2012年11月30日金曜日

Louvre 拡大号 長編小説の中の短編を読む

ルーヴルのような巨大美術館は、譬えるなら長編(大河)小説に似ている。長編小説においては、全体をまとめ上げる一本の筋があって、それに乗っかった形で、数々の雑多なエピソードが繰り広げられる。読者はその大筋を辿っていくのもよし、一つ一つのエピソードを、短編小説のように拾い読みしても構わない。

美術館において、観賞者はより能動的な役割が求められる。時間軸と地理的軸を組み合わせた文化的背景の上に、様々なテーマを持って物語の軌道を描くのは、ほかならぬ観賞者の役目だ。時代が示す大筋はあまりにも漠然としており、美術史を学んだものでなければ、すぐに見失ってしまう。「ロココ美術」、「マニエリスム美術」なんて括りに、いったいどれだけの拘束力があるだろう。

大事なのは、自分で定める制約だ。「テーマ」と言い換えれはより正確になる。自由に歩き回るにしても、道標は必要だ。地図は自分で作って、自分で迷え。それが巨大美術館の持つ寛容さだ。

たとえば「裸婦像」をテーマにして回ってみよう。およそこれほど古今東西にわたって好んで取り上げられたテーマも少ない。時代ごと、土地ごとに異なるエロティシズムを感じることは、裸婦像が共通して有する「豊饒さ」にしっかりと繋がっている。

レンブラント。『夜警』の印象が強い。
あるいは時代を横切ってみるのもいいだろう。16世紀、イタリアではルネッサンス / Re-naissance 、人間性の再生が歌われていたが、同時代のフランドルでそれは、自明の理だった。イタリア絵画を中心とした美術史の流れにおいて、フランドル絵画の先鋭生・特異性は際立っている。この土地では人間は昔から、あるがままの姿を持って捉えられている。時には、キリストさえもその位地まで下りてくるかのようだ。

もちろん、一人の画家に集中してみるのも面白い。それができるだけの物量がルーヴルにはある。

展示作品数 35000、収蔵作品数 445000、一年間の入場者数 8346421 (2010年) …。どの数字も圧倒的だ。これだけの物量が、時間、空間的な広がりを可能にする。様々な軌跡を描ける時空間に渡る距離。あえて言おう、それこそが巨大美術館の持つ最高の美徳なのだ。


さて、巨大美術館を長編小説に例えるなら、そこここの美術館で実施される企画展は、さながら短編小説だろう。

ここではなにより技巧が優先される。それは読者 / 鑑賞者の側に求められるものではなく、主催者の仕事だ。企画展は決して長編小説のダイジェスト版であってはならない。短編小説にはそれ特有の面白みがある。それを活かすために大事なのは、主催者が如何に上手に鑑賞者の軌道を定めるかだ。

その点、先日行った「大エルミタージュ美術館展」は失敗だった。所蔵作品中、時期・場所を特定せず満遍なく選び出したことで、どこに焦点を合わせていいかわからない企画展となっていた。確かに、作品を見に行く、というよりは美術館を見に行くようなもので、まるで顔見せ興行だった。まあ、それはそれでいいのかもしれない。

巨大美術館が元来有する美点からはあえて目を背けて、極東の島国の地方美術館の所蔵品と、舶来品の二流絵画との微細な差異を楽しむ、そんな頽廃的な楽しみ方も、ありだ。

Au revoir et à bientôt !
フェルメール。説明不要の名作だが、意外と地味に置かれている
...La prochaine destination ☛ Japon



2012年11月26日月曜日

サンディ島の謎を追え!

どうやってその集落は浮かんでいるんだろう?どこの船乗りが、どんな建築家の助けをかりて、大西洋のど真ん中、水深六千メートルの海上に、このようなものを建てたのか?

Jules Supervielle / ジュール・シュペルヴィエルの短編小説、"L'enfant de la haute mer / 沖合の少女" は、大西洋の孤島に一人住む、12歳の少女の物語だ。

これまで他の人間を見たことがない少女は、水平線上に船が現れると、猛烈な睡魔に襲われて寝入ってしまい、それとともに集落はその姿を波間に隠す。それゆえ船乗りは誰もその姿を見たことがない。だがある日、少女は船を見つけて…。というお話。

こんな風にあらかじめ、幻想小説の体をとっていれば、我々もすんなりと受け入れられるのだが、現実はそう、甘くない。

オーストラリアとフランス領ニューカレドニアとのほぼ中間、南太平洋上にあるとされているサンディ島(英:Sandy Island 仏:L'ile de Sable )Google Earth にもその存在が記載されているが、今月22日、オーストラリア地質学チーム「サザン・サーヴェイヤー(Southern Surveyor)」の調査過程で、実在しないことが明らかになった。

なんでもこの島、古くは1792年にはすでに文献に記載されていた、というから、この幻の島は200年以上も地図上に存在し続けたことになる。

もはや完全にシュペルヴィエルの世界だ。

島が作られたそもそもの理由が過失によるものなのか、あるいは意図的なものなのか、今となっては知る由がない。「あると信じられていたものが実は存在しない」という考えは、人間にとって実に馴染み深く、同時に畏怖の対象である。サルトルならそれを、「実存の孤独」と呼ぶだろう。シュペルヴィエルはそこに、他者との繋がりを見出す。

沖合の少女はどのように生まれたのか?

物語の最後に示される説明ではこうだ。少女は、四本マストの帆船アルディ号に乗っていた Charles Liévens というステーンヴォルド出身の水夫によって生み出された。彼は12歳の娘を亡くしており、航海中もたびたび彼女のことを思っていた。ある夜、ある場所で(ご丁寧にもシュペルヴィエルはそれが北緯55度、西経35度の位置だと指定する)、彼が亡くした娘をあまりにも強く、長く思い続けた結果、沖合の少女は生まれたのだ、と。少女はある人物の想像の産物なのだ。

さて、それではサンディ島はいったい、誰の想像の産物なのだろう?そして我々は?

Au revoir et à bientôt !
Google Map 上のサンディ島
 
*日本のニュースではあまり紹介されていない様子だが、Wikipedia 上に記事が存在する。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E5%B3%B6_(%E5%B9%BB%E5%B3%B6)

2012年11月22日木曜日

Sous la pluie / 雨の下で

L'ecole de loisir 社から青少年向けシリーズ、"Medium" の一冊として刊行されている本書。

著者は Olivier Adam / オリヴィエ・アダン。
1974年パリ郊外に生まれ、現在はブルターニュ地方に住んでいるフランスの若手作家。2004年には Passer l'hiver / 冬を越す でゴンクール短編小説賞を受賞。2006年に来日し、京都のヴィラ九条山に滞在していたが、日本語訳はまだなされていない。

それにしてもひどい話だ。

語り手の僕は学校でいじめられ、父親は20年ローンで購入したばかりの一軒家に後悔しきり、母親に至っては少しばかり頭がどうかしてしまっている。これを読んだ子供たちが人生に絶望しても不思議でない。

もっともこれは通過儀礼 の物語だ。その点、これを青少年向けとするのは全くもって正しい。

ただし、その対象は彼ら家族全員だ。彼らはみな、それぞれにぶつかった困難と、まともに向き合うことができずにいる。

いや、それができないのは大人たちだけなのかもしれない。なにしろ語り手の僕の行動力は、強引なハッピーエンドさえも正統化する力と率直さに満ちている。

新居に引っ越してから近所付き合いもなく、友達もいない母親。そんな彼女をもどかしく思いながらも責めることしかできない父親。なんてありふれた光景。それでいて、解決困難な難題。

結局その状況を好転させたのはなんだったのか?正直いってよくわからない。それは私の語学力不足のせいでもあり、おためごかしのハッピーエンド志向のせいでもあるだろう。あるいは、そういった状況に馴致してしまった、惰性的な生を積み重ねてきたためかもしれない。

それでも子供たちは、最後の場面を、この先ずっと続く人生を照らし出す、希望の光の下に読むに違いない。

Les derniers rayons du soleil viennent s'échouer sur mon visage.
夕暮れの最後の光が僕の顔の上で座礁する。

それはきっと、雨の下で一夜を過ごした一家にとっても、新しい夜明けを予告する残照だろう。

Au revoir et à bientôt !
Olivier Adam
 

2012年11月18日日曜日

受かったッ!第3部完!

思わずジョジョの名セリフをパクってしまったからといって、私を責めないでいただきたい。

2012年11月18日(日)。関西学院別館4号棟403号室で繰り広げられた三年越しの死闘。おそらくこれが最後となるであろう、準一級一次試験。

74 / 120 。予定通りの完勝である。

1の名詞化から4の動詞化までの計30点のうちの20点をも落としながら(10 / 30)、5~7の読解で怒涛の得点(31 / 36)。8の記述問題も無難に書ききってみせた。

休憩後の後半戦。書きとり問題に苦戦をするも、聞きとりはほぼ完ぺきに意味を理解。単純な綴りミスで3点ばかり落とすも 15 / 20 の結果。

現時点での確定点は 56 / 86 。これは前年の 49 / 86 を上回る。書きとり問題はやや不安だが、記述に関しては文法的にほぼ間違いのない文章を書いたつもりだ。前置詞はまさかの全滅だったが、それは言わない約束だろう。

ここまで読んで、ふと思う人があるだろう――あれ、これって微妙じゃね?

うん、正直言っちゃうと微妙だよね。私も本当に受かってるのか自信がない。

この仏検というやつ、なにが曲者かというと合格率調整のために毎年合格ラインが微妙に変化する点だ。昨年の67点も一昨年なら合格だったのだが、基準点が上がっており、不合格。

つまりはこの試験、「いかに6割以上の点をとるか」ではなく、「いかに他人よりも点をとるか」。要は受験者同士の蹴落とし合いである。

そんな争いに巻き込まれないくらいの点数をとればいいじゃない、って言うは易し行うは難し。それだけ点が取れれば苦労はしないだろう。というかそれだけの能力があれば、そもそも準一級じゃなくて一級を受けているだろう。
パリのオペラ・ガルニエ。側面から。
だがもちろんこれは、自分自身との戦いでもある。そして少なくともその側面においては完全勝利した、といってもいい。
なにしろ、2010年が52点、2011年が67点、そして今年が74点(予測)だ。年ごとに難易度が多少異なるとしても、そして今年が去年より簡単だった気がするにしても、この数字は誇ってもいいではないか。誰に?――もちろん、自分自身に。

来年春の一級試験は今回の試験の合否を問わず受ける予定。DALFもB2あたりからチャレンジして行こうかな、と。
ここから先はどれだけ日常的にフランス語に触れられるかがカギだろう。読む本はフランス語の原書だけ。ブログもフランスネタだけ。身も心もフランス人になりきって、こう言っておしまいにしようか。

「俺は日本人をやめるぞ!ジョジョーッ!!」

…はい。
Au revoir et à bientôt !
 


2012年11月17日土曜日

Les feuilles d'automne / 文学週間

Oh, je voudrais tant que tu te souviennes,
Des jours heureux quand nous étions amis,
Dans ce temps là, la vie était plus belle,
Et le soleil plus brûlant qu'aujourd'hui.
 
思い出してくれないか
幸せだったあのころを 僕らは恋人同士で
人生は今より美しく、
太陽は今よりもっと輝いていた。
 
Les feuilles mortes / Jacques Prévert
 
 日本語タイトルは、『枯葉』。シャンソンの代表格であり、ジャズのスタンダードナンバーとしてもあまりにも有名。私にとって、このタイトルはすなわち、『Somethin' Else』 内の同曲を意味している。
 
ちなみに英語のタイトルは 『Autumn Leaves』。 日仏英、いずれも「落ち葉」を意味しているが、この英語をそのままフランス語に直すと、Les feuilles d'automne 。つまりは表題に落ち着く、というわけ。
 
それにしても、「落ち葉」を意味する英語が、フランス語では秋の読書週間を指しているのだから、不思議だ。
 
これは、フランス語の feuille の多義性による。この語を仏和辞書で引くと、「葉」、「紙」、「薄片」などの意味が出る。要は、ぺらぺらした物体の総称だ。日本語で、ミルフィーユというお菓子、あれはフランス語の mille feuilles (薄く1000枚重ねたもの)が訛ったものだ。
 
さて、この時期は、フランスの主要な文学賞の受賞発表が重なる季節である。その中でも最も権威がある、といわれているのが、ゴンクール賞。今年の発表は11/7。 Jérôme Ferrari "Le Sermon sur la chute de Rome" (Actes Sud 社) が受賞した。内容は以下の通り。
 
コルシカ島の小さな村にあるバー。哲学の勉学を捨て、大志を抱きその寂れたバーを継ぐことにするが、思い描いていたユートピアは悪夢へと変わっていく。人の気持ちとはこんなにもたやすく腐敗していくものなのか?落日のローマ帝国で人間の意志を非常に無力なものとしたアウグスティヌスの思想を絡めた、哲学的思想に満ち溢れた小説です。(欧明社HP より引用 URL: http://www.omeisha.com/?pid=51321885

 

うん、なかなか面白そうだ。
ちなみに、この作家の出身地はコルシカ島。いつの時代も文学はある程度書く人の事故が投影されたものだけれど、いつからかその傾向がつとに強まってきたように思う。それは roman から recitへの回帰、といえるだろう、そのターニングポイントは、ヌーヴォーロマンの旗手、ロブ・グリエが半自伝的三部作を書いたそのときに求められるのだろうか。(そういえば、以前少しだけ紹介したマルグリット・ユルスナールの最後の作品もまた、自伝的三部作だった)。これについてはいつかまた書く機会があるかもしれない。ないかもしれない。
 
それにしても、結局文学賞なんてものは、出版業界が本を売るための手段にすぎないのだなぁ、とつくづく思う。もっとも、日本の芥川賞や直木賞のように、もはや読書好きからもないがしろにされてしまった賞などは、それこそ les feuilles mortes / 死んだ文学(賞)と呼ばれるべきだろう。
 
Au revoir et à bientôt !
 
 

2012年11月13日火曜日

合格ラインをめぐる攻防――仏検準一級試験まであと5日

こんなもの書いてる場合じゃないぜ。でも今さら焦ったところでしょうがないだろう?――そんな気持ちのない混ざった、仏検試験5日前。まさにセンター試験前の受験生の心境。

まずは冷静に自分の置かれた立場を見つめ直してみる。

そもそも仏検を受け始めたのはいつだったか。正確には覚えていないが、2級に合格したのはおそらく、2008年の秋のことだろう。それからもう4年が経つわけだ。

準一級はこれまで二度受験している。一度目は2010年。ダメもとで受けてみて実際に全然ダメで、52 / 65 (獲得点/ 合格ライン)点の惨敗。

二度目は去年、2011年。仏検受験日まで500時間の勉強時間確保を目安に勉強。その目標は達成できたものの、試験のほうは67 / 71 点と4点の不足。

そのときはすでにこのブログをはじめていたので、その記録が残っている。恥を承知で引っ張ってこよう。

去年は完全に力不足で、10回受けても10回とも落ちるだろう実力でしたが、今年はいける気がします。たぶん、10回受けたら半分以上は受かるんではなかろうか、と思ってるのです…(中略)…さて、明日の試験、やることはやった!はず。なので、後はほんの少しの運を味方につけて、頑張ってきます。(11/19)

しかし、勉強した成果はほとんどなかったですね。前回は筆記試験 33/66 だったんですが、今回は
34/66 。つまり1点しか上がってないわけです。勉強のほとんどの時間をそこに費やしたにも関わらず…(中略)…自己採点した直後はもう勉強するの止めようかなと思いましたが、翌日問題を解き直してみて、これが今の自分の実力と思い直しました。(11/22)

と、ここまで書いて気付いたのですが、このブログで仏検の結果報告をしてませんでしたね。結果は、駄目でした!!4点足りなかった。でも去年に比べると格段の進歩です。今回はあと少し運があれば、という感じでしたが、来年は満点くらいとってやろうと思ってます。気持ちだけは。(12/27)

この恥さらしめっ!
一年後の今振り返ってみると、まぁ受かる実力になかったよな、というのが正直な感想。確かに、受かる可能性もあったのだけれど、それでは随分背伸びした結果になっていただろう。というかおそらく、二次試験に落ちていたに違いない。

と、ここまで振り返ってふと思ったことがひとつ。

これって、次落ちたらやばくね?

――うん、やばいよね。つーか、人間失格だよね。

確かに仕事には関係ないが、本来仕事の勉強に割くべき時間をこっちに割り振っているのでもある。要は出世に至る階段を順調に踏み外しながらやってるわけだ。ここまで来て、後戻りなんてなしだろう。またダメでした、なんてへらへら笑ってられるような状況じゃない。この道がリアル=金に続いていようがいまいが、関係ない。今さらそれ以外の選択肢なんてあるはずがない。

これが三度目の正直となるか、二度あることは三度あるのか、それは神のみぞ知る…。いや、努力した時間は裏切らない。才能?そんなものは糞だ。アンダードッグにはアンダードッグなりのやり方とプライドがある。前置詞が未だにわからない?それなら辞書丸覚えでいいじゃない。覚えたページは片っ端から食いちぎる。それぐらいの気概がなけりゃあ続かない。敗れてもなお、続けてきたからこそ与えられたチャンスじゃないか。

それにしても、30近くになろうとも、安泰とはほど遠いこの感じ。まさに戦力外通告を受けたプロ野球選手のトライアウト。一度も一軍で脚光を浴びぬまま戦力外になった男たちの 99.9% 敗退確実の戦い。

たとえ合格したってそれでも、今さら一流選手の仲間入りができるわけでもなく、一軍に上がることすら保証されていない。それなのに、なぜ続けるのか?オレはまだやれる、まだまだこんなもんじゃない。宙ぶらりんになったこの気持ち、中途半端・不完全燃焼のレッテルが貼られた人生を、頭を垂れて平然と生きていけるほど、できた人間じゃないんだろう?

二次試験会場でまた会おう…。

Au revoir et à bientôt !
 

2012年11月9日金曜日

Louvre 拡大号 アングルのヴァイオリン

不思議なこともあるものだ。

仏検に向けての勉強の合間に、手元にある本につい手が伸びてしまい、しばし時間を費やしてしまう。

Philippe Labro / フィリップ・ラブロ著 『Le petit garçon / 少年』。作家、ジャーナリスト、映画監督、ひいてはジョニー・ホリデイに楽曲を提供(作詞)するなど、多彩な才能を持つ作者の自伝的小説。この作品で1990年のゴンクール賞候補に挙がったが、惜しくも落選する。もっとも、これだけ多才な人物のこと。最高峰とはいえ、たかが文学賞の一つや二つ受賞できなかったところで大したことではなかっただろうと想像する。

自伝的小説である以上、作者の人となりを知りたくなるのは当然だろう。小説の舞台は出身地の Montauban / モントーバン。スペイン国境に近いこの街は、別名 " Cité d'Ingres " アングルの街 と呼ばれている。そう、モントーバンは新古典主義の画家、Dominique Ingres / ドミニク・アングルの出身地でもある。

 ルーヴル美術館にはアングルの作品が溢れている。質量ともに比肩しうるのは、同じく新古典主義のダヴィッド、同時代のロマン主義者、ドラクロワぐらいなものだろう。

上記二人と比べてみても、いや、だからこそなおさらなのか、アングルの描く絵は、描線の端正さが目につく。「絵画とはつまるところデッサンに還元される」と考えていた彼にとって、それは必然だったのだろう。

個人的には、同じく描線に特徴がある20世紀オーストリアの画家、エゴン・シーレが思い出されるのだが、いかがだろうか?シーレは、20代前半の私にとってのアイドルだったのだが。


それにしても偶然の出会いとはおそろしい。

今日フランス語の勉強中、「趣味」にあたる言葉を探していたら、"violon d'Ingres" なる表現に辿りついた。直訳すれば、「アングルのヴァイオリン」どうやらこの言葉、彼にヴァイオリン奏者としての一面もあったことから、「余技」の意が与えられているらしい。

願わくば私のフランス語能力も「アングルのヴァイオリン」と呼び得るほどに上達せんことを…。
――さて、勉強するとしようか。

Au revoir et à bientôt ! 
エゴン・シーレ 『ほおずきの実のある自画像』

 

2012年11月7日水曜日

Louvre 拡大号 Claude Lorrain 安寧の画家

10/12 9:30 - Musée du Louvre

ルーヴル美術館を3時間で巡る、というのは無作法を通り越してもはや罪深い。それは人類史を一人一人の人間にスポットを当てながら、3時間で振り返る、といっているようなものだろう。

まさに言語道断の語義矛盾。

正直そんなことは不可能だ。そんなことはわかっている。だが時は有限だ。与えられた時間の中で、人間はなんとかやりくりしてやっていくしかない。なにを選び、なにを捨てるのか。人生で幾度も繰り返されるこの問いに、フランスでもまた悩まされる。

本名を Claude Gelle / クロード・ジュレ、出身地からClaude Lorrain / クロード・ロランと呼ばれる画家(1602頃 - 1682)。彼と前回のニコラ・プッサンのために今回のルーヴル短期滞在は計画された。

彼の絵に説明はいらない。次の二枚を見比べてみてほしい。相違よりも類似の部分が目につく。


 それぞれが歴史的な瞬間を描いたものだが、前景に配された歴史上の題材は、単に風景を描くための方便にすぎない。それが、観ている人にも感得される。

彼にとっては朝日が昇り、夕日が沈む時間帯こそ、世界がもっとも安定する時間であり、画家はその完全なる世界を描くことにだけ力を注いだのだ。

選択と集中、そして持続。これほどまでに一事に収斂にされた画家もいない。その明確さ、安心感こそが同時代にも受け入れられた、彼の人気の秘密だったのだろうか。いや、そうではないだろう。

ターナーに甚大な影響を与え、後世の印象派の礎とも呼ぶべき画家。彼の絵を観て我々が率直に感じる安寧は、人生の幼少期の思い出に重ねられる。だからこそ懐かしいのだろう。

夕暮れには常に子供の遊びがついて回る。夕日が本来象徴するイメージとの乖離が、なおさらのこと希少で、手に入れがたいものとして、それを輝かせる。

そう、クロード・ロランがその作品で描く景色は常に、我々の「失われたなにか」を刺激してやまないのだ。

Au revoir et à bientôt !
同じ構図、同じ景色。同じ思い出


Louvre 拡大号 Nicolas Poussin / ニコラ・プッサン

10/12 9:30 - Musée du Louvre

そこらへんの黄色いクマとは一線を画していただこう。

その男の名はNicolas Poussin / ニコラ・プッサン(あるいはプーサン)。「フランス絵画の父」と呼ばれ、ルーブルのリシュリュー翼、フランス絵画の部屋は、クラシックを創ったこの男からはじまる。彼のためだけに充てられた数部屋はその日、課外授業に繰り出した高校生で埋まっていた。


にもかかわらず、である。プッサンはその生涯のほとんどをイタリアで過ごした。ルイ13世によって祖国に招かれた2年を除き、亡くなるまでの40年近く、つまり画家としてのほとんどの時間をイタリアに生きている。

そんな彼を「フランス絵画の父」と呼んでいいものか。

おそらく多くのフランス人の頭に一度はよぎる疑問だろう。前々回に紹介したエル・グレコはギリシャに生まれイタリアで学び、トレドで生涯を終えた画家だが、彼の作品を我々はスペイン絵画と呼んでいる。

プッサンにとって、絵画とはなんだったか。それは、次のプッサン自身の言葉によくあらわされている。いわく、

「アルファベットの26文字が私たちの言葉や考えをかたちづくるのに役立つように、人の身体の外形は、魂のさまざまな情念を表現するのに役立ち、私たちが精神の中に持っているものを外に示すのである」

外形は精神を示す。人の身振り、表情、動作をいかに書くかによって、その人の内にあるものを示すことができる、そうプッサンは考えた。

ごめん、ここまでほとんどが、『美の旅人 フランス編Ⅰ』 / 伊集院静 の受け売りだ。実際このシリーズほど、美術を専門的に学んでいない人にとって、格好の入門書であり、応用本と成り得るものはないだろう。広く見ながらもしっかりと要点を押さえている。

私からプッサンを見て言えることはただひとつ、それは構成の妙がこの画家にはある、ということだけだ。あとは実際に自分の目で見て確かめてみてほしい。彼を観ることで、フランス絵画の規範とはなにか、ひいてはフランス人がクラシックと称する精神のありどころがわかるだろうから。

Au revoir et à bientôt !

プッサン、56歳時の自画像
 
参考文献:美の旅人 フランス編Ⅰ / 伊集院静香 著(小学館文庫)
Le Guide du Louvre (ルーヴル美術館内で販売されているガイドブック。500p近いボリュームでかなり楽しめる)


2012年11月3日土曜日

マルグリット・ユルスナール展 言葉のイメージ


Marguerite Yourcenar / マルグリット・ユルスナール(1903-1987)。初の女性アカデミー・フランセーズ会員。20世紀を代表する女性作家で、代表作は『ハドリアヌス帝の回想』や『黒の過程』など。日本では三島由紀夫に関する評論、『三島由紀夫あるいは空虚なヴィジョン』が有名か。2002年に白水社からユルスナールコレクションが全6巻で販売されたが、現在は絶版中。2011年から自伝的三部作が同じく白水社から順次発行されている。

ごめん、ここまで概要を書いたけど名前しか知らない。

読んだことのない作家について、あれこれ知ったような口を利くのはよくない。機会があれば実際に読んで、それから再度彼女についての物語を書くことにしよう。ちょうど、家に唯一あるユルスナールの作品、『とどめの一撃』(岩波文庫)を見つけ出したところだ。これを読んで、それから三部作や他作品に手を出すか、決めるのもいいだろう。

さて、今回はそんな彼女の死後25周年を記念して、フランドル美術館で10月13日から催されている『Marguerite Yourcenar et la peinture flamande / マルグリット・ユルスナールとフランドル絵画』展についての、空想のレビューを。

この展覧会、作家と絵画、どちらに比重が置かれているのか。美術館で、展覧会。なのに作家のほうに重心を傾けているのは間違いない。「絵画は言葉へ向かう」。コンセプトはこれだ。フランドルの画家たちは、作家の創作過程を彩る、色鮮やかな花弁だろう。

しかし、その花の美しさこそが、フランドル美術の底力だ。油絵の技法を編み出し、イタリアを中心とした文化圏が、神の世界や王侯貴族を描いていた同じ頃に、平然と農民の生活を描いていた無体さは、ヨーロッパ絵画の歴史上、特異な位置を占める。フランドル絵画について語るためには、最低でもこのブログ3年分が必要だ。

ユルスナールに同様の地域性が見られるか、なんて問いは論点をずらしてしまう。この展覧会の主眼は、いかにして作家が見るものを言葉に変えたか、ということだ。

Les albums de Marguerite Yourcenar © Laurence Houot / Culturebox

Une exposition étonnante au musée de Flandre à Cassel propose un dialogue entre toiles et romans et montre comment cet immense écrivain, première femme à entrer à l'Académie française, a su déceler ce qui constitue la singularité de la peinture flamande et en extraire l'essence, aussi bien qu'elle a nourri son œuvre, incessant va-et-vient informel entre les images et les mots.

絵画と言葉、そのあいだを絶え間なく行き来することにより、ユルスナールはフランドル絵画の特異性を見抜いており、その本質を取り出し、自らの作品の糧としていたのだった。

A force de contempler ces tableaux, de travailler son regard, elle réussit à pénétrer la singularité d'une œuvre.

それらの絵について熟考を重ね、飽くことなく視線を注ぐことで、彼女は作品の特異点に達することができたのだ。

絵画の中に主題を探し求める姿勢。そんな抽象性よりも私には、旅行する先々で美術館を訪れ、ポストカードを買って行ったという、ユルスナールの姿のほうが、親しみやすく、好ましい。そう、その姿こそ、『世界の迷路』を手さぐりで彷徨い歩いていく、人間らしい姿だから。

Au revoir et à bientôt !


Marguerite Yourcenar le 15 décembre 1980
Marguerite Yourcenar le 15 décembre 1980 © Sam Bellet / La Voix du Nord

参照URLhttp://www.francetv.fr/culturebox/des-images-aux-mots-marguerite-yourcenar-et-la-peinture-flamande

2012年11月1日木曜日

Toussaint / 諸聖人の日

まるで Manga だな。

現在大阪の国立国際美術館で開催されている 『エル・グレコ展』 を見にいった感想がそんなものだからといって、なめてはいけない。それこそがグレコのよさなのだ、と言い張ろうじゃないか。

なるほど、彼の描く作品は肖像画を除けばほとんどが宗教画だ。だが、画布に顕れているのは、人間の「聖」なる部分ではなく、むしろ「俗」のほうだろう。

確かに、ある種の聖人たちの表情には神聖さがあふれている。だが画家は、その聖性をまるで、狂人のそれであるかのように、醒めた目で見ている。抑えきれない卑俗さが、彼らの皮膚の下を這いずり回っているのがみえる。

熱狂とそれを客観視する冷徹さ。一人の人間の中に相反する性質を併せ持つ近代的自我を、16~17世紀の画家の作品に見るのは、現代に生きるわれわれの眼が成す幻想に過ぎないのだろうか。

当時ヴェネツィア共和国支配下にあったクレタ島に生まれたこの男は、その後イタリア各地を遍歴し、最終的にはスペインのトレドにたどり着く。西洋とビザンティンの文化、宗教的にはカトリックとギリシャ正教の双方を身近に感じてきた男が、最盛期のスペイン(それはつまり、プロテスタントに対抗するカトリック王国、ということだ)、トレドで生涯を終える。異邦人でないわけがないだろう。


さて、本日11月1日はカトリックの La Toussaint という祝日。日本語に直せば、「諸聖人の(祭)日」。

5世紀にはすでに祝われていたという、非常に息の長い祭日だが、同時に非常におおらかな祭日でもある。なにしろ、列聖された聖人以外の、民間信仰の対象やその他諸々まで一緒くたにして祝ってしまおうというのだから。

祝祭のそうした影響だろうか、この日フランスでは亡くなった親族のために花をささげるのが習慣となっているようだ。要は日本で言うところのお盆だが、これなどキリスト教とは起源の異なる先祖崇拝の例だろう。

ちなみにアメリカ合衆国で祝われるハロウィンは前日10月31日だが、これはもちろんこの日と大いに関係する。だが、まあそれはいいだろう。ここでは翌日11月2日、「死者の日」のほうをクローズアップしよう。

日本ではこの1日、2日をそれぞれ「万聖節」、「万霊節」と訳していたが、これなどいかにも明治の訳語らしく物々しくも格好いい。

現実はもっとポップだ。それはメキシコの死者の日の一日を描いたマルカム・ラウリーの最高傑作、『火山の下』を読めば一目瞭然だ。

フランスではこの期間は学校が長期の休みになるようだ。les vacances de la Toussaint 。聖人の名を借りた長期休暇。それをも笑って許してもらえる懐の深さが、この祝日にはある。

さあ、ヴァカンスを愉しもう。聖人、俗人、カトリック、先祖崇拝、すべてが入り乱れたカオスな祭日を。この日ばかりは鉄網の上で焼かれて殉教した聖ラウレンティウスも笑ってこういえるだろう、
「片面が焼けたので、どうぞもう片面も」と。

Au revoir et à bientot !
モンパルナス墓地