2013年12月9日月曜日

金沢懐古――小立野

いくつもの急坂が、丘の上に向けて登っていく。季節を問わずしばしば、私は、確かなアテもなくそのうちの一本を歩いたものだ。道端の残雪と雪の重みでしなった竹が道幅を狭めている。コートの下で汗ばんだ体を休めようと立ち止まり、振り返ると今は下に見える家々の屋根にも、真っ白な形さまざまな絨毯が敷かれていて、それは靴を浸透して足裏を濡らす物質と、同じものとは思われない。


「金沢は日本一電線の似合う街だ」 兼六園から卯辰山のほうを見て三島由紀夫は思った。この感慨を私はあまり共有しない / できない がしかし、緩やかなものからそれこそ八坂のような急坂まで、実に多種多様な坂の、高低差によって生じる視角のズレと、そこから生じる景色の多様さは、かつてこの地に住んでいたものとしては、日本一だと誇りたい。

ズレは地形だけにとどまらない。時間もまた、ここではズレを見せる。21世紀の今を流れる現在時のあいだを時折、昭和や明治の過去の時間が流れ込む。

たとえば東茶屋街や武家屋敷。どちらも街中を歩いているとなんの前触れもなく現れる。観光客にあまり人気がないが、西茶屋街にいたっては、寂れた野町商店街から横道一本入ったところにある。その先を進んでいくと、北鉄石川線の野町駅が、ひっそりと佇んでいる。鶴来まで行くこの電車、車社会のこの都市で今も走っているのかどうか。

あるいは小立野台地から浅野川を挟んだ向かいにある卯辰山の山頂。そこにはかつて、クジラが棲んでいたという。

なんのことはない、それはいしかわ動物園の水族館の屋上に鎮座するマッコウクジラのモルタル像。とはいえ、山の頂にクジラの姿が見えるその異様は、なかなかにロマンを感じさせるものだった。

とはいえ、いしかわ動物園は1999年頃、別所に移動しており、21世紀にはすでに、卯辰山頂には跡地しか残っていなかった。卯辰山が裏山みたいなものだった大学時代の私が見たクジラは、人から聞いた話を餌に大きく育った夢の産物だっただろうか。

金沢に行くことがあれば、『四季こもごも』という本を買うといい(橋本確文堂という地方出版社が出している)。あそこには金沢の街と坂のすべてがある。私も金沢を去る直前にこの本を買ったが、自分の記憶を補強、歪曲するのにずいぶんとお世話になった。

どうでもいい自慢をさせてもらうと、私はこの本の第二章、サカロジー――金沢の坂――に出てくるほとんどすべての坂を踏破している。昔はよく歩いたものだ。足が覚えたその記憶があるからこそ、この本がよりいとおしく感じるのかもしれない。

冒頭の文章も小立野に上るある坂をイメージしている。同書「馬坂」の項より、泉鏡花作『高野聖』の最後の一文を孫引きして、この文章を終わりにしよう。


ちらちらと雪の降る中を次第に高く坂道を上る聖の姿。恰も雲に駕してゆくように見えたのである

Au revoir et a bientot !

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