2011年8月28日日曜日

逃亡者に勲章を――日本人の美的排斥考

こんばんは。ギリギリですが本日二度目の更新です。

独裁政権にあって忘れてはならないことは、政権下において独裁者に協力的な市民の存在があったことです。

それも、ごく少数というわけではなく、むしろ国民の少なからぬ数が、というのが適当でしょう。そうでなければ、如何に独裁という形であろうとも、政権が成り立たないでしょう。

別の時代の別の時代にある私たち(とも言い切れない気もしますが)からすれば、「どうしてそんなことが?」と考えるのも無理からぬことですが、実際事実がそうである以上、どうしようもありません。

ここでは、その心理を追求することはしませんが、代わりに表題の件について考えたいと思います。

「美的排斥」という考え方については以前のログで紹介しています(7/21 『美的排斥――言葉について(4)』)ので参照していただければと思います。
あの文章を書いて、自分でも日本人にとっての「美的排斥」とは何か、ということを考えていました。
で、個人的な見解としましては、「我慢しない(できない)」という評価ではないかと考えます。

日本人にとって、「忍耐」という言葉ほどその国民性を表している語はないのでは、と思ったりします。

もちろん私も、忍耐や我慢の肯定的側面を否定するつもりはなく、どんな仕事や学業、果ては趣味の領域でも、ある程度のところまで到達するためには成果が出なくとも我慢して続ける必要がある、と思っています(この場合の我慢は、「努力」とほぼ同義でしょう)。
しかしその一方で、我慢すること自体が美徳となりすぎているところがあるとも感じます。

自分の属している社会、会社、あるいは国が明らかに誤った方向に進んでいる(もちろん善悪の判断などそう簡単にできるものではありませんが)、そういった状況にあっても、「抵抗」よりも「忍従」することの大切さが語られる。「忍従」、これほど適切な言葉は他に見当たりません。

普通の感覚なら耐えがたい環境に耐えるために、考えることを止め、判断を停止し、命令に服従する。このような「我慢」ができない人間は異常なのでしょうか。

以前「脱走兵に勲章を」といった内容を書いた文章を読んだ記憶がありますが(曖昧ですいません)、この感覚、一般市民の勇気しか持たない、けれども思考停止に陥らなかった人間の行動を讃えるこのような考え方をこそ、新しく「勇敢さ」を測る指標として、記憶したいと思います。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
死者に対する鎮魂の思いは、形は異なれど万国共通ではないでしょうか

夏と死者のよみがえり

おはようございます。

八月も残すところあと四日となりました。早いものです。

日本の夏は死者の気配色濃い季節だと思います。今年は特にそうだったのではないでしょうか。

それでも、多くの死者を、先の戦争と結び付けて思いだすのは、終戦の記念日がお盆と重なる因果もあって、ごく自然なことだと思われます。

戦争、というとその勇敢さが多く称えられます。それは、命令に従って戦地で命を散らした場合でも、反抗という形であっても同様です。ベクトルの向きは違っても、評価の基準は同じだと言えます。

今、自分たちの国の進んでいる方向が間違っていると感じるとき、そして声を挙げて抵抗することが死と直結しているとき、それでもなお抵抗できるか、といわれると難しいでしょう。少なくとも私にとっては不可能事です。
そのような状況に置かれた勇気のない大多数の人がとるべき行動は?

そんなことを考えたのも、最近トルヒーヨ政権下のドミニカを書いた本を読んでいたからです。

ここに一人の人間がいて、その人はトルヒーヨの独裁下にあるドミニカの現状を耐えがたく思いながらも、表向きは完全に忠誠を誓っている。家族の身に危険が迫るまでは。

しかし、それでどうしたか?逃げなかった。逃げられる機会はあったのに、なにもしなかった。どうにもならないことは明白なのに、どうにかなるだろうと目をつぶって耐えていた・・・そして、悲劇。

よくある悲劇の型、おそらくは人類史上で何千回も繰り返された悲劇(それも繰り返されると喜劇になると言ったのはミラン・クンデラでしたか)。この悲喜劇の輪から勇気(=死)を持たずして逃れることはできないのでしょうか?

今回は二回に分けて書きたいと思います。では、また。
Au revoir, à ce soir!
墓地のすぐ向こうは海

2011年8月27日土曜日

他人の記憶に溺れる愉しみ

おはようございます。

ここ何回かの漠然としたテーマとして、記憶について書いてきました。今回もその流れで。

あ、その前に。この投稿がなんと30回目になります。ちょうど二カ月このブログを書き続けていることになります。読んでくださっている方々、いつも感謝です。

前々回に少しだけ触れた Nouveau roman の面々は、各々が独自の路線を歩んでいて、とてもまとまった芸術運動とはいえないと思うのですが、一度そんな風に一くくりにしてしまうと、なるほど共通点があるように見えてくるから不思議なものです。

共通点としては、全員が実験的であったこともそうですが、なにより「視覚的」であったことが一番かと思います。

なかでも特に視覚的効果に突出していたのが、Claude Simon で、私の一番好きな作家でもあります。そもそもこのブログのタイトルからして、この作者の著作から拝借しています。

作風を一言であらわせば(って昨日も同じようなことを言っていましたが)、
記憶が思いだされるままに書く
ということですね。

日本語訳が出ているどの作品を呼んでも、作者の経験が色濃く出ていて、読者は別の作品で読んだ出来事を、別の作品では違ったところから眺めている、といった経験を繰り返すことになります。

または、「スペイン内戦」として語られる歴史上の出来事を、そうした背景を鑑みることなく、あくまで一個人として体験したことだけを提示する。

人間を数や量で測りとるのでなく、人ひとりが持つ「個」の厚みを如何に表現するか。それをクロード・シモンは無意識の中から浮かび上がる記憶の上澄みをすくいあげる、その作業を延々と続けることによって達成したと言えるでしょう。

クロード・シモンの本を読むという経験は、すなわちクロード・シモンその人の記憶を、言い換えればその人となりを読むことに等しいのではないでしょうか。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
Lyon 駅にて。出発直前にならないと乗り場がわからないことも

2011年8月25日木曜日

ON THE ROAD

おはようございます。

一昨日、大阪の国立国際美術館で開催中の『森山大道写真展/ ON THE ROAD』を見てきました。

めちゃくちゃ有名な写真家なのでしょうが、全くの無知、予備知識ゼロ(一応名前だけは聞いたことがありました)。そんなんでなぜ行ったのか?

おそらく、というか間違いなく先週の『杉本博司展』の影響です。美術館は比較的良く行くのですが、写真展は皆無。それが先週見た展覧会によって、良い風に感化された、ということでしょうか。

森山大道氏の経歴を見ると、60年代、70年代から活躍しているんですね。息の長い写真家です。
作風は、と言うと見てもらうのが一番なのですが、蛇足と知りつつ、あえてまとめると、
「猥雑な日常を断片的に捉え、包括的に提示する」
といったところでしょうか。よくわかりませんね。なんにしろ、先週の杉本博司展とはコンセプトも撮る対象も対極的、全く異なる写真家でした。

以上、ここまでが長い前置き。

さて、『On the road』と聞いて文学が好きな人なら、あるいはそうでない人も、想像するのはやはり、ジャック・ケルアックでしょう。最近完結した『池澤夏樹個人編集 世界文学全集』でも、記念すべき第一回配本がこの本でした。もはや世界文学の中で確固たる地位を築いていると言えるでしょう。

しかしこの作品、万人が読んで面白いかというと、う~ん、と首を傾げたくなる。

第一にまず長い。一巻本で500頁ほどなので、それよりも長い作品はいくらでもあるけれども、文章が冗漫なのに加え、同じ出来事が何度も繰り返される。

そんなんで面白いか?と言われそうですが、二十代前半の私は「これめっちゃおもろいやん!」と感じて、3,4回読み返しました。

何がそんなに面白かったのか?――おそらくは広大さが。車で大陸を横断する苦労が読むことの困難と、アメリカの大地が本の厚みや文庫本の小ささに・・・あるところではリンクし、別のところでは反転して投影される。
本の上に広げられた広大な空間を旅する経験、これこそがフォークナーとも通ずる「アメリカ文学」を規定するものではないかと思うのです。

とまぁ、ここまで書いて読み返したくなったので家を探したものの、見つからない。むかつくぜ。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
大阪国立国際美術館。これは去年撮った写真。

2011年8月21日日曜日

アルクイユの水道橋 / 記憶の中の風景

おはようございます。

私の好きな現代作家の一人に堀江敏幸さんがいます。

この人の特長は意図的に‘récit’ と ‘roman’ の垣根を崩すような書き方をしていることでしょう。このことについて本人が書いた文章もあったと記憶しています。が、それはまた別のお話。

この人はフランスとの関わりが深い人で、まぁそれもフランス文学を教えている(曖昧)ので当たり前なんですが。フランスの現代文学の紹介や翻訳なども積極的に行っています。

日本でフランス現代文学と言えばせいぜいサルトル、カミュの時代止まりで、良くて nouveau roman の時代まで。一般の人がフランスの現代文学に手を出そうとしても、どこから始めればいいのかわからない、というのが現状。
そんな中で精力的に新しい文学を紹介してくれるのは、フランス現代文学の翻訳だけでは飽き足らず、原書のほうにも手を出そうという、私のような読者には非常にありがたい限りです。

さて、本職は小説家ですから、自分でもフランスのことを書いていて、それが日本風に言えば、「小説とエッセイの垣根を取り払った」ような小説です。特に印象に残っているのがタイトルの風景です。

かなり長いですが引用すると(この息の長い文章も堀江さんの特長であり、またフランス文学の伝統を受け継いでいると思うのですよ)、

駅舎を出て新聞や煙草も扱っている小さなカフェのまえを抜けるといきなり個人の敷地に足を踏み入れたような路地が現われ、その突き当たりを右に折れた先が、まっすぐ東へ下っていく急な坂道になっていた。深い谷をへだてたほぼ正面に白い給水塔がぽつんと浮き上がり、その隣には要塞さながらの威容を誇る病院のシルエットがひかえているのだが、坂の左半分を支配する途方もない石造りの水道橋の、天と地をむすぶかりそめの階段に気おされて、それら遠方の建物はみな、いくらか存在を薄くしているようにも見える。坂は膝がしらにたえず適切な屈曲を伝えてやらないとたちまち転げ落ちてしまいそうな勾配で、右手にひろがる墓地の壁も並行してのびているから、本当なら側溝のなかを進むぐあいにかなりの圧迫感があってしかるべきなのに、下るにつれて高さを増していく、キリンの脚さながらのひょろながく頼りなげな珪石のアーチから見える青空が逆に奇妙な解放感をもたらし、このまま橋梁が崩れ落ちたらひとたまりもなさそうな、ほとんど真下にあたる位置でつつましく肩を寄せあう家々の赤い屋根から突き出した煙突や、庭と呼ぶにはあまりに狭い囲い地に植えられた喬木までもが弱々しい藻類に見えてきて、まるで海の底に沈んだ遺跡のなかを歩いているようだった。不ぞろいな大きさの一戸建てがたがいの遠近をみずからの形で崩しながら張りついていて、筆触の不安定な油絵の画面みたいに折り重なった対岸の丘に目をやりつつ、ずらりと車がならんでいる傾斜地を、私は老人たちと変わらぬゆるやかさで谷底を走る国道へと下っていった。 『ゼラニウム(中公文庫 p.9-10)』

ふぅ。
で、こんな景色を一目見たいと思い、今回のフランス旅行ではアルクイユまで脚を伸ばしてきました。

けれども小説で読んで思い描いていたような光景はどこにも見当たらない。あくまで創作、あくまで記憶、なわけです。

でもそれは、記憶の裏切りでも、文章の背信でもなく、単なる現実の模倣にとどまらない新しい景色を読者の記憶に植え付けることに成功した、ひとつの「出来事」の創造なんだと思うのです。読者はその出来事を体験し、記憶する。これぞ小説の素敵な効能ではないでしょうか。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
アルクイユの水道橋。パリから電車で約10分。映画『アメリ』でも登場してましたね。

2011年8月20日土曜日

田舎の5km、都会の10km

おはようございます。

先日、所用で実家に戻っていました。やっぱり田舎でした。

今は合併して市になっていますが、以前は一万人前後の小さな町でした(まぁ、合併して枠組みが変わっただけで、ほとんどなにも変わっていないのですが)。

で、家に帰っても特にすることもないので、自転車でいろんなところを走りまわったのですが、なにしろ、遠い。

同じ5kmでも、田舎と都会では全然感覚が異なるわけです。大体表題くらいの感覚じゃないでしょうか?

まず、周りになにもない。そのせいで目的地までのあいだに目印・中間目標がなく、遠く感じます。
加えて、他に歩いている人・自転車に乗っている人は皆無で、それゆえ「(人の歩く)距離ではない距離」として、認識されるのですからなおさらです。

なにしろ、人の数より車の数のほうが多いですから!

それでも、感覚的に短くなった距離もあって、なにかと言えば、思い出の中の道のりで、小学・中学の頃は非常に遠く感じていた場所に、今ではほんの一息、5分10分で着いてしまいます。ものすごい坂道だと思っていたところが、全然大したことなかったり。

でも、これってたぶん、時間の感覚の変化によるものなのでしょう。

距離が短くなった(もしくは速度が上がった)というより、10分という時間感覚が短くなった、と解釈するほうが自然かもしれません。

子供の頃の時間感覚をもう一度取り戻して日々を過ごせたら・・・などと考えることもありますが、夏休みの終わるこの季節だけは、大人でよかったと思います。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
田舎を走る。目的を持たずに走るならば、遠近の概念は喪失する。

2011年8月19日金曜日

コンセプチュアル?アート?

おはようございます。

昨日更新しようと思ったのですが、パソコンの不具合で今日の更新と相成りました。

さて、昨日は猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)で開催中の企画展、『杉本博司 アートの起源 / 歴史』に行ってきました。

なんでもこの企画展、一年に渡って一人のアーティストを追う、というもので、既にこれまでに「科学」「建築」が実施されていて、次には「宗教」が待ち受けているとのこと。

面白かったか、と言われるとうん、面白かった。量的に少ない気はするけど。というところ。

一時に較べていわゆる「現代アート」というものを見る機会が格段に減ったのですが、理由として一番大きいのが、私の中では、「現代アート=コンセプチュアル・アート(*)」という等式が成り立っていて、力点が「コンセプチュアル」のほうに置かれている、それが面白くなかったのです。

だって、コンセプト(この言葉を広くとらえるならば思想)を伝えるだけなら言葉で十分であって、そのほうが分かりやすく、面白いでしょう?

そして実際、現代アートの作品展に行くたびに、言葉の占めるウェイトの大きさ(入り口で手渡されるパンフレットの形式的・実際的な重み、作品に右下、あるいは左下につけられたタイトルと解説を覗き込む行為)を目の当たりにして、うんざりしてしまったのです。

でも、今回のは面白かった。何故か?

もう、単純ですよね。「アート」の部分で面白かったからです。

杉本さんの作品が「コンセプチュアル・アート」でもなく、「コンセプチュアル・アート」でもなく、「コンセプチュアル・アート」だったからです。

これを機会に、現代アートってものを見直してみたいと、ちょっとだけ思いました。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
猪熊弦一郎美術館を正面から

(*注記)もしかすると、というより間違いなく「コンセプチュアル・アート」という概念、美術史上の定義といったものからは外れた意味で使っていると思います。基本的にここでは、「コンセプチュアル・アート」=「製作者の意図や志向する概念、意味内容を重視した芸術」といった程度の意味で使用しています。悪しからず。

2011年8月16日火曜日

ブレイクスルー!! / 外国語習得法(3)

おはようございます。

さて、「人は加算的にでなく、乗算的に成長する」という話を前回にしました。具体的にどういうことか、というのを今日は考えたいと思います。

人は、何かを新しく始めるときには、 の状態から始まります。
努力を続けることで、それが になります。

では、そのまま続けていくとどうなるか?

加算的に成長するのならば、3,4,5 … となっていくはずですが、
実際には、乗算的に成長するので、4,8,16 … と、飛躍的に上手くなっていくんですね。

これはつまり、
「ブレイクスルーするたびに以前の倍上手くなる」
ということです(さすがにこれはちょっと過ぎる気がしますが)。

これは、他人を仰ぎ見ている状態の人にとっては非常に勇気付けられる話ではないでしょうか。

例えば、自分が今8の地点にいるとします。
で、128の地点にいる人を見て、これはかなわない、と思う。差は120もあって埋めるには膨大な時間と努力が(=120回のブレイクスルーが)必要だ、と考える。

しかし実際は、乗算的に成長するのですから、

→ 16 → 32 → 64 → 128

と、4回のブレイクスルーで追いつけるんです。これなら頑張れる気がしませんか?
そう、遠くに見える目標も、続けていれば意外と早く到達できるんです。

ちょっとやる気が出たでしょうか?

あ、ブレイクスルーの方法?そんなものがあるなら私も知りたいです。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
加速度的に進化するなにか。これはケバブ。うん、全然関係ないよね。

2011年8月15日月曜日

ブレイクスルー / 外国語習得法(2)

おはようございます。

前回に引き続き、外国語習得法のお話です。

これは外国語の勉強に限らない事ですが、「壁にぶつかる」経験は誰にでもあると思います。

「やってもやっても上手くならない」「他の人はもうあんなに先に行っているのに…」と考えて焦り、自分のやり方に自身がなくなり、ついには諦めて投げ出してしまった、という苦い経験もあるでしょう。

でも、やり続けた経験のある人なら、「ここを乗り越えればまた新しい境地が開ける」ということも知っていると思います。

ここで大事になってくるのは、やはり「続ける」ことです。自分のやり方が間違っているかな、もっと良い方法があるんじゃないかな、と試行錯誤しながらも、結局は続ける事がすべてです。

でも、それが難しい。

続けるためにはモチベーション(動機)が必要なのですが、壁にぶつかっているときは、その動機そのものに疑いをかけてしまう時期でもあるわけで、続けるためのエネルギーをどこから捻出するか、というのがこの場合最大の問題であるでしょう。

そこで、少しやる気になる情報を。

最近、脳の海馬を専門的に研究している池谷裕二さんの本を集中的に読んでいたのですが、印象に残ったのが、
「脳(人)は加法(足し算)的ではなく、乗法(掛け算)的に成長する」
というものです。

どういうことか、というのを次回お話したいと思います。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
続けているのではないけど、続いていることのすごさ。Paris の Saint- Sulpice 教会。

2011年8月14日日曜日

昔の人は偉かった!? / 外国語習得法

おはようございます。

今週はいろいろと大変だったので更新が遅れてしまいました。
今もぜんぜん片付いてはいませんが、少し余裕ができたので更新したいと思います。

さて、表題のお話です。

そんなものがあるなら私も知りたい、と言うのが正直なころです。

現在仏検準1級の試験に向けて勉強中なのですが、やっぱり実感するのが、

1.時間をかけてやること(近道はない)

2.口を動かす、手を動かす

3.継続する

この三つがすべてということですね。全く新鮮味のない答えで申しわけない…。

さて、今回は二番目の「口を動かす、手を動かす」といことについて話をしたいと思いますが、
「ホムンクルス」というものをご存知でしょうか?

これは人間の脳でどの部位がよく使われているか、その度合いに応じて体の部位を拡大・縮小したものです。

逆に言えばこの図で大きく表されている部位を使えば、それだけ活発に脳が働く、ということでもあります。
見てもらえれば一目瞭然ですが、人間にとって指先と口(舌)を使うことが如何に大事か、ということがわかります。

音読・書き写すといった昔ながらのやり方の有用性がよくわかりますね。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!

2011年8月7日日曜日

ぎこちない別れの言葉

おはようございます。

出会いがあれば別れもある。今日は別れのあいさつのお話です。

子供や親しい者同士は「ばいばい」と別れ、会社の同僚などは「失礼します」と別れる。一般的には「さようなら」でしょうか。いや、使わない気もしますが…。

フランス語で別れの言葉といえば、“Au revoir!” ですね。

しかしこの言葉、発音が非常に難しい。

カタカナ書きすれば、「オールヴォワー(ル)」なんですが、もちろんこれをそのまま読んでも通じない。

そもそも、フランス語のRの発音は、どちらかと言うと日本語のは行に近い感じ(あくまで私見)なので、「オーふヴォワー(ル)」のほうがまだ近いと思われます。ここに前の「オー」にそのまま「ふ」がかき消されるかんじで、「オー(ふ)ヴォワー(ル)」。これが一番近いんじゃないでしょうか?

簡単そうですか?いや、ホンマに難しいです。

そんな難しいのなら、人間の性としては避けたくなるのが普通でしょうが、そうもいきません。

カフェでお勘定を済ませて、“Merci Monsieur, au revoir!” 店で買い物をした後にも、“Merci Madame, au revoir!” ホテルでチェックアウトする際にも・・・とまぁ、使う機会には困りません。

下手なフランス語で言おうものなら、そのたびにキョトンとした顔をされて、お互い気まずい思いをしながら別れるわけです。せめて別れの時くらいはスマートにいきたいものですが。

みなさんもぜひ、一度フランスに行ってこの辱めを受けてきてください。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!

これを頼んで食べるところまではいい。しかし別れが・・・

2011年8月6日土曜日

最高のベンゼマ

おはようございます。

今日はサッカーとフランスのお話です。

ブンデスリーガ(ドイツリーグ)が開幕したというニュースを見て、いよいよヨーロッパサッカーの新シーズンの始まり、という感があります。

もっとも私はそれほど熱心な海外サッカーファンでもなく、時折ネット上で動画を見たり、試合結果を確認したりする程度です。

で、フランス、サッカーとキーワードが並べば、やはり外せないのがタイトルの人でしょう。

昨年、「最高のベンゼマを披露すると約束する」と発言して以来、またその髪型(=丸坊主)のフィット具合も相まってか、ネット上で一気に存在感を増した感がありますが、サッカーの実力は申し分なく、将来のみならず、現在でもフランス代表の中心選手と言えるでしょう。

とはいうものの、彼の両親はアルジェリア出身なんですね。

現在のヨーロッパで移民の問題は避けて通れないでしょう。次のフランス大統領選でも小さからぬ論点になることと思います。

フランスで街を見渡すと、ベンゼマのような若者がいたるところにたむろしているのを見かけました。日本でもそうですが、若者の集団にはなんとなく圧迫感を覚えてしまいます。方向性の定まらないエネルギーの、上手く発散されないまま終わってしまう感じというのでしょうか…。

ベンゼマももしサッカーがうまくなかったら、これらの若者となんら変わることのない生活を送っていたのだろうと、その脇を通り抜けながら、ちょっとした感慨に耽るのでした。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
最高のベンゼマは最高の笑顔も披露するのです。

2011年8月3日水曜日

異言語作者の系譜

おはようございます。約一週間ぶりの更新です。

前々回はアゴタ・クリストフについて、その前はミラン・クンデラについて話をしました。
二人の共通点は「非フランス語圏出身のフランス語作家」ということでした。

このように、「自分の母語でない言葉で書く」作家というのは意外と多いのです。

有名なのはジョゼフ・コンラッド(ポーランド→英語)とヴラジーミル・ナボコフ(ロシア→英語)でしょう。それぞれ英語で書くことで、ローカルな枠に収まらない、世界的な作家になったと言えます。

特にナボコフはロシア語、英語を共に自在に操った作家であり、自作のロシア語訳、英訳もしています。また、「言葉の魔術師」とまで呼ばれたその作品は、言葉の芸術の名にふさわしいでしょう。

日本にもそのような作家は存在して、たとえば多和田葉子さんはドイツ語で作品を、リービ英雄さんやアーサー・ビナードさんは日本語で作品をそれぞれ発表しています。

しかし思えば、長らくヨーロッパの知識人のほとんどはラテン語で書いていたわけです。これは話し言葉と書き言葉の乖離に他なりません。同様のことが日本でも言えると思います。

ここからわかるのは、「書く」という行為自体、すでにある程度日常から離れた、言い方を変えれば日常を「異化」する作業として初めて成り立つ、ということです。そうだとしたら、あらかじめ異化されている言語というのは、なるほど使い手によっては非常に強力な武器となりうるのかもしれません。

「異言語作者」という、一見異端に思われるこの系譜、実は堂々と正統なのかもしれません。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
quai Branly 美術館にて。「旧植民地文化をどう扱うか」がテーマとなっており、興味深い。