2013年7月28日日曜日

小粋なクリスマスプレゼント

親愛なる友へ / cher ami

僕としたことがついかっとなってあんなことを言ってしまった。君のことを非難するつもりはなかった。僕のこの言葉を君なら信じてくれるものと思う。なるほど、二人の考え方は大きく違う。それは僕だって認める。でも今僕らが、ともに、直面している問題と、それを解決することで開ける新しい世界のヴィジョンは共通しているのだ。どうして仲たがいする必要があろう、僕らは血を分けた兄弟みたいなものだ。こんなことで二人の友情が終わりになることはないと信じている。

ともかく今日は、われらが主の誕生を祝おう。ささやかだがこれは僕から君へのプレゼントだ。君がこれを、和解のために伸ばされた手だと、悪意を持って捉えることはないと信じている。だって僕らは、結局のところ、仲たがいをしたのではないのだから。そうだろう?

なにはともあれ メリークリスマス!/ Joyeux Noel !

――いつまでも君に忠実な友より

昨夜の激しい言い争いから数時間とせず届けられたクリスマスプレゼント。粗末な木製の箱の上に、小石を重しに置かれた手紙は、むき出しのままミストラルに震えていた。

アルルの街並み
読み終えた手紙を手に、男はふっと息を吐いた。昨日、彼の態度は許しがたいものだった。侮辱された、と男は思った。加えて今日のこの手紙。彼に羞恥心や反省を求めるのは難しい、頭ではわかってはいても、納得はできない。クリスマスにおよそふさわしくない、粗野な造りの木箱のふたに、彼のふざけた笑い顔が、刻印されたかのように浮かんで見えた。

昨夜の彼の態度は我慢ならない。俺がもう少し若ければその場で決闘を申し込んでいたかもしれない。だが俺も、少しばかり熱くなりすぎた。世間知らずの白痴に向かって、言うべきでないことを言ったのも確かだ。話の舵取りを任せられていたのは年長者たるこの俺ではなかったか・・・。

男の顔に微笑が浮かんだ。株式仲買人だった男の過去が表情筋の上を無意識の電気信号となって走り抜けた。

木箱をゆすると、軽く乾いたものの擦れる音がした。開けてみると、彼が普段使っているデッサン用紙が、丸められて緩衝材代わりに詰め込まれていた。他人への贈り物をくずかご代わりに使ったらしい、皺のよったデッサン用紙の上で、いくつもの線が予期せぬ箇所で交じり合い、新たな面を作っていた。その上から滴った赤が、また別の次元を、奥行きを、襞のあいだに隠れた神秘を暗示していた。視線は自然に、用紙の真ん中に収められた、贈り物に引き寄せられた。

それは切りとられたばかりの男の右耳だった。

奇天烈なエピソードに彩られたフィンセント・ファン・ゴッホの人生も、1890年7月27日から29日にかけて終わりを迎える。終生売れない画家であったゴッホは人生に嫌気がさし、自らの胸に銃弾を打ち込む。享年37歳。弟のテオだけが、生前彼の唯一の理解者であり、支援者であり、兄弟であり、そして終生変わることのない友だった。兄の死の半年後、あとを追うようにして命の火が消えてしまう。享年34歳。ゴッホの絵画が売れ始めるのは以降、兄弟のあずかり知らぬところでだった。

Au revoir et a bientot !

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