2014年2月4日火曜日

アイルランドの不発弾――『第三の警官』

わかるよ、やりたいことはすげーよくわかる。でもその企み、上手くいってないよね。

1966年のエイプリル・フールに死去したアイルランドの作家、フラン・オブライエンの『第三の警官』。死の翌年に出版されると、「20世紀小説の前衛的手法とアイルランド的奇想が結びついた傑作として絶賛を浴びた」って書いてるけど、正直そんな立派なものじゃない。キャッチコピーなんて大半が誇大広告だろ。

概要を背表紙から拾ってみよう。

あの老人を殺したのはぼくなのです――出版資金ほしさに雇人と共謀して金持の老人を殺害した主人公は、いつしか三人の警官が管轄し、自転車人間の住む奇妙な世界に迷い込んでしまう。20世紀文学の前衛的手法、神話とノンセンス、アイルランド的幻想が渾然となった奇想小説。

いや、ドストエフスキーのパクリやん!なんて突っ込みはさておき、もう少しストーリーに触れると、老人を殺した主人公はその後、共犯者=雇人に嵌められて殺され、死後の世界をさまよう。彼は自分が死んでいることに気づかず、自分の体験が繰り返されていることも知りえない。

「果てしない反復」がこの本の主要なテーマであり、それは作中でも様々に表現される。
精巧な造りの箱の中には全く同じ箱が入っているし(大きさは一回り小さいけれど)、リフトに乗って訪れた来世では、「すべての部分は何度も反復されていて、どの場所も他の場所である」。自転車に乗って警官から逃れた主人公が行き着く先はもちろん、三次元のうち少なくとも一つが欠けている警察署だ。

まあでも、「自転車人間」の発想だけで、この作品は赦されている。死後の世界で重要な役割を担っている警官たちが最初に主人公に尋ねるのは自転車のことだし、その世界では自転車の盗難事件が警官の対応する主な事件だ。なにより自転車を常用するがゆえに、自転車と人間とのあいだで原子交換が行われ、体の40%自転車の自転車人間や、車体の60%が人間の人間自転車が刻々と生まれつつある。まさにチャリンコ乗りたちのエルドラドだ。

無限の迷宮からミノタウロスのイメージを浮かべるが、正確にはこれは現代のケンタウロスたちにあてたオード / 頌歌 だ。出来は決してよくないけれど、同類に寄せられた賛歌を聞いて、悪い気のする人はいない。

現代のケンタウロス、タイヤの描く無限の円環のなかでミノタウロスを飼う。

Au revoir et a bientot !

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