2013年1月25日金曜日

堕ちた英雄がすべてを語る(後編)

2001年にグレッグ・レモンはアームストロングがまだ現役の最中、ということはつまり、ツール・ド・フランス連覇中ということだが、「もしもアームストロングがクリーンなら、まれにみる復活劇だ。そしてもしもクリーンではなかったとしたら、史上まれにみる茶番だ」とコメントし、物議をかもした。

それから12年後の2013年1月17日。アメリカで放映されたテレビ番組で彼は、これまで執拗に取り沙汰されてきた自らのドーピング疑惑に終止符を打った。最悪の形で。

「ランス・アームストロングがツールで見せた走りは結局、すべて茶番にすぎなかったのか?」これから様々なことが明らかになっていくだろう中で、重要な問いはこれだけだ。


そのことについて判断を下すのは、誰よりも彼自身が相応しい。

癌との闘病、奇跡の復活を遂げツール・ド・フランスを初制覇した後の2000年に発表した自伝、『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく(原題 It's Not About the Bike )』

その中で彼はこう言っている、「当時僕は、何かがおかしいと気づくべきだった。しかし運動選手、とくに自転車競技の選手は、否定することが仕事なのだ。あらゆる筋肉や節々の痛みを否定する。レースを終えるためには、否定しなければならないのだ。自転車競技は自虐的なスポーツだ。一日中、どんな天候でも状況でも、砂利道であろうが砂道であろうがぬかるんでいようが、風が吹こうが雨が降ろうが雹が降ろうが、六時間も七時間も自転車に乗り続け、痛みには決して屈しない。」と。まるでドーピング疑惑に対する彼の姿勢そのものだ。

「断言していい。癌は僕の人生に起こった最良のことだ。」彼はそう言った。ではドーピングの告白はどうだろう?これは最悪の出来事だろうか、それともこれも最良といえるだろうか?

「耐久レースで一流の選手になるには、誰もが感じる気おくれを飲み込み、不平を言わずに耐え忍ぶ能力が必要不可欠だ。要は、歯を食いしばって耐えればいいことで、はたからどう見えようが、最後まで残ればいいのである。そして僕はそういう競技であれば勝てるのがわかってきた。どんな競技だろうと問題ではない。ただ正攻法で戦う、長距離のレースであれば、僕は他を負かすことができた。
耐えることがすべてであるなら、僕にはその才能があった。」13歳の時彼はそう確信した。今もそうだろうか。

 プロでの第一戦、彼は優勝した選手からほぼ30分遅れの最下位でフィニッシュする。競技を辞めようとも考えていた彼を周囲は思いとどまらせ、次のチューリヒのレースで彼は、2位になる健闘を見せる。「クリスに電話した。「ほらね」。クリスは言った。たった数日の間に、僕は肩を落とした新人選手から、本物の競技者になっていた。突如、スポーツ界ではみんなが注目し始めた。「一体こいつは誰で、何者なんだ?」
そしてこれは、僕が自分自身で答えを出さなければならない問題だった。」と彼は言う。

 母は僕を不屈の精神で育てた。「あらゆる障害をチャンスとせよ」。そして僕たちはその通りに生きてきた。と彼は言う。

オーストラリアのある図書館では、彼の著作物はすべて、フィクションの棚に移されたという。Ha ha ha, 面白いジョークだ。

彼が小学校五年生で学校の長距離走に出るとき、彼の母は1972年製のコインを取り出してきてこう言った、「これは幸運のコインよ。競争相手は時間だけ」

病気の全体像が明らかになるにつれ、僕は医師たちに何度も同じ質問をぶつけた。「勝率はどれくらいですか」。僕は数字を知りたかった。しかし回復率は日毎に低くなっていった。リーヴス医師は50パーセントといった。「でも本当は20パーセントと考えていました」と後に認めている。と彼は言った。 この数字は後に3%まで引き下げられる。

今回のドーピング告白に対し、世間の目は冷ややかだ。かつての英雄は完全に地に落ちた。もはや名誉も権威もなにもない。彼がこれまで払ってきたすべての努力も、疑いの目から逃れられずにいる。まるで、彼が末期癌から復活を遂げたことすら、フィクションであるかのように。

「ある記者の中で、僕がフランスの丘や山々を「飛ぶように上っていった」という表現があった。でも丘を「飛ぶように上る」ことなどできない。僕にできることは、「ゆっくりと苦しみながらも、ひたすらペダルをこぎ続け、あらゆる努力を惜しまず上っていく」ことだけだ。そうすれば、もしかしたら最初に頂上にたどり着けるかもしれないのだ。」こんな風に書けるのは、実際に登りの苦しみを知っている人間だけだ。彼はその苦しみを違法なやり方で和らげようとしたのだ?なるほど、そうかもしれない。
海抜0メートルよりはるか下まで落ちた彼の現在地から、再び浮かび上がって来ることは、フランスの山々を登っていくことよりもはるかに難しい。山道を上るそのたびに感じる息苦しさや圧迫感が彼自身の専有物であったように、今度の苦しみもまた、彼だけのものだ。

ランス・アームストロングは一人の人間ではない。一つの物語だ。でも、『It's Not About the Bike / 自転車についての話じゃない』。なるほど、その通りだ。ドーピングの話でもない。これは人間の強さと弱さの話だ。癌から奇跡的な復活を遂げ、ツール・ド・フランスを制し栄光を掴んだ男は、ドーピングの魅力に負け、その力に頼ってしまう。不正は告発され、名声は地に落ちる。これまでの賞賛が蜃気楼のように、非難の嵐にかき消される。それでも人は生きなければならない。忍び寄るシニシズムと闘わなければならない。

「信じることがなければ、僕たちは毎日、圧倒されるような運命の中に、素手で置き去りにされるようなものだ。そうなれば運命は僕たちを打ち砕くだろう。世にはびこる負の力に対し、僕たちはどうやって闘うのか、じわじわと忍び寄る冷笑的態度に、毎日どうやって立ち向かうのか。癌になるまで、僕はわからなかった。人生に真の危難を招くのは、突然の病や天変地異や最後の審判ではない。落胆と失望こそが人を危難に陥れるのだ。僕はなぜ人々が癌を恐れるのかがわかる。癌はゆっくりとした避けられない死であり、これこそがシニシズムと失意そのものなのだ。
だから、僕は信じる。」 彼はそう言っている。それなら私も待とう。今度は一番でゴールする必要なんてない。どんな結末でもいい、彼が信じて歩む姿はきっと、見るものに再び勇気を与えてくれるから。

Au revoir et à bientôt !
 
 
参考文献:『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく 』 ランス・アームストロング著 安次嶺佳子訳 文中の斜体で書かれた部分はすべて、同著書から引用した。

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