2012年10月27日土曜日

Paris / パリ 魂の実家

10/11 Avignon 12:26 - Paris 15:10

もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。
――アーネスト・ヘミングウェイ

ヘミングウェイは好きじゃないが、このフレーズはいいよね。より正確にはヘミングウェイの小説は嫌いじゃない。ただ、若き日々の回想録ともいうべきこの本が糞なだけだ。まぁ大抵、死後発表の作品には碌なものがない。作者の意図に反するからだ。

冒頭を飾るこの言葉が示す通り、私もパリに惹きつけられた大勢の一人だ。この4年間で3回、日数にして10日ほどパリに滞在した。これは日本も含め、他のどの都市よりも多い。実家に帰った日数よりも。

この街の魅力はなにか?回想録で取り上げられる1920年代のパリで重要な役割を果たし、今もセーヌの左岸に現存する、シェイクスピア書店に象徴される文化と歴史。それがフランスの最大の武器であることは言を待たない。

フランスにおいてもパリは特別な場所だ。そこは文化や歴史、更には政治、経済の中心であるともに、ヨーロッパの中心でもある。

パリにいると、交通の要諦としてどれだけ重要な位置をしめているか、旅行者の身にも感じられる。アメリカは人種の坩堝だとよくいわれるが、それを地理的・歴史的に圧縮した都市といえるだろう。

ここにあるもので、純粋なものなどひとつとして存在しない。そう言い切ってしまいたくなるほど、この街には文化や人が流入してきた。それらは混ざり合い、やがて境界線を曖昧にしていき、独自のものを形作る。

「エコール・ド・パリ」と呼ばれた画家たちのほとんどはパリ、フランスの外から来て、パリで育った、育てられたものたちだ。スーチン、藤田嗣治、モディリアニ…。ここにピカソを加えることもできるだろう。出自は違えど、彼らは疑いもなく「パリの」画家だ。画家たちにとって、パリは学び、成長するための学校のような場所だったろう。

パリは学校。そのたとえが適切だとしよう。そしてもし冒頭のヘミングウェイの言葉を時間軸の方向に切りとるとすれば、どんなときにも立ち返るところだ、ということになる。つまり、人生の各時点で、がむしゃらに学び続けた若かりし頃を思い出せ、という意味にもなる。

つまるところパリは、青春の夢や野心と切り離すことのできない都市なのだ。そしてそれは、その後の人生の拠り所となるべき場所。人生の行く先々で付きまとい、悩み苦しんでいるときにパリはこう語りかける、「君に立ち返るべきパリはあるかい?」と。

パリは夢、野望。でも一時のものじゃない。それは何度でも立ち返る場所、魂の実家なのだ。

夜のエッフェル塔。実ははじめて見た。

...La prochaine destination ☛ Musée du Louvre

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