2013年5月13日月曜日

ときに権力は英断を下す

教皇ユリウス2世の慧眼をこそ、褒め称えるべきであろうか。

仕事を任されたとき、青年は未だ一枚の絵画しか完成させていなかった。本人には画家としてよりも、彫刻家としての矜持が勝った。
それでも4年の歳月の後に作品は完成し、いみじくも伝記史家ヴァザーリが予言した通り、今日まで西洋美術界の頂点にあり続けている。

1475年3月6日、現在のトスカーナ州アレッツォ近郊に生まれると、幼少期をフィレンツェで過ごす。13歳でギルランダイオに弟子入りすると14歳のときにはすでに一人前の画家として認められていた。もちろんこれは、当時においても極めて異例のことだった。1489年にメディチ家から、もっともすぐれた弟子を二人推挙するように言われたギルランダイオは、わずか14歳のこの少年を推薦している。

1492年、後援者であったロレンツォ・デ・メディチが死去するまでそこで彫刻を学んだあと、1496年には枢機卿ラファエ・レ・リアーリオの招きに応じ、ローマに赴く。ときに21歳。

1497年には彫刻の代表作のひとつに数えられる『ピエタ』を製作。さらに1504年、29歳にして彼の人生においてのみならず西洋彫刻界においても頂点を極める『ダヴィデ像』を完成させている。

システィーナ礼拝堂の天井画を引き受け(させられ)たのは、ちょうどこの頃。彫刻家として栄華を極めていたときのことだ。1508年5月10日にしぶしぶながらも契約にサインし、その4年後に作品は完成する。

この巨大な絵の白眉はやはり、『アダムの創造』の一場面だろう。神が自ら創り上げた人間に、魂を吹き込もうとする瞬間を、触れ合う指先で表現したこの作品には、人類創造の瞬間に対する一点の疑念もない信仰が見てとれる。

余談だが、日本でも同天井画を見ることができる。徳島県鳴門市にある「大塚国際美術館」には、世界の名画100点以上の、原寸大の陶板が飾られている。システィーナ礼拝堂の天井画などはその展示法までも含めて、ほぼ完全に再現されている。

すでに彫刻家としての名声をほしいままにしていた彼が、ほとんど新たな試みとして絵画の分野に乗り出すことには、躊躇いもあっただろう。事実、彼自身は初めまったく乗り気ではなく、ローマから逃げ出すことまでしている。それでも最終的に完成した作品は、人類史上まれにみる傑作となった。それは、その作品があることで、人類の存在そのものが肯定される、そういった類のものだ。

ルネッサンス期に天才は数あれど、こう呼ばれるのは彼しかいない。ミケランジェロ・ブオナローティ、まさに「神に愛された男 / Il Divino」だ。

Au revoir et a bientot !
大塚国際美術館の天井画。原作を忠実に再現。かなり、いいです。
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