2012年2月27日月曜日

落ち武者考――共有化されたイメージ

ご無沙汰してます。

昨日、一昨日と久しぶりの連休でして、一昨日はプラネタリウムに、昨日は動物園にとまぁ休日を満喫したわけですが、動物園で面白い場面に遭遇したので、今日はその話を。

それは、オラウータンの赤ちゃんが入った檻の前での出来事。
若い男女のカップルがグループで一緒に見入ってて、はしゃぎながら、その中の女の子が一言、
「落ち武者みたい!」

で、まぁそのグループで笑いが湧いて、私はそれを見つめていたわけですよ。室外機の隣に放置されたゴリラの等身大模型と並んで。

そのとき思ったのは、その表現が面白いとか面白くないとか、そういうことじゃなくて、「落ち武者」のイメージの定型化、加えてそれを利用した定型化されたずらし方です。

その女の子はオラウータンの頭(髪)を見てそういったわけですが、この落ち武者=禿頭で蓬髪というイメージが現代では共有されていて、なおかつそれが笑いの場で使われることが前提となっているわけです。

これと併せて思い出されるのが、「小さいオッサン」目撃譚です。

二十代の女の子で、「小さいオッサンを見たことがある」と言い張る人が、あなたの身の回りにも一人や二人いるでしょう。
明らかにこれも文化的現象で、というのは十年前にはこんなことをのたまっていた人間は(少なくとも私の周りには)存在しなかったわけです。

ではどうしてそういう人間が出てきたか?と言われると、そこはシュルレアリスムの大家、ブルトン先生にお出ましいただくしかないのですが、要は人間の想像力というのは、「集団で見る夢」なんでしょうね。

テレビやネットで流布したイメージが人々の無意識下に潜り込み、自分の経験自体をイメージのほうに近づける。妖怪たちが絶滅したのも、社会集団がその夢を共有しなくなったからに他ならないでしょう。人間の想像力とは実に不思議な働きをするものです。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
それにしてもパンダはかわいいなぁ。


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