2012年4月30日月曜日

反社会的であること

おはようございます。

今日はテオドール・パヴィの翻訳を一休みして、二人の友人と別々に話していたことについて。

一人目の友達と話していたのは、ついこの前起こった亀岡の無免許運転事故について。若いころにはなぜ反社会的行為に走るのか。大人になってそれを自慢するのはどういう心理か。

もう一人別の友人と話していたのは、現代における反社会的行為、むしろ反・行為ともいうべきものについて。今回はこの「反社会性」について考えたいと思います。

無免許運転や万引きに代表される反社会性とは、すなわち反・法律に他なりません。目の前に明確な順守すべき基準があり、それを犯すことは、自分にも他者にも危険を及ぼす。ここにはスリルを求める人間性が明らかだと思います。「チキンレース」がその最たる例でしょうか。

一方で、「ものを買わない」ことに代表されるような、反・行為は一見反社会的でないように思われます。しかしながらこれ以上に積極的な反資本主義的な行動は他にないでしょう。実際この行動の破壊性は、風評被害やその他の影響によって「買われなく」なってしまった商品のことを思えば、誰にも明らかになるでしょう。

この二つの反社会的行動を、能動、受動の軸で見ることも可能でしょう。

私がここで言いたいのは、この後者の反社会性が、二十一世紀の新しい価値基準を作りだすのではないか、ということです。

「使わない」ことが「使う=消費する」ことよりも評価されるような仕組みが作れないか。

現時点で早急に「使わないこと」をポジティブな価値基準とすべき分野が医療・福祉にあることは疑いなく、近未来的には、というよりもっとも顕在的なのが環境分野でしょう。

薬の使用量を減らすこと、病院に通院する回数が減ること、介護保険の給付限度額まで使用しないこと、車を「エコカー」に買い替える代わりに、自転車や公共機関に乗ること。本来評価されるべきこれらの行為(あるいは反・行為)が正当に評価されるとき、もしかするとこの行き過ぎた資本主義時代を良い方向に転換する、重要なターニングポイント、回転軸と成り得るのではないでしょうか。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!

2012年4月29日日曜日

エジプトの魔術師、インドの軽業師 Ⅰ- 2

前回より…

誰もその幻想を説明することができなかった。しかしこの黒人の少年から、それらしいものは呼び出せたわけだ。
この中断のあいまに、呪術師は魔法のナンバーを呟きながら、紙切れを燃やし続けた。見物客たちは煙草を吸い、コーヒーが絶え間なく回された、活気が戻ってきた。今度は識別の容易いF.S卿を呼び出すことで合意した、というのも彼は片腕をなくしていたからだ。新しい黒人が呼びいれられ、同じようにインクの滴に頭を近づけた、沈黙が支配した。

F.S卿!集まりの中から誰かが言った。少年は繰り返した、音節ごとに、少年に向けて発せられた言葉を。前任者同様、彼もたくさんの馬を、ラクダを、旗を、それから音楽隊の一団を見たと言った。これはごく普通の前奏で、混沌はインクの滴が照らす要求された人物の前でどうにかやっていた。

アルビはフランス語も英語もイタリア語も解さなかった。しかしながら、公衆の表情を読み取るのに長けていて、人々が彼になにかしら特別な印を求めていることを察した。かつてネルソン卿の降霊を頼まれたときのように、誰もが知っているように、卿は片腕片脚を欠いていた。幸いにも英雄の名声によって、彼はそのことを知っていたのだった。今回もまた、彼はそれと似た雰囲気を感じた。混乱した返答のあとに、少年は叫んだ--男性が一人見えます!キリスト教徒で、ターバンは巻いてません。緑の服を着ています…腕が一本しかない!この言葉に、我々は微笑みを交わした、それは敗北を認める微笑だった。これは魔術に違いない…私の隣の常識的人物はそれでも、ものすごい音を立てて水煙管の水を沸かしたあと、アルビを見つめた。私は我々の思考が占い師によって間違って解釈されているのに気付いた、彼の確信は揺らぎ、我々が哀れみから笑っているのだと推測した。それで彼は少年に詰め寄った――片腕しか見えなかったって?それでもう片方は?――少年は答えなかった。巨大な沈黙がその場を支配した。紙片がコンロの上で素早く燃え上がるのが聞こえた。――もう一方の腕は、黒人の少年は答えた…見えます。この方はもう一方の腕を背中にまわしています。その手で手袋を持っています!

最初の人物は三本脚があり、二番目は片腕のみでなく、完全な身体を有していた!…集まりはだれてきていた。この経験と自分のいる場所、私は偉大なるアルビと相対していた、に疲れ、私は腰掛けから立ち上がり、この家のテラスに上がった。

壁にもたれてそこに立ち、透き通るような月光に照らし出された真夜中、正面には優美なたくさんのモスク、その上を舞うワシやノスリ【鳥の一種】のシルエットが際立っていた。自分の長パイプに火をつけ、私は空想に身をゆだねた。

地平線に宮殿が姿を見せた。クレベールが殺害されたそのバルコニーが見える。私にはそこかしこで、美しくすらりとした形をした、マルムークの、とりわけオスマン・トルコ帝国の現代風ミナレットがそびえ立っているのが見えた。東洋が、再び、沈黙の夜と神秘に満ちた家々を通して私の中に湧き上がった。あれは半世紀後にあり得るであろう出来事みなを述べるのに巧みな呪術師だったのだろう、私はそんな思いに至った。

アルビは完全に失敗したわけだった。しかしながら結局のところ、あの黒人の少年は己の手のくぼみになにを見たのだろう?いったいどのような笑劇が演じられたのか?偶然にも私は、それを知ることとなった。

一ヶ月後、ゼノビィ(船)に乗って、ボンベイに向かう途中で、私は聖…中尉とその黒人従者に再会した。彼はアルビの相棒役を勤めた少年だった。――あれは確かに魔術的な一夜だった。紅海の穏やかな潮流が、アラビア海岸の巨大な山々の足元に広がる砂浜をゆったりと浸していた。星々が、水中に反映して青白い閃光のように見え、船の舳先で揺れ動いていた。申し分ない瞬間が選ばれた…聖…中尉は私に次のようなことを明らかにしてくれた。 

アルビの偉大な芸術は、彼が神秘的な言葉を呟いているように見えるあいだに、集まった他の人々がそれと見分けぬうちに少年に知識を授けるところから始まる。まず相棒となる少年にその場限りの悪魔を見せて怖がらせる。次いで、彼にとりわけ間違って聞こえるような返答を強要する(そう、三本脚の女性の場合のように)、それから、無理やり話させるために、彼の足指をおぞましいやり方で圧迫する。公衆の視線からは隠されたところで操作される魔術師の包まった長衣によって。もし上手く言い当てられたなら、それは魔術師の栄光による当然のものだし、もし失敗したら間違えたのは少年、というわけだ。
しばしば偶然が見事な結果をもたらしていた。それゆえインクの滴はすべてのエジプト人に実効性のあるものと認められており、アルビは長いあいだ愉快な夜を支配してきたのである。

これで第一章が終了です。ほぼ同じ分量の第二章(インドの軽業師のパート)がありますが、それは別の機会に。

これを読んでいかがでしょうか?「うわー、めっちゃ下手な翻訳やな」と思いましたか?私も思いました。というか、文の構造的にわかっていないところがいくつかあって、まだまだだなぁと思い知らされた次第です。しかしまぁ、パヴィの文章の雰囲気だけでも感じてもらえたなら幸いです。これを読んでいるとE・W・サイードのいうところの「オリエンタリズム」を感じずにはいれませんが、それとは別に、こういう旅行記というのはなかなか面白いものですね。私も大好きなジャンルです。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
Lyon に気持ちだけでも旅行に行く。

2012年4月26日木曜日

エジプトの魔術師、インドの軽業師 Ⅰ-1

おはようございます。
今日からテオドール・パヴィの『Les Harvis de l'Egypte et les jongleurs de l'Inde / エジプトの魔術師、インドの軽業師』の翻訳をお送りしたいと思います。テオドール・パヴィについては前回のブログを参照してもらえれば。おそらく4分割になるでしょう。私の個人的感想などは、最後に。では。

いつの時代も、エジプトには魔術師たちが存在した。モーセと競った占い師たちは、多くの驚異をもたらし、ゆえにヘブライの立法者にとって、彼らとの戦いに勝利するためには、エホバの全能なる力を授かることが必要だった。カバラ秘教、魔術、神秘学、いずれもアラブ人によってスペインを経て、それからヨーロッパ全土へと広まった。もっとも、北方を通って東から襲来した蛮族の登場後には、すでに別の形をとっていたようだ。彼らは超自然的な力の発見にしか興味がなく、それらは人間の最初の専有物であり、創造物を自在に操れるのに、「永遠」の声が彼らに強いたその名に異議を唱えていた。

それ以後、真理の光が世界を満たし、衰退した魔術師たちの経験は貴重なものとなり、世紀(時代)が進むにつれ、次第に残りの国々でも失われてしまい、今日において魔術は、その法則を分析され馴致された、一種の失われた科学、もしくはその類似物とみなされている。

それにもかかわらず、エジプトは伝統を力強く保持してきた。カイロ、ナイル川のほとりで、占い師たちは現在もまだ巨大な名声に囲まれた、恵まれた環境にある。彼らにとって問題は呪いをかけることでも、不幸を予言することでもない――彼らはチロル地方やスコットランドまでを見晴らす第二の眼は持っておらず――彼らの科学の本質は降霊術にある。偶然とった子供の掌のくぼみに、とある集会でいかなる人物の名前が発せられたか、また、その人物がなにをしたかということが、その子によって描き出される、その子はなにも見ていないのだが、その面立ちのもとに自ずから現れているというのだ。

もっとも著名なアルビ(魔術師はこのように呼ばれている)は何人ものヨーロッパ人旅行者の面前で働く栄誉に浴しており、その文書はむさぼるように読まれた、また一般に、彼は十分な成功を収めており、その栄光を危険にさらす必要はなかった。一度その人物に会い、魔術の現場に立ち会って、自分の目で東洋の不思議を確かめてみたい。そう思っていたところに、機会が訪れた。
カイロ、このエジプトの首都に存在するホテルのひとつでそれは起きた。いくつかの議論が交わされたあとで、われわれのあいだで偉大なるアルビのことが話題に上った。全員一致で彼を呼ぶことに話が決まった。テーブルにいるのはほとんどがイギリス人だった。

夕食も終わりに近づいたころ、魔術師が到着した。部屋に入り、軽く頷くと、サロンの隅に置かれた長椅子に座ろうとした。しばらくして、コーヒーとパイプを、まるでそれらが自分の重要性の証左であるかのように受け取り、思い沈んだ様子で、集まった者たちを探るように見渡した。占い師はアルジェリア出身だった。彼の顔つきに優雅なところはまるでなく、目つきは鋭く、ほとんど閉じており、髭はごま塩で口を小さく見せ、唇は薄く締まっていた。顔立ちは全体にエジプト人よりもほっそりとしていて、ベドウィン族に較べると平然として無作法な印象を与えた。背が高く、高慢で、人を見下したような態度をとり、自分のことを優れた人物とみなしていた。

我々が煙草を吸い終えるあいだに、こちらにはトルコパイプ、あちらには水パイプが、そしてアルビは自分のいる隅っこで微動だにせず、我々の表情から、どの程度ものにできそうか読み取ろうとしていた。それからおもむろにポケットからカラム(羽ペンのようなもの)とインクを取り出して、コンロを用立て、長い巻物の上に摩訶不思議な文章を次々に書き連ねていった。それらの文章を引き裂き、次々に火に投げ入れる、すると妖しげな力が働きはじめた。子供が一人招き入れられた。ヌビ地方出身の7歳か8歳の子で、われわれの招待客の一人に奴隷として仕えていた。最近自分の国から着いたばかりで、肌はアルビの使うインクのように黒く、非常にゆったりしたトルコ衣装をまとっていた。魔術師は少年の手をとり、魔法の液体を一滴落とすと、それを葦のペンで広げた。それから少年の顔をなにも見えなくなるまで両手に近づけさせ、自分は部屋の一角、少年の近くに我々のほうに背を向けて陣取った。

――レディ・K! 見物人の中でも激しやすい一人が叫んだ。少年は、束の間ためらったあと、弱々しい声で話始めた。――なにが見えた?少年の主人が尋ねた。 アルビは、いっそう真剣になって、もぐもぐと魔法の言葉をつぶやきながら、すべての紙を燃やしていった、それから法衣の下からかなり大きな一握りの紙束をとりだした。――見えるよ、ヌビの少年は言った、たくさんの旗、モスク、馬、騎兵、音楽隊、ラクダ… ――どれもレディ・Kに関係のないことばかりだね。常識的な人物が低い声で私に囁いた。――Shouf ta'ib! Shouf ta'ib! もっとちゃんと見て!どうしてもレディ・Kを想起したい見物人が叫んだ…少年は沈黙し、口ごもった。それから彼は、一人の人物を見た、と宣言した。――女性か?男性か?――女性です!――アルビは我々がすでに十分疑い深くなっていることに気付いた。――どんな女性だった?――美人で、きれいな服を着て、肌が真っ白でした、少年は答えた。花束を手に持っていました。バルコニーに立って、きれいな庭を眺めていました。

あの黒人の小僧は時々ローレンスの写真を見ていたんだろう、少年の主人が隣の男に囁いた。その通りなのだろう。もっとも何者かが乗り移ったようには見えなかった。少し経って、というのも言葉をゆっくりと途切れがちに発するからだが、――それに、少年は言葉を継いだ、その女のひとには脚が三本ありました!


今回はここまで。では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
Chartres 駅。

2012年4月22日日曜日

テオドール・パヴィ (1811-1896) について

おはようございます。

今日は表題のとおり、テオドール・パヴィという人物について、Wikipedia の情報をもとに書きたいと思います。

何故か、というと理由は簡単。現在この人の文章を翻訳しているからです。今はまだ1/5程度ですが、いずれ完成した暁には、このブログにでも載せたいと思っています。一応著作権フリーの文章なので、問題はない(はず)です。

さて、このテオドール・パヴィ(Théodore Pavie)という人物についてですが、おそらく日本ではほとんど知られていない作家でしょう。試しにGoogle検索をしてみましたが、なぜか一番上にはブルーノ・タウトのwiki ページが来る始末。もちろん日本語版のWiki には記事もありません。

というわけで、私が勝手にフランス語版Wiki から翻訳することにします。誤訳もあるかも知れません。発見次第報告していただけると、恥を晒す期間が短くなり、非常に助かります。

テオドール・マリー・パヴィ(Théodore Marie Pavie)。旅行家、作家、東洋学者。1811年アンジェに生まれる。1896年死去。
9つの言語を操り、アメリカ、中東、インド、レユニオン島などに滞在した記録、未刊行のデッサン集を残す。Revue des Deusx Mondes 紙やRevue de l'Anjou紙などに寄稿する。ウージェヌ・ブルヌフによってコレージュ・ド・フランスの教授に推挙され、そこで言語学やサンスクリット文学を教える。その後、西カトリック大学にて教鞭をとり、東洋文学・言語学を教える。

伯父に受けたロマン主義的な教育がのちにパヴィを旅へと駆り立てる。特にシャトーブリアンの著作に影響を受ける。1828年に初めての海外旅行でロンドンへ。その後、北アメリカ、カナリア諸島、エジプト、インド、レユニオン島などに出かける。

主な著作には『黒‐黄色人種狩り(1845)』がある。これはレユニオン島における奴隷狩りの問題を扱ったものである。

…とまあ、こんなものでしょうか。
彼がどのような思想を持って行動していたかに関しては、Wiki を見た限りではなんとも言えないところです。旅行していた範囲からして、いわゆる「オリエンタリズム」と良くも悪くも縁のある作家だと想像されます。もっとも即断は禁物、きちんと原文を読んで、内容を消化してはじめて、人物の評価を下すことができるでしょう。

現在私が翻訳しているのは、『Les Harvis de l'Egypte et les jongleurs de l'Inde』と題された1839年発表の短い文章です。一読してなかなか面白いなと思ったので、ちょっと翻訳する気になりました。
とりあえず今はこの翻訳を頑張って、完成次第、このブログに載せるつもりです。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
写真について語ることなんてなにもねぇ!

2012年4月16日月曜日

nouveau roman 考察――視覚小説誕生の理由

おはようございます。

少し前にクロード・シモンの新しい翻訳が出て興奮したって話を少ししました。

彼、クロード・シモンは文学史的な流れの中に置いて見ると、いわゆる「nouveau roman / ヌーヴォー・ロマン(新しい小説)」と呼ばれた面々に属します。彼はロブ・グリエと並んで、もっともヌーヴォー・ロマン的な作家だったと、私は思います。

予断になりますが、第二次大戦後のこの頃は、他にも「nouvelle vague」やら「nouvelle critique」やら、果ては「nouvelle cuisine」にいたるまで、とにかくなんにでも「nouveau, nouvelle (新しい)」の形容詞がつけられた時代でした。それもいまや50年以上昔のことになってしまいました。なんともまぁ。

さて、ヌーヴォーロマンのひとつの側面として、非常に「視覚的」な小説だということがあげられます。特に前に挙げた二人は。逆に物語性に乏しく、あまりにも視覚的に突出してるがゆえに、現在(そして過去も)十分な読者を得られなかった、と思われます。今回は、なぜヌーヴォーロマンがフランスで誕生したか、について考えたいと思います。

目に見えているものを淡々と描いていく、それが視覚小説の定義だとすると、どうしてもそこに「見る人」の存在が現れてきます。

その存在を隠そうとすればするほど露わになってきて、その人物が抱く感情の揺らぎが見え方に影響を及ぼす。つまるところ、視覚小説の根本には、「私とは誰か」といった、哲学の基本的命題が横たわっているということができます。

ただこれだけではフランスで、視覚小説が発展した理由にはならない。
思うに、フランスで(フランス語で)視覚的に書くことは、逆説的ですが非常に物語性豊かなのではないかと。なぜというに、フランス語の名詞のすべてには性別があるから。男性名詞と女性名詞ってやつです。

男と女がいるところ、すべからく物語が存在する。例えば「紙上で交わった垂直線と水平線」という文章があるとします。日本語で読むと特になんてことのない文章ですが、フランス語では垂直は男性名詞、水平は女性名詞なわけです。これを代名詞にするなら、人間と変わらぬ彼(il)と彼女(elle)となるわけです。

だから、前の文章を少し変換すると、「彼と彼女は紙上で出会った」と読み変えられる。こうなるとただの情報が物語に変化してる、と言えるでしょう。

ここまでくると、ヌーヴォーロマンや次の世代の作家たちが言葉を問題にしたのも良く理解できます。見ること、それを小説化するときに生じる物語。なんともぜいたくな悩みだと思うのは、私が彼らの文学に陶酔しているからでしょうか。

いずれ近いうちに原書で読み、日本語では隠された物語を読んでみたいものです。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
画像の選択がどんどんいい加減になってる今日この頃。

2012年4月12日木曜日

Offrande / 捧げもの

OFFRANDE / 捧げもの

あらかじめ用意された微笑みは
いずれ死者になるであろう僕らのためのもの
テーブルの上の僅かなパン
家の周囲に。
長い一本の遊歩道は
南を出迎える
それはまるで微動だにしない未来に対する
移ろいやすいオマージュみたい。
島々の果実を摘み採るために
僕らが海の上を
ブラジルのほうへと伸ばした腕は
地上のすべてを要約する、
僕らがいずれそうなるであろう死者に
それは僅かな土くれにすぎないだろうけど、
今なら前もって愉しんでおける、
僕らの知性と
死に対する恐怖、
死の甘美さをごたまぜにして。


おはようございます。

毎月恒例のようになった、シュペルヴィエルの翻訳詩です。今回から原文を省略してみましたが、いかがでしょうか?今まで読みにくいなぁと思いつつ、誰かが誤訳を指摘してくれるのではという儚い望みを抱いて原文も表記していたのですが、どうやら夢は夢のまま終わりそうです。

今回の詩のタイトルは『Offrande / 捧げもの』。「贈りもの」と訳すこともできたのでしょうが、ここではいずれそうなるであろう死者に対する Offrande と解釈しました。

この詩の特徴は語の反復と対比でしょう。私の拙い日本語訳でもなんとなくわかってもらえると思いますが、「僅かな」や「あらかじめ、前もって」、それに「いずれそうなるであろう~」といった語が繰り返されています(あらかじめ、と、前もっては別の語ですが)。
また「微動だにしない」と「移ろいやすい」、「すべて」と「僅かな」などの対比も目立ちます。
マクロな世界をミクロな事物の中に見出す、実にシュペルヴィエルらしい詩だと思います。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
ノーコメント。

2012年4月11日水曜日

まるで子供だ。

おはようございます。

久しぶりに仕事関係の話でも。

今年度は介護保険改正・介護報酬改定の年ということで、年度の切り替えの際には例年にも増して大変だったようです(ようです、というのは現在の私がそのような案件に全く関わっていないからで)。

で、どのように変更になったか。

変更点を具体的にわかりやすく説明するのも専門家の仕事だと思うのですが、なかなかわかりやすく説明してる本ってありませんね。「小難しく書けばそれだけ偉そうに見える」って心理が働いているのではないか、と邪推してしまうレベルです。

まあ、そんなわけでここはひとつ、この私が簡単に説明してみたいと思います。
主な変更点は次の通り――

・ 全体的に介護報酬(利用する側は支払額)が僅かに減った。
・ その代わりに様々な区分がいままでより細かくなった。
・ 加えて、付加サービスも細分化され、その一つ一つに追加サービス料が発生する(以前もそうだったのですが、私の見たところ、追加料金の発生する案件が増えた、という印象)。
・ 介護職員処遇改善交付金がなくなり、介護職員処遇改善加算になった。端的に言うと、一か月の給料が一万円くらい下がることに。
・ 定期巡回サービスの開始。

といったところでしょうか。

今回の改定が改善か改悪かはやってみないとわからないところはあると思いますが、私が見て、この10日ほど働いて感じたことを述べるなら、自宅で要介護者を見ている家族にとってはプラスになることが多いのかな、と。
それに対して、介護従事者、実際に介護を受ける人にとってはあまり好ましくない変更のように思われます。

まあしかし、介護保険の改定や、消費税増税に関する議論を見聞きするたびに、「世代間不公平」について考えずにはいれないのは私だけではないでしょう。にもかかわらず、この点に関する議論はほとんど公にされない気がします。

触れなければ誰も気づかないだろう、迎合すれば大衆はついてくるだろう、と考える政治家の浅はかさ。見るたびに、「お前ら子供か!?」と突っ込みたくなることばかりですね。

今回は愚痴まみれでした。次回からまたいつもの通りに。

では、また。
Au revoir, a la prochaine fois!
まるで子供だ!

2012年4月5日木曜日

アメリカ人は糞真面目?

おはようございます。

昨日、仕事帰りに本屋に立ち寄ったらクロード・シモンの新しい翻訳が何十年ぶりかで出版されていて、興奮している私です。しかも『農耕詩』ですよ、どうしますか?もう一週間ぐらい仕事休んじゃいますか?真剣に有給を使ってシモンの世界に浸ろうか、熟考中です。

そんなわけで、昨日は風呂に入りながらヌーヴォー・ロマンの面々やその他さまざまな文学について考えていたのですが、いつも私が引っ掛かる点があって、それは
「なぜアメリカ文学は肌に合わないのだろう」
ということなんです。

現在一番翻訳されており、優秀な翻訳者や紹介者を抱えているのもアメリカに違いないのですが、どうも自分にしっくりこない。あらかじめ言っておきますが、これは作品の質が低いとか、面白くない、とかそういうことではありません。あくまで自分の、「お気に入り」にアメリカ文学が入らない、ということです。で、今回はその理由を探ろうと。

アメリカ文学の父、マーク・トゥエインから始まり、「ロスト・ジェネレーション」、「ビートニク」を経て、トマス・ピンチョンに至るまで、もちろんそのすべてを網羅した読書を行っているわけではありませんが、この作者の作品は全部読む、って作家は皆無です(例外はフォークナー。しかしそのフォークナーもアメリカで評価されず)。

なぜお気に入り作家が出てこないのか?
私が考えている理由はひとつ、 「笑いの糞真面目さ」 だと思います。

例えばトゥエイン。彼の笑いはあまりにも教訓的にすぎる。

「ロストジェネレーション」としてくくられる作家はあまり読んでいないので割愛。

ピンチョンの笑いはよく「破壊的」と表現されますが、そういってるのってけっこう年配の評論家だけな気がするんですよね。確かに時代が下った段階で読むのはフェアではないかもしれない。けれど今読んでなおかつ「破壊的な威力を持った笑い」と言えてしまうのは、ちょっと権威崇拝すぎるんではないでしょうか。
あざとすぎるんですよね、ピンチョンの笑いは。「どう、面白いでしょ?」って見せられてる感がある。ようはテレビなんかとおんなじで、もちろんそれも承知でやっているのでしょうが…。

「ビートニク」の笑いは好きなんですけどね、ケルアック、ギンズバーク、バロウズ。そこに付け加えるか悩むブローティガン。ただその笑いがドラッグなしにはありえなかったこと、「クスリがないと笑えない」悲壮さに泣けてきます。

まあようは、これらのアメリカ人作家の心理の根底に「糞真面目さ」があるんじゃないか、とまとめたかった、それだけです。

たぶんこれは私がフランスかぶれなだけで、フランス的ユーモア(humeur)に染まっているからで、アメリカかぶれの人にじゃあフランス的ユーモアってどんなんだよって突っ込まれても答えられないわけで、そもそも私にはアメリカ人の知人なんて一人もいないのでアメリカ人の性質について語る資格なんてあるわけもなく、とりあえず、フランスかぶれ= francophile って素晴らしい単語があるってことをここでお知らせしておきます。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
どんだけフランスびいきやねん!

2012年4月4日水曜日

映画 『シェイム SHAME』

―― À une amie cinéphile
おはようございます。

映画 『シェイム SHAME』 を観てきました。そんなわけでまずは、この動画をご覧ください。


「セックスを隠れ蓑に、男がひた隠しにする本当のシェイムとは…」

とまあ、こんなことを言われたら当然、「本当のシェイム」探しをしながら映画を見る羽目になってしまうでしょう。そして、見事に肩透かしをくらう。気になってネット上でGoogle検索「シェイム ネタばれ」 、いくつかヒットするもどれもイマイチ釈然としない。
となると、私も新たな解釈を付け加えて、今後観る人を混乱に陥れる一助を買ってもいいじゃない、ということでこの文章を書いているわけです。
また、この文章は私一人の解釈だけでなく、映画狂の友人の意見を多分に取り入れています。友人に感謝。ありがとう。

まだ観ていない人へ。この映画を本当に楽しみたいと思うのなら、「本当のシェイム」探しをしながら観るのはもったいないと思います。純粋にセックス依存症の男を描く作品として観るのが一番面白い。

*ここからネタばれ。内容について書きますので、観てない方は注意を。

まず家に何度もかかって来る電話。最初は関係を持った女性かと思いましたが、どうも母親らしい(根拠らしい根拠はない。妹と同じ表現「私よ」を使っていることからの推測。これがアイルランドなまりだったりするのかな)。で、主人公は会うことはおろか、話すことさえ拒んでいる。

それから妹の登場。電車を待つシーンなど、如何にも恋人同士の雰囲気であり、どうも兄と妹の近親相姦関係を暗示しているのですが、これは観客のミスリーディングを誘っているのではないか。理由は、過去にそのような関係があったとして、主人公の抱えているような闇の原因としては如何にも弱いこと、また今現在二人のあいだで近親相姦関係があったとして、別にそれを非難する謂われがなにもないこと、です。
しかし、二人のあいだに性的ほのめかしがあることは間違いない。

で、妹が兄の上司と性的関係を持つシーン。妹は兄のベッドで上司と交わり、兄は隣の部屋の隅でうずくまり、うろうろし、そして部屋を出る。そして少し後で出てくる「あなたには私と変態の上司しかいないのよ」というセリフ。なぜここは、「あなたには私しかいないのよ」ではないのか、が問題になると思います。また、「既婚」に対するいくつかの暗示。

ここで暗示されているのは、唯一映画内で一度も登場、言及されることのない「父親」の存在でしょう。そして上司は権威との関係で父親と等記号で結ばれる。

つまり、この状況が昔にも、家庭内で行われていた、父と妹の近親相姦、それを見ている兄、という構造。
で、これでもまだ「本当のシェイム」と呼ぶには弱いと思うのです。それだけなら「トラウマ」とは言えるでしょうが、「シェイム」ではない。

そういうわけでもう一点。主人公はそんな父親を模倣しようとしている節が伺えます。それは、高層ビルの窓にセックスをしている男女を見たあと、自分でも試み、実際に行うところ。あるいは父親のドンジュアン的性質を受け継ごうとしている点。

ここから、主人公は父親の立場になりたい=妹とのセックスを望んでいる、そんな自分を嫌悪している、という解釈が成り立ちます。

上述したような家庭環境にあり、妹と二人アイルランドからアメリカに移民してきた。妹はその過去のトラウマのせいか、頻繁にリストカットを行い、恋愛中毒になり、兄に依存する。ただしそこに恋愛感情はない。そんなことは考えられない。そんな妹を愛してしまう兄…。

とまあ、こんな解釈なら「本当のシェイム」として主人公が葛藤するのも納得できるのではないでしょうか?もっとも推測の部分が多く、確定はできません。そういう風に考えさせる映画になってます。これを見られた方、他にも面白い解釈がありましたら教えてください。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
 

2012年4月1日日曜日

近い記憶、遠い記憶

おはようございます。

今日から四月ですが、まったく関係のない話題を。

先日亡くなられたタブッキのことをしばしば思い出すのですが、といっても個人的に親交があったわけではもちろんなく、私が一方的に慕っていた(作者、読者の関係として)にすぎません。

一般的に私とタブッキの関係は、非常に遠いものだといえるでしょう。

この関係のもう一方の極に、私と祖父母の関係があります。
亡くなったのはもう4,5年前になるのですが、そのときから現在まで、時折思い出すことはあるものの、その影響力はタブッキの比ではありません。

こんなことを書くとなんとも薄情な人間と思われるかもしれませんが、人間案外そんなものなのではないでしょうか。

要は記憶の遠近法だと思うのです。

祖父母との記憶は小学、中学生以前のそれと結びついており、現在の自分からすると随分縁遠いものになっています。
その一方で、タブッキの記憶は、二十歳以降断続的に更新されており、ついこの間まで続いていた読書とその直後の急死によって、現在時の体験として受け止められています。

肉親の死よりも遠く離れた国の、会ったこともない人物の死のほうがよりいっそう身近に感じられる。なんとも不思議で、先祖崇拝からはかけ離れた感覚ですが、「そんなもんだ」と思うのでした。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
あいかわらず文章と全く関係のない写真。そんなもんだ。