは非常に価値のある事だったろう。

今の時代、「白黒はっきりした」わかりやすい作品しか大衆受けしないのだろうか。そんなことはないだろう。グレーな、もっといえば黄色がかったゾーンを悠然と闊歩し、なおかつ有意義な結論に達する作品が見たい、そう思う人も決して少なくはないだろう。

あるいはそんな要求をすること自体、「アンタッチャブル」な領域なのだろうか?

Au revoir et à bientôt !
『最強のふたり』のトレーラー。うーん、ベタやなぁ。
 
※後に確認したところ、ドリスの本名イドリース自体、アラブ系のよう。つまり、イスラム的要素は決してなくなっているわけではない。


2013年1月3日木曜日

アポリネールとステファン・ツヴァイクの共通点

ギョーム・アポリネールGuillaume Apollinaire 1880/8/26 - 1918/11/9)は、イタリア出身 (!) のポーランド人 (!!) の詩人。「シュルレアリスム」の語は彼から生まれた。19歳のときパリに移住。1916年、第一次世界大戦に従軍し、負傷。1918年、スペイン風邪がもとで死去。
アポリネールのサイン
アポリネールの交友関係には錚々たるメンツが揃っていて、恋人はマリー・ローランサン、友人にはパブロ・ピカソにヴラマンク、アンリ・ルソーなどなど…。アポリネール自身もまた、文字で絵を描く「カリグラム」の技法や、詩集『アルコール』によって、20世紀前半のパリに現れた巨星の一人に数えられる。


さて、一方のステファン・ツヴァイクStefan Zweig 1881/11/28 - 1942/2/22)。オーストリアのユダヤ系作家で、日本では伝記作家として有名。代表作は『人類の星の時間』とされる(これは以前邦訳がみすず書房から出版されていたが、現在は入手困難となっている――と思ってAmazon を調べてみたら現在は普通に販売してますね)。

多くのユダヤ系ヨーロッパ人と同様、ヒトラー政権の誕生からほどなくしてアメリカに亡命、最終的にはブラジルの地で自殺。

一見なんの関係もないように思えるこの二人の共通点――それは、二人とも2013年に知的財産権が失われ、パブリックドメイン化することである。

1997年からヨーロッパの統一規則として、知的財産権の消滅は死後70年経った後と定められた。
その結果、今年で70年を迎えるツヴァイク、さらにはロベルト・ムージルの作品も(『特性のない男』!)、公共の財産となるわけだ。

ややこしいのがアポリネールのケースで、第一次大戦に従軍し、戦争中にスペイン風邪によって倒れたこの詩人は、「フランスのために死んだ / Morts pour la France」と見なされており、今日までその失効が延期されていたようだ。
注意しなければならない点は、知的財産権が失われるのは、あくまで彼らのテクストのみで、翻訳や注釈はまた別であることだ。

まあ、なにはともかくこれで、『アルコール』が、『人類の星の時間』が、そして『特性のない男』がタダで読める――これは事件だ。今後、20世紀前半に活躍した錚々たる面々の作品がどんどん無償化されていくだろう。

この状況の最上の愉しみ方は、やはり電子書籍だ。Kindle で読みたい本が販売されてない。紙の本と値段がそんなに変わらない?日本の電子書籍事情に関しては、その通りだ。

日本における現時点でのこの端末の存在意義は、世界文学の古典を、「タダで、原文で、(比較的)快適に」読む点にある。lというか、それ以外にはないだろう。仏仏辞書も使えるし。

「電子書籍こそ本の新しい未来だ」と言い切るだけの尊大さは持ち合わせていないが、語学学習者にとって、素晴らしい時代が来たことだけは間違いない。フランスのデジタル図書館 Gallica のように、可能性はとどまることなく広がり続けているのだ。

Au revoir et à bientôt !
サン・ジェルマン・デ・プレ教会の裏手にある、アポリネールの顔。でかっ
 
参考サイト
・ アポリネールのオフィシャルサイト。死後85年が経ってオフィシャルも糞もないが、なかなか面白いので、ぜひ。
・Culture Box の記事より。今回の元ネタ。このサイトはフランスの固めの文化情報も発信していて、参考になる。
・フランスのデジタル図書館 Gallica のサイト。

2013年1月2日水曜日

どの月だって一月だ。

このブログの2013年の始動は1月2日から。だって、昨日夜勤明けだったんだもの。
というわけで、

あけましておめでとうございます。みなさんにとって今年が良い年でありますように
Je vous souhaite une bonne année.

まあ、定型句ですね。

さて、新年早々そんなめでたい気持ちを白けさせる箴言を見つけてきたので、ここで紹介したいと思います。

ドイツの作家、 Georg Christoph Lichtenberg / ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルクの言葉。

Janvier est le mois où l'on offre ses meilleurs voeux à ses amis. Les autres mois sont ceux où ils ne se réaliseront pas.
1月は、みんなが友人たちに新年の祝意を贈る月である。それ以外の月は、そうした願いが実現されない月だ。

この格言中の祝意を、目標と置き換えてみると、

1月はみんなが一年の目標を立てる月である。それ以外の月は、それが実現されない月だ。

リヒテンベルクの銅像
いかにも風刺家らしい人物の言葉ですが、ご当人はといえば、Sudelbücher / 控え帖 と呼ばれるノートを、学生時代から亡くなる直前まで書き溜めていたようで、地道に続けることの大切さを知っていたのでしょう。上記の格言もそのノートからの引用のようです。

ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク(1742-1799)についての情報は基本的にWiki を参照していますが、なかなか面白い人物のようです。個人的には特に、何事も先延ばしにする傾向があった、という記述と、1765年から書きはじめられたという前出の控え帖に、"A" から順にアルファベットを振っている("L"が最後の一冊)、といったあたりが、なんとも人間臭く、身近に感じられます。格言については、ネット上で多々取り上げられています。

西洋史上も最も有名な格言家、なんて祭り上げられる彼の格言それ自体よりも、彼の人となりから発せられる平凡さにこそ、学ぶところが多いのではないか――ついそんな風に考えるひねくれた筆者のブログを、どうぞ今年もよろしく。

では、また。

Au revoir et à bientôt !

参照: Wikipedia ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク