2012年4月30日月曜日

反社会的であること

おはようございます。

今日はテオドール・パヴィの翻訳を一休みして、二人の友人と別々に話していたことについて。

一人目の友達と話していたのは、ついこの前起こった亀岡の無免許運転事故について。若いころにはなぜ反社会的行為に走るのか。大人になってそれを自慢するのはどういう心理か。

もう一人別の友人と話していたのは、現代における反社会的行為、むしろ反・行為ともいうべきものについて。今回はこの「反社会性」について考えたいと思います。

無免許運転や万引きに代表される反社会性とは、すなわち反・法律に他なりません。目の前に明確な順守すべき基準があり、それを犯すことは、自分にも他者にも危険を及ぼす。ここにはスリルを求める人間性が明らかだと思います。「チキンレース」がその最たる例でしょうか。

一方で、「ものを買わない」ことに代表されるような、反・行為は一見反社会的でないように思われます。しかしながらこれ以上に積極的な反資本主義的な行動は他にないでしょう。実際この行動の破壊性は、風評被害やその他の影響によって「買われなく」なってしまった商品のことを思えば、誰にも明らかになるでしょう。

この二つの反社会的行動を、能動、受動の軸で見ることも可能でしょう。

私がここで言いたいのは、この後者の反社会性が、二十一世紀の新しい価値基準を作りだすのではないか、ということです。

「使わない」ことが「使う=消費する」ことよりも評価されるような仕組みが作れないか。

現時点で早急に「使わないこと」をポジティブな価値基準とすべき分野が医療・福祉にあることは疑いなく、近未来的には、というよりもっとも顕在的なのが環境分野でしょう。

薬の使用量を減らすこと、病院に通院する回数が減ること、介護保険の給付限度額まで使用しないこと、車を「エコカー」に買い替える代わりに、自転車や公共機関に乗ること。本来評価されるべきこれらの行為(あるいは反・行為)が正当に評価されるとき、もしかするとこの行き過ぎた資本主義時代を良い方向に転換する、重要なターニングポイント、回転軸と成り得るのではないでしょうか。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!

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