2013年6月20日木曜日

足りない「なにか」を埋め合わせるもの

「おとといは兎を見たわ、きのうは鹿、今日はあなた」。

「ロバート・F・ヤング永遠の名作」と帯広告に銘打たれたこの作品、今年5月30日に初版が発行され、既に3版を重ねているのは、海外文学ジャンルにおいては極めて異例なことだ。

もちろんこれにはタネがある。どうやら『ビブリア古書堂の事件手帖』とやらに同作が登場している模様。ライトミステリ系の作品で400万部突破、今年1月にはテレビドラマ化もされたようだ。なるほど。本と本とを繋ぐ道はどんな形でも構わない。殊にこのような形で人気が出て、絶版本が再刊されるような運びとなれば、一読者として悪いことなど一つもない。

『たんぽぽ娘』は河出書房の奇想コレクションから発売。2003年に刊行が始まったシリーズで、同作をもって全20冊完結した。内容は海外のSF、ファンタジーを主としている。

当時私は書店に勤めており、松尾たいこ氏によるカバー絵がひどく印象的だったのを覚えている。

シリーズで他に読んだのは、のちに文庫化されたシオドア・スタージョンの3作、『不思議のひと触れ』、『輝く断片』、『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』のみで、この4作だけでこのシリーズ全体を、更にはSFを語るのはおこがましい。

それでもあえて言わせてもらおう、SFってやつには「なにか」が足りない、と。

私もSFでは嫌いではなく、ある程度(本当に!)は読んできているつもりだが、これまでSFで「名作」と呼ばれるもので、二度読み返したものはない(例外はカート・ヴォネガッド・Jr の『スローターハウス5』)。

理由としては、このシリーズのように作品の多くが、その面白さの大部分を「奇想」に負っており、それを堪能してしまったら、後には何も残らない。

じゃあ、それが悪いか、といえばそんなことはなく、むしろ大歓迎だ。『たんぽぽ娘』も私は結構好きだぜ。もちろん、「永遠の名作」なんて言葉は少しばかり盛りすぎた、とは思うけれど。

この作品集で優れているのは表題作と、ラストの『ジャンヌの弓』。どちらもSF的小道具を上手く使って、人間性を、より正確には恋の素晴らしさを賛美している。とりわけ後者の作品は、すべての道具立てが巧妙に組み合わされて使われており、ラストシーンは感動的ですらある。

確かに、私にとってSFとは「なにか」物足りなさを感じさせるジャンルだ。だがそれを埋め合わせる要素もここにはちゃんと入っている。それは、失われた楽園=青春への限りない憧憬だ。

Au revoir et à bientôt !
 

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