2013年7月4日木曜日

ポケットの中の世界

どんな地方にもヒーローはいる。

その地方の出身ではなくても、なにかしらの縁があれば、地元の誇りとして喜ぶ。どこもそう変わりないだろう。

スポーツでは野球の松井秀喜、サッカー日本代表本田圭介。文学・思想界には泉鏡花に室生犀星、徳田秋声は脇に置いといて、鈴木大拙に西田幾多郎。それでも足りなければ井上靖なども加えることのできる石川県金沢市では、郷土愛を存分に発揮する機会がいくらでもある。彼らは一時金沢に住み、今も年に一度訪れる私にとっても、偏愛の対象となりうる。

まあでも、これはないわ。

講談社学術文庫に収められた鈴木大拙の『一禅者の思索』。最初2編の講演書き起こしはいいが、残りは短い雑感のたぐいを一冊にまとめただけで、かなり物足りない。これでは大拙の思想の全貌は知れないし、初めて氏の思想に触れる人に対しての入門書としても物足りない。

その学術文庫の巻末にはこんな文章が載せられている。

これは、学術をポケットに入れることをモットーとして生まれた文庫である。…こうした考え方は、学術を巨大な城のように見る世間の常識に反するかもしれない。また、一部の人たちからは、学術の権威をおとすものと非難されるかもしれない。…しかし、学術の権威を、その形の上だけで判断してはならない。その生成のあとをかえりみれば、その根は常に人々の生活の中にあった。…学術文庫は、内外の迷信を打破し、学術のために新しい天地をひらく意図をもって生まれた。文庫という小さい形と、学術という壮大な城とが、完全に両立するためには、なおいくらかの時を必要とするであろう。しかし、学術をポケットにした社会が、人間の生活にとってより豊かな社会であることは、たしかである。
「講談社学術文庫」の刊行に当たって

学問を城にたとえるとき、私の頭にはカフカの『城』が浮かんだ。近くにあるのに手が届かない対象、というだけではない。人間の執着と怨嗟と、その他多様な感情の働きを詰め込んだ、巨大な一個の生き物のようなそれだ。やがてそれは、他所者であったKをも巻き込み、その内側に取り込んで、巨大な城の一部となる。

学問は巨大な城だ。それはそのまま人類の歴史だから。すべてを渉猟するのは不可能だ。君の歩みよりも早く、どこかで新たな城壁が築かれる。誰もがその築城に参する一員だ。俯瞰してみればこのブログを書いている私も、どこかの一隅で砂の城を作る子供の一人には数えられるだろう。

本は地図であり、同時に入口だ。読み込むことで世界の住人となる。レメディオス・バロの世界の住人が刺繍するマントには窓があり、外の世界に向けて開かれている。
地図はポケットになければ意味がない。ポケットは世界へと繋がっているのだ。

Au revoir et à bientôt !
 

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