Intouchables )』はまさしくそんな映画だ。
全身不随の白人大富豪と、パリ郊外のスラムに住む貧しい黒人。クラシックとソウル、文学とBD。ありとあらゆる定型句的な対立を持ち込んで、これまたありきたりな融合へと昇華させる。この様式美。なるほど、フランス映画なのに全世界で見られる理由がよくわかる。
かといって、それを否定するつもりはない。反対に映画館では大いに楽しんだ。いいね、予定調和、いいじゃんベタな人物像。
ただ惜しむらくは毒が足りない。それは実話をもとにしたこの映画の、実話の側には欠けることのなかった要素だ。
映画終了後のクレジットロールに少しだけ登場する実話の二人は、ヨーロッパ系とアラブ系に見えたのだが、どうだろうか?(実際に確認したところ、それぞれ、Philippe Pozzo di Borgo は父がコルシカ島出身のイタリア系フランス人、Abdel Yasmin Sellou はアラブ系だ)。
つまりこれは、本来ならキリスト教とイスラム教の対比であり、その結果としての融和の物語であり得たのである。それが黒人と白人、貧者と富者のありふれた対比に変えられてしまった(もちろんだからといって、この二つが重要でない、というわけではない)。実にもったいない話ではないか(※)。
確かにこれはデリケートで、現在進行形の問題である。一応は過去のものとなった、帝国主義時代の宗主国と植民地の関係でさえ、フランスにおいて今なお解決されているとは言い難い(日本が同様にそうであるように)。
だからこそ、そうした問題を正面から取り上げることは非常に価値のある事だったろう。
今の時代、「白黒はっきりした」わかりやすい作品しか大衆受けしないのだろうか。そんなことはないだろう。グレーな、もっといえば黄色がかったゾーンを悠然と闊歩し、なおかつ有意義な結論に達する作品が見たい、そう思う人も決して少なくはないだろう。
あるいはそんな要求をすること自体、「アンタッチャブル」な領域なのだろうか?
Au revoir et à bientôt !
『最強のふたり』のトレーラー。うーん、ベタやなぁ。
※後に確認したところ、ドリスの本名イドリース自体、アラブ系のよう。つまり、イスラム的要素は決してなくなっているわけではない。
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