6月末に初めて京セラドームに野球観戦に行って以来、すっかりオリックス・バファローズのファンだ。
なぜオリックスかって?近いからさ。
地理的な距離だけでない。神戸に越してきて2年、四国の田舎町に生まれた私にとって、ホームタウンのチームってのは憧れの対象だ。
兵庫には阪神タイガースがあるやん、って違うんですよ。確かに京セラドームに行くより甲子園のほうが近い。でもあれは、神戸のチームじゃない。たとえ地元神戸っこのほとんどが、オリックスブルーウェーブが神戸にあった当時から阪神ファンだという事実を前にしても、私の確信は揺らがない。チームカラーといい、球団を取り巻く環境といい、オリックスが神戸のホームチームなのだ。近鉄バファローズと合併して、大阪がホームタウンだと球団自身が明言していても。
それにしても人はなぜ、プロ野球ファンになるのだろう。アイドル、サッカー選手、もしかすると作家・・・。ある特定の個人のファンになるというのとは、なにか別のものがあるのではないか。
あるチームを応援するとき、人は見返りを求める。チームの勝利を求める。オリックスファンになって以降、さまざまなブログを読んできた。いろんな人が監督の戦術や選手起用を批判する。だが、無意味だ。どれだけ考えても、妙案があっても、それが採用されることはない。球団はファンはチームの一員だというけれど、君の提案は聞こえない。それってむなしくないかい?
そんな感情を超越したところに、ファン心理は存在するのだろうか。あるいはなんともならないこのもどかしさを愉しんでいるのがファンと呼べる存在なのか。オリックス・バファローズの応援を始めて僅か二ヶ月の私には到底知る由もない。
おそらくファン心理とは、必然と偶然、確率と直感が入り混じる混沌とした野球場の中でも、もっとも理解しがたい要素のひとつだろう。
ファン心理は混沌とした数多の素材から成る、スタジアムの外壁である。
Au revoir et a bientot !
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次から文学の話。パリのカフェ2009年撮影 |
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