2012年3月18日日曜日

人生は短く、読書は長い

おはようございます。

このところ、『失われた時を求めて』を読むのを一時中断して、イタリアの作家、アントニオ・タブッキの本を読み連ねています。

つい先日翻訳本が発売された、『時は老いをいそぐ』から『他人まかせの自伝』へ、そこから『レクイエム』、『供述によるとペレイラは…』、『さかさまゲーム』…と繋がっていく一連なり。
その、一冊一冊に直接の関係はないけれど、全体として見るとまぎれもなくひとつのテーマで緩やかに結ばれている読書。
読むという行為がタブッキの小説世界をなぞる、まさしく『さかさまゲーム』と言えるでしょう。

このように、作者が読者の読書に直接的な介入を行うような体験もまた、読書の愉しみの一つでしょう。

さて。最近「すべての本を読むわけにはいかない」という、ごく当たり前のことにようやく気付きまして、人生の残り時間と本の数とを比較して、時間の少なさに絶望したりするわけです。
どう考えてみても、自分が読もうと思っている、またこれから出会って読むつもりである本のすべてを読み終える時間はないのです。

これって、結構ショッキングな事実ではないでしょうか。

まぁ、頭では分かっていたのですが、実際にこうして目の当たりにしてしまうと、軽く絶望してしまいます。

じゃあどうするか。といっても、たとえ読書に費やす時間を増やすことはできるにしても、人生の期限を延長するにはいかず、つまるところ読む本を限るしか方法がないことになります。

限られた時間で如何に有意義な読書体験ができるか。そのためには本の選別が必要になります。
今思うのは、「読むべき」本など読まなくていい、ということです。

30年も生きていれば、「べき」という他人から借用した価値観に頼らずとも、自分の中に本を選ぶそれなりの基準ができているものです。
どんなに偉そうな大家と呼ばれる人が、「この本は読むべきだ」と言ったって、惹かれなければ読む必要なんて微塵もないのです。その「惹かれない」、という自分の直観のほうが、こと限られた人生の読書に関しては正しい、と私は声を大にして言いたいわけです。

さあ、自分の好きな本を読もう!

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!

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