2012年7月7日土曜日

異邦人が街に住みつくとき

おはようございます。

『ユリイカ』6月号がアントニオ・タブッキ特集だったので購入しました。
以前に述べたように、タブッキはフェルナンド・ペソアの研究者であり、翻訳者でありました。

生涯を通してペソアに関心を持ち続けたタブッキですが、いったいペソアのなにが彼を惹きつけたのか。異名と呼ばれる数々の人物を創造し、全く異なる詩世界を作り上げたこと?――もちろんそれも理由のひとつでしょう。

事実タブッキは、中編『フェルナンド・ペソア最後の三日間』において、臨終の床にあるペソアの下を、異名たちが訪ねる様子を描いています。

しかしながらタブッキが、詩人のそのような側面(にしてもっとも有名な背面)に惹かれていたのは確実としても、それだけではなかったこともまた、同様に確かなことに思われるのです。

別の側面とはつまり、「机上の旅人」 としてのペソアです。私自身、これまでも彼の経歴を読んで、非常に興味を惹かれていた部分です。今回『ユリイカ』に訳出された作品を読んで、タブッキもまた同じような興味を持っていたに違いない、と思うようになりました。

「…フェルナンド・ペソアは机にすわって旅をする。」

小品『しずかな旅人』にある一文ですが、これを読んで文学好きの人ならもう一人、詩人と同時代を生きた人物を思い出したとしても、なんら不思議ではないでしょう。

フランツ・カフカ。1883年生まれ。1924年になくなるまでの大部分をプラハで過ごした20世紀の偉大な小説家は、その40年の生涯で数えるほどしか旅行をしていません。
その一方で、旅を常に夢見ていたのは確かなようで、それは未完の長編『アメリカ』や、ジュール・ヴェルヌを好んで読んでいたことからもうかがえます。

ペソアとカフカ、二人に共通するのはただ一度きりの旅行が、人生において決定的なものとなってしまうこと。またふたりが生涯をすごした都市が、彼らにとって(おそらくは)故郷と呼べる場所ではなかったこと。

特に後者において、二人の共通部分は際立ちます。なぜ彼らはその、生まれ故郷と呼べない場所を、生涯の地と定め、そこから出ることなく一生を終えたのか?

二人の生き方には、都会に生きる異邦人の不安と安息が垣間見えるように思います。近代から現代に至る過渡期を生きた彼らはまさしく、現代の都会人だったのでした。

では、また。
Au revoir, à la prochaine fois!
フェルナンド・ペソアの肖像

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