現在大阪の国立国際美術館で開催されている 『エル・グレコ展』 を見にいった感想がそんなものだからといって、なめてはいけない。それこそがグレコのよさなのだ、と言い張ろうじゃないか。
なるほど、彼の描く作品は肖像画を除けばほとんどが宗教画だ。だが、画布に顕れているのは、人間の「聖」なる部分ではなく、むしろ「俗」のほうだろう。
確かに、ある種の聖人たちの表情には神聖さがあふれている。だが画家は、その聖性をまるで、狂人のそれであるかのように、醒めた目で見ている。抑えきれない卑俗さが、彼らの皮膚の下を這いずり回っているのがみえる。
熱狂とそれを客観視する冷徹さ。一人の人間の中に相反する性質を併せ持つ近代的自我を、16~17世紀の画家の作品に見るのは、現代に生きるわれわれの眼が成す幻想に過ぎないのだろうか。
当時ヴェネツィア共和国支配下にあったクレタ島に生まれたこの男は、その後イタリア各地を遍歴し、最終的にはスペインのトレドにたどり着く。西洋とビザンティンの文化、宗教的にはカトリックとギリシャ正教の双方を身近に感じてきた男が、最盛期のスペイン(それはつまり、プロテスタントに対抗するカトリック王国、ということだ)、トレドで生涯を終える。異邦人でないわけがないだろう。
さて、本日11月1日はカトリックの La Toussaint という祝日。日本語に直せば、「諸聖人の(祭)日」。
5世紀にはすでに祝われていたという、非常に息の長い祭日だが、同時に非常におおらかな祭日でもある。なにしろ、列聖された聖人以外の、民間信仰の対象やその他諸々まで一緒くたにして祝ってしまおうというのだから。
祝祭のそうした影響だろうか、この日フランスでは亡くなった親族のために花をささげるのが習慣となっているようだ。要は日本で言うところのお盆だが、これなどキリスト教とは起源の異なる先祖崇拝の例だろう。
ちなみにアメリカ合衆国で祝われるハロウィンは前日10月31日だが、これはもちろんこの日と大いに関係する。だが、まあそれはいいだろう。ここでは翌日11月2日、「死者の日」のほうをクローズアップしよう。
日本ではこの1日、2日をそれぞれ「万聖節」、「万霊節」と訳していたが、これなどいかにも明治の訳語らしく物々しくも格好いい。
現実はもっとポップだ。それはメキシコの死者の日の一日を描いたマルカム・ラウリーの最高傑作、『火山の下』を読めば一目瞭然だ。
フランスではこの期間は学校が長期の休みになるようだ。les vacances de la Toussaint 。聖人の名を借りた長期休暇。それをも笑って許してもらえる懐の深さが、この祝日にはある。
さあ、ヴァカンスを愉しもう。聖人、俗人、カトリック、先祖崇拝、すべてが入り乱れたカオスな祭日を。この日ばかりは鉄網の上で焼かれて殉教した聖ラウレンティウスも笑ってこういえるだろう、
「片面が焼けたので、どうぞもう片面も」と。
Au revoir et à bientot !
モンパルナス墓地 |
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