2013年6月28日金曜日

ノーベル文学賞作家によるエロ小説

…性は民主的にはなりえない。それは選民的、貴族的であり、たがいに同意をしたうえでのある種の専制主義があって成り立つものである。
『ドン・リゴベルトの手帖 p.318』

人間の記憶なんてものは実に曖昧なものだ。クンデラのものだと確信していた文章に、リョサの小説内で出会う。前々回にも言ったように、今読み終えた本の内容すら、要約するのは容易じゃない。

つい先日、マリオ・バルガス=リョサの『ドン・リゴベルトの手帖』を読み終えたのだが、すでに内容の大半を忘れてしまっている。

それにしてもなんとまぁ、大仰な作品だろう。明らかに前作『継母礼讃』のほうが、小説としての完成度も物語性も高い。正直何度か途中で投げ出そうと思った。

物語は前作、息子フォンチートの(悪意のない)戯れによって、別居生活を余儀なくされたリゴベルトとルクレシア。二人がいかにしてヨリを戻すのか、それが物語の大枠だ。

それだけでは文庫400p 近くにもわたって書き続けられるはずがない。その間隙を埋めているのが、エゴン・シーレの素描を中心とした絵画のイメージだ。

リゴベルトが空想する、絵画のイメージの実現。それは絵画の登場人物のポーズを模倣することによって現実化する。読者は、彼の、そして息子フォンチートの奔放でエロティックな幻想を、心ゆくまで堪能すれば良い。だが正直にいって、このイメージ自体前作のほうが優れている、と言わざるを得ないのだけれど。

知的な大人だけがなし得る性的遊戯がここにある。これぞエロスだ。プレイボーイ誌の固定したイメージにはマネできないエロ。

エロスとはつまるところ、想像力の飛翔だ。女性の裸体に勃起する性器に災いあれ。人間を動物と分かつものは極限すればこのイメージの力に限られる。

固定化したイメージ、シチュエーションを楽しむのも時にはいい。もっともそれは、高級料亭の味を知った者が食べる、280円の牛丼であり、頽廃的な趣味だ。たまにはいいね、でも食えたもんじゃないね――エロ本やAVなんてみんな同じだ、とリョサは言う。

そうだ、空想にもっと自由を。飛翔せよ、我が幾千万の精子たち。時は来たれり。

Au revoir et à bientôt ! 
『継母礼讃』とアフォガート。至高の組み合わせだ…

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