前々回はアゴタ・クリストフについて、その前はミラン・クンデラについて話をしました。
二人の共通点は「非フランス語圏出身のフランス語作家」ということでした。
このように、「自分の母語でない言葉で書く」作家というのは意外と多いのです。
有名なのはジョゼフ・コンラッド(ポーランド→英語)とヴラジーミル・ナボコフ(ロシア→英語)でしょう。それぞれ英語で書くことで、ローカルな枠に収まらない、世界的な作家になったと言えます。
特にナボコフはロシア語、英語を共に自在に操った作家であり、自作のロシア語訳、英訳もしています。また、「言葉の魔術師」とまで呼ばれたその作品は、言葉の芸術の名にふさわしいでしょう。
日本にもそのような作家は存在して、たとえば多和田葉子さんはドイツ語で作品を、リービ英雄さんやアーサー・ビナードさんは日本語で作品をそれぞれ発表しています。
しかし思えば、長らくヨーロッパの知識人のほとんどはラテン語で書いていたわけです。これは話し言葉と書き言葉の乖離に他なりません。同様のことが日本でも言えると思います。
ここからわかるのは、「書く」という行為自体、すでにある程度日常から離れた、言い方を変えれば日常を「異化」する作業として初めて成り立つ、ということです。そうだとしたら、あらかじめ異化されている言語というのは、なるほど使い手によっては非常に強力な武器となりうるのかもしれません。
「異言語作者」という、一見異端に思われるこの系譜、実は堂々と正統なのかもしれません。
では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
quai Branly 美術館にて。「旧植民地文化をどう扱うか」がテーマとなっており、興味深い。 |
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