2012年5月6日日曜日

限られた時間で無限の知識を

おはようございます。

今年は仕事では認知症ケア専門士の資格に挑戦しようと思っています。現在勉強している限りでは、介護福祉士よりも範囲が狭く、専門性も低い、感じです。要はいらん資格ですね。もっともできて間もないので、今後に期待、といったところでしょう。私もこんなことを言っておいて落ちたりしないよう、しっかり勉強します。

さて器用貧乏な私、ですが裏を返せば好奇心旺盛、とも言えるわけで、予定していた目標が思ったより近くにあると、また別の目標を設定したくなる。

それとともに、最近の自分に関して思うところがあります。それが、新しい知識に対する意欲に乏しいこと。
今やっていることすべて、このブログにしても、フランス語にしても、認知症ケア専門士にしても、いずれも自分の中にあるものでなんとかなる(なってしまう)ものばかりです。

インプットに対してアウトプットの側に偏り過ぎているんですね。

これも歳のせい、にしてしまえば簡単です。確かに年齢と経験を得るにつれ、良くも悪くも あるものでなんとかする 技術が磨かれ、ぴたりと合うものを探索することがおろそかになってきたように感じます。

その最たる例が仏作文で、自分の言いたいことに合致する文法、表現が見つからなくても、手持ちの表現で済ますことが非常に多い。もちろん良いことでもあるのですが、反面表現の、言いかえれば自分の幅は、広がらない。

だからといって、むやみやたらと学ぼうとするのも考えものです。殊に自分の選んだ、分野に微妙に重なる範囲を学ぶ際には注意が必要です。必要なことをやっていると思って気がついたら本筋から全く逸れてしまっている、なんてことはよくある話です。

これ以上やることを増やしてみても、器用貧乏はおろか、なにもかもが中途半端に終わってしまうことは目に見えてますから。
新しい知識に対する欲は見せはじめると尽きませんが、時は有限、しっかりと自分のヴィジョンを、見据えて無駄をそぎ落として、いかねばなりませんね。

ま、人生なんてそのそぎ落とされた断片にすぎず、またそうであることに矜持と、満足を覚えればいいと思わない、でもないのですが。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
おいしいコーヒーの淹れ方。本筋はおろか傍系ですらない。

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