2012年5月27日日曜日

現実はもっとカラフル

おはようございます。

先日本屋でピンチョンの最新作、「LAヴァイス(原題 Inherent Vice )を見つけ買おうか、どうしようかと迷ったのですが、結局見送りました。

時間的、金銭的制約が多少はあるにせよ、それほどでもない、にもかかわらず購入しなかったのには、わけがあって、というかなければならないので、今日はその理由を考えることにしようかと。

以前にも書いた(アメリカ人は糞真面目?)のですが、どうにも私にはアメリカ文学がピンとこない(もちろんこうひとくくりにすること自体、無理がある事は百も承知で)。で、前回はそれをアメリカ人の糞真面目さに結び付けて書いてみました。今回は少し別の角度から。

思うにアメリカ文学が上手く消化しきれないのは、彼らの持つ「敵-味方」の構造、ひいてはヒーロー願望が、今の自分にしっくりこないのではないか、と思うのです。

もう、嫌になるくらい彼らは「何か」と戦っているんですね。
それは、マーク・トゥエインのように社会の規範・常識であったり、ヘミングウェイのようにカジキマグロであったり、はたまたピンチョンのように仮想敵であったりするわけです。

その対象がなんであれ、敵-味方の構造は変わらない。非常に複雑化され、両軍入り乱れていても、グレースケール上の変化、であることに変わりはないのです。

現実はもっとカラフルでしょ。黒と白と、その中間色だけでなるのでなく、もっといろんな色に彩られているのが世界だし、たとえそうじゃないとしても、そう信じるのが文学でしょう。

カポーティから脈絡と続いている、そして現代アメリカ文学の中心を占める、(なんとなく物足りない)日常の一コマを切りとっただけ、という短編小説の中にも、不在の形でヒーロー願望が潜んでいる、とするのは勘ぐりすぎでしょうか。

いっそのことスパイダーマンやXmen などに代表される、日本の漫画と異なりカラーで印刷されているアメコミに、現実の色彩の断片を見出して、そこにあるなんともいえないコントラストを、これはこれでありかなと、受け止めようか。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
グレースケールではなく

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