今読んでいるトマス・ピンチョンの『LA ヴァイス』は、70年代初頭、ヒッピー文化未だ盛んなロスを描いた物語だ。今ここでストーリーには触れないが、そうしたコードに恐ろしく意図的な作品である、とだけ言っておこう。
さて、アメリカでヒッピー文化華やかなりし頃、ヨーロッパではそれと対を成すような形で共産主義思想が栄えていた。
当時の知識人といえば、共産主義者であるかそうでないかの二択きりで、「読んだこともない」人間はすなわち、知識階級から外れていることを意味した。まぁ、私の勝手な想像だが。
そんな当時のイタリアを生き生きと描いた映画、『シチリア!シチリア!』を先日DVDで見た。監督はジュゼッペ・トルナトーレ。シチリア島の小さな町、バーリアに生まれたペッピーノの生を、その父と子どもの3代に跨って描く、151分の長編だ。
この映画最大の魅力は、時代の雰囲気を存分に味わえることだ。短く細切れにされた各シーンが、そこで切り取られた時代ごとに、異なる人々の表情や生き方を映し出す。現代を生きるだけでは決して味わうことのできないものを見せてくれる。

一方その意図に関しては理解できる。3世代およそ60~70年ほどの期間を描こうと思えば、どうしてもひとつひとつのエピソードを掘り下げるのは難しいし、何より映画監督が、一人の人間の一生を描く、というだけでなく、それに付随した時代、土地の移り変わりをも描写したいと意図しているのだから当然だ。
これはペッピーノの一生を描いた作品というよりは、一人の人間が生きたバーリアという土地と、その上を過ぎていった時代を描いた作品である。土地の記憶を、一人の人間を通して描き出している、と言い換えてもいい。
ところで映画の最後のシーン、冒頭で居眠りしていた少年時代のペッピーノが目覚めると、21世紀のバーリアにいる。ときに記憶は思わぬところで隆起し、他の時代と交じり合う。それがその場面に表されているとしても、そんなのは間違いなく蛇足だ。
Au reovoir et à bientôt !
0 件のコメント:
コメントを投稿