2012年5月26日土曜日

男らしさ――不在のトートロジー

おはようございます。

時代錯誤的かつ machisme なタイトルを、つけるにはもちろんそれなりの理由があって、私のブログを定期的に読んでくださっている、奇特な人ならすぐに、これが裏返された結末に達するための、安易な出発点だと気づくでしょう。

もっとも私、けっこう本気で男らしく生きようと、考えていてその証拠にほら、「男らしさ(*)」を生真面目に考察しようという、心意気を持っているのですよ。ね、男らしい。

男らしさが声高に叫ばれたのがいつの時代か、寡聞にして知りませんが、現代がその男らしさの不在、を強調する時代であることは、確かなようです。

口にする際に覚える躊躇いが、唯一の良心と信じられた「草食系男子」なる言葉がもはや、羞恥心を伴わず、誰ともなく発せられるのを聞くこと。いかにも男らしさが喪失した現代に相応しいではありませんか。

個人的には、「草食系」の部分より「男子(そして同様の頻度で使われる女子)」の語に、現代日本を感じるのですが、みなさんはいかがですか?ついでに言うと、この「~男子」ってやつの最初は、10年近く前にあった「メガネ男子」でしょうか。ま、これは今回は関係のない、別の話。

男らしくあれ、と叫ぶことと、男らしさの不在、を嘆く声とは声色の差こそあれ、内容は同じことで、それが「男が男らしくなくなった」と言いたいのは論ずるまでもありません。

男らしくない、なくなったからこそ男らしさが求められる。この穴埋めの心理を読み解くことに、男らしく生きるためのヒントが隠されていると思われます。

そもそも男らしさが社会的規範によって定められた、後天的な資質であることは、各々の時代、社会によって求められる「らしさ」が異なることからも間違いない。そして求められるのは、その時代、社会が必要とする資質、すなわち欠けている性質であるでしょう。

ということは、そもそも男らしさとは、その人(もしくはその社会に属する人間)に欠けている資質・性質の要求にすぎないわけであって、男が男らしさに、女が女らしさに欠けているというは、なにも特筆すべきことでもなく、ごく当たり前の現象だといえるでしょう。
もとより欠けている性質の欠如を嘆くとは、なんて素朴なんでしょう。素敵なトートロジー的隘路ですね。憧れちゃいます。

まとめると 「そもそも男は男らしくなんかない」 ってことです。逆説的に述べるなら、男らしくない生き方こそ、もっとも男らしい生き方だ、といえるでしょう。

以上を踏まえて、さあ、男らしく生きてみようか?

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
クリュニー中世美術館。ここはかなり面白い。パリを訪れた際はぜひ
(*)文中の男らしさの部分はすべて女らしさに読み替え可能です。ブログの作者が男なものですから、こんな風に書かせてもらってます。

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