『Une bonne raison de se tuer』 はそんな熱狂の大統領選当日を生きた、二人の人物に焦点を当てる。一人は Laura 。人生嫌気が差した彼女はその日、特に理由もないのに死ぬことを決意する。もう一人は Samuel 。別れた妻とのあいだにできた一人息子が自殺し、苦悩する男だ。
現代フランスの作家、Philippe Besson はそんな二人の一日を交互に交えて描き出す。文学的手法に凝っているわけではない。二人がそれぞれに生きた一日を淡々と描き出す。

そんなとき、手元にある拳銃の、人間性を離れた卑劣さは魅力的だ。それは容易に生と死のあいだに横たわるためらいを乗り越えてくれる。朝、彼女は夜に死のうと決意する。
Samuel の息子の死には理由がある。そしてそれは、より理解しやすいように思える。彼は自分の好きな子に級友の前ですげなくされた。その恥辱は思春期真っ只中の彼にとって耐え難いものだった。そう彼の級友は主張する。
だがそれは、一人の大人を納得させない。たとえそれが、息子にとっての真実だったとしても、父親である彼は、別の真実を求めざるを得ない。そんなことで死ぬなんて!
物語の最後に二人は出会う。河の向こう岸にむかうフェリーの中で。互いにかすかな共感を覚えるが、話しかけはしない。当然だ、二人はそれまで一度も出会ったことのない、赤の他人同士なのだから。お互いがお互いに、相手の生に干渉するだけの力を持たない。アメリカ初の黒人大統領誕生を祝う爆竹の音の背後で、銃声が鳴る。だがそれは、誰の関心も惹き得ない。ついさっきまで一緒にいた Samuel さえも。
これは生と死の物語だ、もちろん。人の人生を語る以上どんな物語だってそうだ、と人は言うかもしれない。なるほどそうだ。だが、この作品のように、生と死が人の想像するよりはるかに身近で、曖昧なものであると指摘する物語は少ない。彼ら二人の物語が交互に紡がれるように、人の一生にも死の瞬間が幾度となく顔をのぞかせる。Laura は死を選び、Samuel は死ななかった。だが二人にどれだけの違いがあったろう?たまたまだ。たまたま彼女は死に、彼は生きた。
物語の背景に流れる大統領選の熱狂と華やかさが、ひどく虚しく思えてくる。「私になんの関係がある?」そう叫ぶ彼らの声に、誰か答えてくれないか。
Au revoir et a bientot !
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