2012年7月5日木曜日

生活の幅は広がったか?

おはようございます。

今年は2012年、21世紀になってもう10年以上が経ったことになります。

10ねんもあれば、いろいろなことが代わるもので、私にとってとりわけ印象的な変化といえば、携帯電話やネット環境の劇的変化でしょうか。

後者に関していうと、今ではもはや当たり前になったネット上での動画の視聴が、10年前ではこれほど容易くなかったことを思い合わせると、まさに昔日の感があります。

また、前者に関して言えば、世紀の変わり目くらいがちょうど小中学生でさえ持つようになり、爆発的に普及した時期だと、認識しています。

これらはいずれも資本主義の恩恵、とまぁいうことができるでしょう。一方で、現在の商品交換スパンを見ていると、もはや資本主義は人間の手に負えないところまで来てしまっている、そんな印象も受けます。

そのひとつの指針として、私が提示したいのが、タイトルにもある、「生活の幅」。つまり人が生きていくうえで、どれだけの選択肢、可能性があるか、ということです。

一見すると、現代社会は無限の可能性を有した、素晴らしい社会と見えます。実際、一昔二昔前に較べると、ずいぶんといろいろなことができるようになっています。私がこんな風にブログという形で、世間一般に向けて発信することができる、というのも、昔は考えられないことでした。

その一方で、これだけ人と物とアイディアが自在に行き来する世界なのに、選択の幅が狭すぎる、ということもできるでしょう。

それは、用意されたレールの本数は増えたけれど、それ以外の道は歩行困難になった、とイメージすることができます。

携帯電話を例にとれば、今や機種変更の際、スマートフォン以外の選択肢をとることは、驚くべき困難を伴う、ということです。

もはや資本主義は人が生きるために使用するツールではなく、人が資本主義を増大させるための燃料資源なのだ、と考えてみても、あながち悲観的な意見とも思われないのです。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!

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