2014年4月19日土曜日

ラテンの鎧を着たケルト

「ケルト」ってなによ?そんな大風呂敷を広げても、答えられるはずもない。ケルト音楽にケルト神話、ケルト文化…これだけ繰り返しても、明確な輪郭は掴めず、むしろケルトがゲシュタルト崩壊してしまう。

そんなら一日本人にとって「ケルト」ってなによ?というのが、今回紹介する『スペイン「ケルト」紀行』。内容は正直、薄い。スペインのガリシア地方をめぐる旅行記を書きたいのか、それともスペインに残るケルト文明についてスポットを当てるのか、曖昧なままいたずらにページが費やされる。

だが、それでいい。そもそもヨーロッパは混血ありきの大陸であり、「純粋な」血統なんてものは、ないに等しい。それがゆえに王族間で血を純に保とうとする働きがあったのだろう。そんな大陸で、ケルトの源に遡ろうとするのは、そもそもが無謀な試みだろう。

純粋なケルトも、神話に過ぎない。ケルト文化に魅せられ、ヨーロッパ各地をめぐってきた筆者は、ガリシア地方に残るケルト文化を、「ラテンの鎧を着たケルト」と、道中に出会った人の言葉を借りて表現する。だが、実際のところどうなのだろう?立派な鎧をまとってはいるが、その実中身はからっぽだった、なんてこともあり得るのではなかろうか。

イタロ・カルヴィーノが書いた『不在の騎士』。戦場で勇猛果敢に戦うこの騎士、中身は空洞だった、という話。反・騎士道小説であり、はたまた騎士の中身が女性だった、という反・反騎士道小説でもあるこの寓話。なんにでも中身があるわけではないのだ。

「ケルト」という言葉についてはどうだろう。一見、非常に独自な文化が残っているように見える。ケルト音楽と聞くと、あのいかにもアイリッシュな音楽を思い出すし(これ以上に表現が見つからない)、ケルト神話に出てくる妖精の類は今も、子どもたちの想像を掻き立てる。

それは、それでいい。だが、それを絶対視し、他文化からの影響を全く認めない、となればもはやその本質を失ってしまうだろう。どの文化も別の文化か大なり小なり影響を受けている。とりわけヨーロッパという極小の大陸にあって、他からの影響を免れることは不可能に近い。それを認めたうえで、ケルト文化を主張し、享受すること。人と人との関係のように、そうすることではじめて実りある関係を築くことができる。

他者からの影響を否定し、自らの独自性ばかり主張していたら、自分が空っぽになってしまう。己という存在が、他人の声や影響だけで成り立っていると認めるのが虚しい?別に、それでいいんじゃない?立派な鎧を自慢するのも、またひとつの生き方だ。

Au revoir et a bientot !

0 件のコメント:

コメントを投稿