2012年5月31日木曜日

Chemin de ronde / 円状の小道

CHEMIN DE RONDE / 円状の小道

大地は道を張りめぐらせて
己の思考に捉われ、めぐる
けれど多くの畑、街、庭は
不動の姿勢を崩さない。

雲は慌ただしく往き過ぎる
散り去るのを怖れるから。


毎月恒例の翻訳詩です。ずっと詩集『Gravitations / 万有引力』から訳しているのですが、この章タイトルが面白い。「Le Cœur Astrologue」なのですが、直訳すると「占星術師の心(臓)」。うーん、如何にもシュペルヴィエルらしい。

今日はこれだけです。では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
セーヌ河の流れ。去年の今頃フランスに行ってたんだなぁ。懐かしい

2012年5月27日日曜日

現実はもっとカラフル

おはようございます。

先日本屋でピンチョンの最新作、「LAヴァイス(原題 Inherent Vice )を見つけ買おうか、どうしようかと迷ったのですが、結局見送りました。

時間的、金銭的制約が多少はあるにせよ、それほどでもない、にもかかわらず購入しなかったのには、わけがあって、というかなければならないので、今日はその理由を考えることにしようかと。

以前にも書いた(アメリカ人は糞真面目?)のですが、どうにも私にはアメリカ文学がピンとこない(もちろんこうひとくくりにすること自体、無理がある事は百も承知で)。で、前回はそれをアメリカ人の糞真面目さに結び付けて書いてみました。今回は少し別の角度から。

思うにアメリカ文学が上手く消化しきれないのは、彼らの持つ「敵-味方」の構造、ひいてはヒーロー願望が、今の自分にしっくりこないのではないか、と思うのです。

もう、嫌になるくらい彼らは「何か」と戦っているんですね。
それは、マーク・トゥエインのように社会の規範・常識であったり、ヘミングウェイのようにカジキマグロであったり、はたまたピンチョンのように仮想敵であったりするわけです。

その対象がなんであれ、敵-味方の構造は変わらない。非常に複雑化され、両軍入り乱れていても、グレースケール上の変化、であることに変わりはないのです。

現実はもっとカラフルでしょ。黒と白と、その中間色だけでなるのでなく、もっといろんな色に彩られているのが世界だし、たとえそうじゃないとしても、そう信じるのが文学でしょう。

カポーティから脈絡と続いている、そして現代アメリカ文学の中心を占める、(なんとなく物足りない)日常の一コマを切りとっただけ、という短編小説の中にも、不在の形でヒーロー願望が潜んでいる、とするのは勘ぐりすぎでしょうか。

いっそのことスパイダーマンやXmen などに代表される、日本の漫画と異なりカラーで印刷されているアメコミに、現実の色彩の断片を見出して、そこにあるなんともいえないコントラストを、これはこれでありかなと、受け止めようか。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
グレースケールではなく

2012年5月26日土曜日

男らしさ――不在のトートロジー

おはようございます。

時代錯誤的かつ machisme なタイトルを、つけるにはもちろんそれなりの理由があって、私のブログを定期的に読んでくださっている、奇特な人ならすぐに、これが裏返された結末に達するための、安易な出発点だと気づくでしょう。

もっとも私、けっこう本気で男らしく生きようと、考えていてその証拠にほら、「男らしさ(*)」を生真面目に考察しようという、心意気を持っているのですよ。ね、男らしい。

男らしさが声高に叫ばれたのがいつの時代か、寡聞にして知りませんが、現代がその男らしさの不在、を強調する時代であることは、確かなようです。

口にする際に覚える躊躇いが、唯一の良心と信じられた「草食系男子」なる言葉がもはや、羞恥心を伴わず、誰ともなく発せられるのを聞くこと。いかにも男らしさが喪失した現代に相応しいではありませんか。

個人的には、「草食系」の部分より「男子(そして同様の頻度で使われる女子)」の語に、現代日本を感じるのですが、みなさんはいかがですか?ついでに言うと、この「~男子」ってやつの最初は、10年近く前にあった「メガネ男子」でしょうか。ま、これは今回は関係のない、別の話。

男らしくあれ、と叫ぶことと、男らしさの不在、を嘆く声とは声色の差こそあれ、内容は同じことで、それが「男が男らしくなくなった」と言いたいのは論ずるまでもありません。

男らしくない、なくなったからこそ男らしさが求められる。この穴埋めの心理を読み解くことに、男らしく生きるためのヒントが隠されていると思われます。

そもそも男らしさが社会的規範によって定められた、後天的な資質であることは、各々の時代、社会によって求められる「らしさ」が異なることからも間違いない。そして求められるのは、その時代、社会が必要とする資質、すなわち欠けている性質であるでしょう。

ということは、そもそも男らしさとは、その人(もしくはその社会に属する人間)に欠けている資質・性質の要求にすぎないわけであって、男が男らしさに、女が女らしさに欠けているというは、なにも特筆すべきことでもなく、ごく当たり前の現象だといえるでしょう。
もとより欠けている性質の欠如を嘆くとは、なんて素朴なんでしょう。素敵なトートロジー的隘路ですね。憧れちゃいます。

まとめると 「そもそも男は男らしくなんかない」 ってことです。逆説的に述べるなら、男らしくない生き方こそ、もっとも男らしい生き方だ、といえるでしょう。

以上を踏まえて、さあ、男らしく生きてみようか?

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
クリュニー中世美術館。ここはかなり面白い。パリを訪れた際はぜひ
(*)文中の男らしさの部分はすべて女らしさに読み替え可能です。ブログの作者が男なものですから、こんな風に書かせてもらってます。

2012年5月23日水曜日

仏検準一級考察 ③

おはようございます。

仏検にせよ、他の試験にせよ、試験を受けるひとつのポイントとして、「合格点を取るため(合格する)に勉強するのか」あるいは「自分の実力を確かめるために試験を受けるのか」を自分の中で明確にしておくことが必要だと思います。

前者の勉強が必要なのは、「その資格を取得すれば、その資格を活かした仕事ができる」ような状況。一度資格を取得し、仕事をしてみないとわからないことも多いですから、その資格を取れば新しい道が開ける状況であれば、試験に受かる事を目標に勉強するのは間違っていません。

後者の勉強は、「その資格を取ったからといって、すぐに仕事に繋げられるわけではないが、有用である」というような場合です。TOEICや仏検など、語学の勉強は基本的にこれに当たるでしょう。この場合は、受かるために勉強するのは少し、本分から離れているでしょう。多く語学を勉強する人にとって、大切なのは試験に受かること、ではなくその言葉を使えるようになる、ことでしょうから。

さて、両者の違いを明確にしたうえで、あえてそれに反したことを言わせてもらうと、試験に合格することで、モチベーションが維持できる+成功体験が得られるわけです。これは語学の勉強という、先のない勉強を続けるものとしては、非常に大きいことと言えます。そんなわけで、今回は仏検準一級で80点を取る戦略、を考えたいと思います。

仏検で一番勉強するのが難しいのが、「前置詞」でしょう。というか、これまで一度も前置詞をまともに解説している参考書にであったことがない。5問で配点も5点と決して高くなく、普通に考えた場合、捨て分野といえます。

一方で、名詞化と動詞の活用が各10点、これがどれだけとれるかが、合格の分かれ道だと思います。

前回に書いた配点をもう一度おさらいしてみると、①名詞化 10点、②多義語 5点、③前置詞 5点、④ 動詞 10点、でここまでが30点になります。筆記は80点満点ですから、残り50点が読み取り、仏文和訳となります。

書きとり・聞きとりのリスニング問題が40点満点中7割(28点)を取るとしたら、筆記で必要な点数は最低で52点。これをどのようにとるかが問題になります。

後半の読み取りでできるだけ点を取りたいのですが、やっぱり満点は難しい。というかほぼ不可能でしょう。頑張って40点取ったとしても、残り12点を前半部30点満点で取らなければならない。前置詞は今のところ有効な勉強法がないので、0点の可能性もある。となると、「前半部は配点が低いから勉強しないでいいや」と考えてると、ほぼ確実に落ちるわけですね。

要は、まだ時間のある今なら、「試験に受かる勉強」をするのでなく、「自分の実力をつける勉強」をすべきだ、ということですね。

今回はひどい文章でした。読み返してみて、なんだこれ?と思いましたが、あえてスルーで。次回からまた普段通りのブログになる、はずです。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
どんな道も一歩一歩。それが一番近道です。

2012年5月17日木曜日

仏検準一級考察 ②

おはようございます。

さて、前回の続きで今回も仏検対策の勉強法を。前回2級の話ばかりだったので、今回こそ準一級の話をしますよ。

まず、準一級の問題構成から。

①名詞化、②多義語、③前置詞、④動詞、⑤長文(文章完成)、⑥長文(内容一致)、⑦長文(日本語要約)、⑧和文仏訳、となっています。配点は筆記が80点、書きとり・聞き取りが40点の計120点となっています。ちなみに、去年の合格ラインは71点、得点率59%となっています。
(合格点は大体60~70%といわれますが、おそらく準一級に関しては、80点(=66.7%)とればまず落ちることはないでしょう)

さて、基本的には前半 = 語彙に関する問題、後半 = 長文読解の構成は変わりません。大きな変化といえば⑦の要約と⑧の和文仏訳でしょう。

ここでも大切なのは語彙に関する正確な知識になります。要は、如何に単語を多く、正確に知っているか、という、実に当たり前なことです。これがないと、前半で点を落とすのはもちろんのこと、長文の読み間違いで大きな点を落とすことになりかねない。

特に準一級から出題される⑦の要約は想像以上に難しい。

まず配点が15点と高く、ここを落とすとかなり厳しい。最低でも3問中2問、10点は確実に取りたいところです。そのためには出題された長文を正確に読み、日本語に訳す(これが重要)ことが必要となります。

この要約、という作業が中々難しいんですよね。辞書で調べて、ひとつのフランス語をひとつの日本語と結び付けていると、変な日本語、意味が上手く通じない文章になることが多々あります。常日頃から仏語和訳を意識付けすることが大切といえます。

もうひとつ、⑧の和文仏訳。これも配点が14点もあります。これも普段からフランス語で書く練習をしていないとできない問題です。これに関しては、「とにかくフランス語で書く!」という作業を継続して続けるしかありません。そうすることで、自分の得意な表現ができ、また知らない表現を意識して使うことで、幅を広げることができます。

⑦、⑧の対策を簡単にまとめると、「仏文和訳」と「和文仏訳」を日常的に行うことが大切、ということになります。まったく新鮮味のない答えですが、語学に関しては地道にやる以外に上達の手段はないと思います。特に、一級合格を目指す人のように、ただ通じるだけでなく、使い分けることを目指すのならなおさらです。なんかだらだら書きましたが、次回も仏検対策をもう少し書きたいと思います。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
なんか良い写真ですね。好きだ。

2012年5月15日火曜日

仏検準一級考察

おはようございます。

前回仏検に向けての勉強をはじめたと書きました。準一級は今年が三度目の受験、流石に失敗は許されません。なわけで、自分なりの対策、勉強法をここにまとめておきたいと思います。半年後に読み直してみて、「全然やってないやん!」となるか、「こんなやり方じゃあかんわ!」となるか、はたまた「さすが自分!完璧!」となるのかは、神のみぞ知る / Dieu seule le sait. ところです。

実は昨日、仏検2級の問題(模擬問題)を解き直してみました。結果は7~8割といったところ。これまで準二級、二級と続けて合格ラインぎりぎりで受かったので、今ようやく自信を持って、二級程度の実力がついている、ということが言えるでしょう。今二級を10回受験すれば、10回受かる、はず、です。

それでも、逆に言えば8割しかとれないのは何故か、ということです。

2級は①前置詞、②語彙、③動詞、とあって、④~⑦は会話、長文読解問題という構成です。この筆記が68点満点で残り32点が書きとり、聞き取り、となります。書きとり・聞き取りは基本的に簡単なので、25/32は堅い。となると、筆記で45/68とるのが最低ライン、ということになります。

④~⑦は配点も計40点と高く、ここで取りこぼしをするとかなり厳しい。というわけで読解に力を入れる、というのは戦略として間違っていません。実際私も2級合格時はそのような対策で挑みました。

しかし、2級の試験を準一級に繋げようと思うなら、①~③の勉強がかかせない。

今回2級の問題を解き直してみて、①~③で躓いたことといったら、甚だしい。これらは言ってしまえば、「どれだけ単語を広く、深く理解しているか」 という問題です。読解と異なり、文の中にヒントはなく、「知らなければ答えられない」 問題ばかりです。
わからない表現がでたら、それでおしまい、白か黒か、二つに一つです。

時間対効果としてはこのあたりを勉強するのは割に合わない。しかし、準一級、ひいては一級を目指すなら避けては通れないところです。

試験直前になって慌てて勉強をするのなら、読解に特化した勉強をするのが望ましい。しかし、時間に余裕があるのなら、語彙・表現のストックを増やすことが結局遠回りに見えて一番の近道だと思います。ではどうやってそのストックを増やしていくか?次回はそのあたりを話したいと思います。今回準一級についてまったく書いていないですし…。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!

2012年5月11日金曜日

挫折に気付かないほどの緩やかさ

おはようございます。

仏検準一級試験まであと半年、本格的に試験勉強を始めました。
半年前とはいえ、決して早すぎる、とうことはなくむしろ、遅いくらいだとさえいえるでしょう。

といっても、これまで勉強を、していなかったかというとそんなことはなく、主に「書く」ことを中心として、読んだり翻訳したりしていたわけです。

そうした、どちらかといえば趣味の、比重が大きい学習方法から、明らかに試験に向けた、嫌々やる勉強にシフトする。もっともこれは正確ではなく、趣味の学習を土台として、試験勉強の時間を上に積み上げる、といった次第。

すべては焦りの産物です。

4年――仏検2級に合格してからそれだけの歳月が経ちました。4年ですよ、4年!その間、一年目は受かるはずがないのでパスして、2年目3年目は不合格。そして今年です。

もう一度言いますが、4年です。大学に行っていれば卒業できる月日です。その間私は、といえばフランス語に関してまるで成長していない。焦りもするでしょう。これではあまりに情けないではないですか。

もちろん仕事はしているわけで、その勉強も並行して行っていたのですが、言い訳にすぎません。

今この時点から振り返ってみると、自分は非常に密度の薄い勉強をしてきたな、と。それこそ、挫折したことに気付かないで済む程度の緩やかさで。

だからこそ続けてこれた、というのもまた真理です。しかし、それではそもそもの目的を見失っている。続けるために学んでいる、のではなく、身につけるために学んでいる、はずなのですから。

これから一年、来年の六月にある一級試験を見据えた勉強を続けて、来年に、フランス語の勉強はこれで一区切り、といえるようにしたいと思います。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!

2012年5月8日火曜日

サイクルの終焉

おはようございます。

スポーツ、特に海外サッカーに、関心のない方には全くどうでもいい話、かもしれませんが、スペインののサッカーチーム、FCバルセロナの監督である、ジョゼップ・グアルディオラ氏が今シーズン限りでの退任を発表しました。

在任の4年間で可能な限りのタイトルを獲得した、といっても過言ではなく、またそのチームが作り上げたパスサッカーは、「史上最高」とも「もっとも華麗な」といった大げさな形容詞を使って表現されてきました。

しかし今回話したいのは、もとより語る資格のない「グアルディオラ時代のバルサのサッカー」ではなく、フットボール界で暗に了解されている「グアルディオラ時代の終焉」との考えです。

もちろん、監督が代われば採用する戦術も、戦略も多少なりとも変わるでしょうから、そうした意味でこの言葉を使うのは、間違っていません。

ですが、「グアルディオラ時代=バルサ黄金期」とみて、監督の退任を機に(それだけではありませんが)、「黄金時代の終焉」がまことしやかに囁かれてるのも事実です。

つまりは、ひとつのサイクルが終わった、といわれるのです。

この「サイクル」という言葉、実に便利で有機的な表現だと思います。

選手の入れ替わり、選手自身の年齢その他による変化、戦術の変化、相手チームの対策・変化…様々な要素が有機的に絡まりあって、たとえチーム力が昨年から変化しなくとも、「サイクルが終わった」といわれるのでしょう。それは過渡期に入ったと言い換えてもいいでしょう。

まあ、言いたかったのは人間もそれと同じ、というごく当たり前のことなんですが、良い時もあれば悪い時もある、3,4年という長いサイクルがあり、日月単位の短いサイクル、バイオリズムがあって、それら二本の縒り糸が、運というこれまた頼りない薄片を巻き込んで捩られる。

けれどそれらが絡まる支柱は意志、と銘打たれた人間の本源だとすれば、進む先はいつも、その人自身が決める以外にあり得ない、ということになります。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
グアルディオラ監督

2012年5月6日日曜日

限られた時間で無限の知識を

おはようございます。

今年は仕事では認知症ケア専門士の資格に挑戦しようと思っています。現在勉強している限りでは、介護福祉士よりも範囲が狭く、専門性も低い、感じです。要はいらん資格ですね。もっともできて間もないので、今後に期待、といったところでしょう。私もこんなことを言っておいて落ちたりしないよう、しっかり勉強します。

さて器用貧乏な私、ですが裏を返せば好奇心旺盛、とも言えるわけで、予定していた目標が思ったより近くにあると、また別の目標を設定したくなる。

それとともに、最近の自分に関して思うところがあります。それが、新しい知識に対する意欲に乏しいこと。
今やっていることすべて、このブログにしても、フランス語にしても、認知症ケア専門士にしても、いずれも自分の中にあるものでなんとかなる(なってしまう)ものばかりです。

インプットに対してアウトプットの側に偏り過ぎているんですね。

これも歳のせい、にしてしまえば簡単です。確かに年齢と経験を得るにつれ、良くも悪くも あるものでなんとかする 技術が磨かれ、ぴたりと合うものを探索することがおろそかになってきたように感じます。

その最たる例が仏作文で、自分の言いたいことに合致する文法、表現が見つからなくても、手持ちの表現で済ますことが非常に多い。もちろん良いことでもあるのですが、反面表現の、言いかえれば自分の幅は、広がらない。

だからといって、むやみやたらと学ぼうとするのも考えものです。殊に自分の選んだ、分野に微妙に重なる範囲を学ぶ際には注意が必要です。必要なことをやっていると思って気がついたら本筋から全く逸れてしまっている、なんてことはよくある話です。

これ以上やることを増やしてみても、器用貧乏はおろか、なにもかもが中途半端に終わってしまうことは目に見えてますから。
新しい知識に対する欲は見せはじめると尽きませんが、時は有限、しっかりと自分のヴィジョンを、見据えて無駄をそぎ落として、いかねばなりませんね。

ま、人生なんてそのそぎ落とされた断片にすぎず、またそうであることに矜持と、満足を覚えればいいと思わない、でもないのですが。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
おいしいコーヒーの淹れ方。本筋はおろか傍系ですらない。

2012年5月5日土曜日

バスとメトロ

おはようございます。

5月ももう5日ですね。もう少し経つと今年も半年が過ぎることとなり、そのあとには夏が来て、夏が終わると一年も終わりに近づく、そして11月には昨年も落ちた仏検準一級の試験に挑戦、三度目の正直です。昨年も落ちた、ね。

このブログも6月の24日で、一周年を迎えることになります。月日の経つ早さに驚きますが、自分のこの継続性にも、また、驚きかつ呆れてしまいます。

さて、ということは前回フランスに行ってもう、一年経った、ということでもあります。このブログを始めたのも、肌で感じたフランスの文化の紹介と、日本とフランスの違いを、自分で書きたいと思ったからです。

で、結果はどうか?

全然フランスのことなんか書いとらんやん!ってのが至極まっとうな反応でしょうか。私も今回、久しぶりにフランス滞在中に書いた、メモを読み返していたのですが、その半分、1/3も書いてないんです。

そして一年経った今となっては、自分の中で話題として風化してしまっていて、そこから一年前の自分が語りたい、語るつもりだったことを掘り起こすのは非常に難しい。

例えば今月のタイトル。

メモにはただ「バスとメトロ」とだけ書かれているのですが、これがいったい何のことやら。一年後の自分にはさっぱりわからない。バスと地下鉄の性質比較なのか、あるいは価格、それとも他所の土地でバスに乗るのはすごく勇気がいるってことか。

いずれにせよ、一年後に遅れてやってきた私の前には「バスとメトロ」と書かれた停留所だけが残されていて、肝心のバスやメトロはすでに出てしまっていて、時刻表もない次のバスを座って待つのか、ぶらぶらと歩き回って偶然の再会に思いめぐらすのか、それは語り手の資質次第でしょう。

とまぁ、上手くまとめたようで実にしょうもない〆をして、今回はお開きです。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
Chartres のバス

2012年5月1日火曜日

大丈夫が使われる12の状況

おはようございます。

今日は「大丈夫」について。ざっと思いつく限りの「大丈夫」なシチュエーションを集めてみました。これを読めば、人生で出くわすどんなシチュエーションにも、「大丈夫」と言って乗り切れる、かと思います。

・なぐさめ(一般的)
ちょっとした不幸にあった友人に――大丈夫、次はいいことあるよ。

・なぐさめ(上から目線)
恋人と別れたばかりの友人に――大丈夫、次は良い人が見つかるよ。

・安否確認
高さ5m超の崖から落ちた友人に――おーい、大丈夫?

・安心と信頼と保証
一難去って――もう大丈夫だ。

・婉曲的な否定表現
しつこく宗教の勧誘をしてくる知人に――ありがとう、大丈夫だから。本当に、大丈夫。

・面倒な状況に対する投げやりな態度
しきりに心配する友人に――大丈夫じゃない?なんとかなるって。

・欺瞞に満ちた言い逃れ
「家に帰りたい」と訴えられる利用者に(精一杯の笑顔と)――大丈夫ですよ。

・危機的シチュエーション
頭から血を流しながら――大丈夫、大丈夫。全然大したことないし。

・強がり
GWに仕事という悲劇的状況で――大丈夫、今仕事楽しいから。

・皮肉(アイロニー)
これは着色料がいっぱいで身体に悪いという友人に――大丈夫、君の性格ほど悪くないから。

・誤ったなぐさめ Ce n'est pas une consolation.
長年付き合った彼女と別れたばかりの友人に――大丈夫、オレ、来月結婚するから。

・誤った確信
そんな装備で大丈夫か?――大丈夫だ、問題ない。

いかがでしたか?これだけ使い分けることができれば大丈夫でしょう。みなさんも是非、大丈夫とともに人生を歩んでください。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!